第1話 意志を折る。否、意志を織る。
何の変哲もない会議室、正面のホワイトボードに書かれた内容は2年前から変わっていない。
否、数分前に変更された。
「イズミヤとその周囲人間関係について」
蜘蛛の巣のように紐付けされた人の名前とその生年月日、スペースを埋めない様に最低限の情報が記入されている。
そして、2年前最後に追加された数人の名前、
───緋海カナハ
───青葉ルア
───海里ヒナ
そして、つい今し方になり追加された名前、「蔵田イオリ」。
そう、俺の名だ。
「今回も無理だったか」
正面から見て長机が左右に向かい合う様に置かれている。
右側一番前、ホワイトボードに1番近い位置で椅子の前脚を浮かすように背もたれへと体重を掛け天井、正確には俺の頭上に光る俺を指すかの様な矢印を見つめる。
「で、お前はどうすんの?」
目線を変えないまま後ろに居る人物に声を掛ける。
井原ニコ、この2年間俺の相棒として共に働いた仲間だ。
そう、仲間だ。
だがその両手の掌には俺の頭を一瞬で吹き飛ばせる武器が握られていた。
「騙していたんですか、先輩」
ニコが声を震わせながら言う。
「騙すつもりはなかった、ただ言う必要が無いと判断した」
嘘は付かずに答える。
そう、必要が無かった。
言ったところで今の結果は変わらず、むしろ反発されてしまうかもしれない。
「でも!どうして今の今まで!」
震える声に怒気を含ませ沈黙が耐えられないという様子でニコが言う。
「アハハハ、もう良いでしょ早く殺しちゃいなよ」
そんな空気を壊す様に場に合わない無邪気な声が響く。
俺は横目で声の主を見る。
色白の肌に薄白に青と赤の光の様な色の長髪、黄金に輝く底の見えない不気味な瞳、顔付きは幼く何処かあどけない。
だが、明確に見たものを恐怖させる雰囲気を醸し出している。
端的に言うのなら人外、圧倒的強者、本能的に勝てないと分かる上位存在、
人ならざるもの、有り体に言うのなら怪異か。
「んふふ、また失礼なこと考えてる。女の子には人外とか怪異なんて思っちゃダメなんだよ」
ナチュラルに思考を読むのはやめて欲しい。
しかし思考を停めたら最後、俺は彼女、
緋海カナカと名乗る少女に文字通り喰われるだろう。
その証拠に、彼女の周り、と言うよりも俺とニコの周りには死体の山が転がっている。
外傷はなく、ただ見ただけならば気を失ってる様にも見えるだろう。
だが違う、彼女に魂を喰われたのだ。
「ニコ、決めろ。この状況をどうにかできるのはお前だけだ」
カナカから意識を外さないように矢印から目を離さないようにニコに言う。
「ダメ…です…、私には…出来ません…!」
ニコがカナカと俺を交互に見ながら言う。
「俺が喰われたらもうどうにも出来ない、そしてその子はニコにだけは攻撃出来ない。この意味が分かるか?」
「そうだよ〜どうするのニコお姉ちゃん」
んふふふ、ふふふ、と狂った様にカナカは笑う。もうそこにはニコの知るカナカの面影はないだろう。
カナカはニコの魂だけは食らうことができない。
それは本来の彼女、緋海カナカの最後の意志によるものだ。
矢印が震え、ジワジワと迫ってくる。
この矢印が俺に触れたら最後、俺は彼女に喰われるだろう。
当然の結果だ、こうなる様に仕向けたのは俺なのだから。
それから幾許かの間が空き、
「…うぁ…うわあああああ!!!!」
ニコが武器の引き金を引いた音がした。
それに合わせジワジワと近づいていた矢印が急速に落ちてくる。
どちらが先か───。
一瞬、頭部に強い衝撃を感じた後、意識が闇に消えた。
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「お疲れ様〜」
どうだった?と言いたげな顔だ。
「無理だった、やっぱり僕には...」
「こーら、弱気になるな!」
「でももうダメなんだ、俺には…」
「そんなことないよ、次がある!私だって着いてる!だから大丈夫!!」
パジャマ姿の僕に彼女が笑う。
その太陽の様に暖かく僕を包み込む様な笑顔に少しの心の回復を感じる。
だが───、
「もう、もう見たくないんだよ」
君が死ぬところなんて…………、
と、そこまで出かけた所で堪える。
「………ふっ」
彼女がまた僕に微笑む。
何処か見透かしたような、慈愛を含んだ様な笑み。
「大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫大丈夫」
彼女が屈み、俯く僕を抱擁しそう繰り返す。
「何度死のうとも私は此処に居る、絶対会えるから。
でもいま君が諦めてしまっては全てが無くなってしまう、君は産まれてこないし、私とも会えなくなってしまう。
今という少しの時間すら無くなってしまう。
だから、諦めないで。私は大丈夫だから」
ね?と言い聞かせる様に僕に言う。
───リーン、リーン、リーン
鐘が鳴る、終わりを告げる音だ。
「大丈夫だから。いってらっしゃい」
ポンポン、と2度彼女が僕の背を叩く。
合図だ、もうこれ以上この空間では触れることは出来ないよ、と言う彼女からの。
顔を上げるともう彼女は居なかった。
僕は、いや、俺はスーツの首元を正し、前を向く。
そして、
「行ってくるよ、ヒナ!」
そう、何処に言うでもなく声に出し駆け出した。