9-2その傷は見せないで
「いやはや流石、魅惑の薔薇と称されるだけある…。」
「バカンスの間は小侯爵閣下とラルフレート卿と代わる代わるご旅行と行かれていたとか?」
「社交界随一の美丈夫二人を虜にしているのだもの、美しいわ…。」
突き刺さる謂れなき噂と囁き声。
しかしどれもが微妙に都合の良い方向に捻じ曲げられていて冷汗が流れる。
「すっかり魔性の女になっちゃったね。」
「面白そうに言わないで…!」
虜にされていると噂されている紫の目の方の男が、冷やかすように見下ろしてくる。
「それにしても今日の主役はいつにも増して妖艶だね。虜になってしまいそう。」
「もう…そうやって揶揄って。」
「ごめんごめん、揶揄ってないよ。綺麗。」
微笑む彼の黒いコートの胸ポケットには、葡萄色のポケットチーフ。
自分のドレスと同じ生地を使ったそれが目に入り、思わず視線を引き剥がす。でも、ラルフには気付かれていたようで。クスッと鼻で笑う息遣いが聞こえた。
しかし問題はそこではない。
私は今日ほど髪の毛を伸ばしておいて良かったと思った日はない。あ、いや嘘だ。あの初夜(小声)の日も髪に救われた。
夫人がデザインしたドレスは背中がガッッッツリあいていて、葡萄色のレースがかろうじて背中を隠してくれている。
私の傷を知らない人は分からないくらいだが、知っている人が注視して見れば気がつくだろう。
夫人は
「こんなものなんてことないわよ!むしろそんな際どいところにある傷なんて、色っぽいじゃない!」
と言っていたが、果たして…。私には恥でしかない。
なので、誕生会当日の今日は、かなり強めに髪を巻いてボリュームを出して下ろしている。
「ま〜!メルヴィーナ様、お誕生日おめでとうございます。」
「ふ、夫人…ありがとうございます。」
そこに夫人がご主人のエスコートで来てくれた。やっぱり、仲が良さそうだ。
「やっぱり!似合ってるわあ〜。今年は色々経験したものね。大人っぽい色が似合ういい女になって〜。ねえ、ラルフ君」
「はは…色々…。」
ラルフが薄く笑う。絶対に色々思い出している。やめてほしい。
「でもせっかくの後ろのデザインが!どうして髪の毛はアップにしなかったの!?ああ〜ん、ヘアメイクまで張り付けば良かったわ…!」
「後ろ?」
ラルフがなんのことか、という顔で背後を覗き込んでくる。慌てて彼の背中を押し返す。
「いっ、いいいいから…!気にしなくて!ほら、お酒、お酒取ってきたらどう!?」
「え~…」
口を尖らせて、渋々カウンターへと向かう広い背中。助かった…。夫人は気にしなくていいと言うが、やっぱりそんなわけにはいかない。
その後は夫も来たので、連れ立って、挨拶にまわる。貴族派の主要な人物や、実家に縁のある家、普段から利用している商会など、家にとって重要な人物を呼んでいた。
「いや~小侯爵殿。王都でのご手腕、さすがですなあ。」
「ありがとうございます。それも妻が家のことを全て取り仕切ってくれているからです。」
(…あら。)
夫は張り付けた笑顔ではあるが、来る人来る人すべてに私を称える言葉をかけている。
ふと思い出したのは、去年のこと。
『もう少し主役をたてたらどうです』
1年遅れだが実行してくれているようだ。夫人も言っていた。その時その時で感情も変わる、と。去年と同じままなわけではない。この冷徹な夫も、何か変わったらしい。
「…どういった心境の変化です?」
「何がだ。」
「あら、ご自覚なかったんですか。」
「…ふん。」
相変わらず横目で見下ろす視線は冷たいままだが、以前のような他人行儀の冷たさは和らいだ。
「君こそどうしたんだ。」
「はい?」
「以前はこういう服を着なかったし、もっと縮こまっていた。」
さりげなく、エスコートするかのように背中を押される。長い胡桃色の髪の奥、レースに隠された背中に手をまわされたとき、一瞬肩が揺れてしまったが、負けていられない。
しゃんと背筋を伸ばし、何ともないように胸を張り直す。
「公爵夫人に言われました。恥ずべきものではないと。だから私もそう思おうかと。」
「ほう。」
「なので、あなたにいくら醜いと思われようともう気にしないことにしたんです。」
夫の手を振りほどくように一歩前に出て振り向くと、豆鉄砲を食らった鳩のように、切れ長の目を見開く夫の顔。夫のこういう顔を見れるんだ。たまには大胆になるのも悪くないのかもしれない。
あとで公爵夫人にはお礼を言わなくっちゃ。
「私はもう、怯えません。」
真っすぐ見据えて告げた。蒼い眼は驚いたかのように見開かれ、薄い唇は何か言葉を探すように僅かに開かれている。それでも夫の感情はやっぱり読めなくて。
ただ、私の言葉をきちんと聞いてくれていることは確かだった。
「…メル!」
「あ、ラルフ。いいお酒あった?」
「うん、用意してくれてありがとう。挨拶まわりも疲れたでしょ。少し休憩して涼んでこない?」
「ええ。シルヴェスター様、行ってきますね。」
「…ああ。」
テラスに出ると、丁度夕陽が傾いていた。去年もここでこの夕陽を見た気がする。あまりいい思い出ではないけれど。
「はあ~疲れた!連れ出してくれてありがとう。」
「ううん、シルヴェスター様と何話してたの?」
「宣戦布告してたの。お前には負けないからな~って。」
「何それ。」
ラルフは笑いながら、私の弱すぎる右ストレートを掌で受け止めてくれる。ついでに左アッパー(?)もお見舞いしたら、いててと受けてくれた。優しい。
「ああ、あとまた、ふんって言わせたわ。」
「またそれ。良かったね。」
ラルフの笑った顔が好きだ。たれ目な目がふにゃっと下がる。横に大きな口が頬いっぱいに引き伸ばされる。
子どもの頃から変わらない。
つられて笑っちゃう、その笑顔が大好きだった。
「ラルフのおかげだよ。本当にありがとう。」
「何もしてないよ。」
「傍にいてくれたじゃない。優しい言葉もかけてくれた。ラルフと再会できなかったら、多分わたし、ここから飛び降りてたわ。」
それくらい息苦しかった。冷たい夫。たくさん人はいるはずなのに、一人きりの家。寂しく眠る毎日。子を成せない情けなさ。自分なんかいなくても同じだと何度思ったことか。
テラスの手すりに手をかけ、下を見下ろす。大した高さではないのに。それでもあの当時は何度もここへ来て泣いていた。
「そんなこと言わないでよ。」
「…そうね、ごめん。」
秋の風が吹きすさぶ。庭の広葉樹も色めいてきて、落ちた葉が舞った。風で流れる胡桃色と同じ色をした落ち葉。
「…メル。」
「ん?」
振り返ると、すぐ背後に、ラルフの額。
後からラベンダームスクの香りが追いかけてくる。
長い腕でテラスの柵に手をかけ、私の体を包み込むように覆いかぶさっている。
肩にラルフの黒い前髪がこすれる。
「やっぱりメルは、世界で一番きれいだよ。」
耳元で囁かれた声はいつもの優しい声ではなくて。
感じたのは、秋風で冷えた背中を辿る、熱い体温だった。




