6-2愛人にぴったりの男
(ん?????)
「ラルフ、何を…きゃ…」
ぐいっと顎を持ち上げられる。無理矢理合わせられる紫の瞳。真っ直ぐ見つめられて"何も言うな"と言われているようだった。ラルフのこんなに強い顔は初めて見る。いつもニコニコしているラルフなのに、有無を言わせない、そんな顔。
「メル、君の旦那さんに感謝するよ。こうして君に堂々と触れられるんだから。」
強い瞳に向かって「どういうことなのよ」と視線だけで訴えかけるも、返ってくるのは微笑みだけ。
完全に肩透かしを食らい困り果てて一歩下がろうとしても、今度は反対の手で腰をがっちり抑えられて身動きが取れない。いつも優しい幼馴染がこんなに力強くて強引だったことを初めて知る。
幼馴染とはいえ、お互い思春期を迎える前にはきちんと距離感を取りながら育ってきた。最近だって、ラルフが私に触れる時は必ず許可をとってからだったし、理由がなければ接触なんてなかった。
(…それなのに、こんな…!)
引き寄せられ、押し付けられる大きな胸からはラベンダームスクが香ってくる。
香りが去年の秋の乗馬の記憶を呼び起こす。確かに私はあの時、意識をしてしまった。揺れる馬の背の上で、時折感じる逞しい腕と胸の存在に、確かに"男性"を感じた。
ただただ優しい幼馴染と思っていたラルフがいつの間にか逞しく頼もしくなっていたことに戸惑った。
その腕に、今、抱き留められている。
対等な友人だと思っていた。でも、私は彼の瞳の強さと腕の力で身動きが取れなくなるのだ。
その事実がなんとも気恥ずかしくて、何も言えなくなる。
先に口を開いたのは、シルヴェスター様だった。
「…うちの妻は良くても、貴殿の方がこの状況を咎められるのでは?」
「なんのことだかサッパリ。私は独身の身ですので。」
「子爵家のご令嬢と縁談が進んでいると聞きましたが?」
「えっ!!!?」
夫から聞く初めての情報に、弾かれてラルフを見上げる。そんな状況なら、人目のあるところでこんな騒動を起こすべきではない。
「ああ、それなら先日お断りしたところです。お相手も長年想いを寄せる男性がいたようで、こじれることなく終わりましたよ。」
「ほう…?」
「だから私も心置きなく夫人との時間を楽しめるということです。」
「ね?メル」と再びにっこりと引き寄せられる。何が何だか全く分からない。週一回は会っていたというのに結婚の話が出ていたことも、またそれが破談になったことも全くの初耳だった。私が知らない友人の情報を夫が知っていることも複雑だった。
そんな私の心境など置き去りにして、男たちの話は進んでいく。
「そのお相手の子爵令嬢には祝福を述べねばならないな、愛する者と永遠を誓い合えるのだから。君のおかげでね。」
「そうですね。形だけで縛り付ける永遠ではなく、お互いの慈しみと思いやりで永遠の時間を紡いでいく夫婦になれそうですね、彼女たちなら。」
夫の眼が笑っていないのはいつものことだが、ラルフまでもが口元でしか笑っていない。こんな表情、初めて見た。
「ちょ、ちょっと二人とも…。よく分からないけど、王族の方たちもいらっしゃる場で流す空気じゃないわ。」
実際に、少しずつ注目を浴び始めている。それはそうだ。ただでさえ目を引く美丈夫二人が一緒に居るだけで目立つというのに、あろうことか妻が夫でない方の男の腕の中に居るのだ。そんなこと貴族たちにとったら格好の話のタネだ。
ああほら、公爵夫人なんて楽しそうな顔がもう扇子で隠しきれていない。によによという表現はこういったときに使うのが最適なのだろう。一刻も早く場を納めなければお茶会で餌食になる。
「ラルフも、気持ちは有難いけどこれは夫婦の問題だから…。」
そう窘め、斜め上のラルフの顔を見上げ腰にある手を解こうと試みる。が、この男、あろうことかそのままその右手を悪戯に動かすのだ。下腹部をなぞり、右の腰から背中までにかけて、ゆっくりと這う大きな手。
されていること自体もだが、あの紳士的なラルフがこんなことをするということが衝撃的で頭が大混乱だった。でも、くすぐったさはどうしたって感じてしまって、呼吸が震える。
「…っ…、ラルフ…。」
困り果ててもう辞めるように目で訴えるも、やはりラルフはいつもの優しい穏やかな瞳ではなくて、意志の強い眼で私の困惑を封じ込める。
「メル、本当にこのままでいいの?君はその寂しさを解消できないから、あの夜」
「ちょっっっと待ってそれは二人だけの秘密って約束だったわよね…!?」
慌ててラルフの言わんとしていることを封じた時には、既に遅かったらしい。正面から不穏な空気を感じる。
「…あの夜?」
予想通り、地獄の裁判官かのような険しい形相で見下ろされている。氷のような蒼い眼だ。
…まずい。これは非常にまずい。夫には既に前科一犯を見られているのだ。侯爵夫人ともあろう人間が怪しげな夜会でべろべろに酔っぱらって見知らぬ男からの飲み物を飲もうとした不注意さを。
それに加えて娼館まで行って騎士団から逃げたことが知られたら本当にまずい。
「…あ、あなたには関係のないことです!ねえ?ラルフ?」
さっきまでの「夫婦の問題だから」という言い分と180度違う言い訳に、頼むから乗ってくれという願いを込めて、腰を抱くラルフの右手を握りしめる。
(お願いだからラルフ、娼館のことだけは誰にも言わないで…!社会的に死んでしまうから!)
「そう、あの夜のことは俺たち以外には聞かせられないね。」
願いが通じたのか、ラルフは大変妙な言い回しだが、乗ってくれた。とりあえずのところ窮地は逃れられたから良しとしよう。
一方の夫は、集まりだしてきた人だかりに、不快そうな色を表情に落とす。他の人なら気が付かない程度だろうけど、曲がりなりにも3年間同じ家で過ごしてきたのだ。これくらいの感情の機微にも気が付くようになってしまった。
あまり嫌な注目を受けたくない夫は、納得はしていないようだが、仕方がない、というかのように大きなため息をついた。
「…危険なことはするな。」
「私がついているので、ご安心ください。」
夫お得意の小言もラルフによってにっこりとかわされ、夫は社交の場だというのに眉間の皺を隠さなくなった。
「…ふん。」
ラルフの挑発を受けて、夫は不機嫌さを丸出しに身を翻して人混みの中に去っていく。
その様子を見て、私は開いた口が塞がらなかった。恐らくひどく間抜けな顔をしていたと思う。
「…ラルフ!聞いた!?ねえ、聞いた!?」
「ん?」
興奮する私に、ラルフは戸惑いつつも私の次の言葉を促すように首を傾げてくる。
ああ、良かった。シルヴェスター様が去ったらいつものラルフに戻ってくれた。
いつもの友人に安堵した私は、喜びを抑えられずにラルフの両手をがしっと掴み、上下にぶんぶんと振る。
「ふんって!ふんって言ったわ!これで"ぎゃ"が付けば私の勝ちよ!ラルフのおかげだわ、ありがとう!」
「あ、そういう感じ?」
私の興奮する様子に、いつものあっけらかんとした穏やかな空気間に戻ったラルフは呆れて笑った。
本当に良かった。やっぱり私はこういう気さくなラルフが好きだ。
しかしこの時の私は何にも気が付いていなかった。
何一つとして問題が解決していないことを。




