4-2レッツ愛人探し
「いい香り。ラベンダー?すごくそそられる。」
…近い。
「…あっちで休めるけど、どう?」
近い。
「すごく魅力的だ…。」
―――近すぎる!!!!!!
「っちょっっっとすみません失礼しますッ!!!」
お手洗いのドアを勢いよく閉めると、我慢していた変な汗がドバっと流れる。全速力で走った後かのような心臓の速さ。
(いや、距離感!!!!?)
男女関係初心者の私にはとても耐えられなかった。踊る人踊る人、みんなが近いのだ。当然のように腰を引き寄せて密着させ、耳元で囁き、髪の毛に触れてくる。通常の舞踏会では信じられない近さ。こんな至近距離、夫とさえ公然ではしない。いや、うちは家でもないが。
これが…仮面舞踏会―――…
正直、体格や髪の色を見れば一度会ったことのある人なら誰なのか分かる。先ほど踊った男性も子爵家の三男で夜会で一度会ったことがある。それでも初めましてのていで一夜限りと割り切って楽しむのがこの舞踏会のマナーなのだろう。
(これは…愛人探しの絶好のチャンス―――!!!)
…と思って意気揚々と乗り込んだものの…あまりの近さに私の羞恥心が限界を迎えてしまった。
(耐えられなくてお手洗いに逃げ込むなんて情けなさすぎる…)
トボトボと会場に戻り、助けを求めようと夫人を探すが、無情にも夫人は夫人でお楽しみ中だった。体格のいい若い男性と何やら楽しそうな雰囲気である。あっ、目が合っ…え、ウインク…ああ、「貴方も楽しんでネ」ってことね…。
せっかく夫人が誘ってくれて召し変えもしてくれたのだ。楽しみたい…ところだけどどうにもこの距離感に慣れない。
ため息をついて仕方なく飲み物を取りに行く。お酒をガンガン入れたら距離感も大丈夫になるかもしれない!そう思って強めのお酒を注文していると。
「レディと同じものを僕にも。」
背後から男性の声。振り返ると、赤みがかった長めの髪を後ろで一つに束ねた、体格のいい男性が一人。顔の上半分は仮面で隠れているけど、余裕のある笑みから、この男性の自信に溢れる雰囲気が感じ取れた。
「随分とお強い酒を飲まれるんですね、レディ。」
「あ、ええ。お酒が好きなので。」
酔っぱらった勢いで愛人をゲットしたい!!なんて下品なこと、口が裂けても言えるわけがない。
「じゃあ僕と同じだ。僕も強い酒でカッと喉を焼くのが好きでね。貴方みたいな美しい人と一緒に飲めるなんて、来てよかった。乾杯。」
「あらお上手。乾杯。」
名前はマージドというらしい。祖父が異国の出身で、代々商業を生業にして、この王都を拠点に世界各地を飛び回っているという。普段行く舞踏会では貴族としか交流しないため、この男性の話は異世界の物語のようだった。
「それで墓荒らしの連中と出くわしてさ、」
「そんなタイミングで!?まるで小説のようね!」
私も楽しくてついついお酒が進む。マージドは他の男性と違って距離を縮めてこないし、変に容姿を品評してこないし、ただただ楽しい時間。
「メル、ブランデーとコーヒーを割ったものを飲んだことある?」
「ないわ、コーヒーだってそんなに飲む機会がないもの。」
「僕の会社で取り扱っててね、この舞踏会にも卸したんだ。ぜひ。」
カフェロワイヤルと教えてもらったブランデーカクテルは苦みがすっきり飲みやすくて、デザートと一緒にあっという間に飲み干してしまった。他にもマージドは色々な飲み物を卸したらしく、飲んだことのないお酒をどんどん勧めてくれた。
「楽しい…!私もサロンで色々飲んでるけど、こんなに珍しいものは初めてだわ…!」
「楽しんでもらえてよかった。お酒好きの女性ってなかなかいないから僕も嬉しいよ。メルはたくさん飲んでくれるから。でもあんまり酔わないね?強い?」
「これでも結構、酔ってる方なんだけど。マージドも酔ってないわね?」
「僕は酒には酔わない。」
じゃあ何に酔うのよ~船~?とけらけら笑うと、急に手を取られ、マージドの顔の傍まで手を引き寄せられる。さっきまで快活な顔つきをしていたのに、仮面の奥の灰色の瞳が熱を帯びる。
「酔いたいな、君に。」
そう一言呟き、私の指に唇を落とす。酒精がまわっているせいか、当てられたものは熱い。
「一曲、お相手いただいても?」
「…喜んで。」
マージドのエスコートで広間に出る。舞踏会も終盤、ゆったりとしたワルツになっていた。甘い雰囲気。思考を鈍らせるアルコール。
彼はたまに王都に帰ってくるブルジョワ。女性にも慣れていそうで話し上手。愛人にするには最適の人かもしれない。
彼も、ほら。腰に回された手は大きくて私を求めるように背中を伝うし、見つめてくる瞳は欲情に浮かされている。
思い出して、メルヴィーナ。どんな人を愛人に望んでいた?あんな中身がドクズの夫よりもいい男を捕まえてギャフンと言わせてみせるって誓ったじゃない。
彼はいい男よ。体格もいいし、長い髪はなんだか退廃的でそそられるものがあるし、知らない世界を教えてくれる。最高じゃない。
「メル、今日、すごく楽しかった。」
「…私もよ。」
「王都に帰って来て良かった。…君に会えたから。」
ほら、夫が言ってくれない甘い言葉もかけてくれる。これを求めていたんじゃない。
―――でも、どうしてだろう。
さっきから”彼は私が探していた人よ”と自分に言い聞かせてるのに、思い浮かんでしまう。
この曲は結婚前、婚約者として初めて彼と踊った曲だって―――…。
まだあまりダンスが上手くなかった私に合わせて、ゆっくりとした曲を用意してくれた。リードする腕は優しさよりも力強さがあって、「私に任せて」とあの低い声で囁かれているように感じた。初めて近くで見る蒼い瞳に見惚れていると、気が付いた彼も見つめ返してくれた。
「…薔薇のような色だ。」
と静かに呟かれたのは、独り言だったのかもしれない。でも、彼の視界いっぱいに私が映っているのが嬉しくて。永遠にこの時間が終わってほしくないと、17歳の私は願っていた。
どうして忘れていたんだろう。この曲がかかる終盤まで、舞踏会を楽しんだことなんてなかったかもしれない。とりあえず顔だけ出して、夫を狙う令嬢たちの視線に耐えられなくて逃げだすように過ごしていたから。
シルヴェスター様。今、私、違う男性とこの曲を踊っているわ。あなたはリージア様と、もしくは他の女性と踊ったかしら?その時、あの日のことを思い出してくれた?そんなわけないわね。いつだって、私の一人芝居だもの。
…曲が終わった。この曲って随分と長い曲だったのね。そのせいで色々と思い出してしまったじゃない。それとも酔っているせいかしら。こんなに感傷的になってしまうのは。
(…失敗したわ。)
酔った勢いでどうにかしてしまおうかと思ったけど、酔ったせいで色々思い出してしまった。
「メル、君が良ければこの後」
「すごく楽しい夜だったわ。ありがとう。」
マージドが言い終わる前に、なるべく明るく、ハッキリと告げる。
「―――帰るわ。12時だから。」
「…そう?じゃあせめて馬車まで送らせて。少しでも君といたいんだ。」
紳士的なマージドの申し出を受け入れ、外套の支度をしてくれている間、ホールのソファに腰かける。夫人からは「私はもう少し遊んでから帰るから、うちの馬車を使ってね~」と言われている。
座りながらぼんやり会場を眺めると、最初に来た時より人数は少々減っている。帰った者や、客室へと向かう者もいるのだろう。残っている人たちは皆色とりどりの多種多様な仮面を着けたまま、男女の駆け引きを楽しんでいるように見える。
(すごい世界だったわ…)
酔った頭で緩慢に眺めていると、外套を腕にかけたマージドが水を持ってきてくれた。
踊った時も思ったけど、かなり体格がいい。身長はシルヴェスター様くらいあるし、肩幅もラルフと同じくらいありそうだ。シルヴェスター様の優雅で気高い雰囲気とは違い、親密さを感じさせるような、それでいてどこか退廃的で甘い雰囲気。
本当に理想の愛人なのだが、どうしたって夫の姿が頭によぎって比べてしまう。そんなこと、マージドにも失礼なので、今回は縁が無かったと思おう。
「かなり飲んでいたから、馬車の中で気分が悪くなるといけないと思って。」
「ありがとう。」
帰ると言っているのにこんなところまで優しくて気が回るのね、とときめきながら差し出されたグラスを受け取り、口をつけた。
その時。
「―――待て…!メルヴィーナ!」
突如伸びてきた大きな手に、グラスが奪われる。弾かれたように顔を上げ、その腕の主を見上げ、目を見開いた。仮面を着けていても正体なんて一目で分かる。
「なん、で…。」




