スマホ探偵 (ミステリー)
五月八日午後二時五分――。
ある住宅内で、高齢男性が死んでいた。
事件性なしと判断。
五月九日午
前十時八分――。
マンションの一室で、中年男性が急死。
心臓疾患有り、家族も近くにおり他者の介在の余地なし。
事件性なしと判断……。
「ふーむ、臭いますね」
そう呟いた声が、鬼瓦警部補の耳に入る。
「先生ッ、声が大きいですよッ。静かにしてください」
慌てて鬼瓦警部補は隣の人物に注意する。小声で。
鬼瓦警部補の隣にいる人物は検案医の金谷亜蘭。
厳つく、少々くたびれた中年の鬼瓦警部補に対比して、若くて整った顔付きをしている。
今は、中年男性が急死した件で現場臨場中なのだ。
隣の部屋には遺族が今か今かと検案の結果を待っていた。
(不用意な言動は控えてほしい……)
鬼瓦警部補は頭を抱えたくなる。
――北関東の某県みらい警察署刑事課に所属する、鬼瓦権蔵警部補は御歳四十五歳、バリバリの刑事で現場の叩き上げだ。
昨日に引き続き、変死事件の現場に臨場していた。
昨日は高齢男性、今日は中年男性――。
ともに現場をくまなく確認し、事件性なしと判断した。
あとは検案医に『仏さん』を見てもらい、終わる。
なのに、なのに――。
検案医の金谷は現場を引っ掻き回し、遺族の心情を無視した発言をする。
(なにが『ふーむ、臭いますね』だッ! お前は『おしり探偵』かッ!)
鬼瓦警部補は隣の金谷を軽く睨みつける。
金谷は涼しい顔だ。
(ぐぬぬ……)
鬼瓦警部補は、それがまた気にくわない。
金谷は若くして顔も良い。
スタイルも良く、某有名大学医学部出身で親が開業医。
金谷自身も親の経営する病院に勤めており、その病院がまた大きく儲かってそう……。
何故だか知らないが、金谷はみらい警察署の検案医をしてくれている。
普通は大病院の医師は検案医など請け負ってくれない。
(請け負ってくれなくていいのに……)
鬼瓦警部補は金谷のことが苦手だ。
少なくとも、親しく付き合おうとは思わない。
別にイケメンリア充に嫉妬している訳ではないのだ。
鬼瓦警部補は、ふと警察の同期のことを思い出す。
その同期は、ある署長の娘と結婚してエリートコースに乗った。
――やはり、顔の良い男は敵だ。
鬼瓦警部補は再認識した。
「むむっ」
遠い目をする鬼瓦警部補の横で、金谷が声を出す。
と同時に白いマントが翻る。
いや、白いそれは白衣だ――。
マントではない。
「これは『スマホ』ですね」
「あ、先生ッ、勝手に死者の持ち物に触れないでください!」
金谷はマント――白衣を翻し、近くに落ちていたスマホを手に取る。
ハンチング帽を被り、パイプ(キーホルダー)を持った金谷が変なポーズを取る。
先ほど『何故だか金谷が検案医を請け負って……』と鬼瓦警部補は述懐したが、本当は理由を知っている。
金谷は『探偵オタク』なのだ。
検案の度に現場で『探偵ごっこ』をする。
格好から、『探偵』くさい。
(現場を引っ掻き回すなッ! 検案して早く帰れッ!)
と鬼瓦警部補は心の中で叫ぶ。
『探偵をするために医者になった』
と金谷が言ってたのを、鬼瓦警部補は以前聞いたことがある。
その時は愛想笑いでスルーしたが、本気だった。
金谷は、正真正銘の変態である。
「あ、スマホに触れないで。危ないですよ」
スマホを取り返そうとする鬼瓦警部補に、金谷が抵抗する。
「いいですから!」
鬼瓦警部補は構わず、スマホを取り上げる。
「あ、もっと調べたいのに……」
顔をしかめる金谷に、
(現場の捜査は警察の仕事だ)
と鬼瓦警部補は無言の拒否をする。睨み付けたのだ。
昨日の現場でも金谷は『探偵ごっこ』をしたが、スマホなんて誰でも持っている。
そもそも、スマホが変死事件に関連するなんて、考えられない。
鬼瓦警部補は、金谷のことを怒鳴り付けたくなった。
「鬼瓦警部補、あなた――」
「なんですかッ」
「顔が大き……じゃなかった、声が大きいですよ。近くにご家族の方もいらっしゃいますから」
「じゃかましいッ!」
とうとう、鬼瓦警部補は怒鳴り付けてしまった……。
◇◆◇
事件の後は署に戻り、書類作成の時間だ。
綿密に記録を残しておかなければならない。
変死現場を収集した鬼瓦警部補は(興奮する鬼瓦警部補を部下が宥めた)、部下とともに書類作成をする。
ピン、と張り詰めた空気が漂う。
自分にも、他人にも厳しい鬼瓦警部補はこの空気が好きだった。
リリリリン
鬼瓦警部補の卓上にある、スマホが鳴る。
金谷からだ。
スマホは新しく変えたばかりで、まだ着信音すら変えていない。
それがまた頭に来る。
金谷の用件は、検案書についてだった。
事務的に短いやり取りを済ますと、鬼瓦警部補は電話を終えようとした。
『あ、それと――』
しかし、金谷が話を続けようとする。
「……なんでしょう」
不機嫌そうに鬼瓦警部補は応じる。
『スマホのことで、お話ししたいことが』
「結構ですッ」
鬼瓦警部補は、一方的に通話を切り上げた。
その様子を見た部下が、
「まあまあ。変わり者の金谷先生の言うことですから」
と宥めてくる。
「む……」
「いちいち相手にしてたら、血圧が上がっちゃいますよ」
「ふんッ」
鬼瓦警部補は、鼻を鳴らした。
確かに最近、血圧が高い。
もともと高血圧だったが、薬が増えた。
胃も痛くなりそう……。
(あいつのせいだ、全く)
鬼瓦警部補は心の中で悪態をつくと、書類に集中した。
◇◆◇
「ふーむ、やはりそうでしたか」
金谷が呟く。
そのまま脱帽し、手を合わせる。
「……金谷先生、ありがとうございました」
みらい警察署の刑事が金谷に頭を下げた。
「いえ、お悔やみ申し上げます」
金谷も頭を下げる。
五月十日午後二時一分――、
みらい警察署管内のアパートの一室にて中年男性が急死。
心臓疾患有り、事件性なし。
亡くなった中年男性の氏名は、
鬼瓦権蔵――。
鬼瓦警部補は若い頃の無理が祟り、心臓にペースメーカーを埋めていた。
「このスマホ、新製品ですが……。必ず変死の現場にありました。しかも心臓にペースメーカーを入れている方の。どうやら、重大な問題があるようです……」
「……はい」
金谷の言葉に頷く刑事は、鬼瓦警部補の部下だった男だ。
目に、強い力が光る。
このスマホの事件は、世間を揺るがす大きな問題に発展するかもしれない。
たが、金谷の預かり知るところではない。
「惜しい人を亡くしました。確証は有りませんでしたので強く諌めてませんでしたが――、『スマホが危ないですよ』と申し上げたのに……」
金谷は顔を少しだけ歪め、白いマントを翻した――。