感情とソロと (現代)
「セックスして、アニメ観て、小説書いて、明後日になったら別れよ」
「ん?」
オレは思わず聞き返す――。
大学卒業を数ヶ月後に控え、オレはハルナと明日から卒業旅行に行く。
二人とも卒業と就職が決まり、北関東の片隅で同棲し、卒業後も変わりのない生活を送る……。
そう考えていた。
しかし、彼女はオレと別れる、と言った。
これまで数年続いた交際に、ピリオドを打つということだ。
漠然と、結婚まで考えていたオレはもちろん動揺した。
卒業旅行どころじゃない……。
「『別れる』って、付き合いをやめるってこと?」
「うん、そうしよう」
「……なんで?」
「うまく説明できない。旅行中に、少しずつ話をしよ」
ハルナは微妙な表情をした。そして笑った。
◇◆◇
「海がキレイ」
「ホント、凄い」
卒業旅行の行き先は日本の最南端の島だ。
二泊三日で、のんびり過ごす。
二人で検索したアニメを観て、気が向いたら小説を書く。
ただそれだけ。
オレとハルナは小説家志望で、書いた小説はネットで公開している。
今のところ、デビューの予定はない。
二日間泊まる宿は一日一組限定の小さな建物で、白い壁が青空に良く映えた。
宿はオーナーが一人で切り盛りしており、夜間はすぐ近くの母屋に戻る。
そんなプライベート感にオレはワクワクしていたが、なんだか胃の底に鉛が貯まるような不安が拭いきれない。
ハルナの『別れよ』という言葉が耳にこびりついている。
「とりあえず、散歩いこ」
「おう、いいね」
宿に荷物を降ろし、ハルナの誘いで砂浜を歩く。
気温的に泳げるようで、開放的な気分になる。
しかし、いいとこだな、ここ……。
ハルナの『別れよ』がなければ、最高なんだが。
夕食の郷土料理を堪能したあとは、アニメ観賞。
宿のテレビにアニメを流し、ソファーに身を沈める。
キーボードを叩く音が時折聞こえるが、オレもノートPCを傍らに置いている。
酸味の効いたアルコールを口に含みつつ、手持ち無沙汰にキーボードを触る。
あ、なんか気持ちいい……。
深く考えるのはよそう……。
『別れよ』発言を問い質そうと思っていたが、明日でいいや――。
「私のこと――」
カタカタとキーボードを打ちながらハルナが口を開く。
「うん!?」
軽くむせるオレ。
「私のこと、真剣に考えてくれてた?」
モニターから目を離さず、ハルナは唐突に聞いてくる。
今!?
今それ訊くの?
まあ今しかないのか……。
「……真剣だよ」
ぶっきらぼうに、短く答える。
「ありがとう。将来のこととかも?」
カタカタ。
「将来の?」
「結婚とか、その先とか」
「……ああ、考えてたよ」
「そっか。小説家にはならないの?」
カタカタ。
「なりたいよ。でも、ある程度仕事を覚えて、それで時間ができてから、かな」
「そっか」
カタカタ。
――それから深夜までアニメを観て、小説書いて、セックスをして、オレたちは寝た。
少しだけ、なにかの夢を見た。
◇◆◇
「わー、朝ごはんもオシャレだね」
はしゃぐハルナ。
朝と行ってももう11時。
遅い朝食だが、宿のオーナーが『かわまない』と気軽に応じてくれている。
昼は軽めに午後3時のお茶を予定しており、夕食は6時だ。
あらかじめ、予定を決めていた。
贅沢な時間だ。
「たしかに。しかも、気分がいい」
食事の場所はテラスである。
青い空と白い食器が非日常の空間だ。
料理もフレンチかつ郷土料理をアレンジしている。
味もいい。
食後は散歩、午睡、アニメを観てお茶をした。
夕食は本格的なフレンチで、少しだけ肩がこった。
夜も少し散歩をして、ゆったり入浴するとアニメを観た。
酸味の効いたアルコールが心地よい。
「なあ、別れようと思ったのは、なんで?」
オレは先制して訊いた。
平坦な声が出て、自分が自分じゃないような感覚を味わった。
「んー……」
言い澱んだハルナは、オレに顔を近付ける。
「!?」
軽くキスをした。
唇と唇が触れ合っただけ。
無機質な接触に、心が離れていくような心細さを覚えた。
――それから無言でアニメを観て、キーボードを叩いた。
寝る前にセックスをした。
◇◆◇
月が出ている。
寝れなかったオレは、テラスのイスに腰掛けた。
混乱している。
ハルナの真意が掴めない。
そもそも、夜が明けたら別れる……?
卒業旅行とか、なにしてんの?
ガラリ、と窓が開いてハルナもテラスに出て来る。
「はい」
とアルコールのグラスを渡してきた。
礼を言って、それを一口飲むと、
「私ね、このままだと幸せだろうな、て思ったの」
喋り出す。
オレが訝しげな顔を向けると、ハルナは微笑を浮かべた。
「このまま二人で過ごして、結婚して、子供作って、老いてゆく。幸せだろうな、て」
「っ!? ……なら、なんで!? なに言ってんの!?」
オレは声が震えた。
ハルナの考えがわからない。
「それって、ぬるま湯かなって。……たぶん、小説家になんて、なれないし」
「!?」
言葉が出ない。
ハルナはオレとの将来より、小説家になりたいってこと!?
オレがいたら、小説家になれない!?
「そして、私はあなたの牙を折ってる。あなたは私がいたら現状に満足する」
ハルナは無表情になった。
牙を折られる!?
オレは現状に満足する!?
――それのどこがいけないんだ!?
幸せなんだろ!?
二人で仲良くできる。
小説だって、書ける!
「あなたは、わたしがいたら小説家になれない」
ハルナはオレの目を見た。
「……」
無言。
「……」
「……」
二人、無言。
「私は、もう決めた」
「幸せになってもいいじゃないか」
オレは声を捻り出した。
情けなく、虐げられたような気持ちになった。
そんなの勝手だ!
『ハルナはオレより小説家になることを選んだ』
ただ、それだけしか考えられなかった。
ハルナも、そう言った。
「でも、もう決めた」
「……」
ハルナの目から、強い力を感じた。
初めて見る、ハルナの目だった。
◇◆◇
――悲しい、セックスをした。
――そして、切ないキスをする。
――やがて、夜が明けた。
◇◆◇
「じゃあね」
「ああ、気をつけて」
オレたちは空港で別れた。
捻りのないセリフしか出てこなかった。
なんだか、なにもない人間になった気がした。
「……先に小説家デビューして待ってるよ」
ハルナが背中を向けながら言った。
言ってろ。
……しかし、急に自分を見つめ直す機会になった。
なにかの選考で一次を突破、それ以来真剣に向き合っていなかった気がする。
小説を書くこと。そして、ハルナのこと。
ただ、惰性……。
はは、確かに牙は折れてた。
幸せな将来が見えて、それに満足してた。
別にそれでも良かった。
ただ、ハルナがそれを拒否したように、いずれオレも後悔する時が来た。
それは確実だ。
そしたらその時、ハルナはオレに幻滅してただろう。
オレもハルナに背を向け、歩き出す。
互いに別な道をゆく。
正直、こんな結末が正しいのかわからない。
でも、オレも決めた。
思いっきり真剣に向き合う。今は小説に。
後悔しないように。
さあ始めよう、ソロカキ――。