第2話『魔法の正体』
「こ、れは……!?」
庭を埋め尽くす程の量の花々を前に、グレイルが取り乱す。
花壇に魔法で水をやった途端、青白い光と共にこの現象が起こった。
それだけでなく、さっきまで枯れてしなしなになっていた花も、息を吹き返して凛と咲いている。
──いったい、何が起こったんだ?
「ね……姉さん!!」
慌ててメリーを呼ぶ。
兎にも角にも、これは異常だ。
家に入ると、居間で眠そうなメリーが水を飲んでいた。
「……静かにしなさいと言ったでしょう。その喧しい口を縫い合わされたいのかしら」
……こちらを睨んでなんか怖いことを言い出したが、今はそれより──、
「庭にっ……、庭に出てくれ! 水やりしたら花壇が光って、ウチの庭が花畑に……!」
「はあ?」
メリーは怪訝そうな顔でグレイルを見た。完全に信じていない時の顔だ。
「遂に気が触れてしまったのね。花畑になってるのは庭じゃなくて、あなたの脳ミソよ」
「ホントなんだって! 早く来い!」
強引に腕を引っ張って、メリーを庭に連れていく。
メリーは心底嫌そうな表情をしていたが、庭の光景を見てすぐに、目を見開いて驚愕した。
「……これは、どういう状況?」
「知るかよ! 魔法で水やったらこうなるって、予め教えとけよ!」
「──有り得ないわ」
メリーは目の前のものが信じられないという表情で、少し後ずさった。
姉がここまで動揺するのを見たのは、いつぶりだろうか。
「まさかこの私が、グレイルと同じ類の幻覚を見るなんて……」
「いや認めろよ!! そんなに嫌か!? オレと一緒が!」
どこまでも強情な姉だ。彼女の頑固っぷりはもはや賞賛に値する。
「魔法で作る水は、普通の水となにも変わらないわ」
「てことは、オレの魔法は普通とは違う、なにか特殊な性質を持ってるんじゃないか?」
こうなると、嫌でも自分の才能に期待してしまう。
目を輝かせながら興奮するグレイルを、メリーは流し目で見ながら、
「驕るのはやめなさい。あなたに特別な才能なんて無いわ。私が保証してあげる」
「保証しなくていい!!」
相変わらずの辛辣なコメントに、早朝にも関わらず大声でツッコミを入れてしまい、人差し指を口に当てたメリーに「しっ」と叱責を受けてしまった。
「普通はこうならないなら、なんでオレの魔法でこうなったのか説明できるのか?」
「……分からない。あなたの馬鹿さ加減が魔法にも適用されたとしか……」
「……だいぶ苦しい仮説どーも」
こういうのは専門家──即ち、魔法学に精通した人間に見て貰わないと分かりそうにない。
そう思いながら、二人は早朝の花畑を眺めていた。
† † † † † † † † †
日も昇り、鶏鳴が響く朝がやってきた。
グレイルは朝食を済ませた後、この町で魔法学を研究している老人、ルドの家へと向かっていた。
「──で」
グレイルがチラと横を見る。
「なんで姉さんまで一緒に来てんだよ!?」
「さっきから視線が不愉快だわ。自重して頂戴」
いつもと変わらぬ様子でグレイルの隣を歩くのは、姉のメリーだ。
美しい純白の髪を靡かせる彼女の姿に、町の人々の視線は釘付けになっている。
「……その不愉快な視線ってオレの? それとも町の人の?」
「どちらもよ。町の人が6割。あなたが……10割かしらね」
「足したら16割じゃねえか!! 算術学びなおしてこい!!」
基本的に罵倒を交えながら正論で対応するメリーではあるが、たまに今のような適当なあしらい方になることもある。
グレイルに真面目に取り合うこと自体、ナンセンスだと思っているのだろうか。
「姉さんはどうやったらオレを認めてくれんの?」
「家事を完璧にこなせるようになることと、心を入れ替えて謙虚になること。あとはそうね……、私に似た美形として生まれてくることくらいかしら」
「最後に至ってはどうしようもねえ!!」
「そういう、いちいち五月蝿い反応を止めてほしいのよ。私の言葉に毎回騒ぎ立てないと気が済まないの?」
「じゃ……じゃあ息を吸うように悪口言ってくるのやめろよ」
これはメリーの問題だと思う。もう少しだけ慈悲深く接してくれれば、このしょうもない漫才を年中やらなくて済むというのに。
「私が着いてきたのは、ルド先生に薬草をおすそ分けする為よ。あの人には結構お世話になっているんだし。たまに挨拶に行くぐらい良いでしょう」
「ま、まあな。確かあのボロ……古びた杖も、父さんが先生から貰ったものだっけ」
「そうね。まあ父様が使い古して、本来の性能は殆ど失われてしまったようだけど」
それでもグレイルが魔法を使うことは叶った辺り、以前はかなりの力を持った杖だったのだろう。
見た目は何本かの黒い木の根が絡まり合ったような感じだが。
「逆にあなたは、先生の家に何をしに行くつもりなの?」
「決まってるだろ。庭を一面の花畑に変えた俺の魔法。それを先生に調べて貰うんだ!」
「あれの原因が、あなたの魔法であるとは限らないけれど」
「ぐっ……。そうかもしんないけど、一応念のため!」
そんなことを言っている内に、二人は一軒の家にたどり着いた。
大樹に隣接しているその家は、屋根をびっしりと苔に覆われ、壁を蔦が這っている。
まるで大自然の中に放置された様子の家に近づいて、メリーは扉をノックした。
「ルド先生、シルフォリアです。本日は薬草のおすそ分けに参りました」
10秒ほど待って、扉が開く。
すると中から、人の良さそうな老人が現れた。
「やあ、メリー君。グレイル君。いらっしゃい」
「こんにちは、ルド先生」
グレイルが挨拶すると、ルドはにっこりと笑って言った。
「二人ともよく来たね。大したものはないけれど、ゆっくりしていくといい」
「お邪魔します」
ルドにお辞儀して、二人は家の中に入る。
蔦が伸び放題な外観に反して、意外と中は清潔感が保たれており、快適に暮らせそうだ。
「どうぞ。先生」
「いやはやありがたいね。これだけの量の薬草があれば、また腰痛に苦しめられることもない」
腰痛って薬草で軽減できるんだ。
そんな益体もない思考を浮かべながら、グレイルはここに来た本来の目的を果たそうと、ルドに尋ねる。
「──ルド先生」
「どうしたんだい? グレイル君」
グレイルは意を決して、あのことを話した。
「オレ、今日の朝……初めて魔法を使ったんです」
グレイルがそう言うと、ルドは少し驚いたあと、大いに喜んだ。
「本当かい!? いやはや素晴らしいことじゃないか。きっと君なら、父親にも負けない立派な魔法使いになれるよ」
「ありがとう……ございます。──で、そのことについて相談があるんですけど……」
「相談かい? なにかね、私に答えられるものなら何でも答えようじゃないか」
「いやぁ、その……先生って、ウォーラで枯れた花を蘇らせることってできますか?」
グレイルがそう言うと、ルドは目を丸くした。
「ウォーラで? いや、それはできないね。花を元気にするならば、回復魔法のヒールで可能だが……」
「実は、俺がウォーラを使って花に水やりしたら、突然花壇が光ったんです」
「花壇が、光った……?」
「正確には花壇の土が光ったんですが……問題はその後なんです」
グレイルの前で起きた、最も不可解な現象。ルドならばそれについて、なにか分かるのではないだろうか。
「枯れた花が元気な状態に戻っただけでなく、庭全体に花が咲き乱れたんです」
「んん……?」
さすがのルドも、これには半信半疑らしい。
ということは、あの現象はルドにも解らないということだ。
「今の話は本当かい、メリー君?」
「いえ、ただの愚弟の戯言です。お気になさらず」
「お前、いい加減にしろよ!?」
メリーはもはやグレイルの妨害にかかっている。
薬草渡して挨拶も済んだなら早く帰ってくれないかな、と内心で思う。
「ふーむ……それは確かに不可解だ。その現象にグレイル君の魔法が関係しているのだとしたら、ちゃんと調べておくべきだね」
「調べるって……どうするんですか?」
「とりあえずグレイル君、ウォーラの魔法を使ってみてくれるかな? まずは水の成分を分析しよう」
「おうよ、ガッテン承知!」
ルドから予備の杖を渡され、深呼吸して魔法に臨む。
「ウォーラ!!」
詠唱が大気中に融け、魔力の奔流がグレイルの周りを駆け巡る。
水の波打つ音が産声のように響き、次の瞬間には水の球体が誕生した。
「よし。このバケツに水を入れてくれ」
ルドが用意したバケツに、細心の注意を払った操作で水を入れる。
そもそもとして、グレイルの魔法使いとしての能力はまだ未熟なのだ。
「これでよし」
バケツの中でチャプチャプと音を立てながら揺れる水面を、三人は覗き込んでみる。
特に変わったところはない、普通の水だ。
透き通った液体は、覗き込む三人の顔をそのまま映している。
すると、ルドはコップで、一杯分の水をすくい上げた。
「え、もしかして……飲むんですか?」
「試してみるだけじゃ。なに、心配はいらない」
そう言うと、ルドはコップの水を自分の口に流し込んだ。
「…………」
息を飲み、ルドを見守るグレイルとメリー。
なにも起こらなければよいが、と祈った刹那、ルドの身体に異変が生じる。
「む!? これは……!」
「先生ッ……!!」
不可解な反応を示すルドに、グレイルが駆け寄る。
やがてルドは、身体を回しながら口を開いた。
「──身体の疲れが取れた」
「……へ?」
──ルドに起こった異変は、グレイル達が想像したものと全く異なるものだった。
「なんと言うか……若返った気分じゃ。衰えた肉体が回復し、今なら何でもできそうな気がする」
「そ、そう……ですか」
予想外の肩透かしを食らい、辟易するグレイル。
とはいえ、この水には疲労回復の効果もあることが分かったのは収穫といえば収穫だった。
「いや、謎が増えただけなんだけど」
結局、この水の正体は分からないままだ。
今のところはプラス要素ばかりの謎水だが、なにかマイナスの面もあるかもしれない。
「花の突然変異といい、先生の回復といい、生命力に満ち溢れてるわね、この水」
メリーが謎水の効果を挙げていく。
先生の回復、と聞いて回復薬を思い浮かべたが、そもそもそれで回復するのは負傷のダメージであって、元気な状態のときに飲んでも効果はない。
だいたいポーションぶっ掛けて花が育つ意味が分からんし。
「待つんじゃ。生命力に満ち溢れた水……? いや、まさかな……」
すると、メリーの発言に思い当たった節があるように、ルドが反応を見せた。
「先生、なにか心当たりでも?」
「もしそうなら大変なことになるが……試してみよう」
そう言うと、ルドは別の部屋から一つの瓶を持ってきた。
「──下がっていなさい」
「!」
言われるがままに二人が下がると、ルドは瓶の蓋を開けた。
すると、瓶から黒い瘴気が立ち上り始めた。
(なんだ……アレ?)
ルドがトングを用いて、瓶から何かを取り出す。
瘴気を放ちながら取り出されたそれは、黒ずんだ謎の固形物だった。
「先生、それは……?」
「──魔素の塊じゃよ。メリー君」
メリーの質問に、ルドが答える。
彼は固形物の正体が『魔素』と、そう言った。
「魔素……!?」
「魔素って何だっけ、ほら、ええと……」
その単語にメリーは驚愕し、グレイルは思い出そうと躍起になった。
「……魔王が放つ瘴気に含まれる、魔族のエネルギーのようなものだよ、グレイル君」
「魔王の!? そんなもんをなんで先生が!?」
「魔王」と聞いて、グレイルは耳を疑った。
魔王の恐ろしさは大陸全土に轟いており、幾度も人類の平和を脅かしてきたと聞いている。
「君たちは、『ファントム』という魔物を知っているかね?」
「……? まあ、名前だけなら」
「彼らはこの魔素の塊を依り代にして生きているんだ。そのファントムを倒した冒険者から、これを買い取っているんじゃよ」
「え、何のために?」
「これについて何か分かれば、魔王を倒すきっかけになるのでは、と思ったからじゃ。結局、新しい発見はなかったが……」
「それで、ソレをどうするつもりですか?」
「…………」
メリーの問いには答えず、ルドは無言で、魔素の塊を謎水に放り込んだ。すると──、
魔素の塊は、絵の具のように水に溶けて消えてしまった。
「──何という、ことだ」
ルドは見開いた目で、魔素が溶けた水を眺めている。
その表情は、戸惑いの色が強い。
「魔素の塊が消えた……? いったい、何が起こったんだ?」
「……説明して下さい。先生」
メリーがルドを問い質す。ルドは大きく息を吐いてから、言った。
「……この水は、魔素を分解する性質を持っている」
「────!!」
「ん? え? オレだけ付いてけねーんだけど」
二人は何かを察した様子だが、グレイルには何も分からない。
魔素とやらを分解したからなんだというのか。
「──まさか」
「ああ、その通りだ。この水は千年前、かの女神カリステラがもたらした希望──」
そう言いながら、ルドはグレイルの両肩を掴んだ。
「グレイル君」
「は、えっ、何」
ルドはその目に熱気を宿し、グレイルの瞳を見つめた。
未だかつて、ルドがここまで暑苦しくなったことがあっただろうか。
「──君の魔法は、世界の理を根本から崩すほどの、計り知れない力だ」
「…………」
「大地に生命を芽吹かせ、人々を病から救い、魔を祓える絶対的な力」
「…………」
「女神の泉の産物──『聖水』だ」
強い熱意に押され、何も言えなくなってしまったグレイルには、なにがそんなに凄いのか理解できなかった。