05 驀進康介の頑張る理由【2】
結局、数度にわたる30人31脚の初挑戦は、半数の子たちの膝や腕にすり傷を作るだけの結果に終わった。
退屈な三、四時間目の幕が下りる頃には、保健室で貼ってもらった絆創膏が早くも剝がれかけていた。食べ終えた給食のお盆を早々に片付け、うっとうしい絆創膏を貼り直そうと悪戦苦闘していたら、「よっす」と康介の頭に声が降りかかった。
「びっくりした。なんだよ」
「なー康介、お前ら中休みのとき校庭で何してたの?」
「すげぇデカい二人三脚みたいなことしてたよなー」
見上げれば、隣の二組の男子たちの姿があった。加藤秀仁、堀井壮太、石川佳純。みんな康介の友達だ。校庭の真ん中を占拠してクラス全員で一列に並び、足を結んで試行錯誤する一組の様子を、教室の窓から眺めていたらしい。
「30人31脚っていうんだよ。知らねーの?」
隣の席から健児が首を突っ込んできた。二組の彼らは揃って首を傾げた。
「説明してやりなよ実行委員」
「実行委員は説明係じゃねーし……」
とは言いつつ、興味を持たれるのは吝かでもなかったので、康介は教室の片隅に歩いていって、段ボールに収められていた練習用の足紐を取り出した。二組の連中は「なんだこりゃ」と紐をつまみ上げた。
「バンドか何か?」
「これで全員の足を結んで、三十二人で二人三脚をやるんだよ。全テレ主催の大会があってさ、みんなで出ようぜって話になったんだ。もうエントリーも済ませてる」
「へぇ。ぜんぜん知らなかった。そんなもんがあるんだ」
「おれだって知らなかったよ。先生が教えてくれたから知ってるだけ」
「あの先生が?」
秀仁が先生のいるべき席に目をやる。教室の隅には教師用の机があって、いつも理紗先生はあの場所で給食を食べているはずだった。ついさっき校内放送で職員室に呼ばれていったので、今は不在だ。
「高橋先生ってそういうの好きなんだ。もうちょっと大人しそうな先生かと思ってた」
「えー、そうかな? いっつもジャージ着てるからスポーツ好きなのかと思ってたけど」
「服がないんじゃね?」
「先生になりたての人だっていうしなー」
「そんなこと言ったら、うちの担任のきたじーだってジャージみたいなの普段から着てんじゃん」
「服のセンスがないんだろ」
「うわ、今の聞いたかよ壮太。きたじーのことバカにしたぞ、こいつ」
「あとで言いつけに行こう」
「待て待て、今のなし! 取り消し! きたじーに説教されるのは無理! 怖えもん!」
仲良しなのはいいことだが小突き合いは始めないでほしい。和気あいあいとじゃれ合う秀仁たちを、置いてけぼりにされたような気分で康介は眺めた。きたじーというのは二組担任の北島安彦のあだ名だ。先生になりたての理紗と違い、もう十年近くも岩戸小に勤務しているベテランの男性教諭で、元気があって声も大きい。クラスメートからの人気も厚い。
もしも北島先生が一組の担任だったなら、一組の結束も少しはマシなものになっていただろうか。30人31脚なんか必要としなくても、みんな仲良しの楽しいクラスになっていただろうか。──こうして三人と触れ合うたびに、そんな意味のない夢想に浸ってしまう。
頬杖をついて、一組の教室を見渡した。さして広くもない教室なのに、休み時間になると一組には決まって複数のコロニーが形成される。後方では元気な男子たちが寄せ集まってゲームの話の真っ最中だ。桜子を中心にした、お洒落に着飾るのが好きな女子の軍団は、教室の前方で何やら文房具の交換みたいなことをしている。叶子や佑珂のいる、外遊びの好きな女子の一団の姿もある。通塾している男子数人の集団は、教室の隅で教科書を手に黙々と勉強中だ。寄ってたかって漫画を描きながら見せ合っている女子の一群もある。どこにも属さない子は、ひとりで自分のやりたいことに没頭している。誰も互いのことに関心を持たないし、わざわざ関わり合いになろうとしない。そのことの良し悪しは康介には語れない。ただ、まるっきり現状変更の余地のない、冷たいほど完成された閉鎖的な一組の人間模様に、理紗先生のようなよそ者を受け入れる余裕はないよなと改めて思うばかりだ。
「てかさ、さっき実行委員って呼ばれてたよな」
「康介がリーダーなのかよ」
友人たちの話題が急に戻ってきた。康介はいささか胸を張った。
「そうだよ。俺が実質リーダーやってんだ」
「すげぇな。リーダーなんてかっこいいじゃん」
「だろ?」
そのわりにさっそく苦労してばかりだが、そこには触れないでおく。リーダーたるもの、夢を見せるのも仕事のうちだ。白い歯を見せて笑うと、秀仁たちは互いを見交わして「なんか楽しそう」と言い出した。
「俺らもきたじーに話してみよっかな。二組も30人31脚やってみたいですって」
「やったことないけど楽しいのか?」
「まだ分かんないよ。始めたばっかりだし。でも本番の映像を見たときはすっげーワクワクした」
「そんなら俺たちもワクワクするかもな」
「本番の映像ってどこにあんの? どうやって検索したらいい?」
「んーと、なんて書いて調べてたっけな、先生……」
不慣れな電子黒板を相手に格闘していた理紗先生のことが思い出されて、想像しながら笑えてくる。あれだっけ、これだっけと首をひねっていたら、不意に開いたドアから先生の姿が現れて、びっくりした康介は身を固めた。噂をすれば何とやらだ。
「お、先生戻ってきたじゃん」
「聞きに行こうぜ」
一足先に秀仁たちが理紗先生のもとへ向かってしまう。康介も慌てて「待てって!」と追いかけた。先生用の机に置かれた手つかずの給食を目にして、はたと先生はため息をついているところだった。
秀仁たちが「先生ー」と呼びかける。理紗先生は秀仁たちの姿ではなく、その後ろにやってきた康介の姿を認めた。
「ごめんね、悪いけど先に話をさせて。……武井くん、ちょっと」
怪訝な顔をした康介に理紗先生は微笑みかけた。すこぶる調子の悪そうな笑顔だった。
「放課後に相談があるの。実行委員の四人だけでいいから、居残るように伝えてもらってもいい?」
「いいですけど、なんで?」
「ちょっとね」
理紗先生の言葉は至極歯切れが悪かった。またも顔を見合わせて、冷めた給食を見下ろした秀仁たちが、「出直すか」とつぶやいた。
「──つまり校長に怒られて帰ってきたってことですか?」
放課後の教室に叶子の声が大きく響いた。理紗先生は相変わらず不器用に苦笑していた。
「大丈夫だよ、みんなが怒られたわけじゃないの。怒られたのは私だけ」
「でも確かに無理もないよね。校庭で遊んでる子たちのこと、思いっきり邪魔してたもんね」
「そうはいっても三十二人が横一列に並べる場所なんて他にないだろ……」
稜也の言葉に全員がうなずく。体育館、屋上、校門前、どこを取っても一組が並んで走れるほどの横幅はない。かといって、今後は安易に校庭を占領するのも許されなくなりそうだ。
理紗先生が言うには、どうやら校長の鈴木信子を筆頭にして、職員室の先生の多くは一組の30人31脚への挑戦に否定的な態度を示しているらしい。中休みの校庭での試走を目撃していたのは、二組の秀仁たちだけではなかったのだ。何度も足を絡ませて転び、すり傷を作りながら起き上がる一組を見て、先生たちは30人31脚という競技をよほど危険なものだと認識したようだ。そこで彼らは昼休みに理紗先生を呼び出し、問いただした。安全管理はどうなっているのか、あんなものを子供たちにやらせて怪我人が出たらどうするのか、参加は辞めるべきだ──云々。
「なんとか参加は認めてもらえたんだけど、練習にはいろいろと条件を付けられちゃってね」
先生は視線を落とした。「どんな条件ですか」と叶子が問う。
「教育指導要領に従ってないから体育の授業での練習は禁止。朝練とか放課後練をやるのは自由だけど、そのときは必ず監督をつけるように言われたの。30人31脚の経験のある人を練習時に立ち会わせて、コーチングをしてもらうようにって。監督がいない場では原則として練習禁止、やってもいいのはトレーニングとか二人三脚までって話になった」
「でも、そんな簡単に経験者なんて見つかるわけ……」
「そうなんだよね。それで私も悩んでるんだ」
佑珂も理紗先生もそっくりの顔で思案に暮れ始めた。当たり前だろ、とでも言わんばかりに叶子が眉をひそめている。今度ばかりは康介も叶子に少し共感した。はたから見れば危ない競技に見えるのは当然だ。康介自身だって今日、さっそくすり傷を二か所もこしらえたのだから。
「おれ、ひとり経験者がいるの知ってます」
先生の顔をうかがって申し出ると、とたんに理紗先生は「本当!」と目を輝かせた。
「健児の母ちゃんが経験者だって聞いたんで、健児に聞いてみたらいいと思う。あの母ちゃん、たぶん断らないよ。早朝サッカーの会のサポートとかやってるし、しょっちゅう学校行事にも来てる人だから」
早朝サッカーの会というのは、PTAの岩戸小世話人会が主催している在校生向けのサッカークラブだ。朝早くから始業までの小一時間、校庭を使ってサッカーの練習をしている。その練習に毎朝のように立ち会っている保護者のうちの一人が、健児の母である大迫朱美だった。いつも明るくフレンドリーな人柄で、もちろん康介とも仲がいい。
「あの人なら引き受けてくれそうだな。電話して相談してみるよ」
よほど気を揉んでいたらしく、ほっと理紗先生は頬を緩めた。役に立てたことがなんとなく誇らしくて、調子に乗って「俺からも言っときます」なんて付け加えてみた。なんたって康介は実行委員の中核を自負する存在。こういう時こそリーダーの出番なのだ。
「ただ、大迫さん一人だと負担も大きくなりすぎるし、ちょっと心許ないかな……。経験者でなくてもいいからもう一人くらい保護者の方にコーチを頼めればいいんだけど」
「それだったら……」
とっさに思い浮かばないでいると、叶子が「室伏の母親ならいいんじゃね」と言い出した。
「あいつの母親もけっこう学校行事に来てくれてるでしょ。専業主婦って言ってたし」
室伏文李はクラスきってのお金持ちだ。父親が室伏精工という工場を経営していて、けっこう羽振りがいいらしい。文李の母は朱美ほどには目立たないが、言われてみれば学校行事で何度も顔を見たことがある。頼み込んでみる価値はありそうだ。
「ありがとうね。武井くんも有森さんも」
理紗先生は微笑んだ。気味悪げに叶子が腕をさすった。
「この四人のことはすっごく頼りにしてる。これから先、練習のプランを立てたりみんなの様子を聞いたり、こうやって相談に乗ってもらうこともあると思うの。私自身も30人31脚を経験してるわけじゃないから、分からないことだらけで不安にさせることもあるかもしれないけど、みんなでせいいっぱい頑張ろうね」
真摯な色の瞳に心を覗かれた気がして、むず痒くなった康介は目をそらした。別に、先生のために頑張るわけじゃない。みんなのためであり、自分自身のためだ。けれどもそこまでして意地を張りたくなるほど、いまの康介は閉鎖的な心境でもないのだった。
「きっと大変な目に遭うよ。嫌な思いだってたくさんすることになる。その覚悟だけは決めておいたらいいんじゃない」
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