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53 葛藤稜也と夢の両立【3】

 



 結局、稜也のデザイン案は白黒の菱形の中心に「絆」の一文字を入れるだけの簡素なものになった。誰よりも遅く提出された稜也の案を一目見るなり、康介も叶子も佑珂も口をそろえて「金太郎みたい」と批判した。はなから自案の落選を見越していた稜也も、この批判には心をやられた。これでも真剣に考えたつもりだったのに。

 ともあれ、稜也の提出によって全員分の案が揃った。

 翌朝のホームルームを潰して、デザイン案の人気投票を行うことになった。朝一番に登校した実行委員の手で三十二枚の紙が黒板に貼り出され、みんなは真剣な目でそれらを吟味しては、稜也の提出案の前で足をとめて「金太郎じゃん」と酷評した。死体蹴りを受ける気分はこんなものかと稜也は思った。


「ひととおり見終わったみたいだね」


 全員の着席を認めた理紗先生が、教室の前へ進み出てきた。


「模造紙を用意しておいたの。いまからみんなに三枚ずつシールを配るので、これがいいな、って思った子のところにシールを貼ってみて。一枚ずつ三人に貼ってもいいし、三枚いっぺんに貼ってもいいよ」


 これまた早朝登校した理紗先生の手で、模造紙には三十二個の枠と全員の名前が書かれている。みんなは理紗先生からシールを受け取り、模造紙に投票していった。稜也の名前の下にシールを貼った子は誰もいなかった。当の稜也さえ貼らなかったのだから無理もなかった。みんなの望み通り、金太郎Tシャツ案はこの世から消滅したわけだ。

 大半のシールは二人の候補に集中していた。ひとりは設楽敏仁、もうひとりは稜也の隣に座る福士未由だった。


「設楽の絵、初めて見た」

「すっげぇ迫力……」

「めちゃくちゃ格好いいじゃん! なんで今まで隠してたんだよ」

「そうだよ! あんなに上手かったらコソコソ落書きする必要なんてないだろ」


 投票を終えた男子たちが敏仁の席に殺到して、小柄な敏仁をすっかり縮み上がらせている。敏仁の提出案は色鉛筆を使った手描きのイラストだった。実行委員の四人とおぼしき子供たちが菱形に並び、奇妙なポーズを取っている。暗闇の中で顔にのみ光が当たっているような色遣いは、息を呑むほど丁寧で上手だ。というより、どこかの有名バンドのCDジャケットで似たような写真を見た気がする。


「だって……普段ああいうちょっと怖いのばっかり描いてるから」

「怖くなんてねーよな。格好いいだろ」

「なー、俺らと一緒に漫画描かねぇ? いま描きかけのやつがあるんだけどさ」

「え、メンバーは……?」

「俺と将大と隼、あと優平。な、お前らもいいだろ?」

「賛成賛成!」

「僕も賛成だなー」

「さっそくだけど背景描いてくれよ。ぜんぜんダメなんだよぉ」


 明宏を筆頭にした男子数名が漫画ノートを手にして詰め寄り、たちまち敏仁を篭絡してしまった。敏仁も存外満更でもなかったようで、おずおずとノートを開いて鉛筆を取っている。身体ばかりか声も態度も小さく、足の遅さゆえに30人31脚でも足を引っ張ってばかりだった敏仁が、嘘のようにみんなの尊崇を集めているさまは壮観だ。クラスTシャツを作ることにならなければ、あいつがクラスに受け入れられることもなかったんだな──。皮肉めいた現実のありさまに稜也は感心させられるばかりだった。

 敏仁の案が男子の圧倒的な支持を集める一方、女子の支持は未由の案に集中していた。実を言うと稜也も未由に票を投じた。巷にあふれる非常口のピクトグラムの意匠を真似て、四人の子が肩を並べて走る姿を表現した未由の案は、素人目にも30人31脚のことだと一目で分かる巧妙なものだった。


「設楽くんの案に三十四票、福士さんの案に三十八票」


 貼られたシールを理紗先生が数え上げた。


「かなり拮抗してるから迷っちゃうけど、ここはやっぱり、より多くの票数を集めた福士さんのデザイン案を採用したいなって思います。みんな、異存はある?」


 威勢のいい健児たち数人が「ないでーす!」と元気に反応した。当の未由は一瞬、夢でも見ているみたいに目を数回しばたいたが、やがて頬を桃色に染めながら小さくガッツポーズを決めてみせた。素直さの突き抜ける所作に稜也は意識を奪われかけた。


「やったっ!」

「よかったな。選ばれて」

「川内くんが予言してくれたおかげかも! ほら、きっと採用されるよって言ってくれたからっ」

「予言のつもりじゃなかったけど……」


 善良な彼女を騙しているような気持ちがして、稜也は未由から目をそらした。与えられた三票すべてを未由の案に投じたなんて明かせなかった。敏仁の強烈なイラストも目を引いたのは確かだが、なんとなく、未由に勝ってほしくて贔屓した。身贔屓なんて自分らしくないと思いつつ。


「そんじゃ、注文する数とサイズを決めよーぜ」


 進行役に戻った康介と叶子が、席の合間を縫って前へ出てくる。稜也は慌てて少し、自分の席を未由から離した。

 康介はおもむろに背伸びをして、奥のほうの席に座っている文李を認めた。


「あと文李、あの話はおれたちの方で話しちゃっていいの?」

「いいよ。誰が話したって同じだもんな」


 なにやら文李は意味ありげに口角を上げている。眉をひそめた叶子が「なんの話?」と切り込むや、康介は胸を張った。


「なんと、クラスTシャツを買うお金、文李の親がぜんぶ出してくれるそうです!」


 思ってもみなかったサプライズに稜也は声を詰まらせた。まるで嘘みたいな申し出だが、文李は否定の言葉を発しない。たちまち、クラスメートたちの間から「マジかよ」と驚きの声が漏れ出した。理紗先生も例外なく驚愕していた。


「え、室伏くん、それは本当なの……?」

「ほんとだよ。どうせ母さんが放課後の練習に来るから、そっちに直接聞いてもいいよ」

「なんてこと! お礼を言わなくちゃ」

「へへへ。いいってことよ」

「お金を出すのは文李(おまえ)じゃないだろ」


 叶子の鋭く入れたツッコミが、衝撃の冷めやらぬ教室に笑いと潤いをもたらしてくれる。確かにそうだよな、お前が偉そうにすんなとみんなが笑っているのを聞き流しながら、稜也は母のことを思い浮かべた。月末になるたび帳簿を広げて顔を曇らせ、家計のやりくりを懸命に思案している母のもとへ、クラスTシャツの費用をせびりに行くのを想像したくなかった。けれども室伏家のおかげで川内家は家計の圧迫を免れ、稜也はクラスTシャツを着てコースを走れることになる。

 クラスTシャツとか、制服とか、そういう画一的なものが稜也は好きじゃなかった。お揃いの格好なんて気恥ずかしい。同類と見なしてひとまとめにされ、まとめてレッテルを貼られる気分にもなる。でも、いまの一組ならば着てもいい。五十メートルを駆け抜けるわずか十秒の間くらい、この混沌としたクラスの一員として絆を感じてやってもいいと思える。三か月以上もの時間をかけて30人31脚の特訓を重ね、むき出しの心でみんなと向き合わなければ、こんな心変わりを果たすこともなかった。

 教室の前では叶子と康介がTシャツ購入の話を進めている。デザインも決まり、費用負担も決まり、もはやクラスTシャツの問題はほとんどすべて片付いたといってよかった。


「というわけで費用負担の話は済んだから、とりあえず枚数を決めたいんだよね」

「サイズの話はあとですればいいよな」

「枚数って言っても、どうせ全員一枚ずつでしょ? 親の分まで買いたいって人、いる?」

「要らない要らない!」

「親に着せるなんてそれこそ恥ずかしいじゃん」

「そもそも会場に来るかどうかだって怪しいのに」

「だよなー。会場に来ないやつがクラスTシャツ買ったところで──」


 のほほんと応じかけた康介が、教室の一角を見つめながら凍りついた。

 何事かと(いぶか)った稜也は、康介の視線の行く手を探した。白い顔の克久が人垣の向こうから笑い返してきて、稜也まで康介そっくりに声を詰まらせた。お気楽にデザインや費用負担を思案していた今しがたの自分を、これほど強く恥じた瞬間はなかった。

 忘れかけていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、稜也の身近に存在していることを。


「あ……その」


 取り繕うように叶子が高い声で切り出した。


「神野の分、どうしよっか。うちらは何でもいいんだけどさ。お金のことは考えなくてよくなったし」


 克久は立ち上がり、間髪入れずに即答した。


「僕の分も買っておいて」


 問いかけた叶子が「え」とたじろいだ。教室中の視線が克久へ殺到した。白い顔の克久は臆することなく、まっすぐに叶子を見つめ返したかと思うと、次いで稜也のことを見た。

 その顔に笑みはない。

 不気味なほど真摯な決意が、意味ありげな眼光の奥に潜んでいる。

 こんな顔のできるやつだったのか。意図の分からない克久の挙動に、稜也は胸の底で困惑を持て余した。


「こんなところで、実行委員への相談もなしに、こんなこと宣言するのは筋違いかもしれないけど」


 克久は順繰りにみんなを見回した。精悍な顔つきとは裏腹に、吐き出された声の粒はどれも微細な震えを帯びていた。


「僕、このクラスのチームに復帰したいなって思ってます。一緒に会場にも行きたいです。長いこと練習してないので走ることはできないだろうから、こないだ復帰した市川さんみたいに、サポートメンバーとして頑張れたらなって思います。もちろんみんなの了解が得られればの話なんだけど」

「ちょ、ちょっと待てよ。急にどうしたんだよ」


 みんなの困惑を康介が代弁してくれた。代弁者が康介であったことに稜也は安堵した。


「神野がすっげぇ役に立ってくれることはおれも知ってる。これまでだって練習記録とかつけてくれたし、配置換えのアイデアだって一緒に考えてくれてたわけだしさ。だからおれは正直、神野が復帰してくれるなら大歓迎だけど……」

「そもそも親が反対してるって話だったんでしょ? 説き伏せられる見込みはあんの?」


 叶子がためらいがちに畳み掛けた。克久は黙って首を振り、またも意味ありげに稜也のことを見た。


「普通に説得したって無理だと思った。だから、条件を飲んでもらうことにしたんだ。もしも()()()()()()()、明日にでもOKをもらえると思う。だから、それまでTシャツの発注を待ってもらうことってできないかな」

「そりゃできるけど、本当に明日まででいいのかよ」

「うん。明日にはぜんぶの()()が出てるから」


 やにわに並べられた「明日」というキーワードが、稜也の脳内カレンダーに書き込まれた予定を順に参照してゆく。明日という条件には合わないが、先日受験した第三回一斉模試の結果は、今日の夕方に塾で手渡されることになっている。

 ──まさか。

 稜也は目を見開いた。


「どういう条件を飲んでもらったのか分からないけど、先生も神野くんが戻ってきてくれるのはすっごく嬉しいよ。明日の結果、楽しみにしてるね」


 何も知らない理紗先生の笑顔に、克久は白い顔で応じている。あの白い顔の正体は緊張のあらわれなのだと、そのとき初めて稜也は思い当たった。試験勉強という名の人事を尽くした克久は今、震えを誤魔化しながら夕刻の天命を待っている。その「天命」が克久の未来のみならず、目前に迫った30人31脚への復帰をも左右する代物なのだと知りながら。

 どうして教えてくれなかったんだよ。

 せめて相談してくれたってよかったじゃないか。

 よもや克久は自分のことさえ友達と認識してくれなくなったのか。にわかに粟立った心で克久を見上げたが、そこにはあの真摯な決意を宿した眼差しがあるばかりだった。違うよ、と無言で克久が笑い返してきた気がした。稜也は黙って、汗のにじんだ手のひらを握り締めた。






「……私は、息子のことを疑いすぎているんでしょうか」


▶▶▶次回 『54 葛藤稜也と夢の両立【4】』

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