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スタンバイ!! ──岩戸小学校六年一組、30人31脚への挑戦  作者: 蒼原悠
3R 少しでも前へ、少しでも先へ
32/63

30 驀進康介とリーダーの責任【1】

 



 はじめはほんの思い付きだった。

 誰が言い出したのか覚えていないくらいには。


「──二組の練習、覗きに行こうぜ」


 プールではしゃぐうちに誰からともなく同意が広がって、二組の練習風景を見学することに決めた。メンバーは康介を筆頭に男子数名。担任の北島先生がプールの監視員をしていたので、しっかり見学の許可も手に入れておいた。

 敵情視察というやつだ。一組よりも遅れて練習を始めた二組のやつらがどんな状況にあるのか、何メートルまで走れるようになったのか、そもそも全員で足を繋いで走ることができているのか、なんとなく知りたくなった。知ったからといって康介たちが有利になるわけじゃない。だいたい後発の二組が何かの参考になるとも思えない。

 あいつらよりおれたちの方が走れないなんてこと、あるわけない。

 そうだよな。秀仁、壮太、佳純。

 ウォーミングアップのランニングで校庭を疾走する二組軍団の中に友達の顔を探しながら、康介はひそかにほくそ笑んだ。ランニングのペースは一組のそれよりも明らかに遅い。勝った、と思った。

 だから、全員で肩を組んだ二組が五十メートル先のゴールラインを踏み越えた瞬間、あごが外れた。熱波にやられた自分の見間違いを疑った。

 さんさんと降り注ぐ日射しの中で二組の面々ははしゃいでいた。誰かが「これで三度目だ」と叫ぶのを聞いた。監督らしきジャージ姿の男性も、北島先生も、みんなの輪に混じって勝どきを上げていた。一組の練習では見たことのなかった華やかな光景に、ずきんと目の奥が痛くなって視界が揺らいで、康介は校庭の隅へ生えたように動けなくなった。


「どーだどーだ! お前ら見たろ!」

()()()()五十メートル走れるようになったんだぞ!」

「これでやっと一組に追いついたね!」


 康介の姿を見つけた秀仁たちが駆け寄ってきた。不都合な真実をみずから暴露する気にはなれず、康介は「はは……」とかすれた声で笑った。

 確かにスピードは遅い。気迫も弱い。しかしそれでも二組は一度も転ぶことなく、五十メートルの距離を走り切ってみせた。一組が束になってかかっても成し遂げられなかった快挙を、後発の二組が一足先にやってのけたのだ。得も言われぬ敗北感がめきめきと足元から盛り上がって、康介と二組の間に高い壁を築いてゆく。この壁を越えたければ、一組も五十メートルを走破するしかない。いや、それでも足りない。もっともっと頑張らなきゃいけない──。ひとしきり喜んでから練習へ戻ってゆく秀仁たちの背中を、穴が開くほど康介は睨んだ。ショックで棒になった足は相変わらず凍り付いたままだった。



「また君らは大人数で押し寄せてきて」


 ぞろぞろと連れ立って整骨院を訪れた康介たちを、柔整師の鎧坂(よろいざか)は嘆息さえ隠さずに出迎えた。


「だって仕方ないじゃん。練習終わりだもんな」

「なー」

「なー、じゃないんだよ。こっちはスタッフの数も限られてるんだぞ。そんな大勢で来られたら手が回らなくなるんだっての。だいたい君ら、ここを公園か公民館と勘違いしてるだろ……」


 ぶつくさ言いながらも、鎧坂は他のスタッフと手分けして康介たちを治療用のベンチへ案内してくれる。傍らで雑談をしていた老婆たちが、じゃれる子猫を眺めるような目つきで康介のことを見た。夕方の和泉ヨロイ整骨院は高齢者でいっぱいだ。鎧坂も他の柔整師も、行きつく暇もなく患者の間を駆け回っている。


「うえー。相変わらず変な感じする、この電気流すやつ」


 足首に電極パッドをバンドで巻きつけられた健児が、くすぐったそうに上半身をよじった。


「おれもー。ピクピクするよな、血管」

「手に電気通してるからじゃね? オレはどっちかっていうとムズムズするよ」

「へー。どこに流すかで感覚も違うのかな」


 かくいう康介の場合、電極パッドは手首を挟むように対にして当てられている。先日の練習で転倒したとき、受け身に失敗して手首を(ひね)ってしまった。志穂が練習を抜けるまでは右サイドばかりが転倒事故を起こしていたが、近ごろは左サイドも中央も満遍なく転ぶ。だんだん速度も乗ってきたし、転び慣れていないと大怪我を負いかねない。

 康介の知る限り、ここ和泉ヨロイ整骨院に通っている子は一組に六人いる。健児は二人三脚で足首を捻挫し、貴明はアキレス腱を痛め、文李は腰を痛め、明宏は突き指を負った。知樹が首の痛みを訴えているのは……30人31脚とは無関係だ。寝相が悪くて首を寝違えたらしい。


「やっぱ最近の練習キッツいよな。こんなにたくさん怪我人が出るなんて超過酷だよ、30人31脚」


 ベッドで首元のマッサージを受けながら知樹が(うめ)いた。お前が言っても説得力ないぞ、と康介は思った。


「分かる。実際キツいよな。今日だって何度もめまいがして止まりそうになったし」

「オレもオレも。目の中がグルグルしてさ、立ってるのもしんどくなるんだよなー」

「それ熱中症ってやつだろ。ちゃんと水とか飲めよな」


 実行委員らしく注意してやると、文李も健児も「お前は飲んでんのかよ」と口を尖らせた。もちろん康介は「飲んでるよ」と胸を張った。実際には練習や指導にかまけてほとんど飲めていないのだけれど、それをバカ正直にみんなの前で暴露するのは違うと思った。

 一組の練習の進捗が悪いことは、実行委員の康介たちが一番に理解している。よその学校はどこも夏休み中盤までには五十メートル走破を達成し、スピードの向上に精を出しているようだと、このあいだ朱美からも聞かされた。そんなはずはない、こんなに早く五十メートルを走り切れるようになるはずがないと疑りをかけた矢先、五十メートルを走り切った二組の姿を見た。まったく同じ練習環境と条件を与えられたはずの二組が走り切れるのに、一組だけができないなんて事態、絶対にあってはならない。危機感と切迫感が喉元まで込み上げてきて、いよいよ悠長に水を飲んでいられる心境ではなくなった。

 このままじゃ、まずい。

 一組は本気で二組に置いてゆかれる。


「今やってる練習、そんなにキツい?」


 尋ねると、みんなは複雑な面持ちで互いを見回した。それまで黙ってふくらはぎの電極パッドをさすっていた貴明が、おもむろに口を開いた。


「多分みんな、練習がキツいわけじゃないと思うな」

「だったら何がキツいんだよ」

「なんていうか、雰囲気だろ。誰々がチームから抜けるとか、誰と誰がケンカしたとか、最近そんなのばっかりじゃん。このごろ練習の雰囲気も最悪だよ。みんなピリピリしてる」

「それは、まぁ、そうだけど……」


 康介は髪を掻きむしった。

 このところトラブルが続いて、練習中の空気が悪くなっているのは事実だった。もはや、転倒が起きても誰ひとりフォローの声をかけなくなった。機械的に足紐を解き、転んだ子が起き上がるのを待って、黙々とスタートラインへ戻ることが増えた。お互いがお互いを恐れているみたいに康介には感じられた。みんな、誰かの敵に回りたくない。だから何も言わない。そうしてクラスの分断は進んでゆく。相も変わらずやかましいのは、二人きりで二人三脚をやらされている夏海と桜子だけだ。


「ぶっちゃけ俺、最近の練習あんまり参加したくねーよ。あんなのいくらやったって楽しくねぇもん。みんなだってそうだろ」


 腕組みをした明宏が同意を求めると、文李も健児も素直に小首を垂れた。知樹はベッドの中から手を挙げた。たまらず康介も声を上げた。


「楽しくないから参加したくないって、そんなのありかよ」

「ありだろ。だって楽しくなかったらやる気も出ねぇし」

「明宏の言うとおりだよ。楽しくない練習なんかやってらんない」

「もうちょっとさ、楽しく練習できるような方法とか思いつかないの?」


 無茶苦茶を言う。口いっぱいに溜まった苦い味のつばを、康介は一気に飲み干した。いったいみんなは実行委員に何を期待しているのか。みんなのプライベートをすべて管理して、ケンカも(いさか)いも怒らないようにしろと言うのか。そんなことができるはずもないし、なによりそんな未来をみんなが本心から望むはずはない。


「そうだ」


 貴明が嫌な笑顔を浮かべた。

 頭の切れる貴明がこういう顔をしたときは、たいてい恐ろしいことを思いついている。康介は身を固めた。果たして、貴明は集まった五人の顔を順繰りに見渡して、「自主練やろうぜ」と言い出した。


「有志で集まって場所を借りてさ、やる気のないやつら抜きで練習するんだ」

「そんな場所あるか?」

「多摩川自由ひろばがベストだと思う。でっかいグラウンドがあるから幅も取れるし、長さも五十メートル以上は確保できる」

「足紐はどうすんだよ。あの先生がまとめて管理してんだぞ」

「そんなのこっそり持ち出せばいいだろ。どうせ気づきやしないよ」

「ありだな」


 腕組みのまま、明宏が口角を上げた。すぐさま健児も文李も、ベッドの中で知樹も同意の笑みを漏らした。明宏の賛同を得るというのはつまり、明宏のまとめる男子たち全員を味方につけるということだ。置いてゆかれたのは康介だけだった。


「ちょ、ちょっと待てよ。そんな勝手に練習なんて……」

「別にいいだろ、だって練習する気はあるんだから」

「むしろ褒められてもいいくらいだよなー」

「俺たちもうたくさんなんだよ。なんだか知らないけど勝手に女子が揉めたりしてさ、練習してるとこ邪魔されんの。先生も監督も厳しいし」


 そういう問題じゃない。理紗先生や監督が30人31脚の練習についているのは、第一には安全確保のためだ。先生抜きで勝手に走って転んで、それで大怪我でも負おうものなら、冗談抜きで康介の責任が問われる。どうしてみんなを止めなかったんだと叱責を食らう羽目になる。そんなのまっぴらごめんだ。

 けれども悲しいかな、康介はあまりにも多勢に無勢だった。


「よっしゃ! 自主練やるぞ、お前ら!」


 明宏が気勢を上げると、みんなも声を揃えて「おー!」と応じた。ろくに反対もできないまま、仕方なく康介も「おー……」と続いた。


「怪我人は安静にしなさい」


 明宏の頭を背後から鎧坂がむんずと掴んだ。

 やっぱり大人は強い。鷲掴みにされて暴れる明宏を見ながら、康介は嘆息した。傍らの老婆たちが目を細めて笑った。






実行委員(リーダー)を名乗ってみんなの先頭に立つなら、それ相応の覚悟が要るんだ」


▶▶▶次回 『31 驀進康介とリーダーの責任【2】』

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