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スタンバイ!! ──岩戸小学校六年一組、30人31脚への挑戦  作者: 蒼原悠
3R 少しでも前へ、少しでも先へ
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26 直向佑珂と臆病な心の壁【2】

 



 夏海たちは先を行っている。

 佑珂の低い背丈では、前が見通せない。


「どこ行っちゃったんだろ……」


 たしか、彩音が飲み物を、夕那がかき氷を欲しがっていたはず。この人だかりの中から友達を探り当てるより、出店自体を探す方が簡単そうだ。うろうろと歩き回りながら、人垣の向こうに時たま覗く出店を観察した。

 こうして人々に囲まれるたび、自分の小ささを思い知らされる。身体だって、肝だって、存在感だって小さい。通り過ぎる背の高い大人たちに、いつか見上げた新宿の超高層ビル群の面影が重なる。この手で触れられない、この声を届けられない場所で、みんなが色んな話をして、色んな物事を決めている。たとえそれが何ひとつ佑珂に無関係でも、たったそれだけの事実が佑珂を漠然と不安にさせる。


──『あのときあんなに小さかった佑ちゃんが、いまや30人31脚で実行委員なんかやるようになっちゃって』


 祥子の何気ない言葉が耳元をかすめていった。

 佑珂は確かに小さかった。そして今も変わらず小さいままだ。いちばん親しい友達グループのメンバーにすら、まともに自分の訴えを届けることができないくらいには。そんな自分が果たして実行委員としてみんなの役に立てているのか、佑珂には分からない。実感だって湧かないし、誰かの口からお墨付きを授かったこともない。でも、これまで大きな失敗をしたことはないし、決定的に非難されたこともない。

 私は私のままでいいのかな。

 嫌というほど持て余した疑問符を、ふと広げた手の上に転がしてみる。

 きっと、それでいい。いまさら大きく変われるなんて思えない。あの小原先生が「佑ちゃんは佑ちゃんのままでいい」って言ってくれたんだ。だからぜったい間違ってない。私の役目は私にしか務まらないんだから──。

 秘めた決意もろとも手のひらを閉じて、佑珂は勢いよく歩き出した。

 前方を見ていなかったことに気づいた時には、左肩が誰かに激しく接触していた。鈍い痛みが走り、「痛っ……!」と悲鳴を漏らしながら佑珂はよろめいた。ぶつかった少女は体勢を崩してのけぞり、佑珂を避けるようにして倒れ込んだ。どさっと大きな音が路面に響いて、驚いた周りの人々がとっさに空間を作った。

 脱臼はしていない。肩の痛みがちょっぴり骨身に染みるくらいだ。だが、倒れ伏した少女の顔を覗き込んだ途端、佑珂の痛みは一瞬で何倍にも増幅した。


「土井さん!」


 顔を歪めながら立ち上がったのは桜子だった。慌ただしく服のほこりを払い落としながら、桜子は佑珂を鋭く睨みつけた。


「どこ見て歩いてんの」

「ごめんなさい、私ちょっと考え事してて……」

「言い訳なんかどうでもいいよ。福島さんのせいで大事な服がこんなになったんだけど、どうしてくれるわけ」


 見せびらかすように桜子は服の裾を掴んで広げる。もともとお洒落な子だったが、今日の格好はいつにもまして気合が入っている様子だ。肩出しのカットソーにカーディガンを重ねて羽織り、下はショートパンツとサンダルで固めている。小学生らしい快活で伸びやかなコーデの中枢を担うはずの、ちょっぴりフリル仕立てのカットソーが、アスファルトの路面に撫でられて黒く汚れていた。


「ちょっとー、大丈夫?」

「何してんの?」

「早く行こうよ。もうあんまり時間ないんでしょ?」


 口々に集まってきた連れの女の子──明日乃や実華、青木万莉、それに村上侑里が、佑珂の周囲を隙間なく取り巻いた。思いがけず混入した佑珂という異物を、みんなは冷たい目で見つめている。「で?」と桜子が乱暴に畳み掛けてきた。


「どうしてくれんのって聞いてんだけど」

「あの、その、今度洗って返すから……」

「うちにここから裸で行動しろって言いたいわけ?」

「そ、そんなこと言わないよ! 代わりの服とかどっかで探すよっ」

「適当なことばっか言わないでよ! できもしないくせに!」


 桜子が吼えた。佑珂はもうすっかり半泣きになって、地べたを睨みながら言い訳の余地を必死に考えた。桜子の服を盛大に汚したくせして、当のアスファルトはうんともすんとも言わない。無数の雑踏が佑珂たちの傍らを踏み荒らしてゆく。

 ああ、こんなことならもっと周りを見ていればよかった。いまさら後悔したって遅いのに、後悔するくらいしか選択肢がない。情けないかな、財力も権力も発言力もない佑珂に残された道は、こうして桜子に許しを請うことだけだ。


「ごめん……なさい……っ」


 深々と下げた頭に、不意に、手のひらが乗った。

 驚いた拍子に涙が弾けた。手のひらの主は、目の前に立つ桜子ではなかった。


「道の真ん中で何してるわけ? 桜子」


 夏海だった。桜子側の取り巻きを蹴散らすように、夕那や祥子たちが佑珂の隣へ並んだ。その手にはそれぞれアイスやペットボトルが握られている。佑珂が道に迷っている間に、さっさと買い物を済ませてしまったみたいだ。

 まずい。このままではケンカになる。佑珂の脳裏をいつかの夕那たちの会話がよぎった。今回の件は無関係でも、みんなは30人31脚の練習を通じて桜子たちに敵意を溜めている。


「ま、待って上原さん。私が悪いの。私が前をよく見てなかったからぶつかっちゃってっ」


 必死に手を広げて弁明したら、背後で桜子が「そうだよ」と同調した。


()()が勝手にぶつかってきて、うちの大事な服を台無しにしてくれたから、どう責任取ってくれんのって聞いてただけ」

「へぇ。まぁ桜子(あんた)の服なんかどうでもいいけど」


 夏海は説得を一蹴した。佑珂の懇願は今度も聞き入れられなかった。


「それでこんな商店街の真ん中で、しかもWAOの真っ最中に、福島さん独りを取り囲んでいじめてたわけ。これがクラス一の成績優秀者のやり方なんだ。ほんっと陰湿。人として軽蔑しちゃうよね」

「はぁ? 上原は関係ないでしょ? とやかく口を突っ込まれる筋合いだってないんですけど」

「そうもいかないね。あたしたち、今日は福島さんと一緒にWAOを巡ってたんだよ。だいたい話を聞いてみりゃ何? 転んで服を汚されたって? そんなもん前を見ずに歩いてた桜子のせいでしょ? いちいちなんでもかんでも誰かのせいにしなきゃ気が済まないわけ?」

「現場を見てもいないくせに偉そうなこと言わないでもらえる?」


 挑発に乗った桜子が、ゆらり、上体を傾けながら夏海の前に立ちふさがった。突っ立っていた佑珂は祥子に手を引かれ、夏海の後ろまで下げられてしまった。夕那も彩音も拳をポキポキ言わせながら戦闘態勢に入っている。──ああ、もうダメだ。ケンカを止めるすべが思いつかない。こんなときに叶子がいれば頼りになるのに、肝心の叶子は荷物番でここにはいない。祥子の腕の中で佑珂は泣きたくなった。桜子を転ばせてしまった時よりも、謝り倒していた間よりも、肩の痛みは着実に深さを増していた。


「へぇ、インテリ様も暴力に訴えるんだ。あたしたちはバカだからムカついたら殴るだけなんだけどね」

「当然でしょ。上原みたいなバカには何言っても無駄だから、こうやって殴って言うこと聞かせるんだよ。動物の調教と同じだよ。喜べば?」

「ふーん。その意気で30人31脚の練習もやってろよな。自分だって鈍足のくせに他人(ひと)に文句ばっかり垂れて練習の邪魔すんの、前からずっとムカついてたんだよ。受験勉強が忙しいのか知らないけど、他人のせいにしてる暇があったら自分が必死に練習しろよ」

「文句? 事実を指摘して何が悪いっての? だいたい上原たちだって真剣にやってるわけ? やってる気分に浸ってるだけじゃないの?」

「は? どういう意味?」

()()の福島とか有森が実行委員やってるからでしょ? そりゃそうだよね、ボスザルが不真面目だったら手下に示しがつかないもんね。そんなんでデカい顔できると思ってんなよ」

「いい度胸じゃん。そろそろあたし、あんたのこと殺しそうだけど」

「やれるもんならやってみなよ。そしたらこっちは警察呼ぶだけだから。バカはせいぜい警察署の中で暮らせばいいんじゃない?」


 さんざ煽り立てた桜子の胸倉を、夏海が凄まじい形相で掴み上げる。

 服が破れる──。恐怖のあまり佑珂は目を閉じた。そのおかげで、頭上から降ってきた大声の持ち主が誰であるのかに一瞬、気づくのが遅れた。


「やめなさい!」


 悲鳴みたいな声を上げたのは理紗先生だった。ちらり、細目を開けて覗き込んだ腕時計が、午後六時を指していた。待ち合わせ場所へ向かう途中でここを通り、ケンカの場面に偶然でくわしたのだ。


「周りに人がいるのに危ないでしょ! その手を離して、夏海ちゃん!」

「嫌ですよ。こういうのには痛い目に遭ってもらわないと」


 言うが早いか、夏海は大振りの拳を桜子に命中させた。重い衝撃音があたりを打ちのめし、桜子は足をもつれさせながら二歩ほど後退した。大慌てで佑珂の前へ飛び出した先生が、「やめなさいって言ってるのに!」と夏海の手首を掴んだ。叶子と同じ、頼りになる大きな背中だ。安堵の吐息で胸が膨らみかけたのも一瞬。


「邪魔だよ! どっか行ってよ先生!」


 耳をつんざく絶叫が、佑珂の安堵を突き刺して粉砕した。

 叫んだのは夏海ではなく、桜子だった。血走った眼をらんらんと怒らせ、殴られた頬を手で押さえながら、桜子は理紗先生を睨みつけた。思いがけないところから横槍を入れられた先生は凍り付いていた。


「いつもいつもニコニコ笑ってるばっかりで何の役にも立たないくせに、こういう時だけ知ったような顔で出てこないで! うちらは今、うちらの問題を自力で片付けてる最中なんだよ!」


 肩の痛みも忘れて佑珂は眼前の光景に見入った。傍観している佑珂の背筋すら凍り付かせるほど、桜子の口ぶりには真に迫るものがあった。ほんのわずかにでも余計な手出しをすれば許さないとばかりに、桜子は先生を冷たい目で射止めている。とうとう何も反論しないまま、理紗先生は夏海の手を取り落とした。手足の自由を取り戻した夏海に桜子が飛び掛かる。「何すんだ!」と怒鳴った夕那が、明日乃が、彩音が、実華が、次々と割って入る。呆然と立ち尽くす先生の脇をすり抜け、周囲の大人たちが口々に制止の言葉を叫ぶ。誰が呼んだか、向こうから警察官の帽子が近づいてきている。少なくとも桜子たちが呼んだのではないことは確かだった。

 ぶつけた肩の痛みが戻ってきた。

 もはやどうにもならない騒乱の外側で、佑珂はただ、静かに、影のように、時間が過ぎるのを感じていた。

 私のせいだ。

 私が土井さんとぶつからなかったら、こんなことにはならなかったのに。

 いや、違う。結局は時間の問題だったのか。たまたま佑珂が火種になっただけで、思えば夏海たちは以前から桜子たちに反感を持っていた。叶子が当事者だったとしても同じ結果になっていたはずだ。ただ、(かすがい)になるべき実行委員と先生が、桜子の言うように何の役にも立たなかった現実だけが、夕暮れの足元に土気色で転がっている。


「……理紗先生」


 小さな声で後ろ姿に呼びかけたが、理紗先生は応答しなかった。先生は肩掛けカバンの紐を、手に食い込むほど強く握りしめていた。あんなに頼もしく見えたはずの、ウインドブレーカーに包まれた背中が、そのときなぜだかひどく小さく、しなびて見えた。






「力になりたい。支えになりたいよ。苦しい思いなんかしてほしくないよ」


▶▶▶次回 『27 直向佑珂と臆病な心の壁【3】』

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