孤独の放火魔
1月7日午前10時ごろ
ある小学校の体育館で火災が発生した
始業式の途中ということもあってか半数の教師及び全校生徒の9割が死亡、残りの半数の教師や1割の生徒も軽くない火傷を負った。生存した教師の話では異変に気がついた時には既に近くの出入り口は焼け落ちかけており助けられたのは入り口近辺にいた生徒のみだという。
現場検証より火は体育館の入り口からガソリンなどを用いて発火させたことが判明した。
放火の線で容疑者の捜索を調べているとその学校の生徒が自主してきたのだ。その生徒は火傷被害者の中でも比較的軽症だった少年だった。
事情聴取でその少年にまず放火による殺人の意思の有無を尋ねるとその少年は生徒先生を含む全員を殺害する意思があったと言った。次にその放火の動機を聴くと復讐するためと言った。 なんでもその生徒の両親は仕事もせず酒に溺れ、イライラすると息子に当たるという生活をしており、お金が無くなれば空き巣に入ってお金を盗んで日銭を稼ぐというサイクルで育児の一切を放棄していたという。当の息子は給食のみで生を繋いでたとのこと。そのような家庭環境に加え、その学校の校区が比較的豊かな家庭が多かったということもあり、貧乏、弱々しい体、はっきりと喋らない、親が犯罪者、給食費を払わないという他の生徒からすればいじめの格好の的となる材料が揃っていた。加えて親の影響か何かを言われるとすぐに手が出てしまうということも相まって親の呼び出しも多く、呼び出しても唐の親は来ず他の生徒の親からの評判も悪かったらしい。教師もすぐ問題を起こす生徒にうんざりしていたらしく強く当たりいじめも黙認していたとのこと。一縷の望みをかけて児童相談所にも駆け込んだらしいが学校ぐるみで隠蔽されて無かったことにされたらしい。その時自殺を考えていたが、自分だけ辛い思いをして死ぬくらいなら死ぬ前に自分をいじめた人にそれ以上の苦しみを味わわせてから死ななければ周りの思う壺だと考えたらしい。放火した人が死刑となって被害者へ賠償金を払わないといけないのなら親にも復讐が出来て自分は死刑で死ぬことができる。自殺するよりよっぽど素晴らしいのではないかと考え実行に及んだとのこと。
後に身辺調査をしたところこの少年の供述は概ね真実ということがわかった。
確かにこの少年のやったことは立派な重犯罪だ。"被害者の遺族の気持ちは"とか"どうしてそれを行動を起こす前に"とか色々叱ることもできたでしょう。しかしどうしても私はこの少年を叱る言葉が思いつかなかった。親にも学校からも教師からも生徒の親からも不当にひどく扱われ、何があっても子供を守ってあげなければいけない児童相談所ですら見方をしてはくれなかった。そんな少年にいじめとは無縁の生活を送ってきた私が何を叱ればいいんだ、何怒ればいいんだ、そんな人間がこの少年にあれこれ言う資格はあるのか。考えた結果私は捜査官から部署変更を願い出た。加害者に感情移入し過ぎてしまったと感じたからだ。そしてこのような犯罪が以降などと起こらないことを切に願う。
あとがき
稚拙な文ですがここまで読んでいただきありがとうございました。 今回が初めての投稿になるのですが、これを書こうと思ったきっかけは犯罪って本当に加害者が100%悪いのか?加害者だって出来るなら犯罪なんて起こしたくはないだろう。その意思を捻じ曲げてでもそれを実行に移した時、どの程度情状酌量の余地があるのだろうか?と考え始めたことがきっかけです。 もしあなたが裁判官ならどのくらいの情状酌量の余地を与えますか?