A/22/05
「最期を看取らせて欲しい。」
ひと昔前のプロポーズ染みた台詞が、湿気を含んで膨張した昼下がりの喫茶店に響く。幾分の時間が流れ、テーブルにある飲みかけのアイスココアがカランと音を立て、私のコンピューターはようやく起動しはじめた。
「えっと。久しぶりに会って一番にする会話が、それですか。」
「いや、唐突すぎるとは思ってんけどな、一番重要ならことは一番に言わんと気持ち悪いなぁと思ってな。」
やっぱり照れたわ〜と言いながら、「じゃあなんか頼む?」と私にメニューを渡し、程よい頃合いで店員さんに声をかける。
アイスコーヒーを注文した彼に続いて、私もアイスコーヒーで、と繰り返す。
「そういえば、最期って。私ってもうすぐ死ぬんですか。」
頬杖をつきながら、よく恋人が変わる友達に、新しい恋人ができたときのような淡々としたテンションで、的を少し外した質問をする。
「…いや、それは自分が一番よくわかっとるやん。」
久しぶりに声を発した時のような、ざらついた声が私の心臓あたりの、何かを、そっと撫でた。
無言の会話を遮り、タイミング良く2つの、アイスコーヒーが運ばれてきた。
ガムシロップとミルクが綺麗にテーブルにセットされ、伝票をテーブルの横に引っ掛けられた。
「誰から聞いたのかわかりませんが、可哀想になったから、最期を看取ってくれようとしているんですか?」
浮かぶストローをグラスをなぞるようにクルクルと回しながら、決して目を合わせずに答えにくいであろう意地悪な質問をした。
彼は、机の上に置いていた握り拳を解き、右手で首を触った後、アイスコーヒーをストローを使わずに飲み干した。
使われなかった、ガムシロップとミルクが寂しそうに空のグラスと並んでいる。
「俺もまだ信じられへんけど、でも今できることをやりたいねん。なあ、俺は君の最期におったらあかん?」
真剣な眼差しと声色で、全く意味は伝わらなくても、熱意というものだけは伝わるらしい。
何より彼の言葉は、誰よりも熱を持っていて、無機質な私はその熱にすぐ当てられてショートしてしまう。
「誰から私のこと聞いたんですか。それによって答えが変わります。」
「俺、未来を知ってん。君と俺とその周囲の人の未来を。」
あぁ、そうか。
彼は私の知っている彼だけれど、目の前の彼の存在は、私が知っている彼でないのだろう。
私と同じ道上にいた彼は、まっすぐ進み何故か平行世界と交わってしまったのだろうか。
壺を買わされるのだろうか、ブレスレットだろうか。今、私のお財布の中にいくら入っているのだろう。
アイスココアを飲み干し、店員さんが空いたグラスを下げてくれる。
「いやいやいや、わかるで!こいつなに言ってるって思ってんやろ。」
まだ、なにも答えていないのに、私の脳内コンピューターが、彼の脳内に電子信号を送っただろう。
私の考えてることの半分くらいが伝わってしまった。
仕切り直すかのように、ゴホンと咳払いをする。
「でもな、これは俺が人生をかけて成し遂げたかったことやから。俺は未来を知っとる。これから君がどうなるかも知っとるし、俺がいつ死ぬかも知っとる。」
随分と湿気を溜め込んだ、この喫茶店は今にも爆破しそうだ。
「私って本当に死ぬんですか。」
「俺が知ってる未来やったら、死ぬで。」
突拍子の無い話だが、ここまできたら何故か妙に納得してしまった。
死ぬのかと思うとそれはそれで興味が出てくる。
それで?と同級生の噂話を、前のめりで聞き出そうとする女子高生のような心待ちになった。
実際、私の母親は、私と会う前に死んでしまっていた。育ての親である、伊織にも私は長く生きられないと言われたことがある。
こんな話、誰にも話したことはないけれど、彼がそこまで言うのなら、未来というのは私を傷つけないための例え話かもしれない。
おおよそ、私が死ぬのはあながち間違っていないのだろう。
氷が溶け、味の薄まったアイスコーヒーを口に含む。
「せやから、時間があんまりないねん。ほんまに図々しいことを言っとるのは、わかってんねんけど…。てか、この喫茶店暑ない?ムンムンするわぁ…。」
手でおでこの汗を拭い、ほとんど風も来ないのに、パタパタと仰ぐジェスチャーをした。
実際、この話を否定する要素も、勿論肯定する要素も無い為、
「未来を知っているんですね。でもほら、よくある物語では、未来から運命の相手がやって来て私を助けてくれるのが王道ですよね。」
一応話を合わせてみることにする。
やはり、対して感情もこもっていない私の言葉は、渇いた笑顔と一緒に地面に落ちた。
彼は一瞬真顔になり、仰ぐ手を止める。
「確かに俺は未来を知っとるんやけど、未来から来たわけではないんよ。確かに物語の王道ではそうやけれども、残念やけど俺は君の運命の相手じゃないんよ。俺は100歳近くまで生きるし、君は23歳の12月に死ぬよ。」
「じゃあどうして、今更、会いに来てくれたんですか。宇崎くん。」
彼の発言にかぶせるように喋り始めた私の言葉は、ついさっき地面に落ちた言葉と一緒に散り散りになっていった。
「何度も言ってるやん。有栖が寂しくないように最期を見届けに来たんやって。」
落ちて散り散りになった私の言葉を拾い集めるような、彼の優しく寂しそうな声に誘われ顔を上げる。
そっか、宇崎くんってこういう顔をしていたんだった。
「宇崎くん、今日もかっこいいですね。」
「なんやねんそれ。そんなん付き合っとる時は全然言ってくれへんかったやん。」
くしゃっと笑う彼は相変わらずかっこよくて、あの頃の思い出が蘇る。
「高校を卒業してもう四年も経っとるんやな。」
そうか、そうだった。思い出した。
あの頃の私は、いつも彼の上履きばかりを見つめていた。