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チェリー ペリッシュ

作者: 見城R

ででんこでん、ででんこでん


「ん?」


目を醒ました。

いや、おいおい、何時の間に寝たんだ、なんだ、電車が動き始めたのか、今どこの駅だ。

きょろきょろすると、「南草津」という看板が後ろへと流れていくのが見えた。

心で呟く、そんな馬鹿な、降りる駅を2つも過ごしているなんて。


ぷしー


まるで、息を吹き散らしたような音で扉は開く、

足取りはしっかりとして、酔いもほとんど醒めている。

いや、酔っているんだが、確かな足取りを踏める、妙にテンションが高い。

大阪から一時間半、ぐっすりと寝たおかげで、見事に乗り過ごした。

滋賀県は不便だ、乗り過ごすと戻る電車が無い。


「彦根まで行かなかっただけよしとしよう」


一人ごちる、そして、人もまばらなホームをあとに、

終了という赤い字のともる掲示板を伺うように見た。

小さくため息をつく、それが白む。


「少し、まだ冷えるか」


春コートを着ていてよかったとほとほと思う。

都会は暖かくても、田舎は寒い。

これは根本的に間違っているのだが、そういっても差し支えがないほどだ。

降り立った草津駅のターミナルには、倒れた酔っぱらいと、

うすぼんやりした街灯くらいしかなく、タクシーも先行した人々によって乗り散らかされた後。


「なるほど、ま、歩けないでもないか」


酔っているせいなんだろう、歩こうという選択肢を

大の大人、社会人がするものではない。

が、そんなことをしたいと思うことがままある。

30がらみで、女無く、電車を乗り過ごし、電話は鳴らない。

春の夜は寒い。



居酒屋もそろそろ店をしまう時間だが、

ぱらぱら、人と明かりが見える。

ふらふらしているのは自分だけではない、夜の街はなんとなし、

そういうのが溢れていても、あまり恐怖を感じない。

一号線沿いをふらりふらりと歩いていく、車は定期的にやってきて、

人がいることなど知らないように走り抜ける。つと、足をとめた。


「こんなところに神社が、すげぇ桜だな…」


圧倒的なうすぼんやりがそこに在る。

空は暗く、夜闇を落としている、まだ空気が冷たいせいだからか、

星もちらちらといくつか散見できる。

月は朧、風は弱い、樹が鳴いている。


わずかな石段があり、大鳥居、

そこから先に、引き込むよう、引きずるよう、招き引かれそう、

朱色の柱が、等間隔で遠くなっていく。

その左右を大きな桜の樹が飾っている、夜だというのに、

おのから光る如く。


左右から包み込んできて、

なんだろうか、胎動しているように見える。

内蔵を彷彿とさせるその長い長い道は、

石畳が月明かりに揺れて、はらはらと、僅かばかりに散っていく花びらで、

真っ暗な空間に歪みを産んでいる。


手招きされたように、自然、足はそちらに向いてしまった。


石畳を踏む感触、

左右から迫りくる桜の木々、

その花を見ようと視線を上げると、

梢の向こうに闇が見える、春の闇は憂鬱でステキだ。


「もし…」


「!…な、誰だ」


唐突なそれに思わず大きな声が出る。

酔っていると音量に対する制御が鈍くなる、小用を足すと止まらなくなるのに似てる。


「あなたこそ、こんな深夜に、こんな場所に、そんな体たらくで」


「し、失礼な」


女だ。

髪が長い、その時点で残念だが好みの対象から大きく外れた。

そう思うと心にゆとりができる、探るように女を見る、

そっくりそのまま、この夜更け、場所、体たらくで、

この女は何をしているのか。

それが気になる、いや、体たらくは俺よりはずっと上等だ。


「着物?武家の女か?」


「ほほほ」


武家の女のように笑う。

物腰は柔らかそうだが、どうにもよく出来た女らしい、

なるほど、髪が長いわけだ、得心した。


「お名前は」


「あら」


「いや、失礼、私は裕、貴女は?」


与袮よね


「よね?また、随分古風な…」


「どうされました?」


「いや、少し頭痛が」


「それはいけませんね、夜風に中たったのかも、どうぞこちらへ」


朱塗りの傘の下に、朱色の座敷がある。

茶の湯の用意がある、何かの漫画で読んだ、その風景そのままだ。

しかし、酔いつぶれたサラリーマンに茶道などの教養はない。


「私は、武家ではないので、その…茶道はわかりません」


「結構です、私も我流です」


言われると、なんだか心持ちが軽くなった。

一度まわりを見る、桜と鳥居、そうだったここは神社か。


「いい、桜ですね」


「野点には一番でしょう」


「少し、寒いが」


「茶が温めますよ」


ずず、すほ、

飲み干してみる、なるほど、喉を通って心地よく体に広がる。

酔いが醒めるかとも思ったが、ますますそれは度をましている。

しったか知識にのっとって、茶碗をとりあえず眺める、


「?…いい、品ですね」


「わかりますか?」


「なんとなし、この金襴が」


「そう、新しい物だから心配したのですが」


「新しい…ですか、そうか」


自分の乏しい知識で、ここまでの金襴を懲らしたものは、

彦根城で見た湖東焼だっただろうか、しかし、あれは幕末に滅びた。

自分の目利きはアテにならない。


「たまに、貴方のような方が参られるのですよ」


「酔っ払いが?ああ、そういえば、神社の方ですか?」


「まぁ、そのような、こんな夜に酔っぱらいの変死体を出さない仕事をしております」


「はっ、面白い」


冗談を言わせるとうまいものだな。

そんなことを思う、たおやかに笑う女性、

本当に武家の風情を感じる。


「花に誘われた様子ですね」


「まぁ、そうですね、あまりゆっくりと花見ができないもので、しかし、今夜はラッキーだ」


「そんなに桜が」


「まぁ、桜もあるが、貴女のような人と見られたのが」


「上手なこと」


「本心ですよ、他人と一緒に見ると、また、格別なんだって思うのです」


「一人で見ても同じでしょう、桜は桜ですよ」


「…そう、かもしれませんね、他人など、な」


「娯楽は一人でしても楽しいものじゃありませんか」


「そうですね、時代劇なんぞ見てるとそう思います」


「それは酔狂、いまどきそんな話で盛り上がる御仁はおりませんでしょう」


そのとおりだな、馬鹿にされたというよりも、己をよく見た結果だと取る。

桜は美しく、空に真っ白な姿、

淡桃色を呈するというが、その桃色、いや、桜色は、

思い描くそれとは異なる、こと、このソメイヨシノに対しては特に、

仄白い、淡墨と呼ばれるその、真っ白とは異なる骨色が美しいと思う。


「ここは、ソメイヨシノばかりですね」


「ええ、同じようなのばかりです」


「これでは、すぐに咲いて散ってしまう、名所にしてもいいくらいなのに、惜しい」


「短いからこそ美しい、彼女達はそう思うのかも」


「なるほど、それもよろしいな、ところで、刀はありますか」


「およしになったほうが」


「男の、役目でしょう」


物騒な気配を感じた、素浪人が幾人か現れた。

一振を拝借する、なかなかの業物と見えるが、

戦国刀の一本だろう、厚いし、反りがほとんど無い。

無骨だ。


「何用か」


言ってみたが、反応があるはずもない、

ずじ、砂利に足をとられる、これはよくない。

思うがまま、スニーカーは後ろへと蹴り逃がした。

少々動きにくい、ジャケットも投げ捨てたいと思ったが、時間が足らない。


腰を落とす、斜に構える。

右脚を前に、左足に重心を、刀は左腰で、右手で柄を握る。

足の裏に砂利を掴む感触がある、踏み込む、じぎぃ、いい音だ。


「つぇいっ!!!」


左手で鞘を引きながら、右手で刀を抜いて奮う。

あってるのか?いや、そもそも、こんな剣法を練習したか?

色々と錯綜するが、ともかく、手に刀の感触を覚えつつ、

ヌキはなった、そのあとは決まっている。

左手を素早く柄頭にそえて、左右に振り、大上段で、大きく踏み出す。

右脚を大きく、体は横に開くように、

上半身を使って、大きく叩くように、

背筋は伸びている、腰を落として、腕は半ばを過ぎたあたりから意識して、

地面を斬るかというほどに、撃ち落とす。


「ぜいぁっ!!!」


さぁっ、音とあわせたように、

まだ硬いであろう桜の花が揺れた、花びらはわずかにしか飛び散らない、

はらり、それらが、斬劇を飾った、何人斬った?

どっしりと、自分がいつも思い描いてきた、その格好で立っている、

憧れた時代劇のそれだ、足の長い、腰の高い役者じゃ出ない味が出てる。

ガニマタというのか、足が短くてよかったと思う、

この格好が様になるのは、足の短い男だ。


「意外」


「よね殿、ご無事か」


「馴れておいでで」


「いや、その、初めてなのだが…」


「人を斬られたのが?それとも、女性に褒められたのが?」


女は仕方ない顔で笑った。

笑いながら、いそいそと、今斬り殺した男達に何かを施している。

不思議と、その光景に何も覚えなかった。

違う、もっとひっかかるのだ、刀を扱う自分に、この、

なるほど落ち着いて、座りがよいようにも思える、思いたい、だが。

全身を得体の知れない悪寒が襲う、手にねっとりと残る、

人を斬った、血で濡れたような、重く響く無気味な感触。


「5人もあれば十分でしょう、貴方、気に入られたようですけども」


「?」


「お行きなさい、もう、酔いも醒めたでしょう、茶を呑んでも、こんなになっても、ずっと正気だなんて、なんだか、そう」


笑顔が綺麗な人だ。


「はなから狂っていらしったのね」


「何を言って」


「速く、お逃げなさい、取り憑かれますよ、桜に、花に、この女達に」


女の位置がずっと遠くに見えた。

手の刀は知らない内に消えている。

生々しく、何か、おそらくこれが、斬殺をなした手心なんだろう、

それが生々しく、自分をからめとるように思えた。

なんでここに居たんだったか、

思い出して、もう一度空を見上げる、相変わらず蠢く白い影、


「それとも、もう、こちら側にいらしたい?」


「う、うおああああああっっ!!!!」


我に返ったというのか、むしろ、パニックになったという方が相応しい。

手にスニーカーを持って、ひたすらに走る、

境内と思われるのと逆の方向に、逃げる、逃げる、逃げる、何から、

この、桜から、桜の木々から、花びらや萼や実らずに落ちる腐りから。


桜は蠢いている、真白な体を、

うずうずと揺らせて、胎動を思わせる律動と蠕動、

飲み込まれつつある自分を自覚して、逃れるため、

ただ、走り抜ける。

脳に直接声が届いてくる、桜が、ありとあらゆる桜から、声が、誘いが、死が。


寂しい。

貴方とともに。

一緒にいたい。


なんと甘露に満ちた言葉か、甘言とはこれか、

逃れながら、じっと、まとわりついてくるその思念に、

ただ抗い続けていく、喉が焼けるように痛い、

肺も焼けつくようだ、心臓は尽きるかと白熱する、

桜は女なのだ、

あの女も桜だったのか?

じゃぁ、男は、なんだというのだ。


走っても走っても、ただ、あの大きな桜は消えない。

恐怖が取り付いてくる、本当に怖い物というのは素早く動くそれよりも、

動いているかわからないような大きなものだ。

それが、動いていると知覚できたとき、

その恐怖は、どんなものよりも大きい、

真っ暗な闇を覗いている不安感と似たそれがある。


「はぁ…はぁ…はぁ……」


さっき川を渡ったから、今、南草津は越えて、瀬田くらいか?

膳所までどんだけかかるんだ。


「まるでだらしない」


「うぁああっっ!!」


ゆっくりと、少しずつだろうか、大きな桜は近づいてきているように見える、

ずっと遠くのようにも見えるのに、目を離して、また、その時には前よりも大きく近い。

そして声が、女の、よね殿、その声が、


「でも頑張りました、瀬田川まで来てるもの、唐橋なら情緒もあったけど」


「なんだ、お前いったい、なんなんだっ」


「ソメイヨシノは女なの、石女、子供を宿せない哀れな女の樹、だから、あんなに華やかなのにすぐに散って、腐ってしまう、美しいでしょう、可愛らしいでしょう、哀れでたまらないでしょう?」


桜の大木は、じりじりと大きくなってきている。

だが、目の前に女は立っている、そして語りかけるように、

こんこんと説明を続ける。


「毎春、この短い間に、ソメイヨシノは石女だけど女なの、だから、男を求めるの、私は酔った人間の死体を片づける係、先にも説明した通り、男を欲しがる桜のために、男を与えてあげるの、根元に植えると、どう、毎年ほら、真っ白で綺麗な花を咲かせる」


「な、何者かと聞いて」


「そう、瀬田川を渡ればあなたは逃れられる、逃れて、また、いつものように、桜の花の散った5月を居きるの、また、こんな日がくるまで、あるいは、今宵が最後かもしれないのに、逃れる先の日常が、ほら、すぐそこ…」


足を止めてしまった。

怖いからだ、呼び止められたからだ、聞く耳なんてもたないのに、

そんな言い訳がいくつも浮かぶが、体は疲れたとは違う理由で歩みを止めた。

不安と澱んだ混濁した具合、

酒が抜けてきた、ぎしぎしとした頭痛、

そして、琵琶湖から流れてくる、冷たい風。


「いやだ」


「何が?」


黙ってしまう、何がいやなのか、深く考えてしまう、畏れが抱きしめてくる、

足をとめて振り返ろうとしてしまう、きっと振り返ったら、

そこに憧れていながら、ただ汗をかいてしまう、

振り返るのが怖い、そこに見える景色が化け物のそれだからじゃない、

振り返ることで楽になろうとしている自分を直視するのが怖い。

自分から、現実から、何からだ、目をそむけて、逃げるのか。


足を再び踏み出した、振り返らない。


「そう、今年はそうしなさい、貴方ならきっと。あんなに綺麗に殺せるなんて、きっと向いていないもの、こちらに憧れて仕様がないもの、ね」


瀬田川を越えた、振り返るのが怖くて石山駅方面に逃げながらも、

ずっと、後ろを振り返らなかった。

後ろ髪を引かれるというのだろうか、本当に、誰かに撫でられたように、

気を抜くと振り返ってしまいそうな恐怖があった。


桜の夜はそれで終わった。

翌日、当たり前のように目を醒まして、

風邪を引いていた。


何も変わらない毎日がまた始まった、あっと言う間に、

ほら、油断をしている間に5月がやってくる。

何度かまた、電車を乗り過ごした、その度に歩いて帰った。


でも、神社はついに見つからなかった、琵琶湖の桜はもう葉桜だ。


それでも、来春が待ち遠しくなっている、

まだ、暑い夏も、寂しい秋も、冷たい冬もきていないのに、

毎日が少しだけ桜色に見えた。

うつろいゆく景色が、花が腐る様に似て、それを見て微笑んだ。

手のひらにいまだ残る柄と、殴りつけるのとは違うあの手ごたえ。

衝動的に、突然、それは鮮やかに思い出されるようになった。


ゆるやかに、気をたがわせていく、世の中はそういう男ばかりで、

皆、桜のこやしになっていくらしい。

春猫の声が聞こえる、狂ったように泣き叫んで、これもまた、

女をめぐって諍っている、鳴いているのは女だろうか、泣かされているのは男だろうか、

生暖かくなってきた風が頬をなぶる。


猫鳴く夜 人肌に似た温き風

狂い散る花 乱れ葉桜

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