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表題 「駄作」

 飛行機から降りて、またすぐにバスに乗った。バスは僕と仁の貸し切り状態で、二人席にそれぞれ腰を掛けると、人工的な揺れが心地よくてすぐに眠りに落ちてしまった。


 一体どれくらいの間バスに揺られていたのだろう。目覚めて、ふと窓に顔を向けると目を焼くほどの閃光が迸った。一瞬遅れて音の波がバスを揺らす。それが花火だと理解したのは脳より先に体だった。震える窓に手を合わせると自然と涙が零れ落ちた。


「父さん、母さん……」


 二人がいなくなったあの日が、鮮明に脳裏に映し出される。あの時も公園に寄り道をして家に帰って来たのだ。ドアを開けてただいまと言っても返事がなく、いつもいるはずの母の代わりに、真っ白な便箋が一枚、居間のテーブルに置かれていた。



聡へ

私と父さんを結んだのは花火だったの。

だから二つ目の花火と一緒に、ごめんね、愛してるよ。



 母の残した最後の言葉で、僕を走らすきっかけになった手紙だった。僕は父や母を恨みはしなかった。人はあんなににも美しく最後を迎えることができるのだと、教えてくれた父や母を、恨むなんてできるはずもなかった。


 ――はあ、あの光景は本当に美しかった…………。





















              ――嗚呼、もう、いいか…………。    



 僕はバスに取り付けられた「おります」ボタンを二回強く押しこんだ。バスは橋を通り過ぎてすぐのバス停に止まった。鞄から黒のノートだけを取り出して、体一つでバスの出口へ走る。「ちょっと待て」仁も鞄を持たないで追いかけてきたようだった。僕はとにかく橋の袂まで走った。バスで橋を通った時には暗くて人影なんて見えなかったが、近づいたところ、この小さな町にどれほど隠れ住んでいたのかと驚くほど、花火大会の会場は人で埋め尽くされていた。


「花火はどこから見ても同じに形に見えるらしいぞ」


 やっと追いついた仁が膝に手を突き、肩で息をしながら言った。


「そうなのか、仁って意外と博識なんだな。……でも、そうか、皆同じに見えているのか……」

「さあ、いよいよ、次がフィナーレです」


 次の花火が最後だと告げる場内アナウンスが会場に響いた。


「仁、じゃあな」僕は仁に最後の別れを告げ、橋の真ん中へと歩を進める。


 白日の花火が曖昧に一つ、また一つと命を散らし始める。行く当てもなく、ただ、一瞬を光で染めるために命を賭す。実に羨ましいと思う。一瞬の美しさのために、一生の全てを懸けられる花火という存在に、僕は憧れて已まないのだ。それと同時に、とても勇敢な存在だとも思う。


 今を膿む花火たちよ、轟くことを恐れないでくれ。僕の体躯が死を欲して、悲鳴をあげ続けているのを、隠し通してはくれないだろうか。やっと気づいた無彩色だった心に不祥はいらないから、盲目になった目に、震えるほど煌めく光の透過を与えてほしいのだ――。道徳なんていらない。汚い。愛される自信なんてないし、愛する自信なんてもっとない。そもそも、他人の幸せなど微塵も願っちゃいない。


 ――自分本位でいい……、自分本位を忘れたくはないのだ。

 

 僕は胸ポケットから万年筆を取り出し、空白だった最初の一ページに表題をすらりと書き記した。僕の人生にとても合った題名だった。それからは歩く振動で文字が歪むのを必死に抑え、物語の結末を書き綴っていく。


 僕の書いている小説は人生を綴ったものなのだ。結末を描けるのは唯一命を落とすときのみ――。やっと描ける。拙作でしかなかった人生のせめてもの悪あがき、地続きの荒野で見えた希望の境界線。自らの手で人生に終止符を打つことができる、途方もない自由をひしひしと噛み締めた。


 下を向いて自分の足を見て、悲しくも嬉しくもない感情が沸き上がる。顔の半分が、極彩色で色づき消えていく。川の小波の音が夜空を赤めく爆発音に飲み込まれる。時折聞こえる水の弱々しい音は、赤ん坊の産声のごとく、生まれてしまった悲しみに溢れている。そんなことなど気にも留めない、強制的に花開く花火玉は、これまた哀れに夜の暗さに溶け込んでいく。


 この世にさよならを告げる爆発音は、星空を駆ける天の川が流れる音と同等に、美しいものに聞こえた。僕の憧れた命の散り様は、この悲しき音なしでは始まらない。


 死の副産物である幽霊のような煙が、新たに咲く、可憐な花たちによって浮かび上がる。その光景は霞み言葉を具現化しているようだと感じた。教室に漂う霞み言葉も、この煙のように夜に溶けていってくれたのならば、僕ら三人は学校に通う意味を見出せていたのだろうか。そんな、あちこちで美しさの片鱗を見せる花火は、どうやら僕だけに咲いているわけではないらしい。打ち上げられた花火は皆、平等に同じ形に見えるそうだ。僕にはその事実がとても悲しく思えた。


 僕は苦しいから死ぬのではない。生きるのに疲れたわけでも、嫌になったわけでもない。初めから美しさに沈みたかっただけなのだ。前にも言ったが生きていたくないわけではない。死にたくないわけでもない。今はただ、ほんの少しだけ生よりも死に憧れた、それだけなのだ。あの日見た、花火と人二人の死、その光景に憧れただけなのだ。


 僕はいつの間にか早まった足を止め、欄干の向こう側へと歩を越える。書き終えた小説を後ろから付いて来ていた仁の胸に押し付けた。「おい、どういうことだよ」と仁は怒鳴った。僕は最大限の優しい笑顔と声色で、


「読んでくれる約束しただろ? 頼むよ。これが俺の生きた証なんだ……」


 仁には全てわかっていて、少しは覚悟もしていたのだろう。歯を横に食いしばり、苦しく苦しく、頷いた。


 花火は終幕に向け勢いを増し、爆発音の感覚が狭くなってくる。放物線の橋の真ん中で、川風に酔い、遠くで移り変わった赤信号を笑う。


 ……さあ、いこうか。


 死ぬのに覚悟なんて必要ないし、怖い訳でもない。それでもあと一歩のところで、真っ黒な水に飛び込むのを躊躇してしまう。死に美しさを求めておきながら、誰かに覚えていて欲しい。この世界に生まれ落ちた意味が欲しい。最後にはそう願ってしまうのだ。


 生に憧れた訳ではないけれど、どうしても生に執着してしまう。人間としての本能が、僕に訴えかけてくる。死ぬのは苦しいぞ、痛いぞ、戦慄の暗闇に独りきりになるんだぞと……。でも、そんな訴えなど、美しさの前では薄氷を砕くようなものだ。


 僕はだるまさんが転んだの、初めの一歩を踏み出すように力強く踏み切った。竜巻の中心にいるみたいに体が持ち上がるのを感じる。体を捻り仰向けになると、眼前いっぱいに炎の儚い散り火が広がっていた。目を焼くほどに瞬く光の粒たちは、水面に反射し、死を祝福する燈篭となって静かに流れた。


「嗚呼、ああ……」頬に一筋、涙が伝う。


 仁は橋の手すりに内臓が潰れてしまうのではと、心配になるほど身を乗り出し、僕に向かって懸命に手を伸ばしていた。口をぱくぱくさせ、何かを叫んでいるようだったが花火の劈く音にかき消された。そんなに必死な顔で僕を見ないでよ。無数に存在する命の中の一つが、たまたまここで亡くなるだけじゃないか。


 ――でも、ありがとう。


 これから死に行く僕のわがままが、一つだけ叶うとするならば、誰かの心に抉れるほど大きな傷跡を残して死にたい。仁に僕という存在を忘れないでいてほしい。


 やがて花火のサヨナラの音は消え、涙は宙を舞い、残り火の金粉が僕を包み込んだ。


「嗚呼、美しかった…………」


 親友が僕の名前を目一杯に叫ぶ。

 幸せだなあ、その幸福感が体を満たすほどに、彼との距離は離れていった。



 ご愛読どうもありがとう。

 またいつかの世で……(-_-メ)

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