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盗む女:後編

 そんなある日、想定外の事態が起こる。


 夜勤の最中にコンビニの店長が突然押しかけてきたのだ。

 間の悪いことにその日俺は廃棄前の弁当に手を付けて、酒まで飲んでしまっていた。最近、夕暮れ時から夜の時間がどうにも落ち着かず、つい酒に手を伸ばしてしまったのだ。


 防犯カメラから募金箱の金を盗んでいることもバレていたようで、俺はその場でクビを言い渡された。

 文句を言おうと思ったが、気に入らないなら警察に話してもいいというクソ店長の言葉に、逃げるようにコンビニを後にした。

「クソ! あのハゲ調子に乗りやがって! あーあ、どうすっかな」

 まっすぐ帰る気にもなれず、俺は公園のベンチに腰かけてタバコに火をつけた。家に帰ればまたサトミが盗んできたものがどっかに転がっているに違いない。

「めんどくせぇ女だ。……待てよ」

 煙を思い切り吐き出し、吸殻を踏みつける。俺のなかにある考えがよぎった。


 サトミの盗癖は、もう治らないだろう。

 あれだけ言い聞かせ、殴りつけても一向に収まる気配はないのである。そのうえ、だれにも見つからないだけのテクも持ち合わせている。

「もう治らないんなら、いっそ……」

 サトミにはもう、好きに盗みをさせる。そして、それを生活のツテにすることはできないだろうか。

 あれほど様々なものをなんなく盗んでくる女だ。人様の財布をちょろまかすなんてお手の物だろう。あいつにノルマを与えて、それ以外は好きに盗みをさせる。

 俺はその金で生活をすればいい。サトミがパクられればその時はその時。サトミを置いてどっかに引っ越しちまえばいいんだ。

「うまくいきそうな気がするぞ。さすが俺、冴えてるぜ」


 俺は急いで家に帰ると、サトミを座らせて先ほど考えた計画を話して聞かせた。

「じゃあ、私が秀明さんの生活をお世話できるってことですか?」

「ああ、お前には苦労をかけちまうかもしれないが……」

「そんなことありません。私の出来ることで秀明さんが喜んでくださるなら、なんでもします」

 サトミは二つ返事で頷いた。本当に、よくできた女だ。多少気味の悪い腕も、これなら許せようってものである。


 早速俺は細かい計画を立てた。

 人の財布をするのなら電車がいいかもしれない。とくに込んでいる電車なら、サトミの長い腕が活かしやすい。

 相手が財布を取られていることに気づいても、周囲の人間を怪しむだけだろう。離れた場所から腕を伸ばすサトミは疑われにくい。

 すぐにサトミは俺に言われた通りに電車での窃盗行為を開始した。

 これがあっけないほどうまくいった。翌日にはサトミは財布をみっつと、ついでに駅の売店でガムやキャンディを盗んできたのだ。

「十万もある。たった一日でこれかよ。よくやった、サトミ!」

「ありがとうございます。今、お夕飯作ってしまいますね」

 頭をなでてやると子供のような笑みを浮かべて、サトミが台所に立つ。その後ろ姿を見守りながら、俺は本当に幸せ者だと財布をあさりながら悦に浸った。


 それから、サトミの窃盗を繰り返す日々は続いていった。

 次第に財布以外へ手が伸びる回数も増えていったが、それもやむを得ない。布団のなかで、俺はサトミの目で覆われた腕に何度もくちづけをした。

 いつからだろう、この腕が気にならなくなったのは……。

「お前は最高だよ。金を持ってきて、俺を喜ばせて、抱きしめてくれる。理想の女だ、サトミ」

「嬉しい秀明さん。ずっと一緒にいてくださいます?」

「当たり前だろ。お前が俺のために頑張ってくれる限り、俺たちはずっと一緒さ」

 サトミが腕から涙を流す。俺はサトミの涙に溺れるように濡れながら、サトミの華奢な身体を抱きしめた。




 異変があったのは、俺がパチンコで五万円をすって最悪に機嫌の悪い水曜日であった。

 夕陽を背に浴びながらアパートの階段を一段とばしに昇り、自分の部屋のドアノブをつかむ。

 ふと、部屋の奥から声が聞こえてきた。

 聞きなれない、動物じみた高い声――。俺は急いでドアを開け部屋に入った。

「サトミ、この鳴き声はなんだ! あっ……」

「おかえりなさい、秀明さん」

 満面の笑みで俺を出迎えたサトミの長い腕のなかに、顔を真っ赤にして泣きじゃくる赤ん坊の姿があった。

「お、おいサトミ、そのガキはどうしたんだ!?」

「見つけたのです。一緒に育てましょう、秀明さん」

「見つけたってお前、まさか……」

 サトミを押しのけ部屋に駆け込む。中には哺乳瓶やまえかけ、おもちゃなんかが散らばっていた。まえかけには名前も書いてあるが、全く覚えのない名前だ。


 部屋の入り口から顔をのぞかせていたサトミに問いかける。

「ガキが落ちてるわけないだろ! どこで見つけたんだよ!?」

「怒らないでください。買い物にいった、大きなスーパーです。小さな車の中にぽつんと置いてあったんです、だから……」

「ああ!? お前、それ誘拐じゃねーか! 何やってんだ!」

 サトミの顔を思い切り殴りつけて、俺は頭を抱えた。

 この女はやっぱり普通じゃない。腕だけではない、頭がおかしいんだ。治らない盗癖だってそうだ、こいつは盗むことになにひとつ罪悪感なんて感じちゃいない。

 その証拠が今も大声で泣きわめいているガキだ。こいつは猫を拾ってくるような感覚で、とんでもない犯罪をおこしちまいやがった。

「ごめんなさい。私を嫌いにならないでください、なんでもしますから」

「うるせぇ! 黙ってろ!」

 俺はその場に座り込んで頭を抱えた。


 どうする、どうすればいい。

 このまま赤ん坊をこの家に置いておけば、サトミだけの責任とは言い切れない。かといって俺のようなろくでなしが赤ん坊の親を探したところで、犯人と思われるだけだろう。

「ちくしょう! いっそどっかにポストでもあれば……」

 赤ちゃんポストとかいうアレに放り込むことができれば、問題は解決する。赤ん坊の親だって探しているだろうし、服装とかおもちゃを目印に再会することも可能だろう。

 だがそんなところは俺にはわからない。どこかにそっと置いていくのが理想だが、そんなことができる場所なんて……。

「……あった、あそこだ」

 一か所だけ、心当たりがあった。俺が夜勤明けにいつも通っていた交番である。夜明けごろはパトロールの時間らしく、あの交番は少しの間無人になるのだ。夜勤が長引いたときに何度も目の当たりにしては、意味がない交番だとバカにしていたもんだが……。


 無人の交番にガキを置いて逃げる。


 そうすればあとは警察がやってくれるだろう。

 もしかしたらサトミは罪に問われるかもしれないが、俺に被害が及ぶことはないはずだ。

「ガキを寄こせ!」

「一緒に育てたいのです、秀明さんと一緒に……」

「バカ言ってんじゃねぇ! こいつは夜中に俺が返す! てめぇは台所あたりで頭を冷やしてろ!」

 サトミを部屋から追い出し、赤ん坊の所持品を袋につめる。気づけば外はすっかり暗くなっている。それでも、夜明けがどうしようもなく遠かった。

 俺は赤ん坊を抱えたまま、ガキを交番に置いてくるまでは冷静にいようと心に決めた。




 明け方、俺は目立たないように黒のジャケットを羽織り外出の支度をした。

 袖から手首がまるまる出てしまっている。家で適当に洗濯したせいか、ジャケットが縮んでしまったらしい。

 舌打ちをして家を抜け出して、自転車で交番に向かった。タオルにくるんだ赤ん坊は幸い静かな寝息を立てている。泣きつかれてしまったのだろう。

「もしもし、すいません……」

 誰もいないことを確認し、念には念を入れてノックを繰り返し声をかける。交番は静寂に包まれていた。

 俺はそっとカゴからガキを取り出して、グレーのデスクのうえに寝かせた。

「早くママに会えるといいな、じゃあな」

 ガキに手を振って、一目散に家まで自転車をこいだ。


 部屋に帰ると赤ん坊のいた部屋でサトミが泣いていた。

「あの子はどこにいったのでしょう?」

「警察に届けてきた。お前、いうことがあるんじゃないのか?」

「一緒に育てたかったのです。あの子がお気に召さなかったのなら、違う子を……」

「ふっざけんな!」

 頭に熱いものがこみあげるのを感じた。俺は怒りと衝動のままにサトミを殴りつけ、けり倒し、あらん限りの罵詈雑言を浴びせかけた。サトミはただただうずくまって「ごめんなさい、許してください」と繰り返すばかりである。


 涙で、顔もそでも濡れそぼっていた。

 その様が不気味で、さらに俺の苛立ちを加速させた。こんな出来損ないの人間もどきに振り回されたと思うと、どんなに暴れても腹の虫が収まらない。

「このくそアマが! 何もかも気持ち悪いんだよ、こんなもの!」

 俺はサトミが育てていたハーブの植木鉢に手を伸ばすと、思い切り頭上に振り上げた。

 鉢を床に叩きつけようとした瞬間、サトミが植木鉢と床の間に身を乗り出してきた。

「だめ。それだけはやめてください」

「バカ、おい……! あっ!」

 ずっしりと重い植木鉢は振り下ろした勢いを止めることができず、鈍い音をたててサトミの頭部にぶつかった。そして踏みつぶしちまったクッキーの残骸のように粉々に砕けて、地面に散らばった。

 サトミは声も上げずふらりと傾き、そのままハーブや鉢の残骸の中に声もあげずに倒れこんだ。

「サトミ! おい! 返事をしろ、サトミ!」


 すうっと頭から血がひいていく。

 さっきまで熱くてどうしようもなかった全身が、氷水をかぶったように冷たくなっていった。

 震える手でサトミを揺すり声をかけ続けるが、彼女は微動だにしなかった。

「嘘だろ、こんなバカなことあるもんか。し、死んで……!」

 どろっと塊のような赤い血液が流れ落ちる。それからサラサラと零れ落ちるように鮮やかな赤があふれだす。

 赤い水たまりから逃げるように、俺は数歩後ずさった。

「おい……返事をしろよサトミ! なぁ!」

 サトミは光の消えた目を大きく見開いて、床の間に横になっている。むせかえるような血のにおいに押されるようにして、戸を閉めて台所に出た。

 タバコに火をつけて深呼吸をする。

 あの様子から察するに、サトミはおそらくすでに死んでいる。

 今から救急車を呼んだって間に合わないだろう。何よりそんなことをすれば俺は殺人未遂や殺人罪に問われかねない。

 ならばどうするか。

 サトミは身寄りがないと言っていた。行方不明になったって、探す奴なんていないだろう。そもそもここにサトミが住んでいたこと自体、だれも知らないはずだ。

 ということは、サトミの遺体をどこかに隠すことができればうまく逃げおおせるんじゃないか。

 それに、あいつは腕からして明らかにおかしい。人じゃないとすれば、人権だってないわけで、どっかに捨てたって死体遺棄にさえならない。

 そうだ、そうに違いない。腹を決めるしかないのだ。

「早いほうがいいな」

 引っ越しの時に使ったでかいキャリーバッグを思い出して、部屋に戻ることにする。気は進まないが、血が流れ続ければ下の階に浸水する可能性だってあるのだ。

 覚悟を決めて部屋の戸を引いた瞬間、俺は信じられない光景を目の当たりにした。


「あら秀明さん。おかえりなさい」

 つい先ほどまで血を流して倒れていたサトミが布団に座っており、こっちを見てにっこりと微笑んでいた。流れ出した血のあとは、いつの間にか消えてしまっている。

「……お前、その、ケガは?」

「ケガ? ああ、私うっかりして植木鉢を割ってしまいましたの。ごめんなさいね、すぐに片付けますから」

 サトミが床に散らばった植木鉢の破片と土を片付け始めた。植木鉢が砕けていることが、さっき起きたことは夢じゃないのだと俺に教えてくるようであった。

 だけど、夢じゃなかったのなら……。


 ――なんでサトミは無傷なんだ?

 ――どうして平然として笑っていられるんだ?


 あんなに血を流して、目を見開いてまばたきすらしていなかったのに。

 どうして、どうしてどうしてどうして……。

 サトミが植木鉢の残骸を抱えて台所に向かう。俺は飛びのくようにしてよけて、その後ろ姿に目をやった。パックリと、裂けた頭部の傷が、少しずつ揺れる黒髪のなかに消えていく。

「やっぱりあいつ、人間じゃない……」

 その場にへたり込んでしまった俺を振り返り、サトミが口角を吊り上げるようにして微笑んだ。

「ずっと一緒にいましょうね、秀明さん。大好き」

 遠くで朝を知らせる雀の声がした。俺は震える身体に手を当てて、サトミの背中をこわごわと見上げることしかできなかった。




 それからもサトミの生活は変わらなかった。

 朝起きて満員電車に乗り、財布の窃盗を繰り返す。帰りはきままに自分の欲しいものを盗んで歩く。家のなかはすでに盗品で溢れかえっていた。

「もうすぐ百万たまるのか。よし……」

 俺はサトミが集めてくる金を毎日数えては、こっそりと新しく住む場所を探していた。無職の人間に良い顔をする不動産屋はなかったが、札束を見せつけて求職中だといえばだいたいのところは渋々頷いた。

 夕方から夜は地獄のようだった。

 身体中がゾワゾワとして身の置き所がなくなるようになるのだ。日に日にその衝動は強くなっていった。日が傾いていくたびに、自分のなかに黒い影が入り込んでくるような気持ちの悪さがある。

 吐き気と冷や汗を伴う不調は日が沈むまで続き、夜になればサトミに布団の中へと誘われた。


 いくら美人だといっても、化け物相手になんか……。

 俺自身は拒否したかった。しかしサトミの大きな黒い瞳に見つめられると、俺は抗うことができなくなってしまう。そうしてあいつが腕から流す涙でぐしょぐしょになりながら、地獄のような交合を繰り返した。

 命まで吸い取られるのではないかと思うほどの抱擁は夜明けまで続く。

 全てが終わったときは俺は浅い呼吸を繰り返しながら、ひりつく喉と震える身体を抱えてぶっ倒れてしまう。

「こんな生活とも、もうすぐおさらばだ」

 今日はようやく不動産屋と話がまとまり、物件の確認と書類へのサインをする日だ。俺は顔を思い切り洗って、白いシャツに袖を通した。


 ――袖が、ひどく短く感じられた。


 おかしい。このシャツはスーツ屋できちんと腕の長さを測って選んだものだ。シャツを脱ぎ捨て、手近にあった長袖のパーカーを羽織った。

 やはり、袖が短い。なぜ、どうして……。

「……まさか」

 俺は鏡の前に立ち、愕然とした。

 違う。違うのだ。

 服の袖丈が短くなっているのではない。

 俺の腕が、長くなっているのだ。


 腕が、長く。

 そう、まるでサトミの腕のように――


「嘘だろ……」

 俺の身体が、どうにかなっちまっている。

 サトミに侵食されているかのごとく……。

 急いでキャリーバッグを引っ張り出すと、手当たり次第に自分の服や荷物を詰め込んだ。

 もはや一刻の猶予もない。今すぐサトミから離れなければ、必ずどうにかなってしまう。

 胸苦しいほどの嫌な予感に襲われて部屋を飛び出した。不動産屋にはその場でサインして、今日から住み始めるしかない。不便ではあるが、幸い金だけはある。俺は新居の最寄り駅目指して電車に飛び乗った。

「くそ……」

 どうにも胸がざわついてしかたがない。

 まるで何かにじっと監視されているような視線を感じる。サトミが盗みを働く駅は違う路線であり、間違っても出くわすはずはないのだ。

 いくら自分にそう言い聞かせても、べったりとはりつく視線のような感覚は、消えることなく俺に纏わりついていた。

 新居につくと不動産の担当者が満面の笑みで出迎えた。説明に気のない返事を返し印鑑を押すと「では、これで契約は成立ということで」と言って立ちあがる。

 俺が手で払う仕草をすると、男は慇懃に頭を下げて家を出ていった。


 カーテンすらない窓から空を見上げる。まだ日は高い。

 今日も日が暮れればあの感覚を味わうのだろうかと憂鬱な気持ちがあったが、もうサトミに会うことはないと思うと幾分か気持ちも軽い。

 気晴らしに近所のコンビニまで出て、ビールをしこたま買い込んだ。ふさぎこんでいても仕方がない。あの女と縁を切ることができたのである。今日は祝杯としゃれこもう。

 部屋に戻りビールを取り出すと、まだ明るい外を見ながら思い切り喉を鳴らして飲み込んだ。

「ぷっはぁ! おし、あれこれ考えてても仕方ねぇ、金はあるんだ金は。ははは!」

 札束を手でもてあそびながら、二本三本とビールをあけていく。開放感からか、酒はどんどん進む。いつの間にか酔いのなかでウトウトとまどろみに包まれていた。


 ピンポーン


 俺を浅い眠りから起こしたのは、インターフォンの耳障りな音であった。もう外は暗くなっている。大嫌いになった夕方をやり過ごせたのはラッキーだ。

 それにしても、引っ越し初日になんだっていうんだ。まぁ見当はつく、おそらくテレビの集金かなにかだろう。奴らはハイエナのように入居が決まった住宅をかぎつけては金をせびりにくる最低な連中だ。


 ピンポン ピンポン ピンポン

 ピーンポーン


「うるせぇなぁ……しつこいんだよ」

 インターフォンは一向に鳴りやむ気配がなかった。

 苛立ち半分に起き上がると、ちょっとした好奇心からどんな奴がやってきたのか見てみることにした。魚介類みたいな顔をしたクソ野郎か、干物みたいなババアか。


 ピンポン、ピーンポーン


 足音をしのばせて、そっと玄関のドアにつけられた覗き穴に目を寄せる。


 覗き穴の奥には、真っ黒な世界が広がっていた。

「あれ、誰もいない――」


 ぎょろり。


 穴の向こうの闇が、動いた。

「ひっ!?」

 目だ。目が、のぞき込んでいる。

 一切の光を遮断しちまったような黒く大きな瞳に、見覚えがあった。あの目は――

「……そんな、バカな!」

 膝から崩れ落ちた俺は、あまりの驚きに声を漏らしてしまった。力の入らない足を引きずるようにしてドアから身体を離す。

 インターフォンが止んだ。

 俺は口を手で押さえて呼吸音さえ立てないようにして、ドアを凝視する。


 ドアの向こうに、サトミがいる――。


 カタン、と小さな音がした。

 ドアに取り付けられた郵便受けから、細く長い腕が差し込まれていく。

 ゆっくり、ゆっくりとカギの場所を探るように、白い腕がドアを這いまわる。

 その腕に、無数の目が輝いていた。暗がりのなかで蠢く腕に張り付いた目が、一斉に俺へと視線を向ける。

「あ、ああ……うわぁぁぁ!」


 ――どうしてバレたんだ、在り得ない。絶対に在り得ない。

 ――なぜ、なんでここが……。


 ぞわり、と。腕がうずいた。

 すっかり袖が足りなくなってしまった腕の奥で、何かがピクピクと蠢いている……。

「まさか、そんな……嘘だろう……?」

 震える指先でシャツの袖をまくり、うずく前腕を露出する。

 そこには……黒く、まあるい瞳が輝いていた。

 何度となく見た、サトミの大きな瞳が――


 ガチャリ。


 ドアのカギが開く音が、せまい玄関にこだました。

 扉が開かれる。ゆっくり、ゆっくりと――

 向こう側からあの目が、じいっと俺を見つめていた。


「ずうっと一緒にいましょうね、秀明さん。……大好き」

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