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盗む女:前編

 時計の針が午前三時半をさしていた。

 息をひとつ吐いて大きく伸びをする。古いパイプ椅子がぎしりと悲鳴をあげたが無視して背中を預けた。

「はぁ、暇だな……」

 適当に食い散らかした廃棄弁当をゴミ箱に放り投げ、顔をあげた。


 机の上には監視カメラの映像が画面に四つほど並んでいる。すべてコンビニの中を映しているものだ。

 夜中のコンビニ勤務は退屈だ。

 駅前みたいな繁華街なら事情は変わってくるのだろうが、ここはしけた建売住宅が居並ぶ地区で、夜中に出歩く連中なんていやしない。

 ときどきやってくるのは飲み会帰りの酔っ払いか、会社で酷使されて死体のような顔をしたおっさんどもだけである。ようはここは、都会の片隅の掃きだめなのだ。

 俺は暇を持て余してはスタッフルームとは名ばかりの狭い部屋で飯を食ったり、雑誌を読んだりして時間をつぶしていた。


 深夜のひとり勤務は一般的に嫌がられるらしいが、好き勝手出来るこの空間は大歓迎である。とはいえ、暇なものは暇なのだ。

「募金でもくすねるかな。……おっと」

 俺が善意の募金を寂しい財布にいれてしまおうと腰を浮かせかけた時、監視カメラにひとりの女が映った。

 カメラからでは顔はよくわからないが、濃紺のワンピースに白いカーディガンを着た女だ。この時間帯に見かける人種ではなかった。

「なかなかいい女じゃねーの?」

 椅子に座りなおして、画質の悪い映像に目を凝らしじっくりと女を観察する。

 白いカーディガンに、柔らかな黒髪が揺れていた。まつ毛が長く、目もぱっちりしていて俺好みだ。いますぐ店頭でお出迎えしたいが、カメラのほうが遠慮なく見ることができる気もする。

 カメラなんて女は意識していないだろう。無防備な姿ってのを見るのは悪くなかった。

 俺がくだらないことを考えている間に、女は雑誌コーナーを抜けてカップラーメン置き場を曲がり、文房具コーナーで一瞬立ち止まった。そしてすぐに歩き出す。


 腰のあたりで、何か動いた。


「なんだ?」

 画面に顔を寄せると、女はぐるりと腕を回しているようだ。右手を腰の後ろに持って行って、左側からすっと出す。そして視線で確かめることもせずに後ろ手で消しゴムを掴みポケットにしまった。


 ――手が、長いのか。


 まるで手品でも見せつけられたかのような鮮やかなテクニックに、少しの間俺は目を奪われる。女は消しゴムのことなど特に気にする様子もなく、そのまま飲料コーナーのほうに向かっていた。

「普通、万引きしたらさっさと店を出るだろ。どうすっかな」

 とられたと言っても消しゴムひとつである。万引きとなると警察を呼ばなければならず、いろいろとめんどくさい。

「まてよ……」

 あの女の弱みを握れば何か良い展開に持ち込めるかもしれない。そんな下心が湧き出てきて、俺は椅子の背もたれにかけた制服をはおり店に出た。


「すいません、ちょっと」

 早足に飲料コーナーに向かうと、まだあの女がいた。俺が後ろ姿に声をかけると、女がゆっくりと振り返った。

「なんでしょうか?」

 大きな瞳が、じっと俺を見つめ返す。涼しげに響くやわらかな声がよかった。想像以上の上玉で、俺はニヤけそうになるのをこらえてまじめな顔で言った。

「消しゴム、ポケットにいれましたよね」

「はい、しまいました」

「お話があるんで、奥まで来てもらえます?」

 こくんと頷いた女に悪びれた素振りはない。それどころか、やんわりと微笑んでいた。スタッフルームの椅子に腰かけた女が周りを見渡している。黒髪が風になびくカーテンのように揺れた。


 スタッフルームに女を連れ込み、パイプ椅子に座らせる。

「困るんですよね、万引きとか」

「それは申し訳ありませんでした。ふじわら、さん」

 ポケットから先ほどの消しゴムを取り出すと、女は俺の名札をのぞき込んでぺこりと頭を下げた。

 俺はどうにもその仕草に面食らってしまい、二の句がつげなくなってしまう。万引きをしたやつらってのは大抵シラをきるか平謝りか、タチの悪いので開き直って逆ギレと決まっている。女はそのどれとも様子が違っていた。

 まるで万引きが悪いことと今知ったとでもいわんばかりだ。

「ウチとしては警察を呼ばなきゃいけないんです。いいですか?」

「はぁ、でも、警察は困ります」

「困ると言われてもねぇ」

「だって、あそこに連れていかれると迎えに来る人が必要だと聞きました。私、だれも迎えに来てくれる人がおりません。帰れなくなってしまいます」


 しょんぼりとしたを向く女の顔はあどけない。

 世間知らずなお嬢様か何かだろうか。迎えに来る人間はいないということは、一人暮らしなのだろう。うまくすればこの後……っていう展開も期待できるかもしれない。

 俺は時計に目をやった。あと一時間もすれば勤務も終わる。

「とりあえず、名前を聞いていいかな」

「タハラサトミと申します」

「そう。サトミさんね。ねぇ、このあと時間ある?」

 ダメもとのナンパをやってみたのは、ちょっとしたスケベ心と好奇心、それに暇を持て余した遊びってやつだ。




 夜が明けるころ、俺とサトミは連れたって俺が住んでいるボロアパートにしけこんだ。

 玄関を閉めると、挨拶もそこそこにキスをした。サトミは拒む様子もなくすんなりと俺を受け入れた。服を脱がすのももどかしく、俺は久しぶりの女ってやつを堪能する。それもとびっきりの好みの女をだ。

 サトミは長い手を俺の背中にまわすと、濡れた瞳で俺をみつめて透き通った声をあげる。

 ことが終わってもう一度キスをした時には、俺はすっかりサトミを気に入っていた。

「お前、ここに住めよ」

「はい。秀明さんがそう仰ってくださるなら、喜んで」

 出会ってわずか三日で、俺とサトミは俺の家で同棲する関係になっていた。


 サトミが自分の家から持ってきた手荷物は極端に少なかった。ただ、両手で抱えるようにして植木鉢を持っていた。お気に入りのハーブなのだという。ちょうど求職中だったというサトミは、すすんで二人分の家事をするようになった。

「私、家事やお料理好きですから」

 そう言って笑うサトミが作る料理は実際にうまかったし、細かいことまできちんと行き届いている。だから俺はコンビニ夜勤以外の煩わしいことから解放されて、ごろんと居間で横になることが増えた。

「奇妙な葉っぱだなぁ」

 サトミが持ってきた鉢植えでしげっている、深い緑色をした葉を指先でつつく。ハーブってのはどうにも流行っているらしいが、味さえ悪くなきゃどうでもいい。


 俺は毎日、サトミを抱いた。

 明け方、夜勤から帰ってきたときに抱くことが多いが、休みの日に一日中抱いていたこともある。ただ、奇妙なことにサトミは身体を重ねる際も決して大きめのカーディガンを脱ごうとはしなかった。

「お前さ。ずっとカーディガン着てるの、なんで?」

「腕を見られたくないのです」

 恥ずかしそうにうつむいたサトミの顔を見ていると、しつこく問いただすことができなくなった。サトミは俺がいない間に着替えなども済ませていて、サトミの腕を一度も見たことがない。人より長い腕を気にしているのだろうか。

 腕がちょっと長くたって、気にすることなんてないのに。まあ、やれればどうでもいいか。俺はあくびをひとつして、気だるい身体を布団に横たえた。


「こんなもの、うちにあったっけ?」

 翌日、夜勤からあがり家に帰ると、テーブルに見知らぬ花瓶がおかれていた。サトミが自分の家から持ってきたのだろうか。首を傾げながら冷蔵庫に手を伸ばした。仕事上がりの一杯は格別である。

「おいおい、マジか?」

 冷蔵庫のなかには食材がぎっしりと並んでいた。中にはひとつで数千円する高級な肉もある。俺はサトミにとくに食費などは渡していない。よほど財布に余裕があるのか、それとも俺に気に入られようと奮発しているのか……。

 台所を見回すと、うちにはなかった調理器やが調味料まで増えている。

「おかえりなさい、秀明さん」

「お前、これどうしたんだ?」

 俺が台所に並んでいるものを指さすと、サトミを口角をきゅっとあげて笑った。

「おいしいお料理を作れたら、秀明さんが喜んでくれるかと思って」

「サトミ……愛してるぜ」

 俺はガラにもなく嬉しくなっちまってサトミをぎゅっと抱きしめた。サトミが手に持っていたビニール袋を置いて、俺の背中に腕を回してくる。視界のはしに映ったビニールの中身を見て、俺は声をあげた。

「おい、これ……」

 それは切り取った商品タグであった。本来店で回収するであろう管理タグまで入っている。


 サトミの長い腕。

 監視カメラに映った、あの鮮やかな万引きの手口を思い出す。もしかして、冷蔵庫やテーブルにあったものはすべてサトミが盗んできたものなのではないか?

「どけ!」

 サトミを押しのけて、商品のタグを確認する。

 花瓶、トング、調理器具、園芸用品――

 家の中に新たに増えたものたちの名前をそのまま並べたようなタグに、俺は心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。

 こいつの盗癖は、気の迷いとか魔が差したってもんじゃない、真性だ。

 タグを握って青ざめている俺をサトミが不思議そうに眺めていた。その表情には微塵も罪悪感を覚えている様子はない。

「お前、まだこんなことやってたのか! ふざけんなよ!」

「きゃ」

 思わず手が出ていた。サトミの頬に平手を一発。そしてよろめいたサトミを捕まえるように手を伸ばし、カーディガンの襟首をつかみあげる。

「なんだこれ! お前まだ万引きなんかしてるのか!?」

「ああ、ごめんなさい。怒らないでください、秀明さん」

「なんでこんなことをするんだ!? 答えろよ!」

「悪いことなんですか? これは悪いことなんですね? 秀明さんが怒った。悪いことなんですね?」

「当たり前だろ! そんなこともわかんないのか!」


 なんなんだ、こいつは。

 あの時もそうだった、盗むことをなんとも思っていない。


 もしかしたら、こいつは昔から親に万引きでも教え込まれていたのではないか。それなら金回りに無頓着なことにも説明がつく。なにせ、あの手際のよさなのだ。困ったらモノを盗めばいいくらいに考えているのかもしれない。

「とにかく、もうこんなことはやめろ!」

 言い捨てて、思い切りカーディガンを引っ張った。その拍子に、びりりと音を立ててカーディガンが裂ける。襟首から肩口にかけて、白い肌があらわになった。

「いや」

 肩を抱いて肌を隠すサトミの様子が扇情的で、俺はさっきまでと違う昂りを感じていた。「こい!」と無理やり手を引いてサトミを寝室に押し倒す。抵抗するのを無視してカーディガンを破り捨てる。

「だめです、それだけはダメ」

「うるせぇ! おとなしくしろ」

 いつも従順なサトミが激しく抵抗した。構わず俺はカーディガンを袖口まで破り捨てた。

 そこに、光があった――。

 暗い寝室のなかでぼんやりと輝く、無数の光が。

「光ってる? なんだ……?」

「いけません。やめてください」


 手で触れる。

 瞬間、サトミの腕から光が消えた。


 手のひらに、チクチクと短い毛にあたるような感触が無数に広がっていた。俺はカーテンに手をかけた。

「やめて」

 サトミの声をかき消すように、思い切りカーテンを引いた。

 大粒の涙を流すサトミ。

 その腕が、びっしょりと濡れていた。

 どうして、腕が濡れているのか。夜明けの薄あかりがサトミの姿を映し出す。

 布団のうえで身体を抱くようにして震えているサトミ。



 ――その腕に、びっしりと……。

 ――無数の目が、ひしめいていた。



「う、うわあぁぁ!? なんだよこれ!?」

 なぜ、腕に目が――。

 驚くよりも一瞬先に頭をよぎったのは、そんな当たり前の疑問だったように思う。俺は震えて腰を抜かし、しりもちをついた。

「お、お前、その腕……!」

「うう……うううっ……」

 腕をかき抱くようにして、サトミが泣いていた。腕からも、とめどなく涙があふれる。まばたきをするたびに、薄闇の中に無数の光が点滅を繰り返す。


 影の中を這いまわる、腕にひろがる無数の目、目、目――。


 俺は化け物とか妖怪とか、心霊みたいなものは一度だって信じたことはない。

 だが、今目の前でうずくまって泣いている女の腕には確かに、存在しないはずのものが在るのであった。

 俺は力の入らない足で、腰砕けのまま必死に後ずさった。本当なら走って逃げだしてしまいたかったが、身体が震えてどうにもならないのだ。

「秀明さん……」

 耳になじんだサトミの声が、まるで違うもののように響く。

 顔中を涙で濡らしながら俺を見つめるサトミの顔と瞳は、まさにこの世のものとは思えないほどに魅惑的だった。

「サトミ……お前……なんなんだよぉ!」

「秀明さん、私は私です……。あなたが愛してると言ってくださった、サトミです」

 か細い、消え入りそうな泣き声。

 腕に生えた目からもとめどなく涙が流れ、布団はすでにぐしょぐしょだった。雨に打たれたようなサトミは、ただただ妖艶なまま美しい。

「秀明さん……」

 サトミの大きな瞳にに魅入られるようにして、恐る恐る手を伸ばす。その手を、サトミの小さな手のひらが握った。


 もう一度、目が合う。黒い瞳。


 サトミが瞬きをするたびに、心の中のなにかが吸い込まれてしまいそうだった。

「サトミ……」

 俺の中で暴れている恐怖を、何かが無理やり塗りつぶしていく。

 あの目を見ると俺はどうにかなってしまうのではないか。苦しそうに泣きじゃくるサトミが愛しく思えてしょうがなかった。

 俺はろくでなしだ。だからこそ、知っている。

 不幸が似合う女とか、暴力を呼んでしまう女っていうのは存在する。涙を流す姿が妙にそそったり、悲しむ顔を色っぽかったり。

 こいつは、俺が見てきた中でもとびきりの不幸が似合う女なのかもしれない。

 涙で濡れた顔で、サトミが俺をじっと見つめている。

「秀明さん」

 サトミの手が伸びてくる。

 蠱惑的な目に操られるように、俺はサトミを押し倒した。サトミは涙で濡れた両腕を俺の全身に這わせながら、俺のしたで声を上げ続ける。

 太陽が空の真ん中に来るまで俺たちはずっと抱きしめ合い、お互いをむさぼり合った。




 結局俺は、サトミの腕を受け入れて彼女と生活をともにしていた。

 だって勿体無いだろう。サトミはイイ女で、家のこともすべてやってくれて夜の相性も悪くない、いや絶品だった。

 彼女の出生や家族に関しては聞いてみたこともあるが、サトミは「なんにもわからないんです」とだけいって寂しそうに微笑んだ。

 俺としては、それなら面倒くさいことは起きないだろうってことで良しとした。こんな腕を持って生まれてきて、小さなころに捨てられた可能性もある。あまり追求しないほうがいいと思ったのだ。

「サトミ、来いよ」

 サトミを抱きしめる。

 抱きたいときに抱いて、放っておけば家事をこなしてくれる便利な女。それだけで十分だった。腕のことがある分、囲い込むのも簡単かもしれない。


 サトミも、次第に俺の前で腕を隠すことはなくなっていった。

 植木鉢に腕から涙を与えているのを見たときはゾッとしたが、あの悲しそうな目で見つめられるといつの間にか恐れも不安もどこかに消えてしまっていた。不思議と、ハーブの入った食材も気にならない自分がいた。

 家に置いておくには文句のない女だ。

 ただひとつ、相変わらずの盗癖さえ除けば……。

「また盗んできたのか、この馬鹿野郎!」

「秀明さん、ごめんなさい」

「殴るほうの手だって痛いんだぞ! 感謝しろ!」

 俺はサトミが何か盗んでくるたびに暴力をふるった。言葉でいいきかせても無駄だと悟ったのだ。こいつに必要なのは説得ではなくしつけなのだろう。

 あの腕からして、サトミはどこにも行けないだろう。そう思うと俺の暴力も次第にエスカレートしていった。

 

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