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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

SF短編

僕と僕の性質

作者: 8D

 前に出版社へ投稿した話。

 その関係で長めの短編になっています。

 僕はゲームクリエイターという職業に就いていた。

 ゲームクリエイターと一言に言っても、ゲームを作るために必要な才能は一つじゃない。

 グラフィック、シナリオ、BGM、システム、各種デザイン等々。

 一つのゲームを完成させるには色々な人間の力が必要であり、一人で作る事はとても難しい。

 でも、僕の生きる今の時代ではいくらか事情が変わっていた。

 ある画期的な発明がなされたからだ。

 その発明は、イメージクリエイターという名の装置。

 頭に装着する円環状の装置で、コードで繋がった出力機に自分のイメージを送る事ができるという代物だ。

 出力されたイメージは、データとしてできあがる。つまり、自分の考えにある通りの物がゲームとして出来上がるのだ。

 だから、今の世では想像力があれば一人でも簡単にゲームを作る事ができる。

 ゲームだけじゃなく、小説も漫画も絵画もアニメーションも、想像力から生まれる作品なら何でも簡単に作れるようになっている。

 一人の力で、一つの作品を完成させられる。

 製品として売るには細かな調整作業も必要になってくるが、それでも前時代に比べてとても早く作品が出来上がる。

 それが現在の技術。

 これはそんな世の中の話。

 そしてこの話には一つの事実がある。

 僕は白かったんだって事。


                       ☆☆☆


 僕は自室のベッドの上で、仰向けになっていた。

 それもただ転がっているだけじゃない。

 僕の手足は、パイプベッドのパイプにビニール紐でくくられ、身動きできない状態にされていた。

 細い紐だけれど思っていたよりも丈夫で、手足にいくら力を込めても千切れそうになかった。

 口には猿轡をされて、今の僕にはくぐもった唸り声を出すぐらいしかできない。

 はたから見れば、とてつもなく窮屈な有様だった。

 主観的に見ても窮屈だ。


 天井に向けていた視線を横にずらすと、一人の少女がいた。

 床に胡坐をかいて座っている。

 彼女はライスボールを食べていた。

 彼女の前には缶詰やパンなどの雑多な食品類が置かれている。

 その食品類のラインナップには見覚えがあった。

 全部この家にあった物に違いない。

 冷蔵庫やキッチンの棚を漁って、僕が買い置いていた物を見つけ出してきたのだろう。

 そして彼女こそ、僕をベッドに縛り付けた張本人だった。


 少女は手に付いた米粒をペロリと舐め取ると、僕の視線に気付いてにやにやと笑い返した。

 なにやら下品な印象の笑い方だが、それを作る元の顔は童顔で愛らしさすら覚える。

 僕がこうなってしまった経緯は、そんな彼女に家の前で声をかけられたのが発端だった。




 仕事帰り、手がけていた仕事が片付いたので、僕はいつもより早く帰宅した。

 マンションに着いてエレベーターに乗ると、もう一人乗ってきた。

 小柄な女の子で、フードの付いたコートを着ていた。彼女はフードを目深にかぶり、その顔はよく見えなかった。

 やがてエレベーターが自宅のある階に着き、僕は降りた。

 彼女も同じ階で一緒に降りる。

 部屋の鍵を開けた時、僕は声をかけられた。


「すみません。この部屋の方ですか?」


 見ると先ほどの少女だった。エレベーターからついてきたのだろう。


「そうだけど」


 答えると、彼女は笑った。


「じゃあ、中に案内してよ」


 彼女はコートのポケットからナイフを取り出して言った。

 自分よりも小さな女の子を相手に、情けない話だけど僕はおとなしく従う事しかできなかった。

 抵抗すれば何とかなったかもしれないけれど、もしこのナイフが僕の体を切り裂いたらと思えば恐ろしかった。

 その想像の中だけの痛みに僕は屈した。

 そして彼女に脅されるまま、僕は自分のベッドに縛り付けられてしまったというわけだ。




 部屋に入り、コートを脱いだ彼女を見て僕は驚いた。

 今の彼女はタンクトップとホットパンツという、ラフな格好をしていた。

 タンクトップからのぞく首筋は、太陽を嫌う吸血鬼のように白い。

 彼女の両手足もあらわになっている。

 その大胆さも戸惑うべきものだけど、僕が驚いたのは彼女がさらす両手足の異質さだった。

 彼女の両手足は真っ黒だった。

 それだけでなく、そもそもの作りからして人間の物とは違っている。


 黒い手足の表面はつやつやとしていて、照明の光を照り返すその黒は人間の皮膚ではありえない光沢だ。

 関節は球体関節を思わせる作りで、まるで人形の手足に見えた。

 それは合成樹脂の皮膚で覆われた、義手と義足だった。


「この手足がめずらしい?」


 彼女は僕の考えている事を察し、訊ねてきた。

 容姿に見合う可愛らしい声だった。

 僕をこのような目に合わせておいて、彼女の声にはまるで悪びれた様子が無い。


「そうだよね。黒い義体をつけられる人間は、滅多にいないからね。いいでしょう?」


 自慢げに彼女は言う。彼女は無邪気な様子で、褒めてほしそうに見えた。

 そこで彼女は、僕が答えない事に不満を覚えたらしい。

 一瞬、ムッと顔をしかめてから、僕の口に噛ませた猿轡を解いた。その表情が再び笑みに変わる。


「……君は、極刑罪人なのか?」


 僕は開口早々に訊ね返した。

 彼女は義手義足の感想を期待していたのだろうけど、その質問にも満足したらしい。

 先程よりも笑みを深めた。


「そうだよ」


 彼女は言う。

 その態度は軽く、自分の立場に後ろめたさを感じていないふうだ。

 表情にあどけなさを残す少女。

 そんな彼女の顔に、心当たりがあった。今のやりとりで、それを思い出す。


 あれは何年前だったか、あるセンセーショナルな凶悪犯罪があった。

 それはありふれた連続殺人事件ではあったけれど、その犯人があまりにも幼かったために一時期ニュースで連日報道されていた。

 犯人が僕と同じ年齢だった事もあって、当時子供だった僕もそのニュースを覚えている。

 その時に見た少女の写真と、今僕の前にいる少女の面影が重なった。


「フランチェスカ・ダリル?」


 僕は、犯人の少女の名前を口にしていた。


「へぇ、僕の名前を知っているんだ」


 彼女は僕の質問を肯定する代わり、嬉しそうに笑った。


「君は極禁錮刑に処されているはずだ」


 極禁錮刑は、生涯に渡って日の当たらない施設に監禁される刑だ。

 今のこの国の法律では死刑が廃止され、極刑とされた犯罪者はこの極禁固刑を科せられる。

 しかし極禁錮刑は、ただ閉じ込められるだけという物じゃない。彼女の手足を見ればわかるように、体の自由を奪われて閉じ込められる。

 彼女の場合は少年法の適応もあって手足を切り落とされるだけだったが、本来ならば脳だけで生命維持装置につながれ、刑に服する事となっている。

 彼女の黒い義体は、極刑罪人に用いられるものだった。

 義体と切断された四肢の断面を繋ぐ部分には、金属のアタッチメントが埋め込まれている。そのアタッチメントは少し特殊で、一般の義手と違って黒い義手にしか合わない作りとなっていた。

 だから、罪人の証として機能する。


「出てきたんだよ」

「そんな馬鹿な。あそこはこの国で一番厳しい警備を敷かれているはずだ。逃げられるはずがない」

「一人じゃ無理だったよ。でも、僕を逃してくれる親切な人が世の中にはいたわけだ」


 連続殺人犯である彼女を脱獄させるとは、なんて迷惑な親切心だろう。


「その親切な人たちも、もういないけどね。だって、僕が殺してしまったから」

「そんな、どうやって?」


 極禁固刑の義体は、一般のものより大分と弱く作られている。材質も脆く、出せる力も弱い。

 それでどうやって人を殺したのか? 殺した理由よりも、そちらに疑問が沸いた。

 一端のクリエイターとしての好奇心だ。

 すると、彼女は先ほど僕を脅したナイフを取り出して見せた。


「この手足がどれだけひ弱でも、ナイフ一本を持ち上げられないほどじゃない。人間は、刃を首に這わせれば死ぬんだ。それで十分に事足りるよ」


 そういえば、この少女は子供の時から人を殺し慣れているんだ。

 自分より大きく、力の強い大人を相手にして、何人も何人も殺してきたんだ。

 彼女にそういう芸当ができてもおかしくはない。


「ま、そんな感じ……ふぁ〜〜」


 彼女は大きなあくびをした。

 全身の筋肉を張るように腕を上に伸ばし、体を弛緩させるのと同時にコテンと転がった。


「僕をこのままにして寝るつもりなのか?」

 それは困る。

 通報される事を警戒しているのだろうけど、このままでは持ち帰った仕事を片付けられない。

 それにこんな、体を縛られた窮屈な体勢で眠れば、朝には体中が痛くなってしまいそうだ。

 でも、返答はなかった。代わりに、彼女の口からは寝息が漏れていた。

 なんて寝つきのいい子だろう。

 僕はしばらく彼女に声をかけていたが、無駄だと知って黙った。

 眠れるかな? と心配しながら目を閉じていると、僕はいつの間にか眠っていた。


                      ☆☆☆


 僕は夢を見ている。

 幼い頃の幸せで優しい記憶だ。

 優しい母。

 強面で無愛想な父。

 僕の事をとても大事にしてくれた二人。そんな二人とピクニックにいった時の夢だ。

 母の作ったサンドイッチが美味しくて、父の肩の上から見える景色は高く遠かった。

 とても楽しくて、幸せで……。

 僕はとても愛されていた。

 そして父と母もまた強い愛情で繋がっていて、僕はそんな二人の関係に憧れを持っていた。

 そんな夢だ。


                      ★★★


 僕は夢を見ていた。

 今、目を覚ますまでは……。

 夢は、寝ている時に脳が勝手にする考え事らしい。その考え事の最中に起きると、記憶として残る。それが夢なのだという。

 だから、夢は必ず途中で終わってしまう。

 最後まで見る事はできないのだ。最後まで見てしまえば、記憶にすら残らない。無意識の考え事だ。


 君は今、どんな夢を見ているのかな?


 僕はベッドで眠る男に目を向けた。

 金髪の男。身長は高いけれど、ひょろりと細い印象がある。

 眉毛の外側が少し下りた顔は、どこか情けなさがあった。優しそうと言い換える事もできる。

 今は閉じられている瞳は開けば鮮やかな青を見せる。当たり前だけど、瞳孔は黒い。

 名前はアルバート・ライン。

 恐らく、クリエイター。

 何を専門にしているのかわからないけど、部屋にエキスパート用のイメージクリエイターがあるので間違いないだろう。

 僕はイメージクリエイターを外して手に取った。

 彼の容姿は、僕にとって好みだった。

 内面がどうなのかわからないけれど、この際はどうでもいい。

 僕を愛してくれるよう、僕色に染めてしまえばいいんだから。

 その時は、僕も心置きなく愛してあげられる。


                      ☆☆☆


 朝起きると、僕の体を縛っていた拘束が解かれていた。


 彼女は出て行ったのだろうか?


 と思ってリビングに行くと、彼女はソファーでテレビを見ながらカップラーメンをすすっていた。


「おはよう」


 僕の気配に気付いたのか、彼女は後ろを見る事もせず、背中を向けたまま挨拶した。


「……おはよう」


 少し戸惑ったけれど、僕も挨拶を返す。

 彼女が見ているのは朝のニュース番組で、昨夜起こった事件などを報道していた。


「どうして僕を解放してくれたの?」

「しばらく泊めてもらおうと思ってさ。なら、信頼関係は大事でしょう?」

「僕が外に助けを呼びに行くとは思わない? 電話で警察に通報するとか」

「僕ならそんな事はしない。だから、君だってしないさ」


 どこからその自信が出てくるのだろう?


 でも、彼女の言う事はもっともだ。

 僕は彼女に興味がある。

 クリエイターとして、希代の連続殺人者と身近に接するという事は得がたい機会だ。

 僕に危害を加える様子も今の所はないのだし、もう少し様子を見ていたい。

 僕は食パンを食べる事にした。

 トースターで焼いて、ピーナツクリームをたっぷりと塗る。

 それをかじりながら、僕は彼女の隣に座って一緒にテレビを見た。

 昨夜、縛られて彼女の正体を知った時はとても恐ろしく思えたけれど、どうしてか一晩過ぎると怖気が消えていた。

 彼女の隣に座っても抵抗感はなく、余裕すら持てる。


「ところで、紅茶はないのかい?」


 彼女は訊ねる。テーブルの上にある彼女のマグカップには、白湯が満たされていた。


「コーヒーがあるじゃないか」

「コーヒーは嫌いだ」

「僕は紅茶が嫌いだ」


 適当なやりとりを交わしながらテレビを見ていると、ほどなくしてニュース番組が終わった。

 ふと、疑問が沸く。


「ねぇ、君は本当にフランチェスカ・ダリルなの?」

「どうしてそう思うんだい?」

「だって、君の名前が出なかったから」


 僕がそんな質問をしたのは、ニュース番組でフランチェスカ・ダリルの名前が一度もでなかったからだ。

 脱獄してきたと言うが、極禁錮刑務所で脱獄があったなど一言も報道されなかった。

 そもそも、やはりこの国一番の警備体制を破ったという話は疑わしい。

 もしかしたら彼女は、自分をフランチェスカ・ダリルだと勘違いしている、妄想癖のあるただの少女なんじゃないだろうか? という考えが浮かぶ。


 彼女は僕の質問に考える素振りを見せ、程なくして答えを返した。


「極刑罪人が脱獄したと知れれば、民衆の不安をあおる事になる。最高のセキュリティが破られたという事実も不安をあおるだろうし、後、それをしたのがテロリストであるというのも不安だ。囚人が皆殺しにあったという事実も不安をかきたてる」


 不安と口にするたび、彼女は指折り数えていく。


「そしてそれらは刑務所の管理を任せられる警察機関にとって、とんでもない不祥事に繋がる」


 だから、公表されない。というのが、彼女の見解だった。

 一応の納得はできる。でも、それ以上に彼女が言った別の事柄の方が気になった。


「テロリスト? それに、囚人が皆殺しにされたって……」

「僕を逃そうとしてくれた親切な人たちは、僕を利用しようとしたテロリストだったんだよ。囚人は僕が殺した。可哀相だったしね」

「どうして可哀相なのかよくわからないけれど。だから殺すというのもおかしい話じゃないか」

「可哀相だろ? 感覚器官の全部を剥奪されて、脳みそだけが生命維持装置で生かされている状態なんて。退屈で気が狂っちゃうよ。代わりの体が用意できないなら、殺して退屈を終わらせてあげるのが愛情じゃない」


 彼女の言い分に、納得しそうになる。

 一瞬、それはとても真っ当な理屈に思えた。

 彼女があまりにも堂々と言ったから勢いに呑まれたのだ。そうに違いない。

 でなければ、僕がそんな事を思うはずがない。


                      ☆☆☆


 出勤する僕を、フランチェスカ・ダリルは快く見送った。

 僕が彼女の事を通報しないと、信じて疑わない様子だった。

 僕が通報しないと決めたのは彼女に興味があったからだけど、それとは別に彼女の信頼には応えてあげなければならない気もした。

 職場で、僕は昨日仕上げるはずだった作品に取りかかった。


「あれ? 昨日の帰る時に、明日までには完成するって言ってませんでした?」


 自分のデスクで仕事をしていると、声をかけられた。

 振り返ると、同僚のキャロルが出力機のモニターに映し出された映像に目をやっていた。

 キャロルは、栗色の巻き毛が特徴的な童顔の女性だ。

 話していると、十代の女の子と一緒にいる気がしてくる。

 これで僕より年上なのだから、びっくりだ。


「ちょっとね。昨日はそれどころじゃなかったんだ」

「あ、わかりましたよ。女の子と一緒だったんでしょ?」


 図星だったので、内心動揺する。

 キャロルは魅力的な女性だ。

 顔は子供っぽさを残しているが、成人女性として身体つきが優れている。

 そんな彼女に、僕はかすかな恋心を持っていた。


「でも、本当にあとは微調整ぐらいだから、すぐに完成するよ」


 誤魔化すように答える。


「あら、それは嬉しい。私、あなたの作るゲームのファンですからね。是非、デバックはさせてくださいね。他のファンが配信を待ちわびる中、誰より先にプレイできる優越感を味わいたいの」


 冗談めかして彼女は笑った。


「趣味が悪いよ」


 僕も軽く笑い返した。

 デバックはゲームの出来を確かめるためにプレイするもので、プログラムを組む必要の無いイメージクリエイター製のゲームには必要の無い事だ。

 それでも彼女がデバックしたがるのは、それだけ僕のゲームを好いてくれているからだろう。

 決して、僕を好いてくれているわけじゃないだろうけど。


「あなたの作るゲームは、とても居心地がいいの。きっと、心が優しいからね」


 居心地がいいという言葉は、かつてのゲームに贈られる感想ではなかっただろう。

 しかし、イメージクリエイターで作られた作品は、ゲームだけでなく数多の分野において同じ感想を得ている。

 イメージクリエイターで作られた作品は、ディスプレイやスピーカーから目や耳で見聞きするのではない。

 テレビやオーディオ機器の需要が減った今の時代では、そういう感覚器を使った視聴方法は前時代的とも言える。

 例外といえば、僕のデスクにあるテスト用のモニターぐらいだ。

 イメージクリエイターによる創作は、どうしても主観的なイメージが入りやすいため、モニターによる客観的な視点が必要になってくるのだ。

 イメージクリエイターには対になる受信装置があり、それは同じく円環の装置を頭に装着して使う機械だ。

 その装置はイメージクリエイターの作品を受信し、機械を通して直接脳に情報を送る仕組みとなっている。

 つまり、見たり聞いたりしなくても、場面が頭の中に浮かび、音楽が頭の中に響くのだ。

 それだけでなく、五感全てで作品を楽しめる。

 イメージの中の物を味わい、匂いを嗅ぎ、触る事だってできる。

 彼女が居心地いいと言ったのは、本当に作品の中へ入った気分になれるからだ。

 装置はネットワークを介して送受信でき、ネットワークの範囲内ならばどこでも作品をダウンロードできる。


 そんな便利な装置であるが、イメージクリエイターには欠陥もあった。

 考えをそのまま形にできるという事は、作者の性格や思想が強く作品に入り込んでしまうという事だ。

 だから作者自身の人間性が問われるようになり、イメージクリエイターに転向する事で人気を失った製作者は多い。

 一般的に穏やかで優しい人間が作る物の方がいい作品と言われている。

 例外が無いとは言えないが……。


 今は解決されたが、こんな欠陥もあった。

 イメージクリエイターによって脳に直接情報を送られる事で、プレイヤーはすんなりと作品の世界観に入り込む事ができる。

 自分のアバターとなる主人公の心情などが、本当に自分の感情のように湧きあがってくるという作品もある。

 すると、プレイヤーはいつしか作者や主人公の感情を自分の感情と取り違えるようになる。

 そのせいで、突如軍国主義に目覚める若者が急増し、クーデター寸前にまで発展した事件があった。

 悪魔が成り代っているのだ、と信じ込んで自分の母親を殺した少年もいた。

 悪党に生きている価値は無いという価値観を植えつけられ、徒党を組んでマフィアのたまり場を襲撃した小学生などもいた。

 今はリミッターが働いているが、そういう事例が最初期には頻発したのである。


 ゲームが仕上がると、僕は上司に報告した。

 上司のチェックを受けて、僕の今日の仕事は終わりだ。

 まだ昼過ぎだけれど、僕は帰途に就いた。


                      ★★★


 僕はカーテンの影に隠れて、窓越しに外をうかがった。

 地上を見下ろすと、マンションの玄関がある。

 その玄関を一人の男が眺めていた。

 恐らく、その男は僕をさがしている人間。

 警察かテロリストか、そのどちらかだろう。

 それなりに注意を払っていたけれど、僕がここに入って行く所を誰かに見られていたのかもしれない。

 ああいうふうにいられると鬱陶しい。


 殺してしまおうか?


 いや、あんな見ず知らずの人間を殺したくない。

 僕は窓から離れ、ソファーに寝そべった。


                      ☆☆☆


 その日、僕とフランチェスカ・ダリルはずっと一緒にいた。

 僕の仕事が休みだったからだ。

 僕としては少しばかり外へ出かけたいとも思っていたのだけど、その旨を告げるとフランチェスカ・ダリルは口をへの字に曲げて不満そうな顔をした。

 いつもは何がなくとも楽しそうなのに、こんな顔をするのは珍しい。

 訳があって外に出られない人間を前に出かけると言ったのだから、こんな顔をされるのも当然かもしれない。

 彼女を置いて出かけるのは悪い気がしてきて、僕も一日家の中にいる事にした。


 そうして朝からずっとソファーに並んで座り、思い思いに好きな事をした。

 彼女は寝室に置いてある僕の蔵書から、推理小説を持ってきて読んでいる。

 本というものは、今の時代になってもなくならない稀有な媒体だった。

 もちろん、イメージクリエイターにも書籍のデータは入っている。

 でも、紙の本とイメージクリエイターの本は趣が違う。

 イメージクリエイターの本は読むものではなく、脳に直接内容を流し込むようなものだ。

 それは一瞬で終わり、終われば本の内容が頭の中に残っている。

 時間を惜しむ人間や能動媒体に抵抗感を持つ人間には都合の良い代物かもしれないが、読書そのものを楽しみたい人間には不評だ。

 暇つぶしになるし、脳の運動にもなるから僕は紙の本が好きだった。


 僕は本を読む彼女の横で、イメージクリエイターを使って映画を見ていた。

 映画には自分が主人公になるタイプとあくまでも傍観者のポジションから眺めるタイプのものがある。

 僕が見ているのは後者だ。

 でも、前時代的な平面映画とは違って、見える風景は体感できた。

 視点は自在に変えられて、主人公の後ろからでも、真正面からでも内容を楽しめる。

 物を動かす事はできないけれど、触って感触を確かめる事もできる。

 僕の目の前では二人の男女が、愛の言葉を交し合っていた。

 クライマックスで、苦難を乗越えた二人は今、強く結ばれようとしていた。

 二人は一つになろうとするように抱き合い、情熱的な口付けを交し合った。

 溜息が出た。

 その溜息は憧れと、羨ましさからだ。


 僕にはささやかな夢がある。

 僕の持っている映画に、恋愛物が多いのはそうしたものに強い憧れがあるからだ。

 体だけでなく、魂から繋がり合う様な恋愛。そういうものに憧れる。

 互いの姿しか見えなくなるような、視野狭窄な恋愛がしたかった。

 そしてゆくゆくはそんな人と結婚して、幸せな家庭を作りたいのだ。

 スタッフロールが流れる中で、僕は妄想に耽る。

 映画のラストみたいに恋人と抱き合う僕。

 その相手はキャロルの顔をしていた。

 スタッフロールが終わって、僕は目を開けた。イメージクリエイターを外す。


「君はあんなのが好きなんだね」


 隣から声がかかる。

 見ると同じくイメージクリエイターを着けたフランチェスカ・ダリルの姿があった。

 途中から、一緒に見ていたようだ。


「いい話だろ?」

「僕には理解できないなぁ」


 彼女は苦笑する。


「僕の憧れだ。僕はこんな素敵な恋愛がしたいんだ」

「素敵な恋愛、か。それは僕も同感だ」


 意外だった。快楽殺人者にもそういうありふれた感情があるらしい。


「ふむ」


 一つ唸ると、彼女はおもむろに僕の方に四つん這いで近づいてきた。

 何をするのかと思っていたら、彼女は僕の膝に座った。

 顔を向き合わせるように、僕の膝を跨ぐようにして……。

 顔が近付いてくる。

 ドキドキした。


「君はこういうのが好きなんだろ?」


 驚くほど近い場所にフランチェスカ・ダリルの顔がある。

 そのまま唇が触れるかと思った。

 けれど、彼女はそのまま僕の肩の方に顔を持っていった。

 僕の胸と彼女の胸が合わさる。

 彼女はびっくりするぐらいに体の凹凸がない。実にフラットだ。

 けれど、薄い胸なのに男の胸とは感触が違う。とても柔らかかった。

 僕の胸の中に女の子がいる。そう思うと興奮して胸の鼓動が早くなっていく。

 でも、同時に気付いた。

 彼女の胸は全く高鳴っていなかった。

 僕が感じた彼女の鼓動は僕とは比べようもなく緩やかで、平常通りのようだった。

 彼女は、いろんな意味で僕と違う生き物なんだな。と実感する。


「こんな事で興奮するなんて、変わってるなぁ」


 不思議そうな表情、不思議そうな声音で彼女は言った。


「それは君の方だと思う」


 僕は返した。


                      ☆☆☆


「おかえり」


 仕事から帰ると、フランチェスカ・ダリルが玄関で僕を出迎えた。


「ただいま」


 僕は言葉を返す。

 可愛らしい女の子が僕の家で、僕を出迎えてくれる。

 夢のあるシチュエーションだけれど、その正体が恐ろしい連続殺人犯だというのは複雑だ。

 スーツを脱いでシャツを洗濯機に放り込む。

 普段着に着替えてソファに座ると、フランチェスカ・ダリルが隣に座った。

 その手には、カップラーメンが持たれていた。


「……そういえば聞いていなかったけれど」


 しばらくくつろいでから、僕は彼女にそう切り出した。

 訊ねるのは、気になっていた事だ。


「どうして、テロリストは君を脱獄させたんだい?」


 まさか彼女が最初に言ったように親切心から脱獄させたわけじゃないだろうし、彼女はテロリストが自分の利用を考えていたとも言っていた。

 どういうふうに利用しようとしていたのか。僕にはそれが気になっていた。

 彼女は僕に顔を向けて答えてくれる。


「イメージクリエイターには欠陥がある。作者の思想を受信者がダイレクトに受け取ってしまうという欠陥だ。今のイメージクリエイターは、主観抑制リミッターをつける事でその欠陥をカバーしている」


 そこまで言って、彼女は言葉を切った。

 麺をフォークにまきつけて、ずるずるとすする。

 口の中身を嚥下してから、彼女は言葉の続きを口にした。


「テロリストは、僕に作品を作らせようとしていたんだよ。リミッターを解除するウイルスを添えて、世界中へ送信するために」


 淡白に答えられたそれは、その実とても恐ろしい計画だった。

 そんな事をすればどうなるのか、僕にはすぐ思い当たった。


 希代の連続殺人者の作る作品。

 リミッターがない状態でそれを体験すれば、彼女の思想が受信者に刷り込まれる。

 すると、彼女と同じ考え方の快楽殺人者が世界中で一斉に誕生するのだ。

 世界中の人間が、感情の赴くままに人を殺すようになる。


 イメージクリエイターは世界に普及し尽くしている。どんな立場の人間も、子供も大人も分け隔てなく持っているものだ。

 計画が実行されれば、混乱どころの騒ぎではないだろう。


「危険な計画だ。君がテロリストから逃げ出してくれてよかった」


 僕は心から安堵して、溜息を吐いた。


「そのために、僕がそのテロリストを殺していても? 手放しで喜べる?」


 彼女の言葉は僕を試すようだった。

 正直に言うと、僕は彼女に言われるまでテロリストの末路に興味がなかった。

 人間の死を悼まないのは非情な人間のする事だ。

 僕は自分が非情な人間だと思われたくなくて、咄嗟に言いつくろおうとした。

 でも、彼女に言われてもまだ、まったく悼む気持ちが生まれない自分に気付いた。


「わからない」


 僕は素直に思った事を答えた。その答えに満足したのだろう。フランチェスカ・ダリルは優しく笑んだ。

 年相応の少女が、恋人に向けるような笑みだった。


                      ★★★


 ある日の事だ。


「君はどうして人を殺したいと思ったの?」


 彼は僕に訊ねた。

 そう訊ねられて、僕は嬉しかった。


 彼は、どうして殺したいのか? と訊ねた。

 それは彼が僕の性質を理解しているからだ。


 どうして殺そうと思ったのか?

 どうして殺したのか?

 ではなく、

 どうして殺したいのか? と問うて来たのだから。


 そう、僕にとってそれは「したい」事なんだ。


「そうだな。僕にとって、殺しは自分の感情を表現する手段だからだよ」


 所詮、殺人なんてものは手段だ。

 相手が邪魔になり、相手が憎くて、性的に興奮するから、自分以外の誰にも取られたくないから、お金が欲しいから、人を助けられるから、と色々な理由の目的を実現するために殺人は手段として行使される。

 僕が殺しを嗜むのも、そんなありふれた目的の一つからだ。


「それはどんな感情?」

「愛情だよ」


 僕は答えた。相手を殺す事は僕なりの愛情だ。


                      ☆☆☆


 僕は夢を見ていた。幼い頃の夢だ。

 僕はベッドで眠っていて、目覚めると父がいた。

 父は辛そうな顔をして、僕はそんな父を見て戸惑った。

 父の手が、僕の首に伸びる。


「すまない」


 父のわびる声。父の手が僕の首を絞める。

 苦しかった。

 父はどうして、こんな事をするのだろう?


「愛している。父さんも、すぐに同じ所へ行くからな」


 父は苦しそうに言った。


 愛しているから、殺そうとするの?

 だったら、僕も父を愛したい。

 僕も父が大好きだから。愛しているから。


 僕は手近にあったはさみで、父の脇腹を刺した。

 父は悲鳴を上げる。


 僕は父を深く深く愛していた。だから、父を何度も刺した。

 倒れた父に馬乗りになって、何度も何度も深く深く、動かなくなるまで刺した。

 父をとても強く「愛した」かったから。

 でも、僕が愛している人は父だけじゃない。

 僕は母も愛しているんだ。父だけじゃ、不公平だ。

 そう思ったから僕は、両親の寝室に向かった。そこに母が眠っているはずだ。


 だけど母は、すでに父から愛された後だった。


 母はとても綺麗だった。

 細い首に残された手形が、鬱血して青黒い蝶の様だった。

 僕もいつか母のように愛されたい。父と母のように愛し愛されたい。

 その時、僕は憧れを以ってそう思った。


                      ☆☆☆


 フランチェスカ・ダリルは、ごく一般的な家庭環境に育ったらしい。

 家族構成は父と母がいて、三人で三階建ての一軒家に暮らしていた。

 そんな家に住んでいた所を見ると、それなりに裕福であったのかもしれない。


 ある日、フランチェスカ・ダリルは父親に無理心中を迫られ、逆に殺害する。

 母親は、その前に父親の手によって殺害されていたらしい。

 彼女の証言によれば、父親は事に及んだ際、「愛している」と囁いたのだという。

 彼女が連続殺人者になったのはそれが原因ではないか、と彼女の弁護を引き受けたサナダ弁護士は推察した。

 それから後にあった彼女の手による殺人の全ては、彼女と親しくなった人間ばかりが被害者だ。

 幼少期のトラウマになるのだろうか。

 幼かった彼女は父親の言葉で、殺害を愛情表現の一つとして心に刷り込んでしまった。

 そのために彼女は好意を持った相手ばかりを殺害した。


 彼女という存在は閉鎖的かつ病的な現代社会の澱が作り出した歪みであり、彼女を生み出した社会、それを構成した大人にも責任はある、とサナダ弁護士は見解している。

 サナダ弁護士はその推論を元に裁判を有利に進めた。

 彼はとても雄弁な人間であり、彼の言葉は傍聴人の心を打ち、掴んだ。

 彼女に対する同情も集まり、そのまま裁判が進めば彼女は無罪になっていたかもしれない。

 無罪とまではいかなくとも、極刑にはならなかっただろう。

 しかし一回目の裁判があった翌日、サナダ弁護士はフランチェスカ・ダリルの手によって殺害された。


 再びの殺人。

 それも恩を仇で返すような彼女の行いに、同情的だった世論は再度有罪へと傾き、彼女は極刑となった。

 たぶん、サナダ弁護士を殺したのは、フランチェスカ・ダリルにとって愛情表現のつもりだったんだろう。

 僕はそう思った。


「フランチェスカ・ダリル……って、連続殺人犯よね」


 自分のデスクで情報端末を使ってフランチェスカ・ダリルの資料を見ていると、キャロルが声をかけてきた。

 彼女がそう訊ねてきたという事は、またディスプレイを覗き見していたらしい。


「そうだよ」

「もしかして、次に作るゲームの資料?」

「まぁ、そんな所だよ」

 本当の事を言うわけにもいかないので、僕は適当に答えた。

「フランチェスカ・ダリル……。彼女は何を思って、人を殺すのかしら?」

「彼女にとって、殺す事は愛情らしいよ。ネットに書いてた」

「解からない。解からないわ、そんな理屈。いったい、どんな人間なのかしらね」

「……きっと、価値観が違うだけのただの女の子だよ」

 幼少期の事件さえなければ――愛情と殺意を混同していなければ、彼女はただの女の子だったに違いない。僕にはそう思えた。


                      ☆☆☆


「ちょっとすみません」

 自宅マンションの敷地前で、僕は声をかけられた。

 声をかけたのは四十歳前後の中年男性だった。

 身長は僕より低いが、がっしりとした体型だ。

 彼の羽織る薄汚れたコートからは、染み付いたヤニの臭いがした。

 僕は煙草の臭いが嫌いなので、初対面の相手にも関わらず顔を顰めてしまった。


「私はこういう者です」


 僕の態度を気にするふうでもなく、男はコートの胸ポケットから手帳を取り出して僕に見せた。


「警察の人……?」


 声が震えそうになった。

 彼女を匿っている手前、やましい気持ちはあった。

 でも、そういうものがなくても、警察に声をかけられるとドキリと緊張する。

 小市民の悪い癖だ。


「少しお訊ねしたいのですがね。この付近で、小柄で痩身の女性を見ませんでしたか? 不自然に厚着をして、両手足を隠しているような」


 間違いなく、フランチェスカ・ダリルの事だ。


「……いいえ、知りません。このあたりでは見た事がありませんね、そんな人」


 僕は少し思案するふりをして答えた。


「そうですか? ありふれた特徴です。私の探す人間でないにしても、似たような体型の人間を目にする事はあると思いますが?」


 男性は険しく目を細めて訊ね返した。

 どうやら、僕の言葉を不審に思ったらしい。


「出勤と帰宅の時間に人と会わないんです。それに、ご近所の付き合いもありませんから」


 僕は考えを巡らせて言い訳する。彼の視線は、僕を観察して反応を試しているようだった。もしくは、僕の心にある後ろめたさがそう思わせたのかもしれない。


「そうでしたか。お時間取らせました。失礼」


 やがて彼は笑みを作り、一礼してその場を去っていった。

 どうやら、怪しまれずに済んだらしい。

 僕は安心して溜息を吐いた。


                      ★★★


 窓から地上を見下ろしていると、アルバート・ラインが男に声をかけられていた。

 その男には見覚えがある。

 彼は僕を逮捕した刑事だ。

 誰の事なのかわからないけれど、彼の娘が僕の被害にあったらしい。

 そのためか、彼はとても執念深く僕を追っていた。

 結局、その執念深さに負けて、僕は逃げ切れずに捕まってしまった。

 ここを嗅ぎつけられたという事は、あの執念深さも健在らしい。

 それも彼に目をつけたのだから執念だけでは説明できない所がある。

 殺してしまえば楽なのかもしれないけれど、僕は好きでもない人間を「愛する」ほどはしたない人間じゃない。

 刑事はあっさりと引き上げていった。

 あれで、諦めてくれるといいんだけど。


                      ☆☆☆


「ラインさん。ちょっとよろしいですか?」


 仕事帰りに、僕は声をかけられた。声の主はこの前の刑事さんだ。

 前と同じ場所で、彼は僕を待っていたようだった。彼の足元には、何本もの煙草の吸殻が落ちている。


「何ですか?」

「前に訊ねた人物なんですが、実は両手足が黒い義体なんですよ」


 わずかな挙動も見逃すまいとするように、彼はじっくりと僕を観察しながら言った。

 前と同じく、僕の反応を試そうとしているのだろう。


「……極刑罪人なんですか?」


 僕は努めて平静に訊ね返した。


「ええ。男女問わず、二十七名の人間を殺した凶悪犯です。実は、私の娘もその被害者の中の一人でして」

「そうなんですか?」


 僕が訊ね返すと、刑事は懐から免許証の入ったケースを出した。

 ケースを開くと、中には写真が入っていた。

 優しげな顔で、目尻の泣きぼくろが印象的な女性だった。


「優しそうな人ですね」

「優しい子でしたよ。そんなこの子をあいつは殺した。だから私は、あいつを追っているんです。あいつは野放しにできない奴ですから」


 平静な語り口調で話しかけていた彼が、その時は少し感情的な声で言った。


「私が探しているのは、そういう人間です」


 刑事は最後にそれだけ言うと、その場から去っていった。


                      ☆☆☆


「今日、刑事さんに声をかけられたよ。多分、君を探しているんだ」

「知ってる。窓から見てた」

「僕は疑われているのかもしれない」

「かもね」


 フランチェスカ・ダリルは危機感のない声音で返した。


「……君は、前に言ったような事を本当にしたのか?」


 僕はフランチェスカ・ダリルに訊ねた。彼女は小首を傾げて応対する。


「前に言ったような事?」

「極刑罪人を皆殺しにしたって話だよ」

「ああ、本当だよ」

「だったら、どうして君は追われていないんだ?」

「追われているはずだよ。現に君は事情聴取されたんだろ? それは間違いなく、僕を捜査する人間がいるという事の証明になると思うんだけど」

「でも、おかしいじゃないか。君が本当にそんな大層な事をしたのなら、もっと多くの人間が君を探しているはずだ」


 そう、刑事が一人だけで捜査をしているなんて事はありえない。

 しかし、僕はまだあの刑事以外に声をかけられた事は無い。彼以外の捜査員らしき人間の姿も見ていない。


「うーん、僕にもよくわからないな。実は君が目にしていないだけで、もうこの家は包囲されているのかもね」


 言葉の内容に反して、彼女の口調はとても軽かった。

 でも彼女が不安がっていない所を見ると、僕は少し安心した。


                      ★★★


 僕は適当に言葉を濁したけれど、なんとなくあの刑事の考えがわかっていた。

 アルバート・ラインが考えるように、きっとあの刑事は彼を疑っている。

 なのに、他の捜査員が姿を見せないのは、情報があの刑事で遮断されているからだ。

 あの刑事は僕を直接自分の手で捕まえたいのだろう。

 だから、他の捜査員には僕の事を話していない。

 それどころか、積極的に隠していてもおかしくない。


 いや、捕まえるなんて事は生ぬるいかな?

 本当は直接罰したいのかもしれない。

 僕を殺してしまいたいんだろう。

 彼の執念はとても強いから。


 あんなおじさんに殺されるなんて、考えるだけで気持ちが悪い。

 殺されるなら、ハンサムな男性とロマンチックな雰囲気の中がいい。

 それは僕の願望で、小さな夢だった。

 僕はその日が来るのを強く願っている。


                     ☆☆☆


 僕は夢を見ていた。

 若い女の人を殺す夢だ。

 泣きぼくろが印象的な女性だ。

 彼女は、両親を失って行くあてのない僕を拾ってくれた人だ。

 ごはんをくれて、お風呂に入れてくれて、綺麗な服を着せてくれた優しい人だ。

 僕は彼女の家で、何日かお世話になった。

 僕に優しくしてくれた彼女を僕は好きになった。

 だから、僕は彼女を「愛した」。

 夜、同じ布団で眠る彼女。

 僕は彼女の首筋を見て、なんて細く綺麗な首なのだろうと思った。

 そんな彼女の首にナイフの刃を当て、躊躇いなくナイフを引いた。

 彼女は悲鳴を上げたのかもしれない。でも喉の深さまで切り裂いたから、声は出なかった。

 僕は彼女の体の上に乗って、柔らかな胸に耳を当てた。

 まるでおかあさんに抱かれているみたいだった。

 彼女の鼓動が間近で聞こえて、とても安心する。


 どうしてこんな事になっているのか、彼女にはわからなかっただろう。

 でも、僕は小さくなっていく彼女の鼓動が、とても愛おしくてたまらなかった。

 それが両親以外で初めて人を愛した時の事だ。それから先、いろいろな人間を愛したけれど、彼女の事は特別に印象深い。

 あの時の彼女が何を思っていたのかわからないけれど、多分僕を恨んでいる。

 僕の愛情は誰にも理解できないらしいから。

 僕の愛情はいつも一方通行だ。

 僕なりの愛情は理解されない。愛する事はあっても、愛される事は決してない。


 そんなのは嫌だ!


 僕だっていつかは愛されたい。理解して欲しい。そんな願望を持っている。

 もしも僕の愛を理解してくれる人ができたなら、僕もその人を愛するだろう。

 僕は本当にその日が訪れる事を指折り数えて待っている。


                     ☆☆☆


「えらく上機嫌じゃないですか」


 キャロルの声に振り返ると、やはりそこにはキャロルがいた。

 僕は感覚器官の中で一番耳が優秀らしく、人の声を判別するのが得意なのだ。


「そんなふうに見える?」

「鼻歌を歌っていましたよ」

「そうなの?」


 気付かなかったな。でも、確かに楽しい気分だったので、知らず歌っていてもおかしくはない。

 どうして楽しかったのか、説明はできないけど。

 ただ、楽しい気分だった。

 ゲーム作りがはかどっているからかもしれない。

 いや、楽しい気分だからはかどっているのかもしれない。

 どっちだろう?


「あら、今度はアクションゲームを作るのですか? 珍しいですね」

「そう見える? 実は恋愛アドベンチャーなんだけど」

「え、そうなの?」


 彼女は大仰に驚いた。でも、彼女がそんな反応を見せるのも不思議じゃない。

 出力機のモニターには、血にまみれた寝室の背景が映っていた。

 これを見て、恋愛アドベンチャーだと思う人はまずいない。


「飲み物淹れましょうか?」


 彼女がそう申し出てくれた。


「お願い。紅茶がいいな」


 休憩しようと思い、イメージクリエイターを外す。


「紅茶、お嫌いじゃありませんでした?」


 言いながら、彼女は飲み物を淹れに行った。


「そうだったっけ?」


 僕は言葉を返すと、椅子を回して彼女の後姿を目で追った。

 キャロルは一方のマグカップに自分のコーヒーを、僕用のティーカップに紅茶を淹れる。

 その仕草は女性的な魅力に満ちている。

 それぞれをマグカップとティーカップに分けて淹れる心遣いが、とても繊細で素敵だ。

 同じ女性なのに、どうしてこうもフランチェスカ・ダリルと違うのか?

 風呂上りにショーツ一丁で僕のベッドを占領する姿には、つつしみという言葉の介在する余地がない。

 フランチェスカ・ダリルは、異性の魅力を語るに論外な対象だ。


 キャロルが戻ってくる。両手に自分のコーヒーと僕の紅茶を持ち、表情に好感の持てる笑みをそえて。


「どんな話なんですか?」


 紅茶をデスクに置いて、彼女は訊ねてきた。

 一瞬、何の話かと思ったけれど、彼女の目線は出力機のモニターへ向けられていた。

 きっとゲームの内容を聞いたのだ。


「おおまかに説明すると、愛情を持った相手を殺したくなる少年の話だよ。愛していて、ずっと一緒にいたいのに、殺さなくては済まない。そんなジレンマを持った少年の話さ」

「これって、前に調べていたフランチェスカ・ダリルを題材にしているのですか?」

「一応、参考程度には」


 せっかく身近にいるのだから、題材にしない手は無い。

 それはクリエイターとしておかしくない考えのはずだ。

 僕は一度紅茶を飲んだ。いい香りがしてとても美味しかった。


「少年はゲームの中で、何人かのヒロインに恋をする。その度に、ヒロインを殺したくて仕方なくなる。そしてそれぞれのヒロインに対して似合う殺し方を模索するんだ。たとえば、このヒロインは唇が可愛らしいから首を絞めて喘ぐ所が見てみたいとか、別のヒロインは寝顔が綺麗だから眠るように死ねる毒薬で殺してみたいとか。他には……」


 話しながら、僕はキャロルを盗み見た。

 主に、白くほっそりとした首へと目が行く。

 きっと、刃を走らせれば血液のラインがよく映えるだろう。

 彼女を殺すなら、首をかき切るのが一番綺麗に思える。

 首筋から流れ出た血液が溶岩流のように下へ下へと裸の体へ流れ出し、白い肌を赤に染めていく。

 血の気を失った彼女の肌は一層に白くなっていき、赤はさらに映えていく。

 その光景を思い描き、僕は奇妙な楽しさを覚えた。


「もういいです」


 キャロルに言われて、僕は口を閉じた。

 彼女の声音には、不愉快そうな響きがあった。


「あんまり、そういう話は好きじゃありません。まともじゃありませんよ。好きだから殺したいだなんて」


 キャロルの表情は曇っていた。

 痛ましい物を見るようでもあった。その視線は僕に向けられている。

 そんな彼女の表情を見て、僕は今の自分の異質さに気付いた。


「あなたは、もっと優しい話を作る人じゃないですか。そんな話、あなたらしくない」


 僕らしくない?


 ……本当だ。


 好意を持った人を殺してしまいたいなんて、どうして思ってしまったのだろう?

 しかもそれを喜々として人に語るなんて――。

 これじゃあまるで……。


「……そうだね。どうかしてたみたいだ」


 僕はイメージクリエイターの電源を落として立ち上がった。


「え、帰るのですか?」

「うん。どうやら、今日は調子が悪いらしいから」


 帰り支度を終えると、僕は少しぬるくなった紅茶をあおった。

 相変わらず、紅茶の味は美味しく感じた。


                      ☆☆☆


 僕は帰り道、早足で歩きながら自分に起こっている事について考えた。

 そして、一つの仮説に到った。

 それは恐ろしい事だ。

 だけれども、今の僕はその事を恐ろしいと感じなくなっていた。


 そんな自分を恐ろしいと思うのは、僕の中に残った少し前の僕だ。

 混乱しているのは自分でもわかる。でも、落ち着いている自分も存在している。


 僕は自室の前まで来た。

 ドアを開けるため、鍵を鍵穴に突っ込んだ。


 その時だ。


 僕は横合いから殴られた。

 倒れた僕が目を向けると、前に話を聞きに来た刑事がドアに手をかけていた。

 彼は僕を見ておらず、まるで僕の家の中に宝物があるかのように、一目散に部屋の中へ駆け込んでいった。


 その宝物はきっと、手足の黒い少女の形をしている。


 やっぱり、刑事はフランチェスカ・ダリルがここにいる事に気付いていたのだ。

 それは僕と話した時だったのかもしれないし、その後に調べた結果で気付いたのかもしれない。

 でも、今はそんな事なんてどっちでもいい。

 どっちにしろ、今は彼をどうにかしなくてはならない。

 僕は立ち上がり、刑事の後を追って部屋の中に入った。

 そして、ドアの鍵をかける。


 あの刑事が彼女の事を知ってここへ来たのなら、もう逃がすわけにはいかない。

 靴箱の上に、一本のナイフが置かれていた。彼女の持っていたナイフだ。

 僕はそれを手に取った。


 リビングへ続く廊下の途中、寝室のドアが開け放たれていた。

 寝室だけでなく、トイレも風呂場のドアも開け放たれている。

 あの刑事が彼女を探すために開け放ったのだろう。

 リビングに着くと、刑事の後ろ姿があった。

 刑事は僕に気付いて振り返る。

 刑事はまなじりを上げて、僕に詰め寄った。

 スーツの襟首を締め上げて、僕を壁に押し付ける。


「フランチェスカ・ダリルはどこにいる? お前が匿っている事はわかっているんだ!」


 怒鳴り声で高圧的に尋問する刑事。

 少し前の僕なら、ぶるぶると震えて白状しただろう。

 でも、今の僕は屈しなかった。

 こんな事態は屈するまでも無い事だ。

 僕の手は、彼の襟首を締め上げる両手の間をすり抜けて、首元へとナイフの刃を突き上げていた。


 首に刃を這わせれば、人間は死ぬんだ。


                     ★★★


 とっさに寝室のベッドの下へ隠れた僕は、あの刑事がリビングへ向かうのを見てから出ようとした。

 でも、それからすぐにアルバート・ラインが寝室を覗き見たから、再び身を隠した。

 彼に助けを求めずにやり過ごしたのは、彼がもう今までの彼でないと気付いたからだ。


 今の彼の思考はよくわかる。

 彼は理解してくれたんだ。

 僕の愛情を。

 嬉しくて喜ばしい事だ。

 だけれど、楽しみはもう少し後にとっておきたい。

 せめて二人きりで。

 ロマンチックな雰囲気の中で楽しみたい。

 僕はようやく愛される。

 もうすぐ、長年の夢が叶うのだ。

 僕はベッドから這い出て、うかがうようにリビングへ目を向けた。

 アルバート・ラインが、刑事の首へナイフを突き上げる場面がそこにあった。

 僕は思わず、痛ましさに顔を歪めてしまった。


 ああ、なんて可哀相なのだろう。


                      ☆☆☆


 刑事の体が力を失って、その場に倒れる。

 彼は絶命していた。


 僕は胃の内容物を吐き出した。

 昼食のサンドイッチも、キャロルに淹れてもらった紅茶も、混ざり合って複雑な色を床にぶちまけた。

 床に流れ出た刑事の血と混ざり合っていく。


 とても気分が悪い。

 人を殺してしまったからだ。

 でも、人一人の人生を奪った罪悪感からではない。

 ただ、好きでもない人間を殺した事に対する不快感からだ。

 愛する人間以外を殺す事が、こんなに気分の悪い事だとは思わなかった。


 もし、この相手が最愛の人であったなら、どんな気分なのだろう?


 いや、誰に訊ねずとも今の僕はその気分を知っている。

 実際の体験をした事がないだけだ。

 記憶だけはしっかりと脳に焼き付いている。


「君は毎夜、眠る僕に自分の作品を見せていたんだね」


 僕の言葉は、彼女に届いただろう。

 いつの間にか、リビングの入り口にフランチェスカ・ダリルが立っていた。


「気付いたんだ」

「気付いたわけじゃない。答えを知っていたんだ。だって、僕には君の記憶があるんだから」


 この数日、僕は連日に渡って夢を見た。

 幼い頃の夢だ。

 それも僕の幼い頃ではなく、フランチェスカ・ダリルのものだ。

 僕は夢の中でフランチェスカ・ダリルになって、夢という形で想い出を見てきた。

 見てきただけでなく、体験した。

 彼女がその時どう考え、どう思っていたのかも、まるで自分の事のように実感できた。


 そう、僕は彼女の記憶という作品を見せられていたのだ。

 彼女は、眠る僕にイメージクリエイターの受信機を着け、自分の記憶を作品として僕の脳へ送っていた。

 それもリミッターを無効化するウイルスと共に。

 僕が僕らしくないと思ったキャロルは、間違っていなかった。

 何せ、僕はフランチェスカ・ダリルになってしまっていたのだから。


「だったら、これから僕がどうするのかわかるよね。君を愛してあげるよ。だから、僕のことも愛してね。愛し合おう、目一杯」


 フランチェスカ・ダリルは、楽しげな笑みを作って言った。

 抱き締めて欲しいと強請るように、両手をこちらへ差し出す。


 奇妙な理屈だ。

 と、今の僕には思えない。

 彼女の言う事は至極真っ当だ。

 愛したい欲求と愛されたい欲求は、人間ならみんな持っているものだ。

 人それぞれが自分なりの愛する方法を持っていて、彼女もまた同じ。

 むしろ、人より悲しい性質を持っている。

 愛すれば相手を死なせてしまい、別れを告げなければならない。

 そして、相手にはこの愛情を理解されない。愛される事もない。

 彼女の愛情は一方通行だ。


 だから、愛される事の喜びが今の僕にはよくわかる。

 自分に向けられる愛情は、今まで彼女が得られなかったものなのだから。


「ああ、わかったよ。僕も君の事は嫌いじゃない。いや、むしろ今は愛しているかもしれない。僕は、愛してもらう事がどれだけ幸せな事なのか知っているから。僕に愛情をくれる君の事が、僕は大好きだ!」

 僕も自然と笑みを作っていた。

 僕はナイフを握り直した。彼女の手にはボールペンが握られている。

 思いついたアイディアを書き残すために、僕がベッドの枕元に置いていたものだ。

 あれでも人は十分殺せる。尖った先端を柔らかな場所に突き入れればいい。


「僕もだよ。僕も、僕を愛してくれる君の事が大好きさ」


 彼女は笑みを深めた。

 感極まり、これ以上に楽しさを表現できないというくらいの笑みだ。

 彼女は僕に向かって走り出す。

 今の僕達は同じ考え方、経験、技量を持っている。

 どちらが愛し、愛されたとしてもおかしくない。

 でも、僕は彼女と違う。

 僕には、僕の元の記憶だってあるのだから。


                     ☆☆☆★★★


 僕達は互いを深く愛し合おうとした。


                      ★★★


 早朝、僕は必要な物を大きな旅行カバンに入れて部屋を出た。

 車にカバンを乗せて、発進させる。

 太陽が頭を出すか出さないかの時間帯。

 道路にはまだ他の車が走っていない。

 どれだけスピードを出して、よそ見運転をしても事故には合わないだろう。

 制限速度も守らずに、まだ眠りの中にある街を僕は車で走りぬけた。

 車は街を過ぎて、荒野を通る道路へ出た。

 そこまで来ると開放的な気分になって、僕はアクセルをさらに深く踏みつけた。

 荒野の只中にあるガソリンスタンドで給油して、隣接して建つコンビニに入った。

 昨夜から何も食べていないので、僕はいくつかの食べ物を買った。

 車に乗って少しだけ走り、僕は道を少しそれて荒野に駐車する。

 車から降りて、車のトランクを開けた。

 その中にはカバンがある。必要な物を詰めたカバンだ。

 僕はカバンを開けた。


 カバンの中には、フランチェスカ・ダリルがいた。


 彼女の瞳が僕を捉える。このような目に合わされても、恨みがましいふうではない。

 彼女の顔を見ると、知らず笑みが零れる。

 彼女の黒い両手足は、生身と義手を繋ぐアタッチメントを残して取り去られていた。

 もぎ取ったのは僕だ。彼女の動きを封じるには、これが一番だったから。


「お腹が空いただろう?」

「うん」


 彼女が素直に返事をすると、僕はさっき買った食料からパンを選んで齧った。

 齧ったパンを口移しで、彼女に食べさせる。

 そのまま彼女の口内を舌で蹂躙した。

 彼女は嫌がりもしなかったが、嬉しそうでもなかった。


「どうして、こんな事をするの?」


 唇を離すと、彼女は問うた。


「君を愛しているからさ。君にとって愛情は殺す事なんだろう? 僕だってそうだ。僕は君を殺したくてたまらない。でも僕にとってはそれだけじゃない。僕にはもう一つ、僕の愛し方がある」


 今の僕には彼女の事がよくわかる。

 それは彼女の全てを受け継いだからだ。

 でも、僕は元々からあった自分の記憶も持っている。僕の記憶の中には、別の愛情表現の方法があった。


 僕のずっと憧れてきた愛し方だ。


 僕はそちらの愛情表現をとっただけだ。


「僕は、君に愛して欲しかったのに……」


 どこか、悲しみを含む声だ。

 彼女にとって僕の愛し方は、最大の誤算だっただろう。

 彼女は計画した目的を果たす事ができず、そしてもう別の相手を探す事もできない。

 僕がさせない。

 愛しい人を手放したくはないからだ。


「これも愛情だよ」


 僕は彼女を慰めるつもりで言った。


「大丈夫さ。僕だって我慢できなくなる。これから君を痛い目に合わせ続けるだろう。それこそ死んじゃうくらいに痛い目に合わせ続ける。でも、その愛の絶頂には達さない。「僕」の愛で君を愛してしまったら、もう一つの「僕」の愛情を君に与えられなくなるから」


 僕はこれから、彼女を愛しながら生きていく。

 たとえ痛みに耐えかねて、もう嫌だと彼女が泣いても、僕は彼女を放さない。

 僕の愛情はとても深い。

 だって彼女は、初めて会えた僕と同じ愛を持った人間なんだから。

 彼女に愛情を与え続けて、彼女の可愛らしい口から漏れるあえぎを聞いて人生を過ごしたい。


「君とは長く長く、ずっとずっと愛を確かめ合って生きていきたいんだ」

「そんなのは僕の愛し方じゃない」


 そう言う彼女を僕はカバンに寝かせる。

 お姫様をベッドに寝かせるように、そっと優しく。


「違わないよ。だって、君は僕じゃないか」


 言って僕は旅行カバンを閉じた。

 僕にとっては彼女だけが必要だ。

 だからカバンには彼女だけしか入っていない。


 トランクを閉めて、運転席に座る。

 アクセルを踏んで、車を走らせた。

 車で地平線に消える長い道の先を目指して走り続ける。

 このまま国境を越えて、この国への犯人引渡し条約がない国へ行く。

 そこで仕事を見つけて、二人で暮らすのだ。

 愛しい人と二人で新しい場所へ行くのだと思えば興奮した。

 彼女との生活を考えるととても楽しい。

 昼間は彼女のために働いて、夜はじっくりと時間をかけて彼女を愛し抜く。

 そんな生活をずっと死ぬまで続けて生きていきたい。


 どうやって彼女を愛するのがいいだろう? 

 最初は首を絞めてみよう。

 それも死ぬ間際まで絞め続けて、鼓動が弱る音を聞いていよう。

 死ぬギリギリで止めて、息も絶え絶えな彼女の口を自分の唇で塞ぐのだ。


 とてもロマンチックだ。


 でもその前に、二人で住むための家を建てなくちゃならない。

 音が聞こえないように、地下室を造ろう。

 AEDを完備して、万が一心臓が止まっても生き返らせられるようにしよう。

 住む家を建てたら、細々と長く彼女の事だけを愛しながら生きていく。

 奥ゆかしく、ただ一人の女性だけを愛していく人生は最高にドラマチックだ。

 その人生の主役になれるなら、言う事は無い。

 道行く人とすれ違えば、僕はとても素晴しい女性と愛を交し合って生きているのだ、お前らとは違う特別な人生を生きているんだ、ときっと強い優越感を覚えられるだろう。

 そんな日々がずっと続くのだ。

 考えるだけで、なんて幸せな人生だろう。

 楽しみで仕方が無い。


 彼女の手足を直せば、彼女は僕を愛そうとするだろう。

 それも悪くないけれど、僕はできるかぎり長く彼女を愛し続けたい。

 だから彼女の手足は直さずに、ずっと僕なりの愛情をそそいでいくつもりだ。

 たとえそれが一方通行の愛情でも、僕はそれで構わない。


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