異世界チート勇者が教える異世界チート勇者の作り方・後編
このように前置きという名の時間浪費を五回ほど繰り返し、会はいよいよ肝心の「異世界チート勇者の作り方」に突入しようとしていた。……まあ先の五回とも突入しようとはしてたのだが、とうとう司会(兼かよわい乙女)が直接的手段に訴えたせいで、勇者の頬はリンゴのように赤く腫れていた。
「安心してくださいみなさん、こんな怪我も治癒魔法を使えば……ほほいのほいっと、ハイこの通り! あっという間に元通り! 見て見てほら見て、全然大丈夫!」
トー○ス松本のパロがこの連中に伝わるわけもなかったが、会場は拍手喝采。それもそのはず、勇者自身の顔や功績は大陸だけにとどまらない知名度で、今この瞬間もどこかの誰かが彼の偉業を語り継いでいるが、この会場に体育座りしている者たちは彼を実際に目にするのは初めてで、ほんの少しだが疑いの心を持っていた。それが今の魔法実演で確信を伴ったのだった。
「ふはははは! どうですみなさん? 何なら腰痛持ちの人とか、今すぐにでも治療してあげますよ。ん、なになに視力が悪い? そんなの簡単、テクマクマヤコンテクマクマヤコン眼鏡いらずにな~あれ! ……はい、今呼んだのは? ああ、そこの逞しいおじさま…………へ? あ、これは失礼お嬢さん。用件は筋力増量か何かで? あ、違うと。え……いや、わざと失礼なこと言うわけないですよ。ボク勇者ですよ? はいはい言われた通りにしますよ、ええ。ピピルマピピルマプリリンパ、パパレホパパレホドリミンパ チャイルドタッチでぺたんこロリになぁれ」
たぶん掛け声は何でもいいっぽい。しかしこの勇者、よくもまあ異世界人相手にパロネタ連発して飽きないもんである。
「えーっと貴方もですか。症状は……え、何ですか聞こえません。…………ああ、たたない、と。ええボクも一介の異世界チート勇者ですからどことは問いません、どことは。しかしその辛さは同じ男としてよ~~く分かります。今まで大変でしたね、お兄さん。しかしここでは何ですから……司会さん、ちょっとボク、彼と席を外しますね」
「誰が行かせますか」
「司会さん、下ネタはいけません」
「今度はグーでいきますよ?」
屈強な男と肩を組んだ勇者がそれでも立ち去ろうとするので、司会(兼・握力55)は勇者の襟首をつかんで引き寄せ、その勢いのまま顔面に拳を振り上げた。ゴ……ッと鈍い音が鳴り、数人から声にならない悲鳴が聞こえる。
「悪くないパンチですが効きませんよ。はい治癒魔法」
その頬へすかさずビンタ。勇者、今度は無言で治癒。ビンタ。治癒。ビンタ。治癒。ビンタ。治癒。ビンタ。治癒。ビンタ。治癒。ビンタ。治癒。ビンタ。治癒。ビンタ。治癒――。
「はあ……はあ……勇者先生、あなた何発叩き込めば死ぬんですか……」
「フフフ、さあさあどうしたんです司会さん。あなたの強さはそんなものですか?」
聴衆の誰かがヒューヒューと口笛を吹いている。両者を応援する声援が飛び交う。一際とざわつきを見せる一団の会話に耳を澄ますと、どうやら賭けが始まっているらしかった。
「さあ、他に勇者様に賭けるやつァいねえか!」「はいはい!」「俺も勇者様に五十セルカだ!」「じゃあ俺は百……いや百五十!」「おいおい誰か司会さんに賭けるやつァいねえのか? このままじゃ賭け自体成立しねえぜ」「侵入者が勝つ方に66兆2000億」「今なら司会さんの倍率はなんと驚き百二十倍だ!」「なあ、今誰かいなかったか?」「幻聴だろ、あとで治してもらえ」
「ほーら、ボクからは何にも手出ししませんから。こいよ司会さん、武器なんか捨ててかかって来……あれ、司会さん? 司会さん?」
司会(兼・集会責任者)はゆらり、と滑るような足運びで、勇者と肩を組んだ一人の男の頭を鷲掴むと、男は静止の声をあげる余裕もなく、そのまま後頭部から一気に石造りの床へと叩きつけられた。一瞬遅れて、辺りの空気がビリビリと震えあがる。声をあげる者は一人もいなかった。
司会(兼・誰かさんを除く作中最強ランキング堂々一位)は、肩をコキリと鳴らし、あくまで穏やかな口調を崩さずに
「私には、先日この町の商工会長と契約したように、この集会をできるだけ滞りなく進めるという使命と、それに相応する対価の前金を支払ってもらっています。もちろんその契約内容には観衆の皆様への安全確保も含まれてはいますが、しかし私が真に優先すべき任務は、より良い未来のためのより良い会合を作ることです。そのためには多数お集まりいただいた皆様のうち一名や二名、紙屑のように軽いものですわ」
気持ち悪いほど曲げられた口角からオホホホ、と妖しい笑い声が漏れる。勇者はニコニコと表情を崩さないものの、聴衆の誰もが自らの命の尊さと儚さを感じていた
「さて異世界チート勇者先生! それで先生の言う『異世界チート勇者』はどのようにして作ることができるんですか? 私、気になりますっ!」
「とうとう君も無理矢理ねじこんで来ましたね……。まあボク自身、ここらが潮時と感じていたところです。先ほどまでとは少々雰囲気の違う話になりますが、もったいぶるのはやめとしましょう」
あまりにもったいぶっていたら読者が離れるからな。
……決して、書きながらネタを考えてたとかそういうんじゃないからな。
「では司会さんに訊いてみましょう。異世界チート勇者とは何だと思いますか?」
「それはまあ、異世界からこの世界にやってきた、私たちとは比べものにならない力を持った、勇気ある正義の使者、でしょうか」
「字面だけ追えばそうなるでしょうね。しかしチート、という言葉は本来の意味を応用して使っているものですから、そこを補足すると『ある世界から別の世界に渡った、自然界の枠組みを大きく超えた力を持つ者』となります。勇者というのは他の人が名付ける称号であって、記号的な意味しか持ちませんから省いてもらっても結構です。まあ『異世界チート男』とか『異世界チート野郎』と呼ばれるのは遠慮したいですけど……。さて、ボクの知る例として、異世界チート勇者の大半は、訪れた先の世界において最強の存在です。仮に訪問直後は最強でなくとも、例えばピンチの女の子を助ける際に潜在能力が覚醒するパターンも多いと聞きます」
「先生はモンスター退治をきっかけに能力に覚醒したんでしたね」
「ええ。身の丈三メートル――は通じないんだった。ふむ、そこの垂れ幕ぐらいの高さのオークでした。そこから徐々にゆっくりと成長、といった例もあるようですがボクの場合は特殊で、一時にして、この世界にある魔法の全てと、騎士団長レベルの剣術が扱えるようになっていました。そこから研鑽を積み、王国史上最強の戦士にして、魔法開発の第一人者とも呼ばれるようになったわけです。今では召喚魔法を応用した、人体の部分召喚という研究を中心に進めています。この世界では人体の仕組みがかなりの精度で解明されてはいるものの、献血制度やドナーがありません。治癒魔法はあくまで応急手当ですから、人体内部の病までは届かないのです。……それができるのはボクくらいのもので」
人体の部分召喚、と聞いて聴衆の関心が一気に高まったのを司会(兼・敏感肌)は感じとった。なるほど、では冒頭に列挙した禁断の材料はただの冗談ではなかったのか。
……ちなみに、司会が何故ハガ○ンネタを知っていたかといえば、それは勇者が異世界に来た際から手に持っていた電子ブック(充電は雷系魔法)のおかげである。会が開かれるまでの待ち時間に勇者から借りたそれを夢中で読んでいたのだった。面白いもんね。
「では先生の言う『異世界チート勇者の作り方』とは、今言った『人体の部分召喚』に関連しているのですか?」
聴衆の誰もが息を飲んで、その答えを待った。しかし勇者の目は天井を仰いで、続いて開かれた口は彼らの期待を無情にも裏切ることとなる。
「いいえ。関係ありません」
「そ、それじゃあ今までの話は!?」最前列に座った男が声を張り上げる。「また時間稼ぎのつもりか! そうやって俺たちを煽るだけ煽って、結局何もしないで帰っていくのか!?」
「ちょ、ちょっと……」
「いいんです司会さん。これはボクの講演会ですから」
司会(兼・意外と素直)の肩を軽く叩くと、前へ進み出た勇者。
「あなた方が、ボクへの反逆を企てる共和国過激派だということを知った上で断言しましょう。そうです、ボクはあなた方を煽るだけ煽って、期待させるだけ期待させて、昂ぶらせるだけ昂ぶらせて、そのあと何もしないで城へと帰る予定だったんですよ。今頃女騎士さんたちが血眼になって探していることでしょうからね」
聴衆の見る目が一変していることに彼は気付いた。いや、聴衆だけではない、彼のすぐ隣、猫耳のついた司会(兼・もう一度言うが誰かさんを除く作中最強候補)の眼光が鋭く光っていることに。
ただのコスプレじゃなかったのか、と勇者は横目で注意深く彼女を観察する。
「ワーウルフは数年前に絶滅したと聞いてましたが、共和国ではまだ現存していたのですね。これは生物史的にも興味深いことです」
「勘違いしないでください。私は共和国――あなたが同盟を締結した国の出身ではありません。私だけでなく、ここには少なくない人数の王国出身者も混ざっていますからね」
「ふむ……」と勇者は小首を傾げる。「私が行った二国交流政策の成果……という風には、残念ながら見えませんね。まだ互いを敵対国だと思っている様子だ」
「あなたは二千年間続いた国王の座を汚いケツで汚すばかりか、国の名すらも捨て去り、歴史と伝統を木端微塵にブチ壊しやがりましたから、最初から我々に怒るなという方が無理な話なんですよ。分かっていただけましたか異世界チート勇者様?」
「利害の一致ですか。ていうかそれ以外にありえませんよね。……集会の日にちと場所が前日に急遽変更になった時点で想像できたシナリオでしたけど」
「分かった上でここへ来たということか」猟銃を手にした一人が苦々しげに吐き捨てる。
「いや、『会の進行上、必ず勇者様お一人でお越しください』って書かれてたら馬鹿でも疑いますって。山猫軒より分かりやすいですよ」
群集の敵意の目が一気に司会(兼・頭脳は子供)に注がれる。彼女は顔を赤らめたまま咳払いをし、勇者へと向き直った。
「司会さん、火に油を注ぐようですがね、ボクが来なかったところであの王国は近いうちに滅亡していましたよ。国力は疲弊し、兵は欲望の限りを尽くし、民は子供を作るという希望さえ捨てなくては生きていけない。共和国に吸収されるまでもなく、自滅の一途を辿っていました。現在でも荒れた農地を回復する事業が進行中です。土地も、そこに寄生するモンスターも、そして人も、あの国で正気を保っていたものは何一つありませんでした」
「うるさいうるさい! それでも爺様はいい人だった! 淘汰された私を拾ってくれた唯一の人間だぞ、悪い人なわけあるもんか!」
「爺様……?」
先の国王ルイスは齢五十ほどだったはずだ。であればその前、先々王ハインのことか、と勇者は情報を補填する。
「爺様が愛した坊ちゃまを! 爺様が好きだったこの国を! お前は汚したんだああああ!」
もはや司会(元・使用人)の口調から勇者を尊重する素振りは消失してしまっていた。偽物の忠心は今、本物となって先々王ハインへと向けられていた。
「確かにハインの治世は幾分か平和だったと聞いています。しかしそれはもう終わった話でしょう? 王族の血は今も姫様の中にあるわけですし、そりゃあハインの直系はルイス一人でしたけど…………はあ、どうやら言い訳にしかならないようですね」
先ほど勇者と司会の小競り合いであった台詞をお憶えだろうか。『あなた何発叩き込めば死ぬんですか』。手に武器を携えた群集は今まさにそれを実行しようとしていた。実力差ははっきりしている。1対1では勝ち目がない。だが全員なら? この会場に集まった50余人、それに外で控えている仲間たちを呼び込めば、いくら異世界から来たチート勇者といえども平気ではいられないだろう。なんたって……50対1だぞ? 誰もがそんな考えに支配されていた。魔法なんて、詠唱する前に倒せばいいだけだ。回復するなら、その暇を与えなければいいだけだ。岩を砕く怪力も、一度に殴れる人数は限られている。勝てない理由などない……!
群集の最前列で、フゥー、フゥー、と荒い鼻息をたてる男がいた。共和国出身のこの男は、王国からの輸入製品によって苦しい生活を送るようになった農民の一人だった。身軽さに自信のあった彼は、先日耳にした『暗殺集会』の噂を聞きつけてこの場にやってきたのだった。素の足先が白く染まり、今か今かと腿肉が出番を待つ。次にあの憎き魔法使いが瞬きをする時が合図だ。
(瞼が開くより前に、そのどてっ腹に風穴空けてやるよォ……!)
それぞれが、それぞれの憎しみを腕に、足に、武器に、目に籠めていた。
暑苦しい沈黙と緊張が辺りに立ち込めたその時、百余の視線に射抜かれた当の本人はとうとう……とうとう、アクビをした。
「ふあ~~ああ……」
「舐めやがってこの野郎!」
その瞬間、殺意の濁流と化した群衆が一斉に勇者へと奔りだす。まるで本物の津波のように、自らの隣や後ろの人間を意識せず、ただ殺意という共通点で一体化したそれらは天井まで届く高さとなって上下左右から襲いかかってくる。そして勇者の真後ろには司会(兼・ワーウルフ)が回り込んでいる。人間離れした脚力に、勇者も認識できないほどだった。
(……いや違う)加速した彼女は、静止した一瞬の時間の合間に考えを巡らす。(さっき喧嘩したときの反応速度から推測して、今、この私にまったく気づいてないわけがない。反応できないはずがない!)それを見極めるだけの力量が彼女にはあった。代替わりした王から使用人の座を追われ、それでも王の心根を陰ながら信じつづけた彼女は、裏社会で殺し屋として食い繋いできたのだから。
(舐めやがって……)
この男は相手にしていないだけなのだ。怪我しても治癒魔法が使える。致命的な重症を負ったところで、例の部分召喚魔法とやらで何とかなるのだろう。
(んなこと、させるかよッ)
幾人もの血を吸ってきた彼女の爪が勇者のロングヘアーに触れたとき、アクビ交じりの声が会場内に響いた。
アクビとともに出す声というのは、本人の意思に関わらず通りやすい。
「では……はぅ、【異世界チート勇者が教える異世界チート勇者の作り方】、ふわあ……、を、皆さんに伝授したいと思いまーす」
全員が耳を疑った。人の数倍の聴力を有する司会(兼・健康女子)でさえも、聞き間違いではないかと本気で思った。
しかしそれで、刃物と暴力にまみれた波が静止するわけでもない。少しばかり勢いを弱めてはいるものの、津波は津波、群集全員分の質量が一つに集まった波動は勇者の肉を切り刻まんとする――が、その試みは失敗に終わった。
津波の頂上、ちょうど勇者の頭上からハンマーを打ちおろそうとしていた少年の額を、勇者は人差指一本で押さえていた。彼がしたのはそれだけだ。それだけで少年は身動きがとれなくなり、自分でも何が起こっているかさっぱり分からないという表情で汗を垂らしている。少年だけではない、初めに質問をした者も、賭けに長じていた女も、最前列にいた男も、誰も彼もが指一本も動かせないでいるようだった。
「先ほども述べました通り、ボクからは何の手出しもしません。敵に対してと研究以外では魔法は原則使わないと肝に命じているんです。――さっきの医療魔法はデモンストレーションという特例です――よってこれも魔法ではありません。あなた方が文字通り一致団結して飛び込んできてくれたので、ボクは親切心から、こうやって重心を支えてあげてるんですよ」
そのとき少年の持っていたハンマーが汗のせいか滑り落ちた。勇者はそれを見もせずに首を傾け、代わりに司会(兼・不幸体質)の頭へと直撃。彼女は垂れ幕の下に仰向けで横たわった。ものの見事に気絶している。
「この一瞬で群集のウィークポイントを見抜いて、分子構造の穴に糸を通すような芸当を実行できるボクは何を隠そう異世界チート勇者。そんな異世界チート勇者略して《いせちー》の作り方、皆さんも興味ありますよね? なんてったって、今日の集まりはそのためのものですから」
勇者が人差指をツンと小さく押すと、勇者の目線の高さで静止していた老人の首がコクンと大きく頷いた。かの勇者は今、ひと塊となったこの集団を指一本で自在に操ることができた。
「ボクの教える異世界チート勇者の作り方というものは、先に述べたような医学的、生物学的なものとは異なります。まあいずれはその道も開拓していく所存ですが、そういった類の話でないことはご了承ください。さて、では手始めに、皆さんはこんな言葉を知っていますか? 『全知全能の神は、自らを超える能力者を創造できるか否か』。はい司会さん、どう思います?」
ばれぬよう狸寝入りしていた司会(兼・早寝早起き)は肩を震わせ、それからゆっくりと立ち上がった。そのふさふさの手から、光る爪の姿は消えていた。
「それは……全知全能だからできるんじゃ……いや、でも全知全能を超える者なんてあり得るの? でも、できないことがないっていうのが全知全能の印なわけですし……やっぱり可能なんじゃ、あれ? でも創ったら神は神じゃなくなる? だけどそんなことは問題に書かれていないし……やっぱり全知全能は全知全能のまま? あー、わけがわかんないですよーォ。とりあえず殺していいですか?」
「ボクの左手ならフリーですから、相手ぐらいはしてあげますよ」
いくら飛車角落ちの状態でも、1対1で相手取る気はまったくしなかった。たとえこの場で両手両足が封じられていたとしても彼女は手出しできなかっただろう。もう一度あの殺意に身を委ねない限り。
彼女だけでなく、他の人間すべてが冷め切ってしまっていた。過去の苦しみも惨めさも忘れ、空っぽになった頭の中に勇者の言葉がどんどん入り込んでいく。
「全知全能の神は、自らを超える能力者を創造できるか否か、答えが出ないのが普通です。しかし異世界チート勇者であるボクがこの問題に答えるとしたら、否、と答えるでしょう」
司会(兼・普段は無口)も静止した群集も、無言で続く言葉を待っていた。
「なぜなら、神というのは世界の枠組みから外れた行いはできないのだとボクは思うからです。世界の枠組みの外、というのは誰にも観測することができません。ひょっとしたら神自身も枠組みの中しか見ていないのかもしれません。中にいる人間が全知全能だと褒め称えても、神自身はそれを果たして認めるでしょうかね……おっと、なんか暗い話になっちゃいました。全然そんなつもりはなかったんですけどね」
勇者は苦笑した。そして群衆からすっかり攻撃性が鎮まったのを確認すると、風魔法を使って一人一人を元の位置まで送り返した。
「ボクは全知全能などとは程遠い存在です。自分より強い人間を創ることなどもってのほか、自分と同じ力量の人間さえ、一から創ることはできません……少なくとも今は」
全員を元のように座らせると、勇者は得意げな顔に見える。いつかきっと自分と同じような人間が作れるに違いないと、心のどこかで確信している科学者の顔だ。
「異世界チート勇者の作り方というのは、一から作るやり方ではありません。その基礎の土台は既に皆さんの中にある……というより、皆さん自身が異世界チート勇者の基礎なのです。もう一個ぶっちゃけてしまうと、ボク自身もまだまだ異世界チート勇者の基礎の基礎って段階ですかね。ハハハ、お恥ずかしい限りです。こんな題目嘘っぱちなんですよ、フフっ……」
それを聞いて騙されたと思う人間はいなかった(面食らう者はいたが)。彼が異世界チート勇者だということは世界中の常識で、その手腕がそれを証明しているのだから。
「もちろん、あなた方から見ればボクはチート級なのでしょうが、さっき述べた神様の視点に立って見ると、おそらく人間なんてどれも似たようなものでしょう。いえ、人間に限らず、生き物はみなちっぽけなものです。本物の、真なる異世界チート勇者でもない限り、神と同じ視点に立つことなんてできないでしょうけど。でも何を隠そう、ボクが目指してるのがその人なんです。……誰って、今言った『真の』異世界チート勇者ですよ。ボクは日夜、食べる時と寝る時以外、いつも彼になろうと願い、彼になりたいと足を進めています。願わくば、あなた方にも彼の高みを目指して、共に歩いていきたいものです」
「あの……その彼っていうのは……?」
司会(兼・ちゃんと質問できる子)がおずおずと手を上げる。
「いや、彼と言っても男か女か分かりませんし、そもそもいるのかどうかすら知りません。数々のラノベ――異世界チート勇者伝説を目にしてきたボクも聞いたことすらない存在です」
「つまり、さっき述べた『神』のように、仮定として挙げられた記号ですか?」
「まあそうなんですが、神と違って『彼』は常にボクらの前にいる、手が届きうる存在だってことです。昨日『彼』がいた位置に、今日のボクが辿り着いていてもおかしくはありません。神だとそうはいかないでしょう? 神は基本、見てるだけですから」
勇者は深く息を吸いこむと、一番後ろの人間にもはっきり聞こえる声量で
「歩みを止めない者にとっての『彼――異世界チート勇者』とは、明日の自分の影なんです」
最初は誰もがポカンとしていた。やがて誰かが手を叩くと、まばらながらも拍手と呼べるものが鳴り始めた。それが一人ずつ一人ずつ伝染していき、やがて外に漏れるほどの大洪水となった。勇者は深く一礼をすると、司会(兼・秘密は守る子)にだけ聞こえる小声で
「君がボクを八つ裂きにする日、楽しみにしてますからね」
と囁いた。そして付け加えるように「……ワーウルフなのに猫耳って、おかしくないですか?」
「……これは趣味ですから」「趣味?」
司会(兼・コスプレイヤー)がおもむろに猫耳を外したかと思うと、それをブーメランの要領で勇者へ投げつけた。三角形をした耳の切っ先が、咄嗟に避けようとした勇者の頬を切り裂く。勇者は今度は治癒魔法を使わず、流れ出た鮮血をペロリと一舐めした。
司会(兼・ワーウルフ)が髪をかき分けると、隙間から茶色の毛深い垂れ耳が露わになる。
「惜しかったですね」
「……ケッ!」
そう吐き捨てると、彼女は踵を返して、いまだ拍手を続けている群集の隙間を縫うようにして出口へと向かった。しかし扉に手をかけたところでクルリと振り返り、
「ハガ○ンの続き読みたいんですけど、盗んでもいいですかー!?」
「いいけど、あれ画面ロックかかってるから止めといた方がいいよー」
結局、その後彼女は全巻読み終えるまで勇者の傍にいたという。
会場の裏手から去ろうとする勇者にいくつもの声が飛んだ。その大半は「まだ話を続けてください!」だったり「私たちを導いてください!」だったりしたが、その一つが何故か、勇者の耳にはっきりと届いた。
「仮に僕らがチート勇者になれたとして、『異世界』チート勇者になるにはどうすればいいんですかー!?」
勇者は困り顔でこう返した。「ボクから見ればここは異世界ですから、あなた方がこの世界で成長しても、それは立派な異世界チート勇者ですよ!」。客席から感謝の声が上がった。勇者は思った、(それで納得するのか……)
帰り際、何故か着いてくる司会(兼・垂れ耳)と共に城への道を歩んでいると、背後からどすんどすんと地を響かすような足音が近づいてきて、咄嗟に両名は振り返った。外で待機していたという刺客の一人か? しかし追跡者は予想に反し、満面の笑みをしていた。
「ええと、君は確か……」
「はい、勇者様にあそこの相談をした、あの俺です。すいません、今までずっと気を失ってたらしく……」
男はどうやら、勇者に×××がたたないことを相談し、暴力司会によって沈められたあの男らしく、それ以後の騒動の間もずっと意識がなかったようなのだ。
「ああ君ですか。ごめんなさい、あのあと色々あったものですからすっかり忘れてしまって。すぐに治療してあげますから、とりあえずどっかここら辺の……あ、その橋の下とかいい感じの雰囲気ですよ、暗くて人目につかない絶好の――」
「それには及びません勇者様。実はもう、目を覚ました時からすっかり完治してしまってるんですよ」
勇者と司会(元)は眉をひそめる。すると男は勇者ではなく、司会(兼・現在彼氏ナシ)の手を握り締めて
「俺、あなたに愛の鞭を受けて、おかげで目覚めたんです! なんと感謝申し上げたらよいか、言葉が、うう……言葉が見つかりましぇえん!」
半泣きだった。鼻をすする度に汚い液が飛んで、司会ちゃん完全にドン引いてます。
「は、はあ、それは良かったですね。じゃあ私たちはもう行くんで、お達者で~……」
しかし力強く握られた手はピクリとも動かない。
「あ、あの~」「ダメなんです……」「……何が?」「あなたじゃなきゃ、ダメなんです」「……」
「あなたじゃなきゃ、たたないんです~~~~! 自分で何度ぶつけても、叩いても、ちっとも気持ちよくないんです~~!」
「変態だーーーーーーーーーー‼」
かくしてこの晩、自宅に殺し屋と変態を連れて帰った異世界チート勇者は、無断外出の罪も重なり、姫君からは言葉責めを受け、騎士団長からは王城の廊下掃除を言いつけられるのだった。
「……今どきの異世界チート勇者たるもの、ヒロインには頭が回らないものなんだよ……フ、フフフ……」
「力なく笑うの止めてもらえませんか、……ええと、ミルクミート様」