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Flowers

勿忘草

作者: 神楽慈雨


「 リリィへ


今年の冬は珍しく大雪が降りました。わたくしは濡れた窓の外に広がる銀世界を、本を片手に眺めて過ごしました。体験したことのない寒さだったので少しも外出する気分にならなかったのです。


勿論、ずっと本を読んでいたのではありません。少しは花嫁修業もしました。実はお母様に叱られてしまって。渋々ですけれどお母様の出された課題はこなしましたよ。


そして暇を見つけては、正月に帰国なさったお兄様に頂いた本を読み耽りました。


以前お話ししたとおり、お兄様はわたくしより五つ年上で、わたくしと同じく勉学が大好きな方です。帰国したらお父様の会社を継ぐというお約束をして、三年前にヨーロッパへ旅立ったこともお話ししたわね。外国でも勉学に明け暮れていたらしく、その旨をしたためた手紙がまめに届いていました。真面目なお兄様らしいです。読んだ後に思わず笑みがこぼれてしまいました。リリィにもお兄様に会っていただきたかったわ。


それはともかく。


お兄様は色んな国の本を持ち帰って下さいました。そして自分はもう何度も読んだからといって全てわたくしにくださったのです。ですから学校が休暇に入ってからも勉強をしていられました。


そんなわけでずっと家に閉じ籠もっていたわたくしでしたが、雪解けと共に外出するようになりました。家にいるときも、窓とカーテンを開け放ち自然の風と光で過ごしました。」



親友のリリィから貰った綺麗な青い羽ペンを滑らせていた手を止める。そしてお兄様から送ってもらった懐中時計を見ると席を立つ。


今まで向かっていた机に背を向け扉に足を向けると、ふと思い出したように振り返った。


羽ペンを専用のケースにしまい鞄を持つと、微笑みを残し再び机に背を向けた。




桜の咲き誇る四月。


千鶴子は暖かな風を頬に感じながら窓辺の席でぼんやりと外を眺めていた。


ふと教室の中が騒がしくなっていることに気が付くと、ピンク色の景色から視線を戻し辺りの会話に耳を澄ませた。そんなことをしていると、こんこんと拳で机を叩かれて顔を上げる。


千鶴(ちづ)ちゃん。ごきげんよう」


そこには朝からご機嫌な笑みを浮かべる親友の千代がいた。思わずつられて千鶴子(ちづこ)も笑みを浮かべながら挨拶を返す。


「ごきげんよう。千代(ちよ)ちゃん」


ほわっとした笑みを交わしていると、はっとした千代は千鶴子の袖を引っ張りながら興奮した様子で口を開く。


「あのね、千鶴ちゃん。今日からこのクラスに転入生がいらっしゃるのよ。一月だけですけれど。しかも外国の方! 綺麗な金の髪に薄い青色の瞳をしているの。あまりにも可愛らしくて、等身大のフランス人形かと思ったくらいよ」


「…もしかして千代ちゃん、職員室を覗いて来たの?」


「あら、どうして知っているの、千鶴ちゃん。あ、もしかして千鶴ちゃん――」

「わたくしは覗いていないわよ」

後の言葉を引き継ぐように千代の台詞にかぶせて言葉を紡ぐ。小首を傾げる千代に苦笑を浮かべながら千鶴子は先を促す。


「それでね。どうしてフランス人形かと思ったかというとね。実は彼女、フランスからいらっしゃったそうなの。日本語は話せないようでしたけれど、英語は話せるそうよ。イギリスにも住んでいたことがあるのですって。凄いわよね」


「へ、え、すごいわね…」


その転入生もすごいけれどそれを盗み聞きしてきたあなたもすごいわよ。と視線を逸らしつつ千鶴子は小声で呟く。


千鶴子が苦笑していると、からりと戸が開き、珍しく洋装に身を包んだ先生が入ってきた。その姿に教室にざわめきが広がる。が、教壇に立った彼女の冷ややかな視線に、それはすぐに凪ぐ。静かに急いで席についた生徒たちを見回すと満足げに微笑む。


「ごきげんよう、みなさん。もう知っている方もいるかとは思いますが。このクラスに本日から新しい方がいらっしゃいます」


その言葉に再び教室がざわめく。


「静かに。では早速ご紹介いたします。くれぐれもご静粛に、彼女をお迎えなさい。わかりましたね?」


その問いに思わず背筋を伸ばし息を呑む。先生はそんな生徒に背を向け再び扉を開け、廊下にいる先生に合図をする。


先生方に促され彼女は教室へ足を踏み入れた。教壇へ立つ先生の隣に並んだ彼女は、綺麗な双の青い瞳で教室内を見回すとふいと窓の外へ視線を投げる。


「彼女はリリアーヌ=スピアさんといいます。フランスからいらっしゃいました。日本語はお得意ではないそうなので、みなさんお得意の英語でお話ししてあげてください」


英語を担当している別の先生が挨拶を促す。が、小さく会釈をしただけで再び窓の外に目を向ける。

この瞬間、きっとクラス全員が思っただろう。


――感じ悪いわ。


これがリリアーヌに対する千鶴子の第一印象だった。


にもかかわらず、リリアーヌに群がる級友たちを見て、千鶴子は苦笑する。普段だったら先陣を切って目を煌めかせる千代も、今回ばかりは千鶴子の隣にいる。

その千代に向き直り千鶴子は口を開く。


「千代ちゃん。行かなくて良いの? 彼女のところ」

「――行かないわ。彼女、中身までお人形みたいなの。わたくしには手に余るわ」

「中身までお人形…ね」

「何を話しかけても無視なのよ。ちゃんと英語で話しているのに。聞こえていないのかしら」


ぷんぷん怒る千代をなだめ、千鶴子はリリアーヌに目を向ける。千代ではないけれど、とても可愛くて本当にお人形みたいだ。しかも外見だけではなく、性格もそうらしい。話しかけていない千鶴子でも容易にわかる。


「誰とも、一度も目を合わせようとしないわね。スピアさん」

「そうなのよ。仲良くする気は毛頭無いようね。せめて笑ってくださればいいの

に。きっと可愛いわ」

「問題はそこなの? 千代ちゃん…」

「あなたは違うの? 千鶴ちゃん」

「違うわよ……」


千鶴子が何を言わんとしているのか理解出来ないらしい千代は真剣な表情で悩んでいる。こういうところが千代の美点なんだろうけれど、とまたもや苦笑をもらす。


そんな二人に控えめに声がかかった。その声に二人とも急いで立ち上がり振り返る。

「先生、どうかなさいましたか?」

「千鶴子さん、千代さん。実は二人にお願いがあるのです…」

先生はちらりと生徒たちの群がるところへ視線を送ると、千鶴子と千代に廊下へ出るよう促した。


三人が廊下に出ると、気まずそうに先生が口を開く。

「リリアーヌさんとはもうお話ししましたか?」

千鶴子と千代は目を合わせると、揃って首を横に振る。先生は目を伏せると静かに続ける。


「彼女のご家庭は少し複雑だそうです。日本に来ることも彼女自身は反対されていたそうですが、彼女一人をフランスに残して来ることも出来ず、渋々連れてこられたそうです。それで少しでも彼女の気分が晴れれば、とこの学校に通わせることにしたそうです。そうなの、ですが…」

壁越しにリリアーヌを見つめると、言いにくそうに言葉を継ぐ。


「日本人なんかと馴れ馴れしくするつもりはない、と」


その言葉に二人は唖然とする。まさかそこまで言っていたとは思いもしなかった。しかしどうしてそれを先生が告げたのか。千鶴子は首をひねり思いをめぐらす。

それがある一つの仮説に行き着いたとき、千鶴子の耳に千代の困惑した声が届く。


「…それはひどいですけれど、どうしてそれをわたくしたちに?」


先生はにこやかに微笑むと一転して明るい声で告げる。

「あなたたちの英語の成績はクラスで一位、二位を争うほど―と、いつも聞いていますよ」

嫌な予感は当たるものだなと千鶴子は思う。まだ理解していない千代の代わりに千鶴子は先生に問う。

「英語が得意だから彼女のお相手を、ということですか」

「さすが、千鶴子さん。その通りです。お願いできますね、千鶴子さん、千代さん」

ここで首を横に振ることなど出来るはずもなく、二人は笑みを貼り付けた顔で首肯した。



来たときとは全く反対の顔で去っていく先生の背中を見届けた後、廊下の壁に背を預けた千鶴子は大きな溜息を吐いた。


「千鶴ちゃん。どうしましょうか」


千代の言葉に再び溜息を吐くと、決意を込めて教室内のリリアーヌを見やる。

「…やるしかないでしょう」


教室に入った千鶴子は人の波を掻き分けリリアーヌの机の前に立つ。それに隠れるように付いてきた千代は、その横顔に見惚れた自分を諫めるように自分の頬を叩き気合いを入れる。


こちらを一度も見ようとしないリリアーヌに少し苛立ちを覚えながら、その気持ちを抑え千鶴子は彼女に英語で話しかけた。


『はじめまして、スピアさん。わたくしは速水千鶴子と申します。これから仲良くしてくださいね』


その後に続けて慌てて千代も自己紹介する。


『は、はじめまして。わたくしは相川千代です。こんな可愛いクラスメイトが出来て嬉しいですわ』


二人の挨拶をさらりと無視したリリアーヌに、周りの級友たちも違和感を嫌悪に変え始める。今までは自分たちの英語が稚拙で通じていないのかと思っていたのだが、完璧な英語を話す二人にも返事をしないのを見て非はあちらにあるとわかったのだろう。


一人また一人と去っていく級友たちを横目に、負けじと千鶴子は続けた。


『先生方からスピアさんのお世話役を申しつかりましたの。分からないことがありましたら、何でもわたくしたちに仰ってくださいね。わたくしたちのことは千鶴子、千代と呼んで下さい。ですからあなたのこともリリアーヌと呼んでもいいですか?』


なおも無視を続けるリリアーヌを見て、千代が千鶴子の袖を引く。

「ねえ、千鶴ちゃん。彼女本当に英語通じているのかしら」

千鶴子にしか聞こえないように小声で尋ねてくる千代に、千鶴子はわざと彼女にも聞こえるように英語で返した。


『通じていて無視しているのだったら、彼女はよほど性格の悪い方なのね』


「千鶴ちゃんっ。もし聞こえていたら…」


『あら、始めにこちらの気分を害したのは彼女よ。これが嫌だったらわたくしの顔を見て一言言えば済む話だわ。「やめろ」ってね』


制する千代に話すように、あえてリリアーヌの神経を逆立てるような言葉を並べる。


『日本人なんかの英語すら理解出来ないなんて本当にイギリスに住んでいたことがあるのかしら。分からないと思って嘘でも吐いていたのではなくって? やることが子どもっぽいわね』


「ち、千鶴ちゃん…」

千代に促され彼女を見下ろすと、千鶴子はにっこりと笑みを浮かべた。


『ごきげんよう、リリアーヌ』


リリアーヌはしっかりと千鶴子を見上げていた。千鶴子を睨むその青い瞳に背筋が粟立つのを感じるが、微笑みで自分を鼓舞してみせる。


『馴れ馴れしく名前を呼ばないでくださる? 日本人と仲良くするつもりは毛頭無いと言っておいたはずですけれど、ここの先生方は話を聞いていなかったのかしら』


冷ややかに千鶴子を見上げながら、視線に負けず劣らず冷ややかな言葉を紡ぎ冷笑する。


『理解出来ているかしら?』


もちろん、全部理解出来ている千鶴子は怒鳴りたくなる衝動を抑え、無理矢理笑みを浮かべる。


『ええ。理解していますわ。まさか日本人には理解出来ないとでも思ったのかしら。そんなわけないでしょう。馬鹿にするのもほどほどにしていただけます? お人形さん』


ぴくりとリリアーヌの眉が上がり、彼女は衝動的に立ち上がる。端正な顔が近づき、千鶴子は思わず息を呑む。


『馬鹿にしているのはそちらではなくって』


こくりと喉が鳴るのを聞きながら冷たい瞳を見つめ返す。


『わたくしは人形ではないわ。そんなことも分からないのかしら?ただの嫌味だとしたら、日本人は随分子供っぽいことをするのね』


『貴女が無視をするからいけないのでしょう。ここまで言わないとこちらを見てもくれなかったのよ。それで口を開いたら出てくるのは嫌味ばかり。不愉快極まりないわ』


『不愉快なのはわたくしの方だわ!こんなところに入れられてっ』


はっとしてリリアーヌは口を噤む。


その様子を見て千鶴子はにっと口の端を上げた。リリアーヌの冷ややかな瞳に見つめられて千鶴子は冷静になっていた。彼女が言い返してくることも計算の内。

続けて何かを言おうとしたとき、優しく袖を引かれ口を閉じた。その千鶴子の代わりに、千鶴子の袖を握りながら千代が告げる。


『…そんなことわたくしたちに関係ないわ』


自分を止めようとしていたのだと思っていた千鶴子は目を瞬かせる。リリアーヌも驚いたらしく、一瞬言葉を失う。


『「ローマにいるときはローマ人がするように行動せよ」って言葉を知らないの?我が儘ばかり言っていないで嘘でも笑いなさいよ。折角可愛い顔に産んでもらったんだから!』


『…それにこだわるのね、千代ちゃん』

思わず呟くと二人からきっと鋭い視線を向けられる。


『可愛いくせにそれを無駄にする人は嫌いなのよ!』

『わたくしは可愛いって言われることが嫌いなのよ!』


『そ、そうなの…?』


二人の迫力に呑まれそれだけしか言えないでいるとお互いの言葉にお互いがさらに怒りを募らせる。


『どうしてそんなこと言うのよ!可愛ければ何も出来なくても良いって言われるのよ?普通の顔では努力も認めてもらえないの。それでも嫌いになってはいけないの?』

『どうしてそんなこと言うのよ!いつもいつも見た目だけで判断される身にもなってみなさいよ。努力を認めてもらえないのよ?それでも嫌いになってはいけないの?』


お互いの言葉にはっとすると二人は押し黙った。


会話の断片は拾えていてもきっと全ては理解出来ていないだろう。だからこの会話を聞いていたのは千鶴子と千代とリリアーヌだけ。それでもこれ以上ここで話すのは好ましくない。


千鶴子は二人にだけ聞こえる声で教室から出るよう促した。




中庭にある木陰のベンチに腰を下ろすと、大人しくついて来た二人にも座るように促し、千鶴子は謝罪から始める。


『ごめんなさい。スピアさん。怒っているわよね』


感情の読めない表情をしているリリアーヌを見て千鶴子は肩を竦める。


また返事がないということは相当怒らせたかな、


とどきどきしていると、たっぷりと間をおいてリリアーヌが呟く。


『別に、怒っていないわ』


一瞬言葉の意味を捉えかねて、その後彼女の言葉を理解した千鶴子は声を呑んだ。その千鶴子の代わりにぶっきらぼうに千代が言う。


『本当に怒ってないならにっこり笑ってみせたらどう?』


『千代ちゃんっ。怒ってないって言ってくださってるんだから良いじゃないの』

千代は珍しく眉を吊り上げて乱暴に千鶴子の腕を握る。


『理由も分からず無視されて、その挙句に怒りをぶつけられたのよ?しかもまだ一回も笑ってくれないわ!わたくしは彼女の笑顔が見てみたいのっ』


『またそれなの…』


でも確かに無視されて怒られた理由くらい教えてくれても良いとは思う。でも話させる目的で挑発するには言い過ぎたとも思っている。だから千代のように強く聞くことができなかったのだ。


ちらりとリリアーヌを盗み見ると、彼女は何かを考えているように顎に手を当ててじっと桜の木を見つめている。そういえば、さっきもずっと窓の外を眺めていた。千鶴子の脳裏に一つの考えが浮かぶ。


『スピアさん、桜、お好きなんですか…?』


おずおずと訊ねてみると、リリアーヌの意識が自分に向いたことが分かった。視線は桜の木においたまま、小さな声でそれに答える。


『桜は、嫌いじゃないわ』


『嫌いじゃないって…』

思わず繰り返すと自然と笑みがこぼれる。そのまま笑いが止まらずくすくすと笑っていると、リリアーヌが苛立ちを含んだ声で日本語で文句をつけた。


「どうして笑うのよ。何か可笑しい?」


千鶴子と千代は思わず顔を見合わせた。聞いていた話と違う。


「あなた日本語話せるの?」

「じゃあ全て理解していたってこと?」

二人の問いに小さく首肯したリリアーヌは、不意に立ち上がって深く頭を下げた。


「っスピアさん?どうなさって?取り敢えず頭を上げて…」


千鶴子も慌てて立ち上がるとどうしていいか分からず狼狽える。リリアーヌを見つめている千代は座ったままぽかんと口を開けている。


「ごめんなさい。謝らなければならないのはわたくしの方だわ。親に対する怒りを貴女達にぶつけてしまったわ。貴女達は何も悪くないのに。ごめんなさい」


「取り敢えず顔を上げて?スピアさん」

「ごめんなさいより理由が聞きたいわ」


リリアーヌはゆるゆると顔を上げると二人の顔を順に見る。優しく笑う二人に、リリアーヌの目にうすく涙が浮かぶ。


ベンチに座り直すと、リリアーヌはゆっくり口を開く。

「少し長くなってしまうけれど、聞いてくれる?」


千鶴子と千代は揃って頷く。


リリアーヌが話してくれたのは彼女の家族のことだった。


リリアーヌの父はフランス人で、仕事の関係でヨーロッパ中を飛び回っていた。一度日本にも来たことがあり、そこで出会った女性と恋に落ちた。そしてリリアーヌの父はその彼女をフランスに連れて帰った。しかしそれがリリアーヌには問題だったのだ。


「わたくしの母はフランス人なの。でも去年亡くなったの。体が弱くて。でもそのとき父は家に、いえフランスにいなかったの。日本にいたのよ、そのとき」


まさか、と千鶴子と千代の脳裏に嫌な考えが浮かぶ。それとリリアーヌが躊躇いがちに口を継いだのはほぼ同時だった。


「連れて帰って来たの。あの女を」


リリアーヌはその先を言おうとしなかったけれど、想像は難くなかった。顔を歪め、苦しそうな表情を浮かべるリリアーヌに、千鶴子は何も言うことができなかった。


そんなこと経験もしたことのない千鶴子には何と言ったら良いのか分からない。


その千鶴子の横で千代はさらっと言い放った。


「そうだとしても。いえ、そうだとしたら。なおさら日本を、日本人を恨むのは筋違いじゃなくって?」


「千代ちゃん…っ」

「良いのよ、速水さん。相川さんの言うとおりだもの」


千鶴子と千代が顔を見合わせるとリリアーヌは自嘲めいた笑みを浮かべる。


「わかってはいたもの。悪いのはお父様よ。新しいお母様も悪くないわ。日本も、日本人も。それでも、恨まずにはいられなかったの。お父様も、お父様の連れて来たものも全て」


千鶴子は思わず立ち上がるとリリアーヌの前にしゃがみこむ。そしてリリアーヌの肩にそっと手を当てると、自分も苦しそうな顔をしてそっと告げる。


「ごめんなさい。辛いことを話させてしまって」


その言葉におもむろにリリアーヌは顔を上げる。

千鶴子はリリアーヌの悲しい色をたたえた瞳を見つめると優しく微笑む。


「でも、話してくれてありがとうございます。このことは誰にも言わないわ。わたくしたちだけの秘密にしましょう。千代ちゃんも、良いわよね」

「もちろんよ。千鶴ちゃん」


千代はリリアーヌの隣に座るとその肩を優しく抱く。

「辛かったでしょう?ごめんなさい」


「貴女達は、悪くないわ。悪いのは、わたくし」


強がりながらも青い瞳からは涙が次々に溢れ出る。

千鶴子と千代は優しくリリアーヌを見守った。



そしてリリアーヌの涙が止んだころ。


真っ赤になった目元を柔らかなハンカチーフで拭うと、リリアーヌは顔を上げた。

「ありがとう。もう大丈夫よ」


千鶴子と千代はベンチに座り直し失笑する。

「綺麗な青い瞳が勿体無いわ」

「お礼はいいから笑みがみたいわ」

笑いながらそう言う二人にリリアーヌはぷくと頬を膨らませる。

「しつこいわね、貴女達」

そんなリリアーヌに笑みを深める。


千代とリリアーヌが軽口を叩き合っているのを見ていた千鶴子はふと思い出したことを訊ねる。


「スピアさん。どうして可愛いと言われるのが嫌いなの?」


明らかに嫌そうな大きい溜息を吐くと千鶴子の顔をしっかりと見て答える。


「お父様と新しいお母様が褒めちぎるのよ、この顔を。それに、お母様にそっくりなの。お母様はいつも笑っていたから、それを思い出すのが嫌だったの」


「今は?」


言葉尻を取るようだけど、少しでも期待したい千代は鋭くたずねる。


強い風がひらひらと桜の花びらを舞わせる。最高の舞台が整った中で、リリアーヌは柔らかく微笑んだ。


「貴女達となら、笑ってもいいかもしれないと思ってるわ」


あまりにも綺麗な光景に二人は息を呑んだ。目の前をピンク色の花びらがたゆたい、落ちていく。なびく金の髪に思わず魅入ってしまった。


「どうかして?」

初めのころからは想像もつかないような柔らかい声音にはっと我に返る。


「綺麗だったからつい見惚れてしまったわ。やっぱりスピアさんはお人形よりも全然綺麗だわ。ごめんなさい。あの発言も撤回するわ」

「ずるいわ。可愛過ぎる」


「もう、二人とも…」

そう告げたリリアーヌは何かを言いかけてぽんと手を打つ。


「ねえ。わたくしも、千鶴ちゃん、千代ちゃんって呼んでもいいかしら」


突然のことにまた目を瞬かせる。しかし直ぐに顔いっぱいに笑みを浮かべると大きく頷く。

「ええ、もちろん!あ、ではスピアさんのことはなんと呼んだら良いのかしら」

「そうだわ。お母様は何と呼んでらしたの?」

優し気に目を細めると再び笑みを滲ませながらリリアーヌはその名を口にした。




「貴女が来たのもこの時期でしたね。ちょうど一年が過ぎたのね。なのにもう何年も会っていないみたいに寂しく思います。


千代ちゃんも毎日リリィの話をしています。貴女から教わったフランス語で、たまに会話をしたり手紙を交換したりしています。とても楽しいです。


でもリリィがいないと物足りません。


リリィだったら…、と直ぐに考えてしまって、その考えを振り切った後は寂しさがこみ上げて来ます。


それと同時に三人で過ごした楽しい時間を思い出して嬉しさで胸がいっぱいになります。


貴女のせいでわたくしの心が忙しい思いをしているわ。


『手紙が届かなくなったからわたくしのことを忘れたのかと思ったわ』


ってあなた本当にお馬鹿さん。天候の関係で一月届くのが遅くなっただけではありませんか。


リリィのことを忘れるわけがないでしょう。


また近い内にお会いしましょうね。


実はお兄様が一月だけフランスに行くことになりました。ですからお父様にお願いしてわたくしも同行させていただくことにしたのです。


勿論、千代ちゃんも一緒です。


今から楽しみで眠れません。


もう暖かいですけれど体調には気をつけないといけませんわね。リリィも体調には気をつけてくださいね。


また逢える日まで。お元気で。


ごきげんよう。


千鶴子』



フランス語で自分の名前を連ねた後、満足気に微笑んだ千鶴子は羽ペンを置いた。


窓の外には昨年と同じように、ピンク色の景色が広がっている。


おもむろに窓に手をかけ、ばっと大きくそれを開く。甘い空気を吸い込んだ千鶴子は、目を閉じ想いを馳せる。


「貴女が日本を発つときに最後に告げた言葉は、何があっても忘れられないわ。リリィ」




青い海の上に浮かぶ大きな白い船。


すっかり西洋風になった港で、千鶴子と千代はお揃いのワンピースに身を包んでいた。二人の目の前には、二人とお揃いのワンピースを着たリリィが悲しそうな顔で立っている。


『そんな今にも泣きそうな顔しないで、リリィ』

『ええ。これが一生の別れではないんだから。可愛い顔が台無しよ?』


流暢なフランス語で笑い交じりに告げると、目尻に浮かんだ涙を拭いながらリリィは答える。


『もう千代ちゃんはずっとそれね』

ふっと笑みを滲ませると、最後は日本語で締めくくる。


「もう行かなくちゃいけないわ。一ヶ月間ありがとう、千鶴ちゃん、千代ちゃん。手紙書くわ。しつこいくらいに送るわよ」


「上等よ。わたくしも毎週のように送ってあげるわ」


「千代ちゃん、リリィ…。もう、二人とも仲が良いんだか悪いんだか」


千鶴子の言葉に思わず吹き出すと、ひとしきり笑った後に唇に笑みを乗せながら背を向ける。


そして二三歩歩いたところでふと思い出したように振り返り、潮風になびく金の髪を抑えながら微笑む。


『わたくしのこと、忘れないでね…!』


リリィの口から出たのはドイツ語だった。


ドイツ語は話せないけれど理解は出来る。千鶴子と千代は大きく頷き、涙を堪えて手を振る。


三人のお揃いの鞄の中には同じ一冊の本が入っている。そのページを繰っていくと、押し花の栞が目に飛び込む。


リリアーヌの瞳のように、綺麗な青い花の栞。


勿忘草に思い出を込めてーー。



読んでくださりありがとうございます!


勿忘草の花言葉は「わたしを忘れないで」「真実の友情」だそうです。


余談ですが「わたしを忘れないで」という花言葉は中世ドイツで生まれたそうです。そしてそれがそのまま花の名前にもなりました。英語でもForget-me-notとそのまま訳されています(^^)


あまり友情ものは得意ではないのですが、親友を思い浮かべながら精一杯書きました。




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