後編
文化祭がやってきた。
うちのクラスの出し物は喫茶店だ。ベタにも程がある。もう少し捻ってもいいと思うのだが、扱うメニューもフライドポテトにケーキ、各種ドリンクと超王道。だが王道というものは定番なのであって、定番というからには一定の需要がある。そのニーズを満たしたうちのクラスの喫茶店はそれなりに賑わっていた。
「そろそろ、一時だな」
特にやることもなくて、シフトが終わった後も裏方を手伝っていた俺は、時計を確認してつぶやく。
「なんだ、一時になにかあるのか? 三時にはちゃんと体育館に来いよ」
これからシフトなのか接客用のエプロンを身につけていた宏隆が話しかけてきた。
「ああ、わかってる。絶対に行く」
衛生のため着けていた手袋と調理用エプロンを外して、俺は教室を出た。
図書館に行くと、図書館自体は閉館していて鍵がかかっていた。図書委員の知り合いによれば、休憩所として解放するかどうかで委員会としても揉めたのだが、結局「貴重な本の保護」を理由に文化祭の期間中は閉鎖が決まったらしい。
「入れないってのも、さみしいな」
いつもと違って、色紙やら紙の花で飾り付けられた廊下を眺める。非日常的な光景のなかに、みのりと図書館の奥で話した日々を思い出す。またあそこで話したい。それが、今は出来ないことが、なんだかもどかしい。
「ちょっと引っ張らないでよ~」
「だって、もう一時になっちゃうわよ?」
「ほら、早く早く」
「もう、一人で行くから離して~!」
ふいに、そんな会話が聞こえてきた。振り返るのと、廊下の角からみのりが顔を出したのはほぼ同時だった。
「あ」
「あ」
目が合う。なんだか、妙にドキドキしてしまう。なんだこの感じ。
「よ、よう」
「うん」
「ひ、久しぶりだな、こうやって話すの」
「うん」
俺達は、ぎこちなくも並んで歩き出した。みのりが出てきた廊下の角から、頭が二つ覗いているのは気にしたら駄目なんだろうな。連れてきてくれたんだから、感謝しないと。
「みのり、なんか食いたいもんあるか?」
「え、えと……たこ焼き?」
「よし、行くか」
みのりの手をとって、走った。感謝はするが、このまま見られるつもりはない。たこ焼きをだしている屋台は三つだ。一番評判がいいのはグラウンドに出ている3-Bのだが、ここはあえて人の少ない裏庭にある2-Dのを食いに行こう。
俺たちは、階段を駆け降りた。
たこ焼きにクレープ、焼きそば、から揚げ、かき氷。およその屋台メニューを制覇した俺たちは、体育館へとやってきていた。
時刻は二時四十分。予定通りだ。
「きょ、京太郎くん。こんなとこに入ってどうするの?」
暗幕がひかれ真っ暗な体育館の中、みのりが不安げに見上げてくる。
「……みのり、これからここで何があるか知ってるか?」
「えっと、確か、演劇部の劇?」
「そうだ」
俺はみのりを連れてステージの横、舞台袖へと入った。
「おう、京太郎、遅かったな」
王様の格好をした男子が話しかけてくる。髭と王冠のしたの顔に見覚えがあった。
「ははは、宏隆か?」
「ああ、すごいだろ?」
俺はもう一度、はははと笑ってから舞台袖を見渡した。段ボールで作られたセット、積み上げられた小道具、仮装した部員たち。これから劇をやる演劇部のメンバーだ。
宏隆はこの部の部長、俺は脚本家を任されている。
「それで、内田をここに連れてきたってことは、あの台本はやっぱりそういうことか?」
「ああ、よく気づいたな」
「ま、いつもと作風が違ったからな……」
きょろきょろと周りを見回して、落ち着かない様子のみのりを宏隆はチラリと見た。
「なるほど、面白い案だと思うぜ。内田のためにもな」
「だろ?」
俺は、みのりの肩をポンと叩いて言った。
「そういうわけだ、最後のアレん時に一緒に出させてくれ」
「わかった」
ジーと映画が始まる時のような音がして、劇の開始を知らせるアナウンスが流れる。部員たちが慌ただしく動き始めた。俺も照明を手伝うことになっている。
「みのり、前の方に席を確保してある。呼びにいくからそこで観ててくれないか?」
「う、うん、わかった」
みのりが舞台袖から消え、ステージの目の前の空席に座った。例のみのりの友人二人に頼んでおいた席だ。俺が照明のスイッチを入れる。主役の男子部員がステージの中央に立つ。音楽が流れ始める。背景が、セットが、舞台の上に異世界を作り出す。
劇が、始まった。
* * *
私――内田みのりは友人の琴美と、ゆみに挟まれて演劇部の劇を観ることになった。さっきまで一緒にいた桐野京太郎は、舞台袖で照明を担当しているはずだ。どうしてこうなったんだろ。
今までの彼の態度や言葉から察するに、京太郎くんはこれを私に見せたかったみたいだけど、この劇に何かあるのかな?
「あ、みのり始まったよ」
「これって、桐野君が書いた脚本なんだよね?」
「多分」
そうだろう。脚本家なんだから。
京太郎くんが演劇部の脚本を書いているのは、前から知っていた。あれは、去年の文化祭の時だ。京太郎くんは一年生ながら、先輩の一人と共同で脚本を担当していて、最後のスタッフ紹介で出てきた。
私は、同じクラスに物語を書いてる人がいるんだって驚いて。それから、彼のことがなんとなく気になっていた。小説と脚本は違うかもしれないけど、やっと仲間を見つけた気分だった。
今回は、どんな話を書いたんだろう?
『昔、あるところに、ひとりぼっちの魔法使いが居ました』
ナレーターが、プロローグを語りだす。幕が上がり、魔法使いの衣装を着てスポットライトを浴びる男子生徒が現れた。
『彼は、強い力を持っていましたが、そのせいで周りから敬遠されていました。彼のそばにいたのは、使い魔の黒猫だけです』
……え?
これ、もしかして……でも、まさか……。
『そんな彼は、ある日ひとりの女の子に出会います。その女の子は不幸な生まれのせいで、苦しい生活を強いられていました』
ステージの上に、もう一つスポットライトが照らされる。みすぼらしい格好をした女子生徒が、貴族風の衣装を着た男子にせかされながら掃除をさせられているシーンが浮かび上がった。
『親に見捨てられ、働いている貴族の家では酷い扱いを受け、それでも懸命に頑張る女の子の姿に魔法使いは恋をしてしまいます。何とか彼女を助けたい。魔法使いは日に日にその思いを大きくしていきました』
ここまできて、私は確信した。
これは、「魔法使いと小さな王国」という私が書いた小説だ。あの時、京太郎くんとぶつかって、鞄の中身が混ざってしまい京太郎くんに初めて読まれた私の小説。
舞台に、動きがあった。プロローグが終わったみたいだ。
物語はその後、こう続いていく。魔法使いは、女の子の為になにかできないか悩みぬいた末、女の子の為に小さな王国を作る。それは小さな王国だった。現実ではない幻のような夢の国。そこで女の子は幸せに暮らし、魔法使いはそんな彼女を見守っていた。
しかし、仮初の王国は徐々に大きくなっていく。王様は軍隊を組織し、民から税をとり、領土を広げていった。魔法使いは王様を何とか自分の管理下に戻そうとするが叶わず。王国はやがて魔法使いの手を離れ暴走を始める。そのうち、女の子を見守ることすらできなくなり、魔法使いは自分のしていることの意味を見失ってしまう。
そして遂に、王国は崩壊を初める。崩れゆく王国はこの世に元々あったものではない。崩れた先から、時空の彼方へと飛ばされていった。そんな中、魔法使いと女の子は初めて会うことになる。女の子は、時空の彼方へと飛ばされようとしていた。助けられないと悟った魔法使いは、最後に女の子に魔法をかける。時空を超えて、彼女の望む場所へと行ける魔法を。
女の子は笑いながら、時空の彼方へと消えてしまう。魔法使いは、また一人になってしまった。
「ああ、僕はなんて愚かなんだ……!」
舞台上で、魔法使い役の男子が嘆く。いよいよラストシーンだ。
魔法使いに、使い魔の黒猫がすり寄ってくる。唯一ずっとそばにいてくれていた黒猫を、魔法使いはぎゅっと抱きしめた。その時。
黒猫が身体が光に包まれ、女の子になった。
「ありがとう、やさしい魔法使いさん。ずっと、ありがとうって言いたかった!」
女の子は、最後に魔法使いがかけた魔法を使い、使い魔として魔法使いの隣に行くことを望んだのだ。
しかし、彼女が人間の姿を見せれば、魔法使いが王国を作ることもなくなって過去が変わってしまうかもしれない。そのため、今まで使い魔として黒猫に化けていたのだ。
「ああ、君は、ずっと僕の隣にいてくれたんだね」
「はい。これからも、一緒です」
二人は手を取り合って、歩き出した。
これから目の前に広がる、長い長い未来を。
幕が閉じる。エンドロールが流れ始めた。劇が終わったのだ。ワァー!! と割れんばかりの拍手が体育館を埋め尽くした。両隣の友人もめいいっぱい手を叩いている。ゆみなんか目を潤ませていた。
ポカーンと、幕の降りたステージを眺める。まだ、状況が完全に飲み込めていなかった。
「みのり」
名前を呼ばれる。目の前に姿勢を低くした京太郎くんがいた。
「すぐに来てくれ」
「え……ちょ、ちょっと」
強引に手を引かれて、そのまま舞台袖に連れていかれた。舞台を終えた演劇部員たちが、会場の様子に劇の成功を確信して顔を綻ばせていた。裏方とハイタッチしている人もいる。
「宏隆、そういうわけだから頼む」
「何度も言わなくてもわかってるって。大丈夫だ、皆にはさっき話した」
「サンキュ」
京太郎くんと立花くんが短い会話を交わしたあと、再びステージの幕が上がった。演劇部員たちが立花くんを先頭にステージに出ていく。
最後の舞台あいさつだろう。最後尾の、ナレーションをやっていた女子部員を見送っていると、不意に右手を掴まれた。そのまま引っ張られる。
「俺たちも行くぞ」
「へ? い、行くってどこに?」
「決まってんだろ」
引っ張って来られた先はステージの上だった。
照明が眩しい。拍手の音が凄い。なにより皆の視線で穴があきそう。こんな中で演技するなんて演劇部の皆はすごいなぁ。って、ちょっと待って!
「あ、あの、京太郎くん……」
「なんだ?」
「今って、舞台あいさつだよね?」
京太郎くんが右側に並ぶ演劇部員たちを見渡す。立花くんが、部員たちの紹介を行っていた。ヒロイン役の娘が名前と役を呼ばれ、観客に手を振っている。
「ああ、そうだな。この通りだ」
私は急いで逃げようとして、京太郎くんに止められた。
「なんで逃げるんだよ」
「だって、私関係ないよ。部員でもないし!」
「部員ではないけど、関係はあるだろ?」
「え……」
そういえば、忘れかけてたけど今回の劇のストーリーって私が書いたやつだ。
そう思うと、だんだん腹が立ってきた。
「……盗作だよ、これ」
「ごめん、それに関しては謝る。でも、あいさつの後でな」
京太郎くんが隣を示す。ナレーション役の娘が手を振っていた。次は京太郎くんの番だ。
「脚本担当! 桐野京太郎!」
ワァッと拍手が起きて、京太郎くんが一歩前に出る。手を振ってお辞儀して、元の位置に戻った。
「脚本原案! 内田みのり!」
とうとう、呼ばれてしまった。演劇部の人達が紹介された時と同じように拍手が沸き起こる。でも、京太郎くんみたいに前に出る気にはなれなくて、私はその場で控えめに手を振った。
わあっと、拍手の音量が増した。皆が、手を叩いてくれている。私の物語を視た、皆が。胸の奥底から何かがこみ上げてきて、私は隣にあった京太郎くんの手を握った。京太郎くんはちょっと驚いたように私を見て、それから柔らかく笑って手を握り返してくれた。
「ありがとうございました!」
立花くんがそう言って、部員全員が手を繋ぐ。全員で頭を下げて、劇は幕を閉じた。部員の皆は舞台袖へと戻って、また成功の余韻に皆で浸っていた。そんな中。
私と京太郎くんだけが、まだ手を繋いだままだった。
* * *
『内田みのりが小説を書いていたのは、演劇部に台本の原案を頼まれたからだった』
文化祭から二周間。みのりが小説を書いているという噂は、こうして落ち着いた。早海たちのグループからの嫌がらせも、噂と共になくなっていったらしい。
「うまくいったみたいだな、京太郎」
放課後の教室で帰り支度をしていた俺に、宏隆が話しかけてきた。俺は一旦、手を止めて答える。
「ああ。お前と、演劇部の皆のおかげだ」
「今度、なんか奢れよ?」
「皆にか? ちょっと財布が心配だ……」
「冗談だ」
ははは、と笑いあう。そう言えば、宏隆は早海とよりを戻したらしい。それもみのりへの攻撃が止んだ理由の一つになったのだろうな。どういう経緯があったかは知らないが、宏隆のことだ、問題は解決できたのだろう。早海にも、今回の事を起こしてしまうような何かがあったのかもしれない。
「そうだ、来月にまた保育園に劇をしに行くことになったんだ。台本頼むな」
「そうか、わかった」
「また、内田に原案を書いてもらうのか?」
「いや、意見くらいは聞くかもしれんが、今回は自分で書くよ」
俺は、最後に筆箱を入れて鞄を閉めた。そのまま担ぐ。
「じゃあ、またな」
宏隆に手を振って、俺は教室を後にした。
階段を降りて、昇降口に向かうと、下駄箱に寄りかかってみのりが待っていた。
「ごめん、待たせた」
「ううん、帰ろ。京太郎くん」
俺たちは連れたって校門を出るのだった。
季節は秋から冬に変わりつつあって、時折吹く北風は身震いするほどだ。寒いねとみのりが言うから、そうだなと笑って返した。
そんなやりとりを何度か繰り返したあと、みのりがおずおずと口を開いた。
「あ、あのね、京太郎くん」
「なんだ?」
「文化祭の時の、本当にありがとう」
「もういいよ、何度も言ってもらったし。俺が勝手にやったことだし。むしろ謝らないといけないよな、みのりの小説を無断で使ったりして。本当に悪かった」
「それこそ、もういいよ。私のためだって分かってるし。それにね」
みのりはそこで、言葉を区切った。息を吸って、吐き出す。
「今回のことでわかったの。私、ちょっと臆病になってたのかもしれないって。私の物語なんて誰にも理解してもらえないって決めつけてた。でも、あの時ステージの上で皆から拍手をもらって、琴美や、ゆみみたいに受け入れてくれる人も、私の物語を面白いって言ってくれる人もいるんだって初めて知った」
「みのり……」
「全部、京太郎くんのおかげ」
本当にありがとう。とみのりが微笑んだ。
みのりによれば、琴美さんとゆみさんとやらは、噂が流れる前からみのりの小説のことを知っていたらしい。文化祭の後、思い切って打ち明けたところ、今度読ませてとあっさり言われたとか。どうりであの二人だけ噂のことを気にしていなかったわけだ。
「あお、もう一つ、京太郎くんに言いたい事があるの」
「ん、なんだ?」
「えっとね、新しい小説を書いたんだけど……」
俺は、待ち望んでいたその言葉に飛びついた。
「本当か!? どんなのだ?」
「え、ええっと……」
自分から切り出したくせに、みのりは口ごもってしまう。
「どうしたんだよ」
「えと、その……ね。今まで書いたことのないジャンルだから」
「……ファンタジー系じゃないってことか?」
「うん」
俯いたみのりは、なぜか耳まで真っ赤だった。初めて書くジャンルが上手く言っているか不安で、見せるのが恥ずかしいのだろうか?
しかし、みのりの羞恥の理由はもっと別のものだった。俺は、その答えを数秒後に知ることになる。
「えっとね。今回書いたのは……、作家志望の女の子が優しい脚本家に恋するお話……なの」
脚本家は、ひどく赤面した。