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中編

 いつも通りの、図書館の奥での放課後。

 みのりは不自然なくらい上機嫌で、俺にノートを渡した。


「短編ですけど、書き終わったので。どうぞ」


「ありがとう」


 俺は、ノートを受け取って、すぐに鞄にしまう。みのりが不思議そうにした。いや、正確には不思議そうなふりをした。


「どうしたの京太郎くん。いつもなら、すぐに開くのに」


「みのり」


「……?」


「大丈夫か?」


「……うん、大丈夫だよ」


 嘘だ。

 初めて、ここでノートを返した時の事を思い出した。自分の小説のどこが面白いのか訊いてきた彼女の事を思い出した。みのりは怖いんだ。まだ、自分の物語を否定された悲しみを、苦しみを忘れられないんだ。

 だから、また否定されて、大丈夫なわけがない。


「みのり、俺――」


「あ、ああ! わ、私このあと用事あるの。じゃあね京太郎くん!」


 わざとらし過ぎて、痛々し過ぎる彼女の演技に、俺は何もできなかった。

 去っていく背中を見送って、小さく舌打ちをする。しまったばかりのノートを取り出して、中身に目を通した。


「誤字脱字だらけじゃねえか、バカ……」


 こみ上げてくる何かを、俺は必死に抑え込んだ。








『内田みのりが小説なんか書いてるらしいよ』


 こんな噂が流れ始めたのは、三日くらい前のことだ。最初は根も葉もない噂だった、しかし誰かが書きかけの小説が書かれたノートを勝手に持ち出して見せびらかしたらしい。それ以来、小説をネタにクラスで最も大きな女子グループに散々酷いことを言われていると聞いた。もちろん、小説のことで。


「くそっ。誰がこんな……」


 昼休み、昨日のみのりの様子を思い出して、俺は拳を握りしめた。


「まあ、落ち着けよ京太郎」


「でも!」


 言いかけて、やめた。宏隆にあたっても仕方のないことだ。


「悪い」


「気にすんな。お前、内田と仲いいもんな」


 そう見えるのか。確かに、仲良くなったとは思うが。


「そういう宏隆は最近、早海とあんまり一緒にいないな」


「ん、ああ、まだ話してなかったな。俺、早海と別れたんだ」


「は、マジか?」


 先月までは、あんなにラブラブだったのに。


「マジだ。あいつ、二股かけてたみたいでな」


「へえ、意外だな」


「ああ、そういう奴だとは思わなかったよ」


 なるほど、それで最近昼飯を俺と食ってんのか。

 裏切られたとは言えまだ未練があるのか、宏隆はメロンパンを頬張りつつぼやいた。


「小学校からの付き合いだってのに、気付かなかった俺もまだまだだったってことだな」


「早海と小学校一緒だったのか?」


「ああ、内田も一緒だ。内田と沙希と俺は小学校からずっと一緒だな」


 沙希は、早海の下の名前だ。

 小学生だった頃を懐かしむように窓の外を眺めていた宏隆は、ふと俺を見た。


「そういえば、前にもこんなことあったな」


「こんなことって?」


「内田の小説だよ。小学校ん時も、今と似たようなことでいじめられてたんだ」


「ああ、それなら聞いたことが……ちょっと待て、宏隆、お前の小学校からこの高校に来たのってお前たち三人だけか?」


「ん、他の学年はわからんが、同学年じゃ俺たちだけだ」


「…………」


「京太郎?」


「なあ、お前が早海と別れたのって最近だよな」


「あ、ああ。三日くらい前かな」


 ……。

 まさか、な。


「お、おい京太郎!?」


「悪い、用事、思い出した」


 あまり目立ちたくなかったので、音をたてないように立ち上がる。教室を見渡すと、二人の友達と弁当箱をひろげているみのりを見つけた。

 静かに近づく、みのりが真っ先に俺に気づく。何事かと目を見開いている。


「ちょっと、みのり借りてく」


 そう言った俺は、笑えていただろうか?


「あ、桐野君。どうぞどうぞ」


「がんばれ、みのり」


 みのり以外の女子には、誤魔化せたみたいだ。皆なにを勘違いしているのか、キャッキャッと喚いている。


「行こう」


 俺は、構わずみのりを連れ出した。








 行った先は、いつもの図書館の奥。俺はみのりと向かい合った。


「単刀直入に訊く、早海の仕業か?」


 何が、とは言わなかった。言わなくてもわかるはずだ。


「……立花くんに聞いたの?」


「お前と早海が同じ小学校ってとこまではな」


「そっか」


 みのりは、そう言って俯いた。


「その通り、だよ。確証はないけど、十中八九、早海さんがあの噂を流したんだと思う」


「……小学校時代、小説のことでお前を晒し者にしたのも早海か?」


「うん」


「く……、やっぱり、宏隆と別れたのが原因か」


「そうだね。立花くんのことは本気だったみたいだから。……みのりのくせに男子と上手くいってるなんて許せない、そんなようなこと言われた」


 つまり早海は、本命だった宏隆に捨てられた事の憂さ晴らしにみのりを使ってるってことか。最近、俺と一緒にいることも、早海にとってはみのりを気に入らない理由の一つになってしまったわけだ。


「それで、過去の傷を掘り返したってのかよ」


「…………」


 踵を返して走り出そうとして、みのりに制服の袖を掴まれた。


「どこ行くの?」


「決まってんだろ、早海を問い詰めてくる」


「それだけじゃ済まないでしょ、やめて」


「じゃあ、どうしろってんだ。俺は許せないんだ!」


「京太郎くんには関係ない!」


 初めて聞くみのりの大きな声に、俺は思わず振り返った。

 俺の袖を握るみのりは、今まで見たことないほど、強い顔をしていた。その表情に、怯みそうになる。


「京太郎くん、さっき過去の傷って言ったよね」


「言ったけど……」


「早海さんが掘り返したのは、私の小説。いくら苦い思い出でも、私は自分の小説を傷だなんて思いたくない」


「そ、そんなつもりじゃ……」


「私は、京太郎くんに早海さんと話して欲しくなんかない」


「…………」


「もう、放っておいて」


 すぐ横を通り過ぎていく、小さな背中に、俺は手を伸ばすことすら許されてはいなかった。一人残された俺は、力なく座り込んだ。自分の無力を嘆きながら。


 その日、放課後にみのりと会わなかった俺は冷たい秋雨の中、傘もささずに歩いて帰った。みのりと会わなかったから、みのりのノートも預かっていなくて、みのりのノートが雨に濡れないことに少しだけ安堵した。

 濡れた鞄を放り出して、冷たく重い制服を脱ぎ捨てて、乾いたジャージに着替えて、ベッドに身を投げ出した。


「……くそっ!」


 振り下ろした拳は、ボスンと布団から埃を巻き上げただけだった。

 俺は、またみのりに自分の考えを、感情を押し付けてしまった。早海のことが許せないのは俺で、みのりじゃない。みのりは自分の小説に誇りをもっていて、俺はその想いを軽んじるような発言をしてしまった。

 早海と俺に、どれほどの差があるだろうか。

 思わず漏れた自嘲的な笑い声に混じって、メールの着信音が鳴った。携帯電話は勉強机の上に置きっぱなしだ。重い身体を起こして、卓上の携帯電話を取り上げる。宏隆からだった。


 ――昼に言いそびれたが、そろそろ台本を頼む。このままだと間に合わない。


 忘れていたわけではないが、正直やる気はおきなかった。しかし、部のみんなにこれ以上迷惑をかけるわけにもいかない。今日から書きはじめないとならない。

 俺は力なく本棚からネタ帳を引っ張りだそうとして、それに気づいた。ピンク色の大学ノート。初めて読んだ、みのりの小説。俺が感動した、みのりの書いた物語。


「……そうだ」


 ポンと、突然アイディアが浮かんだ。椅子に腰をおろし、机に向かう。


『もう、放っておいて』


 一瞬みのりの声が脳裏によぎるが、俺はそれを振り払った。


「放ってなんか、おけるかよ」


 真新しい大学ノートを広げ、シャーペンを走らせる。

 みのりを助けるんだ。俺がじゃない。みのりの小説が、彼女が心血を注いで書いてきた物語が、彼女を救うんだ。








 それから、二週間と少し過ぎた。

 みのりとは、なんとなく話せないでいた。ただ、俺も忙しかったし、話しづらかったしで、そのことは特に気にしていなかった。


「それがマズかったかな」


 ただでさえ、言い出しづらいことなのに、ブランクがあってなおさらに言いにくい。気まずくても、少しは話しておくべきだったな。

 しかし、今日中には話しておかなければなるまい。当日になっていきなり連れ回すわけにもいかないし。とにかく、話しかけないと。

 というわけで、昼休み。いつものように三人で弁当を広げているみのりの所へ向かった。今回も、真っ先にみのりが俺に気付く。気まずそうに目を逸らされた。構わず話しかける。


「あの、みのり」


「な、なに……?」


 よかった、一応返事はしてくれた。

 一度深呼吸をして、場所を変えようか一瞬迷ったが、その場で言った。


「来週の文化祭、一緒にまわらないか?」


「ふえええっ!?」


 盛大にビックリするみのり。それとは別に、みのりの友人二人はキャーと黄色い声をあげていた。えっと、多分だけど期待してるものとは違いますよ?

 そんな友人たちの事を気に掛ける余裕もないのか、みのりはひたすらあたふたしていた。


「え、えと、う、嬉しいんだけど、もう二人と約束してて……ね、ねえ、琴美ことみ


 しどろもどろにそう言うみのりは、隣の席に座る女子に助けを求める。だが、助けを求められた琴美というらしい女子はわざとらしく大袈裟に首をかしげた。


「えー、ゆみ、そんな約束してたっけ?」


 ゆみ、と呼ばれた三人目の女子は手を振った、大袈裟に。


「してないよー、あたしは彼氏とまわるもん」


 友人二人の目が、俺に向けられた。


「というわけで、みのりをよろしくね」


「桐野君に預けたよ」


 だから、なんか勘違いしてないか。まあ、みのりを借りられるなら何でもいいか。

 真っ赤になって固まってしまっているみのりに、「午前中は俺らどっちも店番入ってたから、午後一時に図書館前でな」とだけ言い残して俺は自分の席に戻った。わざわざ集合場所と時間を言ったのは、友達二人にも聞かせるためだ。これで当日、みのりが嫌がってもこの二人が連れてきてくれるだろう。

 散々面白がってくれてるんだ。少しは利用させてもらうぞ。


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