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魔王トーキョーに降臨す(3)

 1年後。



 ゼファーはその頃にはもう、数え切れない配下を従えていた。

 海外のマフィアまで及ぶ巨大な裏社会のシンジケートを作り上げた。

 不正な株価操作、麻薬や銃密売など、ありとあらゆる非合法のビジネスで巨万の富を得た。

 限られた魔の力をここぞというときに使って、政府の官僚や財界のお偉方どもを操った。

 この異世界では、武力よりも金の力がものを言う。何よりもそのことを知り尽くしていた。

 渋谷の一等地の30階建てのビルを手にいれると、彼はロールスロイスを佐和のマンションに横付けし、何百本のバラの花束を手に彼女を迎えに行った。

 彼女は何か言いたげにただ涙を浮かべていたが、結局その身ひとつで彼のあとについてきた。

 最上階をワンフロアまるごと占める広大な住まいが、彼らの新居だった。

 佐和はそこから一歩も出ることが許されなかった。外に出ようとすると、大勢の黒服の武装した男たちに押し戻された。

 深夜に疲れて戻ってくる彼のために、おにぎりをこしらえることが彼女の唯一の日課だった。

 電話一本で数億ドルの金を動かし、いともたやすく人を殺す命令を下している彼を、痛みに耐えているような顔でただ見上げていた。

「おまえは、精霊の女王にどこか似ている」

 豪奢な寝床の上で彼女を愛撫しながら、ゼファーはささやいた。

「俺は400年前、女王の近衛隊長だった。いつも女王のそばにつき従い、その命令を待っていた」

 この人の国では1年の数え方が違うんだわ。佐和はそう思いながら黙ってうなずく。

「いつも女王だけを見ていた。だが俺は道具でしかなかった。あいつにとって何よりも大事なのはアラメキアだった。だから俺は反旗をひるがえした」

「女王さまを心から愛していらしたのね」

「愛していた? 俺が?」

 魔王は低く笑った。

「だから悲しかったのでしょう。自分を見てもらえなくて。だからアラメキアが憎かったのでしょう。そして今でもそんなにもアラメキアにお帰りになりたいのでしょう?」

 佐和が顔をそむけてこっそり涙をぬぐったのを、彼は知らなかった。

「わたし、お手伝いします。あなたがアラメキアに帰れるように、私のできることなら何でも」



 ゼファーはひとりの科学者のもとを訪れた。

 そのあまりにも奇想天外な理論ゆえに物理学会から追放された、科学者というよりは狂信者。天城博士。

「あなたの言うアラメキアは、確かに並行宇宙ですな」

 博士は白い髭をしごきながら、その分厚い眼鏡の奥から、色素の薄い瞳をきらめかせた。

「そこに行くことは可能か」

「ワープホールを作れば可能です。座標軸の計算に手間取りましょうが、条件さえそろえばいつでも」

「そのために何が必要だ?」

「2500万キロワット以上のエネルギーが少なくとも0.8秒間。そうですな。この東京23区内の全電力に相当します」

「わかった。1カ月以内に東京を征服する。おまえは研究を進めろ。金は好きなだけいくらでも注ぎ込んでやる」



 宣戦布告から7日後。イシハラ都知事は条件を飲んだ。



「こ、これは……」

 佐和は渋谷のビルの地下に3階分をぶちぬいて設置された巨大な集積装置を見上げて、立ち尽くした。

「来たか。佐和」

「窓から見ると、東京中が真っ暗です。いったい何が起きたのですか、ゼファーさん」

「東京に送電する全発電所の電力を一箇所に集めている。ここからアラメキアに半永久的に穴を開けるのだ」

「そんなことが……。では、とうとうお国に帰れるのですね」

 目を伏せる彼女を、ゼファーはかたわらに抱き寄せた。

「アラメキアに凱旋し、精霊の女王を倒したら、魔王城でともに暮らそう。おまえに后の冠を授けてやる」

「……いえ、私は」

 そのとき、耳をつんざくような轟音が上がった。

「しまった!」

 天城博士のうろたえた声。

「何が起きた!」

「電力が膨大すぎて、送電ケーブルが耐え切れん!」

 まばゆいばかりの光をふりまきながら、よじり合わせた太いワイアが、一本また一本と切れてゆく。

 危険を感じた大勢の科学者たちが悲鳴を上げながら逃げまどう。

「スイッチを切れ! またやり直せばよい」

 ゼファーがどなった。

「だめです! 並行宇宙は絶えずお互いの位置を変えながら移動している。計算によれば、次にアラメキアと再接近するのは7年後。今しか チャンスは残されてはいないのです!」

「……なんだと?」

「くそう。0.8秒だけあのケーブルをつなげれば。そうすれば実験は成功するのにっ」

 そのとき、影がゼファーと天城の前に躍り出た。

 ふたたびの閃光とともに、集積装置は勢いよく回り始めた。

 ちぎれていた送電ケーブルは、あいだを埋める通電物質を得たのだ。

 くらんでいた目をこらすと、ゼファーの見たものは、両手にそれぞれケーブルの先端をにぎりしめて床に崩れ落ちた佐和の身体だった。

「佐和ーっ!」

「やったぞ! 実験は大成功だ!」

 有頂天で小躍りする天城博士を殴り倒すと、ゼファーはころげるように走りよって、黒焦げになったもの言わぬ屍を抱き起こした。

「佐和…。なんてバカなことを…」

 あたかもそうすれば生き返るとでも言うように、彼女の体を力の限り抱きしめる彼の脳裏に、佐和のかつてつぶやいた言葉がよみがえった。

『わたし、お手伝いします。あなたがアラメキアに帰れるように、私のできることなら何でも』

 なぜ今ごろ気づいたんだ。佐和がいなければ、アラメキアに帰って何の意味がある。

 アラメキアだろうが、トーキョーだろうが、佐和がいるところ以外俺の居場所はなかった。

 彼は子どものように泣きじゃくった。

 涙でぼやけた視界の隅で、何もなかった空間にぼっかりと穴がうがたれた。

 その向こうには、花々の咲き乱れる見覚えのある故郷の風景が広がっていた。

「精霊の女王! 聞いているか!」

 魔王は声のかぎり叫んだ。

「おまえの力で佐和を生き返らせろ。そのためなら、俺の命をやる。永遠に蛆虫となって地べたをはいずりまわってもいい。佐和がもう一度微笑んでくれるなら!」

 美しく澄んだ声が、すべての空間を満たした。

「おまえの願い、かなえよう。魔王ゼファーよ……」



「佐和さん。彼の病状はだいぶ回復しました」

 医師はカルテを机の上にぽんと放り投げた。

「はじめは極度の錯乱状態で、誰のこともわからなかったのが嘘のようですね。あなたとも普通に会話できているようですね」

「はい……。もう自分は魔王ではなくなったと言っています」

「それは、良い兆候です。今すぐというわけには行きませんが、都とも相談して措置解除のうえ退院の手続きを取るようにしましょう」

「よろしくお願いします」

「それで、佐和さん。うかがいにくいことですが、本当にあなたは彼と結婚されるおつもりですか? それはとても……。いや、 医師の領分を越えた余計なお世話ですが」

「ええ、先生。私、彼を愛しています。彼が魔王であろうと誰であろうと、私の気持ちは変わりません」

「それなら良いのです。失礼なことを申し上げました」

「これから彼に会ってきます。霧島先生、ありがとうございました」

 彼女が出て行ったあと、医師は机のカルテをもう一度拾い上げた。

瀬峰正人せほうまさと。埼玉県浦和市にて19××年8月2日出生。

 幼少期より妄想癖がはげしく、小学4年のとき小児性統合失調症と診断、以後長期にわたる加療。

 現病名。誇大妄想をともなう統合失調症。自分を異世界の魔王であったと固く信じ込んでいる。

 商法違反。麻薬及び向精神薬取締法違反。恐喝罪。心神喪失状態を理由とする不起訴後、都知事の行政処分による措置入院。現在に至る』

 霧島医師は窓の外を見てつぶやいた。

「はたして、本当に魔王だったのやら。本人にもわからないのかもしれないな」



 佐和が病室に入ると、彼はベッドで仰臥しながら窓を見ていた。

「佐和」

「ゼファーさん」

「今そこに、精霊の女王が来ていた……」

 彼は弱々しく、指で窓辺の花瓶の花のあたりを指した。

 幻覚を見ているのだ、と佐和は思いながらにっこりとうなずく。

「二度とアラメキアには帰らないと言ったら、笑っていた。それでよいと言っているようだった」

「いいのですか。ゼファーさんはそれで」

「俺はもはや魔王ではない。わずかに残っていた魔の力もすべてなくしてしまった」

 彼は佐和に視線を移して、悲しげに微笑んだ。

「もうおまえに何もしてやることができない。后の冠もぜいたくな暮らしも」

「何もいらないのです、私。ゼファーさんといっしょにいられれば」

「……俺もだ」

 佐和は彼の上に静かにかがみこんだ。

 午後のやわらかな日差しが、ふたりの重なる影をつつみこむ。

 そのうしろで、窓辺の花が風もないのにかすかに揺れ、ひとすじの光のしずくをこぼした。



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