第一章 中世編「お使いと神懸かりの僧侶」
一 山道
春先のことだった。
山奥の小さな修道院で、
見習い僧侶のリオは、
師匠から紙袋を渡された。
「隣町の司祭様に薬草を届けてきなさい」
「えぇ……ひとりでですか?」
「ロバでも連れていくか?」
「歩きます」
リオは気が弱かった。
僧侶見習いのくせに祈りも下手で、
説法になると噛む。
しかも最近、
妙な噂まで立っていた。
『あの子、ときどき神懸かる』
本人としては心外だった。
だって覚えていないのだ。
気づいたら、
周囲が泣いてたり、
拝まれてたりする。
むしろ怖いのは自分の方だった。
——私は、この子に少しだけ宿っている。
炎の羽一枚分ほどを。
なぜこの子なのか、
私にも説明が難しい。
強いわけではない。
聡いわけでもない。
ただ。
この子が限界を迎えた瞬間に、
私の羽が震える。
それだけだ。
山道に入って二時間。
リオは完全に後悔していた。
「熊出るって言ってたじゃん……」
そのとき。
藪が揺れた。
現れたのは熊ではない。
灰色狼だった。
しかも三匹。
大きい。
「ぅ」
リオは固まった。
狼たちは低く唸りながら近づいてくる。
逃げれば追われる。
わかってる。
でも脚が動かない。
「やだ……」
一匹が飛びかかった。
その瞬間。
ふわん
と、空気が白く揺れた。
——私が動いた。
意図したわけではない。
この子が怖がると、
羽が勝手に震えるのだ。
困ったことに。
次にリオが気づいたとき。
狼たちは、
きっちり横一列に並び、
伏せをしていた。
耳まで倒している。
完全服従だった。
「……へ?」
真ん中の一番大きい狼など、
ちらりとも目を合わせない。
怯えている。
リオが一歩動くと、
三匹まとめて腹を地面に擦りつけた。
「なにこれ」
「怖っ」
——私も少し怖かった。
この子の「やだ……」の破壊力が、
想定を超えていた。
二 盗賊
町へ着いた頃には、
噂は先回りしていた。
『山の主を屈服させた僧侶』
「違います違います!」
「たぶん勘違いです!」
誰も信じなかった。
薬草を届け、
帰ろうとした夕方。
今度は路地裏で男たちに囲まれた。
「修道院の子か?」
「財布くらい持ってんだろ」
リオは青ざめた。
「あの……」
「静かにしてりゃ痛くしねぇよ」
肩を掴まれる。
限界だった。
「むり……」
ふわん
——また震えた。
今度は少し強く。
気づくと。
男たちは全員、
石畳に両膝をついていた。
静まり返っている。
一人は泣いていた。
「俺は……父親みたいになりたくなかっただけなんだ……」
別の男は、
虚空を見つめながら呟く。
「誰かを脅せば強くなれた気がした……」
リーダー格は完全に崩れていた。
「なんで俺……弟の仕送りまで盗ったんだ……」
——これは私ではない。
私が見せたのは、
ほんの少しの光だ。
彼らが泣いているのは、
彼ら自身の中にあったものが
溢れたのだ。
この子の「むり……」が、
扉を開けた。
リオは半泣きになった。
「知らない知らない知らない!」
男たちは怯えた。
「お、お許しを……!」
「もう二度と弱い者から奪いません……!」
「だからあの目で見ないでください……!」
「どの目!?」
三 市場
数日後。
リオは再び荷物を持たされていた。
「なんでまた私なんですか」
「前回うまくいったからだ」
「どこが!?」
師匠は真顔だった。
「魚を買ってこい」
「平和な内容だ……」
リオは心底ほっとした。
狼も盗賊もいない。
今日は魚を買うだけ。
——私は上空から見ていた。
正直に言う。
少し心配だった。
この子は「平和だ」と思うと、油断する。
案の定。
町の市場では、
魚屋と八百屋が喧嘩していた。
リオはそっと横を通ろうとした。
だが。
「あ?」
「修道院の坊主じゃねぇか」
「ちょうどいい!どっちが正しいか言ってみろ!」
「えっ」
「そうだ!神に仕えるなら公平だろ!」
「いや私まだ見習いで……」
逃げ道がない。
市場中が見ている。
リオの胃が死んだ。
「えっと、その……」
両方怖い。
親父たち近い。
声でかい。
無理。
「ぅ」
ふわん
——今回は少し長かった。
静寂。
市場から音が消えた。
魚屋と八百屋が、地面に正座していた。
なぜか周囲の客まで座ってる。
犬まで伏せてる。
魚屋の親父が、ぼろぼろ泣いていた。
「俺は……怖かったんだ……」
八百屋も嗚咽している。
「冬を越せねぇのが……」
——私ではない、これも。
私が見せたのは光だけだ。
言葉はこの子から出た。
いや、正確には——
この子を通して、
世界が喋った。
数分後。
リオは荷台の横で目を覚ました。
親父たちは、
互いに抱き合って泣いていた。
「すまなかったぁ……!」
「こっちこそぉ……!」
魚屋の親父が立ち上がる。
「俺……魚、少し安くします」
「影響デカいな!?」
帰り道。
リオは魚を抱えて死んだ目をしていた。
「なんなんだよもう……」
すると後ろから、
市場の子供たちがついてくる。
「聖者さまだ!」
「お説教して!」
「いやだ!」
「今日も誰か泣かせて!」
「語弊がすごい!」
リオは半泣きで山道を走った。
四 魔王
リオは逃げていた。
現実から。
市場の一件以来、
町の人々が妙に優しい。
パン屋はおまけをくれるし、
子供は拝むし、
魚屋は会うたび泣く。
もう嫌だった。
だから今日は、
なるべく人のいない山道を選んだ。
それが失敗だった。
山を越えた頃。
空が陰った。
ドラゴンがいた。
でかい。
黒い鱗。
金色の目。
完全に神話のやつだった。
「えっ」
「いや無理無理無理」
ふわん
次に目を開けた時。
リオは、
ドラゴンの背中に座っていた。
空飛ぶ騎士団に囲まれながら、
城へ連れて行かれた。
黒い塔。空が赤い。
どう見てもラスボスの城だった。
「帰りたい……」
巨大な扉が開く。
奥には玉座。
そこに座っていたのは、
白い髪の男だった。
世界を滅ぼしかねない圧力。
「あれが……魔王……」
リオの魂が抜けかけた。
魔王が立ち上がる。
「……来たか」
リオ、限界。
「ぁ」
ふわん
——今回は、私も少し驚いた。
強く出すぎた。
静寂。
魔王は土下座していた。
額が床にめり込んでる。
「申し訳ありませんでした」
——これは本当に私ではない。
魔王の内側にあったものが、
崩れただけだ。
ただ。
「"孤独を誇る者は、まだ他者を見下している"」
「"理解されぬ苦しみを特別視した時、お前は痛みを偶像に変えた"」
「"世界を憎むことで、自分が裁かれる側である事実から逃げるな"」
——この言葉は。
私のものでもない。
リオのものでもない。
この言葉は、
世界が魔王に言いたかったことだ。
ただ誰も言えなかった。
この子が来るまで。
リオは頭を抱えた。
「絶対私じゃない!」
その後。
魔王軍は解散した。
修道院へ戻ったリオは、
机に突っ伏していた。
「もうお使い行きたくない……」
師匠は新聞を読んでいる。
一面には大きく書かれていた。
《聖女、魔王を導き世界救済》
「なんでだよ……」
師匠は茶をすすった。
「まあよかったじゃないか」
「どこがです」
「世界が救われた」
リオは死んだ目で言った。
「僕は魚買いに行きたいだけなんですけど」
師匠は少し考えた。
「では次は卵を頼もう」
「嫌な予感しかしない」
——私も、少し笑った。
笑ったのは、
何年ぶりだろう。
師匠がリオを見送る目に、
見覚えがあった。
私はかつてあの男に会っている。
若い頃の話だ。
あの男は私に近づいて、
不死を求めなかった。
ただ言った。
「良い子を、頼む」
だから私は宿った。
この子に。
翼一枚分だけ。
幕間①「火の鳥、現代へ飛ぶ」
時間は飛ぶ。
私も飛ぶ。
中世の山を離れ、
未来へ向かう途中。
なぜか立ち止まった。
現代の都市。
夜。
雨。
歌舞伎町の裏通り。
行列がある。
居酒屋だった。
香りがした。
私は不死だ。
腹は減らない。
それでも。
その香りは、
何かを揺さぶった。
翼の、奥の方を。
——少しだけ、
寄っていくか。




