店主と客
「おやっさん、構いませんかね?」
「へいいらっしゃい」
居酒屋、カラオケ、キャバクラ。様々な場所に人が吸い込まれている中、五十代の男性が営むおでんの屋台に一人の来客があった。
店主より幾分か若く見える男はデニム生地を好んでいるらしく上下を色褪せた紺で揃え、淡い光を吸収している。
「大根と卵、それとすじを」
「へい」
客は垂れた目と丸っこい顔がほにゃりと崩れ、どこか煮詰めて崩れた大根を連想させる顔になり注文する。
「へいどうぞ」
「どうもどうも。おでん屋やってるおやっさんには悪いですがね、子供の頃はおでんがあんまり……というか好きじゃなかった。もう随分前に亡くなった親父が好きだったけど、僕の方は卵ぉ? 大根? こんにゃくぅ? なんて思ったもんですよ」
「はははは。まあ、若いうちは肉、肉、にくうう。って感じでしょうよ」
「そうそう。だからすじだけ貰ってたけど、それ以外はちーっとも良さが分からなかった」
客は話の相手がほしかったのか、店主に話しかけながらおでんを食べる。
「でも親父が四十手前で亡くなった後、その歳を僕が追い越した時に、ふと思い出して食べてみたんですよ。そしたらまあ驚きましたね。子供の頃は食べたいとは思わなかったものの良さが分かるようになって、一時は三食おでんにするくらいのめり込んでました」
「そりゃまた極端ですなあ」
「あはは。仰る通り。流石に反省してます」
屋台に満ちる声は淡い湯気のように穏やかで、どこか人を落ち着かせる柔らかさもある。
「次は厚揚げとこんにゃく、すじをお願いします」
「へい。すじに関しちゃ昔と変わってないみたいですね」
「え? あ、ほんとだ。無意識に注文しちゃってた」
「ははは」
「あははははは」
「へいどうぞ」
「どうもどうも。僕が歳を取ったと思ったのはその時ですね。ああ、若い頃と感じ方が違うんだなって自覚しましたよ。平成の後輩達とは話がギリ通じますけど、多分令和の子達の感性は僕にはもう無いんでしょうね」
「うちは娘がいますけど、年頃の時は火星人と話してる気分にさせられましたよ」
「なるほどねえ」
「まあ娘の方は親を土星人だと思ってたでしょうからお相子ですわ」
「あははは。火星より遠いかあ」
「自分達はほら、あれですよ。一応子供の時がありましたから、子供は地球に近いところに住んでると思える訳ですわ。でも子供の方がいきなり大人になれってのは無理でしょ?」
「確かに」
店主と客は若者達との差を思い出しながらゆっくり会話する。
「若い連中のことでなにかありましたか?」
「それが……やっぱり若い子との付き合い方が分からなくて。僕は武道っていえばいいのかな。鍛錬が当たり前の環境で育ったんで、友達とか平成の後輩には、よし! 寝ずに荒行だ! 倒れるまで実戦組手だ! みたいなことしかしてないもんですから……今の子にしたら大事になるでしょう?」
「ははあ。中々厳しいでしょうね」
「ですよねえ。でも年取ってそれしか経験が無いと、どうしたらいいかさっぱり分からんのですわ」
尋ねた店主は、客が柔和な表情に似合わぬことを言い出して少し驚いたが、昭和男児たる者! という考えの中で育ったので一定の理解を示す。
「でもおでんの美味しさには気が付いたんですよね?」
「え? ええ。そうですね」
「ならご自分が無理だと思い込んでるだけで、なにかの拍子に上手くいくことだってありますよ」
「ああ……なるほど」
「それに人生ってのは長く染みこんだ方が、いい感じに仕上がることだってありますよ。おでん屋の店主が言うんだから間違いありません」
「ははは。恐れ入りました。さて、次はどれにしようかな……」
「とりあえずすじで?」
「とりあえずそれで」
単なる店主と客の会話。
聞いているのは煮えているおでんと湯煙だけだった。
今日はここまで!
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