第42話 6月の滋賀編(彦根市 長浜市 高島市)
6月末になり、滋賀県の施設からサービス内容について問い合せがあり訪問説明することになった。滋賀県は契約先がゼロ。訪問した事がないエリアで訪問のイメージが湧かなかった。修一がふと思い浮かんだのは、大きな琵琶湖が県のど真ん中にあり、『ひこにゃん』を思い出すくらいの乏しい知識。今回の問い合わせは、彦根市の施設で琵琶湖の東岸を走ることになりそうだ。ネットで調べるとドライブスポットは琵琶湖の西側に多いようで、今回は滋賀県営業の布石になるよう頑張ろうと考えていた。若者営業は運転がメインになる営業エリアなので、この商談を修一に投げて来たのだ。喜んでこの案件を若者からいただくことにした。
新幹線で米原駅まで行き、いつものようにTレンタカーを利用することにした。修一は、駅名が『よねはら』だと勝手に思っていたので、『……Tレンタカーまいばら駅前店です……』と言われて初めて読み方が分かった。Tレンタカーは大きな会社なので中央の予約センターもあるのだが、現地の案内も聞けたりするので、修一は現地の営業店舗に電話で予約を入れることが多かった。
当日は、東京駅が朝6時20分発の『ひかり』で出発した。天気は曇りだったが、山側の2列席窓側をキープして乗り込んだ。天気が曇りで富士山は見えない。普通に車窓を眺めながら朝食のコーヒーとサンドイッチをゆっくりと食べた。米原駅は公私共に初めての利用なので到着が楽しみになっている。朝8時40分には米原駅に到着する。初めての米原駅、構内を見回しながらTレンタカーの店舗に向かった。いつもとは違い、店舗の距離は遠めで200メートルほど歩いた。見つけると受付カウンターに進んだ。
「S社の伊藤です。P1クラスで終日予約しています」
「承っております。本日は、どちらまでご利用でしょうか?」
「彦根市までの利用ですが、仮に琵琶湖を一周するとどのくらい時間が掛かるでしょうか?」
「移動だけなら一周4時間もあれば周れると思いますが、立ち寄りも考えると厳しいかもしれませんね。どこか寄りたいところは有るんですか?」
「観光的な立ち寄りは無理だと思うので、メタセコイア並木を通過したいんですよね……」
「立ち寄りが少ないのであれば、6月ですから夕方の明るい時間帯には、ここまで戻れると思いますよ。その時は、琵琶湖を反時計回りで周った方が良いと思います。琵琶湖大橋は有料ですのでご注意ください」
「色々ありがとうございます。参考に頑張ってみます」
係の方と車の傷チェックを行うと、運転席に座りナビをセットした。目的地には、一旦は時計回りに進むが、その後は教えてもらったようにナビを反時計回りに細かくセットした。彦根市の訪問施設までは10分掛からない程度で着くので、コース設定に問題はないだろうと考えていた。施設の面談は午前10時からにして頂いたので、彦根城の周辺を車でゆっくり走らせた。途中でお城が見えるかと思いゆっくり通過してみたが、全く見ることが出来ない。残念……。お堀やそこに架かる橋と石垣、人力車が見られて雰囲気だけは味わえた。琵琶湖反時計回り一周コースを選んだ修一は、彦根城の散策は次回にと諦めて施設に向かった。
問い合わせ施設の駐車場には面談の15分前に着いた。少し早い時間とは思ったが、声を掛けて相手方の判断に任せることにした。営業的には、『アポの時間の5分前がベスト!』という営業マンを良く見聞きするが、修一は気にしない。声だけ掛けて、相手の都合の良い時間まで待てば良いと思っているからだ。事実、早めの訪問で喜ばれることもある。病院の受付に進んで用件を伝えた。
「S社の伊藤と申します。事務長様と10時の面談を頂いておりますが、こちらに早く着いたので待たせていただきますので。」
「お待ちください。確認しますので……」
電話で確認を取ると、受付の女性が事務長室まで案内してくれた。
「S社の伊藤と申します。今日はお時間を頂きありがとうございます」
「S社さんは、中々、この辺に営業には来ないよね。繁盛してるから、来なくても間に合ってるのかな?」
「いぇ……滋賀県エリアは契約先がゼロで苦戦しています。訪問する機会がなくて困ってました」
「今日は、まず大手のS社さんに声を掛けたんだけど一通り説明をお願いします」
そう言われて、紙資料を元にサービス内容の説明と初期費用無料などの値引きの内容を伝えた。施設に呼ばれて面談するケースは、興味があることが前提になっているので、値引きや初期費用ゼロや1ヶ月お試しなどの条件を提示すると成約する確度がかなり高くなる。今日も、そのパターンに誘導することができた。
(別に悪徳商法をしている訳ではありません。やる気のない修一の細やかな営業テクニックです……)
「初期費用無料と1ヶ月お試しから始めてみたいんですけど、いつ頃からサービスの利用が可能ですか?」
「設置から開始まで、通常は2週間頂いておりますが、それで大丈夫ですか?」
「7月から始められそうですね。院長に報告して院内に周知しておきますので、よろしくお願いします」
説明案件だったが、成約に至ったので運転席に座るとオフィスの部長に報告を入れた。
「滋賀の相談案件ですが成約しました。2週間後のサービス開始で設置準備をお願いします」
「やあ、お疲れ!ありがとう。近江牛が食べられんな。あそこは、どうやって行くんだっけ?」
「新幹線の米原駅から、施設には10分くらいで行けるので便利ですよ」
「琵琶湖か……。どこに泊ろうかな。技術の若いのに近江牛を食わしてやるか。気を付けて帰って来てね」
(また、お泊り出張の情報収集で午後は忙しいな……。楽しんでください。琵琶湖一周ドライブするぞ!)
時刻は、まだ11時前だったので反時計回りに周りながらランチの店を探すことにした。と言っても、ネットで事前に調べていたので、やみくもに探すつもりはない。狙いは、長浜市にあるラーメン店で〇〇商店。彦根市の施設からは30分程度で着いた。到着すると新しそうな店構えで、中に入っても内装が新しい感じがした。お目当ては、ネットで調べた近江牛ラーメン。気になったので1,500円と超高いのだが味わってみようと決めていた。今回だけは、1,000円以上のラーメンは食べないというリミッターを外している。
メニューを見てみると、近江牛ラーメンには、黒と白がある。黒が醤油味で、白が塩味のようだ。運ばれてきたラーメンを見てみると、塩ラーメンの上にシャブシャブのような薄い牛肉が広がっている。その牛肉は、シャブシャブの時の牛肉のように色が白く変わっていない赤い部分がある。生の牛肉をそのままラーメンに載せて色が変わっていないのではと思っていた。きっと、この状態で食べるんだろう。
(お店の方、違ってたらごめんなさい。シャブシャブの時にも肉全体が白くならないと食べないので少し驚きました。通の方は、お湯に潜らせただけで食べる方もいるので、良い肉はそれで良いのかもしれませんね)
恐る恐る赤っぽい牛肉を口に運ぶと流石に近江牛。口の中で蕩けるように甘い肉が流れ込んでいく。白を頼んだので、スープの塩味が高級な近江牛に逆らわずとても美味しかった。食べていないので分からないが、黒(醤油)ならばどうだったろうと疑問符が沸き起こった。醤油味なら焼き豚の方が合うんじゃないかなと勝手に考えている。それほど、麺系は詳しくないので分からないが、麺は中細くらいのちじれ麺だろうか? 掴むと真っ直ぐになるのでストレート麺? 麺が柔らかい感じ以外は、良く分からなかった。美味しかったのだが、自分の中では(もう一度、近江牛ラーメンを食べなくても良いや……)という気分になっている。また訪れたら、(滋賀には、洒落た美味しそうなものが沢山ありそう……)なので、今度は洋食系でと思っていた。
今日は、近江牛の白を体感したので思い残すことはなかった。近くのお客さんは、近江牛の炙ってあるが赤っぽい握り寿司を食べていた。修一は、それを見て良く焼けていない牛肉の握りを食べたいと思わなかった。
(近江牛の美味しさは分かったので、部長と同じは嫌だけど、やっぱり今度は洋食でいこう)
と思いながら、お店で1,500円を払って外に出た。軽くなった財布が痛々しく感じた。
(お店の方ごめんなさい。美味しかったですよ。でも、ラーメンは焼き豚の方が合うのでは……)
そんな感想を、素人の修一が感じてしまった。ラーメン1,000円説は、やはり正しいのでは……。
そんな事で、車に戻るとエンジンを起動して琵琶湖反時計回りコースに戻った。昼食は長浜市なので琵琶湖のかなり北の方には来ているのだが、琵琶湖西岸の距離は長そうだ。立ち寄りは最小限にして先を急ぐことにした。本来ならば、長浜のクルーズ船の乗り場や長浜城でも見て行けば良いのだろうが、一周する時間が無いと思い立ち寄らなかった。
ナビの指示で車を進めると琵琶湖の北側を通り山間部に入る。そのまま県道287号線を進むとメタセコイア並木が通過路線上にあった。別名、小荒路牧野沢線と呼ぶらしい。ほんの小さな十字路を過ぎると、そこからが並木道の始まりになる。6月なので青々とした高い木々を潜り抜けて行く感じになった。メタセコイアは、中学生の頃に化石で見たのを想い出していた。今まで、本物の木を見たことはなかった。
(この木がメタセコイアっていうのか。確か生きた化石と呼ばれている様な気がしたけど、この木は珍しいのかな……。秋は紅葉するのかな? どんな色になるんだろう……。けっこう、この並木道は長いな……)
そんな事を考えながら長い並木道を走っていた。後で調べた時には、全長が2.4キロも在ったことを知った。薄曇りで、時々現れる木漏れ日の中にメタセコイアの葉が美しく輝いていた。
山側から国道303号線に入り、湖岸を走るために国道161号線に戻り琵琶湖が見えてくるのを期待した。しばらく走ると左側の湖岸の遮るものが無くなり、広く琵琶湖が見えるようになってきた。走り続けると左手の湖の中に鳥居が立っているのが見える。白鬚神社という所の大鳥居らしいが、気になって神社の参拝用の駐車スペースに止めた。時間もなく道路を越えて行くのは時間が掛かると思い、道路を跨いだ所で下手な水上の鳥居の写真を撮った。今まで、琵琶湖にこんな光景があるのを知らなかった。最近では、パワースポットとしても人気があるらしい。ご利益は、縁結び・子授け・開運・学業成就・交通、航海の安全など、何でもありのような印象だが、人の営みや業を導く神との事。参拝をしてから出発することにした。
既に午後3時を過ぎていたので、参拝が終わると先を急ぐことにした。琵琶湖の南端、大津市を経由して米原駅に戻るにはナビが1時間50分と言っている。後は、ひたすら走って戻れば調度良い時間になる。琵琶湖を周り戻るだけで精一杯だった。さすがに運転好きの修一でも身体に堪えるドライブになった。今度、滋賀県営業の機会があればどちらかの湖岸に絞ろうと考えていた。西側へ行くならば、京都駅からレンタカー利用の方が圧倒的に近いようだ。そんな走りで、Tレンタカー米原駅前店に戻った。朝の担当の方に、今日のドライブの苦労話を少しだけしたかったが、早番だったのか受付カウンターに姿はなかった。
米原駅に着くと夕方の5時を回っていたので、6時の新幹線に間に合わせようと夕食の買い出しを急いだ。駅の構内では、上手く探せなかったので新幹線ホームの売店で弁当を探すことにした。米原駅のすぐ近くにある駅弁の会社が作っているらしく、種類も色々あり美味しそうなものが沢山あった。近江牛大入り飯や鶏めし、近江の味など種類が豊富だったが、その中でも彩りが綺麗に見える『湖北のおはなし』という弁当を買った。その外に、ビールと日本酒を買って領収書を合わせると出張夕食代の上限2,000円位になった。
夕方6時発の新幹線『ひかり』窓側のE席に座り列車が走り始めると、お弁当『湖北のおはなし』を開けてビールの栓を開け1口飲んだ。彩りが綺麗で何から食べるか迷ってしまう。滋賀県湖北の名産を詰め込んだとのことで彩りも鮮やか。ご飯に混ぜてある品は、季節によって変わるらしい。今回の季節は枝豆がご飯にまざっていた。オカズ系は、卵焼き、焼き豚のようなスライス、里芋、こんにゃく、赤かぶ、煮豆などが色々入っていて、配色も良く美味しそうに見える。今日の琵琶湖一周は、ドライブ好きな修一でも流石に疲れたので、お酒とお弁当のお摘みでゆっくりすることにした。肉は近江牛でなくても十分に美味しく感じた。
食事をしながら浜松駅近くになると、パーサーの女性が近づいて来たので本能的に購入の準備をした。近くに来ると、目線が合ってパーサーの方も修一の前でブレーキを掛け停まった。
「アイスクリームと柿の種をください」
「こちらは、硬いので時間を置いてからお召し上がりください」
そう言われると、カチンカチンのアイスクリームを窓側に置いた。案内の内容は、いつも言われて分かっているのだが、パーサーの方と一期一会の会話を交わせることが楽しいのだ。この方とは、多分もう会うことはないだろう。そんな旅中の時の流れを切なく感じながら今を楽しんでいた。ゆっくりと車窓から見える灯りを見つめながら、静岡駅に着いた頃には晩餐の品々を食べ終えていた。新富士駅を通過してアイスクリームの蓋を開けてみた。プラスチックのスプーンを刺してみると調度良い硬さになっている。それからデザートタイムを始めた。アイスクリームを食べながら、(どうして、琵琶湖の走り方は反時計回りが推奨なんだろう?)と考えていた。考えても判らないので、そのうち暇な時にでも調べてみようかと思っていた。
(明日、出社したら部長にお昼は何食べてきたって言われるよな……。近江牛ラーメンの白を食べましたなんて言うと、間違いなくバカにされる。いっそ、近江牛のステーキ食べてきましたって言ってやろうか。本当は、近江牛のシャブシャブみたいなラーメンだったけど……)
修一は、お昼に食べたラーメンを選択した自分の行動をまだ根に持っている。昼食としては自己評価30点。白鬚神社の大鳥居を見られたことでチャラにしてあげようかと自分を許していた。これで、1,000円を超えるラーメンを食べることは永久に無いだろうと自分のルールを再確認していた。夜8時過ぎに東京駅に着くと、相変わらずの硬いホームの路面を踏みしめ、長距離ドライブの疲労感を漂わせながらいつもの帰路に着いた。