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第15話 9月の島根(松江市)

 9月に入り、島根県松江市で商談が入り営業訪問する事になった。島根県は契約先ゼロ地帯で、今回の訪問は営業的にも重要な商談と言える。早速、空路をどうするか検討した。松江に向かうには、『出雲縁結び空港』と『米子鬼太郎空港』の両方が利用できる。松江市からは距離・時間的にもそれほど違いは無いので悩むところだ。おまけに、松江から東京は寝台特急『サンライズ出雲』が走っている。乗車料金も飛行機利用よりは安い。それに帰りの移動で利用すれば、東京に朝8時前には着けるので、ダメ元で出張稟議を『往路:飛行機+復路:寝台列車』で出してみた。すると、出張申請は却下され修一の夢のプランは淡く消えた。全体の旅費は安いのだからと食い下がったが、『旅費精算の透明性』と『社員の体調管理』などという訳の分からない理由で実現しなかった。


 仕方なく空路の出雲空港発着で予定を組んだ。羽田7時の便に乗れば、出雲空港には8時25分には着く。営業的には十分な到着時間だ。松江市からは、2つの空港がほぼ同距離に有る。出雲空港利用ならJALのみが利用可、米子空港利用ならANAのみが利用可となる。複数メンバーで行く際には到着時間も10分程度しか違わないため、大抵は別々の飛行機で現地合流となる。今回は、修一のみのためそんな心配はしなくても良かった。


 出雲空港に着いて、Tレンタカーの出雲空港店に移動するとカウンターに向かった。

「本日予約していますS社の伊藤です。」

「はい、本日はP1クラスで終日ご予約を戴いています。どちらまで行かれますか?」

「松江市内が中心になると思います。夕方5時頃には戻せると思います」


 鍵を受け取って、松江市内の訪問施設にナビをセットする。出雲空港と松江市は、東西に長い宍道湖を挟んで東西の対岸にあるが、一般道利用でも40分前後だ。午前10時半の商談には十分な時間だった。途中でコンビニに立ち寄り朝コーヒーを調達する。宍道湖南側の一般道ルートで向かうと、所々で湖面が見える。天気も晴れで快適なドライブとなった。


 問い合わせを受けた施設は、市内でもかなり大きな病院で駐車場も広い。早めに着いたので、コーヒーを飲みながら車で時間を潰してから総合受付に向かった。

「本日、事務長様とお約束をしておりますS社の伊藤です」

「はい、お待ちしておりました。ご案内しますね」

そう言われて、事務長室に案内された。室内には事務長と他に担当スタッフが2名同席していた。名刺交換をし挨拶してから着席した。2人は病院内のシステム管理者と運用担当者のようだった。事務長が口を開く。


「遠くまで来て頂いてありがとうございます。どちらの空港から来られました?」

「出雲空港からレンタカーです。途中、宍道湖を見ながら景色も良く快適でした」

「米子空港からも時間は変わりませんので、東京から来るメーカーさんは米子利用も多いですよ」


 そんな話をしてから、一通り商品サービスの説明に入った。修一が扱っているサービス以外にも大きな画像管理システムの導入も絡んでいるようだ。修一担当のサービスについては契約を交わせたが、100台近い画像管理システム設置の見積もりは出せそうもないので、改めて見積もりを出し専門の担当者を向かわせることを約束した。その際には、修一担当の商談は成約しており同行しないつもりでいる。部長に連絡して、画像管理系の営業および技術担当に近々向かわせるように調整をお願いした。部長の声が向こう側で弾んでいるのが分かった。


(どうせ、導入設置の時のお泊りを考えているんだろう。お好きに調整してください。俺は行かないし……)

そんな事を考えながら時計を見ると、既に11時半になっている。

(お昼か……。宍道湖と言ったらやっぱりシジミ汁かな。洋食ではシジミ汁は付かないだろうから、やっぱり和食かな。どうやって店を探そうかな……)


 そんな事を考えながら車を走らせていると、道路脇の看板を見て良い考えが浮かんだ。車を走らせながら大学の看板が見えたので、大学生が行きそうなキャンパス周辺部に行ってみた。海鮮系のランチをやっていそうな店を発見したので車を止めて中に入ってみた。居酒屋風だがランチもやっているようだ。メニューを見ると殆どが1,000円以下の定食だ。この時は、本能的な自分の昼飯ヤマ勘を褒めていた。定食の中に色々な物が入っている。海の食材系の定食が有ったので内容を見て注文した。


 定食が来てから内容を見てみるとビックリ。魚の大きなフライ、イカの刺身、イカの煮物、豆腐、ミョウガ、サラダと大きな白身魚が入ったあら汁。これで900円とは……。シジミ汁では無かったが大満足で食べ始まった。

(今日は、学生さんらしい人は居ないけど、学生向けで安いのかな……。松江エリアがお得なのかな)

そんな事を考えながら、定食のボリュームに圧倒されながら口に運ぶ。フライにはタルタルソースが掛かっていてこれも美味しい。イカの刺身も新鮮で蕩けそう、大満足で完食した。


 休んでいると、(たぶん)バイトのお姉さんがお茶を持って来てくれる。

「出雲茶ですけど如何ですか? 美味しいですよ」

修一の様子が地元の雰囲気でないので、声を掛けてくれたのだろう。その心遣いが嬉しかった。

茶碗に注いでくれたのは番茶のようだった。

「こっちでは、番茶を飲むことが多いんです。これは茶色ですけど、黄緑色の番茶も有るんですよ。帰る時に探して見てください」

頂いたお茶は香ばしく美味しかった。

(若いのに気が利くな……。今時、こんな人懐っこく話してくれる娘こもいるんだな)

飲み終わると、そんな事を考えながら会計を済ませた。千円札で100円のお釣り。何とお得なランチだったことか。また、松江に来たくなってしまった。そうは言っても、最も部長と一緒では自分のペースでは楽しめないなと考えながら車に戻った。


(さて、午後の仕事は、大きな案件が取れたんだから少しは楽しんでも良いだろう)

午後は、自分のために松江城とお土産物屋を覗いてみようと考えていた。松江からは近いので、『水木しげるロード』に行って、『鬼太郎』や『目玉おやじ』『ねずみ男』などに会いたいとも思ったが、松江で営業のご褒美を貰いお昼もとても親切に美味しく頂いたので、流石に浮気して鳥取県境港市に行くのは気が引けた。


 松江城に行って間近に見ると迫力があった。城の周りのお堀を、船に乗って移動できるようだ。散策していると低い橋の所では、船に乗っている客が頭を下げて通過しているのが見えた。

(雨が降って水面が上がっているのかな? それとも、いつもこんな感じ? どうせ、導入で部長が松江に来たら船に乗って周遊するんだろうな……)

そんな事を考えて歩いていたが、晴天の空をバックに見える天守閣の壮観な眺めは素晴らしかった。


 お土産物屋に立ち寄り見て回ったが『出雲蕎麦』や『大和しじみ』などが置いてある。帰ってからの調理は、面倒に感じたので買うのをやめた。そう言っても、お菓子の気分でもない。昼食でお店の娘に薦められたお茶を探して見た。お土産物店ではなかなか見つからない。流してお茶屋さんを探し、『黄緑色の番茶が欲しい』と言うと出してくれた。


 その時、既に3時を過ぎていたので、Tレンタカー出雲空港店にナビをセットし車を走らせた。飛行機は、夜7時20分発で十分間に合うのだが、いつもの自分の都合で空港に早めに向かっている。Tレンタカーに車を戻してから空港に向かった。夕方4時過ぎには出雲空港に着けたので、空港内の飲食スペースを物色して歩いた。レストラン街に、出雲の『割子そば』のセットがある店が有ったのでそこに入る事にした。


 注文を取りに来たので、メニューから『割子そば』を注文するのだが……、修一はいつも分からないと店員さんに質問するのが習慣になっている。それも楽しいのだ。

「この『わりこそば』のセットにしたいんですけど、『割子そば』ってなんですか?」

「これ『わりごそば』って言うんですよ。紅い丸い器に蕎麦を入れて、三段重ねにして出すんです。普通のお蕎麦みたいに、ツユに漬けて食べるんじゃなくて、三段の器にそれぞれ薬味を載せツユを掛けてから食べるんですよ。薬味はお好みでどうぞ」


 説明を聞いて納得して待っていると、紅い三段重と天婦羅と薬味が載ったセットのお膳が出て来た。薬味は、『小ねぎ』『海苔』『削り鰹』『紅葉おろし』が付いていた。日本酒は、メニューの中で土地の名称が付いた『出雲富士』という酒が有ったので注文した。相変わらずのバカ舌だが、迷わずに注文した。


 修一の記憶だと北陸に行った時の蕎麦も同じ様に、蕎麦にツユを掛けて食べた記憶がある。日本海側の蕎麦の食習慣なんだろうかと考えていた。修一は、麺系が好きなのだが(蕎麦を食べる場合に、ツユにほんの少しだけ漬けて蕎麦を食べる)、そんな事ができない人だった。必ずドップリと浸して食べてしまう。そうしないと食べた気がしないのだ。そういう意味では、ツユを掛けて食べる蕎麦は、修一には合っているようだ。薬味を入れて好みに入れて天婦羅と合わせて食べた。蕎麦の麺の食感は非常に滑らかで喉越しが良く美味しかった。途中でツユが無くなりそうになったので、店員さんを呼んで聞いてみた。


「ツユが無くなりそうなので欲しいんですけど」

「ツユは、上の重に掛けたツユを二番目、三番目と順番に下の重に掛けてもらうと良いんですよ」


 修一は、なるほどと感心した。確かに上の重にはツユを残したままで重ねていた。ある意味、食材を大切にする文化なのかなと勝手に解釈していた。出雲を味わい満足すると会計に向かい、いつもの様に出張夕食代の2,000円の領収書を切ってもらう。今回は、それほど予算をオーバーしなかった。


 満足して空港内のお土産物を見て周った。特に食べ物系は買おうとは思わなかったが、見ていると出雲神話『因幡の白うさぎ』の聖地だけあって可愛らしい兎の小さなアクセサリー、飾り物がたくさん置いてあった。小さな可愛らしい兎の『起き上がり小法師こぼしが有ったので3個買って帰った。何故、3個かというと自分が何かあった時でも3個あれば何とか起き上がれるだろうと言う論理だ。

(非常にくだらない理屈だが、修一はいつもそんな事を考えながらお土産を選んでいる)


 帰りの飛行機は夜7時20分のJAL便で、羽田には8時40分には到着する。帰りの機内用に、空港のショップで島根のクラフトビールと軽いお摘みを用意して搭乗した。軌道が上がり安定してからビールを開けた。途中、下側に綺麗な街並みが見える事があるので、修一の場合は殆ど窓側の席をとる。大阪や名古屋、東海の上空を飛ぶ時にはイルミネーションが美しく見える事がある。それも旅の楽しみだった。


 修一は、帰りの機内で1日を想いながら振り返るのが大好きだ。仕事で楽しい事ばかりではないが、日常から離れてストレスフリーで解き放たれる瞬間が何処かである。そんな出張旅が好きだった。今日も羽田空港に着き、機外に出て連絡通路を歩くと、いつもの日常に気持ちがリセットされた。東京の光は、夢から覚醒する効果があるらしい。兎の『起き上がり小法師』の膨らみを鞄に感じながら帰り道を急いだ。


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