第56話 ピンチ
彼のジョブは武闘家ではないが、それでも本気を出せばたとえ素手でも並みの冒険者とは比べ物にならないほどのダメージを与えられた。
それが、STR999の最上位冒険者の実力だ。
しかし彼のパンチは、先ほどから一度も当たっていない。
サーペントタイガー・セイバームーンのAGE─俊敏性ステータスは、素のクライシスを大きく上回っていたのだ。
眉間にある急所を狙って、鋭く拳を突き放った。
だがサーペントタイガーは、その攻撃を見てからでも余裕でかわす事が出来た。
しかもその時に、背中の硬い刃を使いクライシスの拳をこするように傷つけ、更なるカウンターダメージを与えてくる。
クライシスの拳打は一向に当たらず、クライシスの体は攻撃の度に逆にどんどん傷つけられていく。
それに、爪や牙などの大きな攻撃を一発でも喰らえば致命傷には違いない。エルダーツリーダンジョンでの戦いで、左腕は元から折れている。
戦いの連続でコンディションも最悪。
大事な武器だって、さっき自分で投げ捨ててしまった。
状況は、どう考えても圧倒的に不利だ。
「ああっ、クライシス…………!」
彼のおかげで魔物から逃れられたプラムは、ハラハラしながらその戦いを見守っていた。
冒険者でないプラムにも、クライシスがかなりの劣勢であることが感じ取れたのだ。
だがクライシスにとって、負ける戦いなどというのは最初からどこにも存在していない。
だから絶対諦めないし、危なくてもプラムを見捨てて逃げようとしなかった。
それにこんなに厳しい戦闘の最中にも、既に攻略法を考え出していたのだ。
「ガァルルァッ!!!」
サーベルのような牙を剥きながら、サーペントタイガーは鋭利な爪を振りかざしてきた。
クライシスはその攻撃を後方に大きく飛んで避けた。
そして距離をとった彼は、残された僅かなマナの殆どを使い尽くし、補助魔法の詠唱を行う。
「……我が心路を阻む者なしッ。機動性補助!」
一時的に、クライシスのAGEは大幅に上昇した。
移動速度の上がったクライシスは、サーペントタイガーの不意を突き、一瞬で背後に回り込む。
だがしかし、それだけではまだ、俊敏性はサーペントタイガーよりも劣っていたのだ。
あっと言う間にサーペントタイガーは、魔法効果を得たクライシスの速度上昇率に順応してみせた。
そして彼が攻撃姿勢に移るよりも前にくるりと身をひるがえすと、そのまま逆にクライシスの背後をとり、強烈な体当たりを食らわしてきた。
「ぐはっ……!」
その衝撃で、クライシスは庭の反対側まで吹っ飛ばされてしまう。
その先にあった民家の土壁に、彼は身体を強く打ち付けられた。
「クライシスッ!!!」
プラムは倒れたクライシスの元に急いで駆け寄ろうとする。
しかし、それを見たクライシスは、咄嗟に腕を突き出しプラムの接近を制止した。
「……フフ、心配しなくても大丈夫です。これも計画のうちなのですから」
「でもっ!」
「いいんです! いいから大人しく、ワタシ様から離れていてください。……いいですね?」
「う…うん」
「……よし。それでいいのです」
そして、クライシスは周りに散らばった瓦礫をどかすと、再びサーペントタイガーの前に立ちはだかった。
「グルルルゥゥ……」
機動性補助だけではステータス的に力が及ばないということは、すでに彼自身も分かっていた。
先程の攻防はその事を確かめるためと、次の攻撃で確実に決めるための検証を含んでいたのだ。
だが、サーペントタイガーも同様に、先ほどから唸り声を上げながら、じりじりと距離を詰めてきている。
獣らしく一気に飛び掛かり、一撃で喉笛を掻ききる算段でもしているのだろうか。
動きは単調かもしれない。だがその身体能力は侮れなかった。
互いに睨みあう。油断が許されない状況。
そしてその時、最初に動いたのは、サーペントタイガー・セイバームーンの方だった。
それは冒険者の持つスキルのような物で、一部の魔物のみが扱う特殊な攻撃パターン。
奴が見せたのはその中でも、敵を威圧すると同時に攻撃力をも高める強力な咆哮だった。
『グォォオッッ!!!』
「くっ…… バーストか!」
猛々しい雄たけびと共に、サーペントタイガーの足元からは薄っすらと青白いオーラが立ち昇っていた。
戦いの場から離れていたプラムも、魔物から放たれる威圧にすっかり当てられ、思わず気を失ってしまいそうになる。
しかしクライシスは、それを見た途端に好機を察した。
バースト行動の後は、僅かな硬直時間が生まれるのだ。
「今だ! 圧縮魔法!」
呪文の詠唱と同時に、クライシスはサーペントタイガーとの距離を一気に詰める。
強化されたサーペントタイガーがそれを迎え撃つ。
単純な直線方向の突進。最速でこちらをつぶしに来る一手だ。
先程までなら耐えられたかもしれないが、攻撃力の上がった今ではひとたまりもない。
だがそこで、さらに不運は訪れる。
圧縮魔法の使用によって、クライシスのマナは完全に0になってしまったのだ。
それにより、虚無から意識が引っ張られるような猛烈な気絶衝動がクライシスを襲った。
オーバーゼロである。




