第95話 ディップとフリーク
ケイブロングヴェルツの朝はとても分かりづらい。昼夜の変化が乏しいのだ。
しかも坑道の奥にいくほど日差しが入り込まなくなるので、ロックキャッスルの辺りはずっと真夜中のままである。
その為、入り口近くに暮らすドワーフが差し込む朝日に気が付くと、坑道全体に響くような大きな鐘を鳴らす。
それが、ケイブロングヴェルツの一日の始まりだった。
朝のかそけき光の中。鐘の音が鳴り響く街を、ふらふらと歩く男がいた。
時折彼が倒れそうになると、側にいた犬人族の若い女が危なげに支えていた。
「もう。ディップ様ったら、飲み過ぎですよーう」
「げぷ。こんなの、たいしたことね~よ。んちゅっ。キャロラインちゃんは可愛ちいなぁ」
「ああん。こんなところで、恥ずかしいです!」
「グフフ。またデートしようねー。キャロラインちゃーん」
暗黒洞窟の元捕虜達の仮住居となっていた上級大使館へと帰っていく彼女を、その後ろ姿(尻)が見えなくなるまで、長いことを見送るディップ。
そして、何気なしにこう呟いた。
「んふ~ やっぱしケモミミは最高だぜ」
「兄さん。やっぱりまだミカエラのこと……」
「デデデッ デルーン!!! お前いつからそこにいたんだ??!」
ディップが慌てて振り返ると、そこにはこちらに冷たい視線を向けてくる弟の姿があった。
それはもう尊敬する兄に向ける目ではなく、なにか可哀そうなものを見る目になっていた。
「ど、どうして……」
「一晩中待っても部屋に戻って来なかったから、急いで探しに来たんですよ」
「あのな、デルン。これには訳があってな?」
「ええ、分かってますよ。ミカエラさんの裸体はエッチでしたもんね。たとえ性癖が歪んでしまった兄でも、僕はちゃんと愛せますから……」
「やめろ。やめるんだ! わ、わすれろビーム!!!」
その後、ディップは何とかデルンを説得すると、どうにか兄としての威厳を取り戻した。
そして二人は、ガルゴン王が用意してくれたダイバー達のための宿舎に帰る途中、偶然にも商業区域の方へと歩いていくフリークの姿を見つけた。
「オイこら。あそこにいるのはフリークじゃないか」
「本当ですね」
その時のフリークは、女の姿であるフリリャンセとして街を歩いていた。
フリリャンセも(外見だけは)かなりの美女といっても良かったのだが、ディップはエルフの彼女を見ても全くその気を見せなかったので、デルンはこれは重症だなと思った。
「あいつ、こんな朝っぱらから何してるんだ?」
「そうですね。誰かみたいに朝帰りってわけでもなさそうですし」
「んぐぐぐ……」
流石にその時だけは、いつも通り「オイこら」と言うわけにはいかなかった。
しばらく二人は商業区域に向かうフリークを遠くから眺めていたが、やがて彼が連絡路を渡り終えると、その姿も見えなくなった。
「僕たちも行きましょうよ」
「……いや、後をつけるぞ」
「ええ~っ どうしてそんな事をしなくちゃいけないんですか」
「だって! 怪しいじゃねえかよ」
「はぁー。やめましょうよ。こういうのをプライバシーの侵害っていうんですよ」
デルンは自分の兄の無計画さにほとほと呆れていた。ケイブロングヴェルツに着いてから、ディップはずっと酒と女三昧なのだ。
もちろん、他の仲間はこのことを知らない。というか見せられない!
「じゃかしぃ! よく考えてみろデルン。アイツは魔合を起こした大悪党なんだぜ。何かヤバいことをしでかさないか監視する必要があるだろ」
「う~ん それは一理あるかも?」
ディップは計画性は皆無だが、直観やその場の行動力に関しては目を見張るものがある。
「でも、フリークさんがそんな悪人なんて、正直今でも信じられないんですよね」
「なぁにぃ~ あ、とにかく行くぞ! 奴を追いかけるんだ」
「…分かりました」
そしてディップはフリークの後を、デルンはそのディップの後ろを追い始めたのだ。
絶対フリークは何か悪いことをするはずだ。その確信がディップにはあった。なので二人で物陰からフリークを覗き見ている間も、彼の一挙手一投足を見逃さないようにしていた。
しかしフリークは、いつまで経っても悪事を働こうとはしなかった。
それどころか、彼は行く先々で次々と善行を積んでいった。
ある時、フリークは街道である腰の曲がった老婆とすれ違った。すると何を思ったのか、フリークはすれ違いざまに気づかれないよう老婆の腰に手を伸ばした。そして何かを小声でつぶやいたのだ。
その時バーンズ兄弟たちは、フリークの手に黒い闇のオーラが集まっているのを目撃していた。
「オイみたか今の!」
「はい! 何か魔法を使ったようですね」
「きっと呪いの呪文だ。フリークはあの老い先短い婆さんを呪い殺す気なんだ!酷いやつだ!」
しかしそうではなかった。
そのまま彼らはすれ違い、フリークと老婆の距離が少し離れた後、突然折れ曲がっていた老婆の腰がおどろくほど垂直に立ち上がったのだ。
「あんれ! 腰が急に軽く?!」
元気になった老婆を見てフリークはクスリと笑みを浮かべた。フリークは単に老婆の腰を直してあげたかっただけなのだ。
デルンはフリークが老婆を傷つけたわけじゃないと知り安心したが、それを見たディップは納得のいかない様子でこう言った。
「くそ、次だ次!」
またある時はもっと単純だった。
フリークは浮遊魔法を使って、倉庫整理の仕事を手伝っていた。
倉庫管理者のドワーフは、どうしても少額のコインしか受取ろうとしないフリークにこう言っていた。
「本当にそれだけでいいのかい? ほとんどアンタが全部やってくれたじゃねーか」
するとフリークはこう言った。
「ええ、これだけあれば十分です。どうもありがとうござました。またよろしくお願いしますね」
「いやぁー、アンタみたいな良いエルフもいるんだな」
陰から尾行してその様子を見ていたディップは、フリークが人々から感謝される度にだんだんムカムカした気分になっていくのだった。
だがついに、ディップの待ち望んでいた時が訪れた。
時刻は既に夜。デルンに関しては、もう何時間も前から帰ろう帰ろうと駄々を言い始め、監視のやる気などとっくに消え失せている。
だがこうして、フリークが裏路地で怪しい男と怪しい取引をしているのを目撃してからは、そんな我儘も言わなくなった。
「ほら、言っただろ。フン、これが奴の正体なのさ」
「そんな。フリークさんは何をしてるんだ?」
デルンは双眼鏡を取り出した。そしてフリークの取引相手の容姿を確認する。
暗くてよく見えないが、背中に大きな鞄を背負い頭には黒いトンガリ帽子を被っているようだ。フリークの前で、キノコや動物の骨、呪術的な薬などの怪しげな品をいくつか広げているところも見えた。
「よく分かりませんが、ヤバそうな奴ですね。なんとかしなきゃ」
そうしてデルンはフリークの元に駆け付けようとしたが、すぐにディップがそれを止めた。
「なんで行かせてくれないんですか?!」
「まあ待てデルン。今俺たちが言っても奴は自分の犯行を胡麻化そうとするだろう。言い逃れの出来ない決定的な現場を押さえるんだ」
「でもっ」
「真実を知りたくないのか?」
「うーん……」
結局デルンは、兄の言う通り観察を続ける事にした。
しばらくすると、フリークは怪しげな男の側を離れていった。どうやら男からいくつかの品を購入したようだ。
そのままフリークは歩き続けた。そして彼を追いかけているうちに、いつのまにかバーンズ兄弟たちは人気のない地下坑道へとやって来ていた。
そこは普段なら本当に真っ暗闇で、フリークが魔法の灯りで辺りを照らしていたおかげでなんとか先を歩く事が出来た。
「こんな何もない所に何の用なんですかね」
周囲の寂れ具合から、ここがドワーフ達に使われなくなって1000年以上の月日が経っていることが分かった。
「しっ 何かする気だぞ」
するとフリークは、近くにあったこれ見よがしな壁の凹みに手を突っ込むと、奥へ押し込んだ。するとその壁がゴゴゴと動きだし隠し通路が現れたのだ。フリークはその中へと入っていった。
「なるほどな。フリークは2千年以上も生きてるエルフ。このくらいの仕掛けを一つや二つ知ってても不思議じゃないってわけか」
二人はフリークに気づかれないように、そっと隠し部屋へと侵入した。
そこには色とりどりのガラス瓶や、見たこともない薬草がズラリと並んでいた。天井には魔法のランプが輝いており、ここが魔法の研究室だと分かった。
「こりゃすげーぜ」
「兄さん。奥の部屋にフリークさんがいますよ」
フリークのいる部屋ではいくつものガラス瓶がグツグツと泡を吹いて煮え立っていた。手元にはこの部屋にある薬草、それとあの怪しげな商人から買ったと思われる臓物などの呪術道具があった。
また彼はとても集中しているようで、ディップ達の存在にも気が付いていないようだった。
「何か作っているんですかね」
「そんなの決まってる。呪いの道具だ。あんな怪しい材料で作るものといったらそれしか思いうかばないだろ。へ、ついに正体をあらわしたな、悪の魔法使いめ。とっちめてやる!」
「ヘイ! やめるんだ二人とも」
その時、二人のよく聞き慣れた声がしたので、驚いて後ろを振り向いた。そこにはマックがいた。
「マック?! どうしてお前まで、こんなところに居るんだ?」
「Sigh~ 街中であんな不自然な尾行をしてたら、そりゃ誰だって気になるさ。 それより、フリークの邪魔をしちゃいけないよ」
「てことはつまり、マックさんはフリークさんが何をしてるか知ってるんですか?」
デルンがそう尋ねると、マックはこう答えた。
「彼はポーションを作っているんだよ。オレたちも使った事があるだろう」
それを聞いたダイバー達は、激しい戦闘の時などに出所の知れない回復薬をフリークから受け取った事を思い出した。
「そうか。あれはフリークさんが作った物だったんですね。やっぱり何も悪い事はしてなかったじゃないですか」
マックは頷いた。
「そうさ。しかもポーションだけじゃない。イグメイア砂漠を渡っている間、フリークはずっとオレ達に補助魔法をかけ続けていた。彼の魔法があったから、オレ達は大した怪我もなくここまでやって来れたんだ」
「チッ 奴は魔法が使えるんだ。だったらそんな事をするのは当たり前だろ」
「……そういう言い方はよくないんじゃないかい。ああ、そうか。ディップは魔力切れになったフリークが、毎晩のように血反吐を吐いていたことを知らないんだね」
「何だって?」
フリークは神の呪いを受けたその日から、エルフとして使える体内魔素量を減らされていた。もし使用制限を超えると、死ぬことは無いが耐え難い苦痛が彼の身体を襲う。
それでもフリークはネベル達の旅に最後まで着いていくために、その事実は隠し通す事に決めていたのだ。
「ディップ。フリークは仲間思いのいい奴だよ」
「……それでも俺はっ…、あいつのした事を許すわけには、いかないんだ!」
―ガラガシャーンッ―
「ああッ!」
いくつものガラス瓶が壊れる音が聞こえた。ディップ達が振り向くと、そこにはフリークが大量のガラスの破片の中で地面に倒れていた。
ポーション作成中に魔力切れを起こし気を失ってしまったのだ。その時の衝撃で、彼の身体は思うように力を入れる事が出来なかった。
「……くっ」
フリークはその事実に気が付くと、歯をかみしめ地面を這いながら立ち上がる為の端緒を探していた。
だが床一面にはガラス瓶の破片が散らばっていた。
なのでフリークは、ずいぶん立ち上がる事も出来ずに、ただ床の上を必死にもがいていたのだった。
だが突然、彼の身体を持ち上げる力があった。それはディップ・バーンズによるものだった。
それまでディップの存在に気づいていなかったフリークは、背後から何者かに助け起こされた時にとても驚いたし、それがディップだと分かるとなおギョッとした。
ディップはこちらを見たまま動かないでいるフリークを、先ほどまで大量のガラス瓶が置いてあった近くの机に寄りかからせた。そしてフリークの目を見つめながらこう言った。
「……俺は、お前のした事を絶対に許さない」
「…………はい」
「だから、いつか必ず冒した罪のツケを支払わせてやるぜ」
「え…」
ディップはフリークに背を向けた。そして少し離れた後、こうさりげなく呟いた。
(俺は、仲間のために行動できる奴は嫌いじゃない。…助け合いは大事だからな)
すると、二人の所にデルンとマックがやって来た。
「フリークさん、手伝いますよ」
「あ、あなた達まで。どうしてこんな所に?」
「え。 あー、そんなのどうだっていいじゃないですか。 僕たちは何をしたらいいですか?」
するとマックがこう言った。
「ヘイ、まずはこのガラスを片付けるべきじゃいないかい」
「ああ、そうですね」
体の弛緩したフリークは、ディップの後ろ姿をぼんやり見ていた。彼の気持ちをもう少し知りたいとも思ったが、大事な事はもう伝わっていた。
「プククッ ポーション作りは大変ですよ? 手伝うというなら二日ほどの徹夜は覚悟していて下さいね?」