第90話 世界のあり方を決めよう
ロワンゼットは、自らが指揮するケイブロングヴェルツ侵略作戦に導入する予定の秘密兵器の開発に着手していた。
「クフフ、悪くない。想像以上に強力なクローンが完成するぞ」
ロボットアームを巧みに操り、培養カプセルの中の生物のバイタルチェックを行う。
培養液の中の物体も元はロワンゼットの作ったクローン人間ではあったが、度重なる遺伝子操作により肉体は肥大化し、それはもはや人とは言えなかった。
「もう少しヘモグロビン濃度を上げてもいいかもしれないな。とりあえずメタンフェタミン20%で様子見だ」
ロワンゼットはそう呟くと、大きな注射針を使って秘密兵器に興奮剤を投与した。
生き物はきつく拘束されており自由に動くことは出来なかった。しかし薬液の投与で培養カプセルの環境に変化が起きると、その表皮に太い血管が浮かびあがり人工血液がドクドクと脈打った。
ロワンゼットは周りの機械に表示されているバイタルデータと比較しながら、しばらく非検体の観察を続けていた。
だがその時、彼の元に緊急の招集命令が届いた。
「せっかくいいところだというのに。アポストロスめ、いったい何の用だ」
ロワンゼットは実験を中断させると、汎用型人機の接続を切り離し、精神を自分のプールへと戻したのだった。
きっとまた、黒い棺だけがポツンと浮かびあがる闇に満ちた空間に呼び出されるものだと思っていた。
だがアポストロスとの通信回線を繋げると、次の瞬間、ロワンゼットは厳かな雰囲気の大聖堂の様な場所に召喚された。天井のステンドグラスからは、心地好い太陽光すらも降り注いでいる。
「こっ、ここは! もしや仮想空間なのか?!」
感動のあまり思わず飛び出たひとり言のつもりだったが、そこに返答があった。
「その通りです。といっても、実現率は1%にも満たないのですけどね」
ロワンゼットは、突然聞こえたアレックス・ブレインズの声に驚き辺りをキョロキョロと見渡した。それでも彼の姿はどこにも見当たらなかったが、声だけは正面のキリスト像の方向から聞こえているのだと分かった。
十字架に磔けられた救世主の足元では、一体のクローンが静かに直立状態で待機していた。
「いやいや、驚きましたぞ。これは正しく仮想空間!儂らの宿願が叶う日も近いのですね。クフフ、再び仮想戦争を出来る日が待ち遠しいわい」
「どうやら喜んでもらえたようですね」
「もちろん。もしかして、アレックスさんが儂を呼び出した理由というのはこの事だったのですかな?」
ロワンゼットは虚空に向かってそう呼びかけた。すると聖堂から聞こえるアレックス・ブレインズの声に、一瞬「フフフ」というノイズが混ざった。そして彼はこう答えた。
「それだったら良かったのですが……。お話したいのは、ロワンゼットさんにお願いしていた亜人種国家の制圧の件についてです」
それを聞くとロワンゼットは眉をひそめた。状況はあまり芳しくないからだ。
「ああ、それか……。そう急かさなくてもよいじゃないか。今ちょうど、戦争で使う秘密兵器を用意していたのだ。あれが完成すればドワーフ共などあっという間に蹂躙してくれるよ」
「いいえ、そう簡単にはいかないと思いますよ」
「なに?」
「戦況は大きく変わりました。今のままでは確実な勝利は難しいでしょう」
するとアレックス・ブレインズは、ロワンゼットが研究に勤しんでいる間に、ケイブロングヴェルツで新たな動きがあった事を説明した。
「魔界の異種族同士が我々という共通の敵を前にした事で結託し、共同戦線を作ろうとしているのです。これにより敵戦力は、当初の倍以上に膨れ上がると推測されます」
「フ、だからどうした。どうせ奴らは大した文明力も持たない野人の集まりではありませんか。そのような懸念は不要の産物ですぞ」
「侮ってはいけません。何といっても相手は異世界の未知の種族。こちらに情報源はあるとしても、まだ分からないことの方が多いのです。それに高性能管理演算機の計算結果でも、100%だった勝率が72%にまで下がってしまいました」
それを聞くと、ロワンゼットはこれ以上反論しようとしなかった。仮想空間のすべてを管理する超スーパーコンピューター高性能管理演算機は、人間の知能など遥かに越えた存在であり、彼彼女の言うことならすべて正しいからだ。
「だとしたら、どうしたらよいのだ」
するとアレックス・ブレインズはこう答えた。
「私たちは塔の建設のために世界各地でクローンを使った軍事進攻を行ってきました。それは必要な事だったから仕方ありません。しかしそのせいで、今度は世界中の亜人種たちが一気に敵に回る事になりました。これらの敵戦力は強力で、生半可な戦力では負けてしまうでしょう」
さらに彼はこう言った。
「資源の消費はなるべく抑えたいのですが、この戦いに負けてしまってはすべてが終わります。よって、こちらも総力戦をしかけます」
「なんだってッ それは本気か? つまりクローンと武器の生産数のリミッターを無効にするという事か!」
「そうです。大型の戦術兵器の使用も認めます。そして戦場にはあなたも出向いて指揮を取ってください。ただし中性子爆弾など大量破壊兵器の使用は認めません」
すると、ロワンゼットは困惑した様子でこう尋ねた。
「何故、そこまでするのですか。少し手ごわいとはいっても、あの要塞国家も我々の最終目的の通過点に過ぎないではないか。落とすべき敵クランの一つに過ぎないだろう?」
「昨日まではそうだったかもしれません。しかし状況は一夜で変化しました。この戦いで我々が相手にする敵は、もはやドワーフだけでは無いのです。我々を否定する異世界のすべてと戦います。そしてこの戦いで勝った陣営が、より理想の世界の実現に近づくのです」
そこまで聞いた時、ロワンゼットはようやくケイブロングヴェルツ侵略の重要性と自分に任された役目の重さを理解した。
「催眠電波を発生させる塔は概ね建設予定数に達しました。しかし仮想空間の創造に必要なネットワークとエネルギーの問題がまだ解決していません。人々が苦しまずに生きられる世界をもう一度作るためには、この戦いの勝利が不可欠です。なのでロワンゼットさん、どうかお願いします」
「はい。任せてください」
「ありがとうございます」
ロワンゼットはキリスト像の前に跪くと、戦争の勝利を誓った。
二人の話が終わりロワンゼットは元いた〈ラファエル〉の研究室に戻ろうとしていた。しかし去り際にふと、彼はある事をアレックス・ブレインズに尋ねた。
「……ところで、あのババァは何処に? 我々の特別な精神世界では、必ず3人揃って集まるという決まりじゃありませんでしたか」
「班目マダムですか」
「まあ、どうだっていいのだが」
するとアレックス・ブレインズは少し物悲しそうにこう答えた。
「彼女ならプライベートルームですよ。何しろあの方にとって、この世界だけが許容できる全てですから」
「……フン」
ロワンゼットは答えを聞いて満足すると、仮想空間からの回線切断処理を行った。
「敵はドワーフだけではありません。ダイバーと呼ばれる人間たちも戦闘に加わるようです。その中には、あの月見里コトブキの孫娘もいるとか。十分気を付けてください」
「ああ、あの裏切り者ですか。承知しました」
「それと、あまり殺しすぎないでくださいね。 意味は……分かってますよね」
「ええ。もちろんですよ」
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