第82話 蛹化
ここはコードブレイン社の管理する市民管理センター第246番。その5000階に位置する特別VIP室である。
全面ガラス張りの部屋からは、黒鉄の高層ビルが無限に建ち並ぶ景色が見えた。しかし、ビルの明かりはどこかまばらだ。
「はぁぁーー……」
アースは深いため息をつくと、手にもっていた精霊結晶のペンダントを、先鋭的なデザインのチタン合金で作られたテーブルの上に置いた。そして人工牛皮で作られたソファの上に腰をおろす。
その時、何重にも皺が入りよぼよぼになった自身の黒い手を見てアースは愕然とした。この微精霊が極端に少ない世界では、魔界よりも老化の速度がずっと早かったのだ。
しかし、アースにとって重要なのは老化の事ではなかった。二つの世界を繋げるなんて、もはや興味はない。
アースはフリークを愛していた。2000年前からずっとだ。
いつも傍にいてくれたのは彼だけだった。
彼だけが、自分を必要としてくれた。
こちらの世界に来た後も、毎日彼の事を考えて眠りについた。
私を信じ、頼り、愛してくれるフリークの事を!
例えばイタリアで魔女狩りに遭った時も。どんな窮地だって、フリークの事を想えば乗り越えられたっ。
――だが、私の事を愛してくれるフリークなんて物はいなかった……。
全ては己の幻想に過ぎなかったのだ。
今日、長い旅は終わった。もうアースに行動原理は存在しない。
愛するフリークを逆恨みする気にもなれない。
あとは、幻想の中を生きるだけだ。
するとアースは、自分の部屋に一人の使用人を呼び寄せた。
原子移動装置を使って一瞬で現れた彼女の姿は、若かりし頃のアースの姿にそっくりだった。
「アース様」
「ええ、すぐに準備をして頂戴。アポストロス」
「ようやく分かって頂けたのですね」
「もうこの世界に未練なんてないのよ。たった一人、この身を捧げると決めた人に裏切られてしまったのだから」
「おいたわしいアース様。私は永遠に貴方の下僕です」
「ふふふ、うれしいわ」
そう言うとアースは電子版を操作し、原子移動装置の行先を仮想空間のフルダイブシステムがある部屋へと設定した。
2280年
人類の限界を超えて高度に発達したコンピューターは、資源が枯渇した世界で人類が生き残れる唯一の方法を導き出した。
それが仮想空間において肉体を仮死状態に維持し、最低限の資源で人類を存続させるという手段であった。人類が仮想空間で眠っている間もコンピューターは計算を続け、わずか2000年程度で資源問題は解決する見込みであった。
「さあ行きましょう、あの楽園へ。 待ってて、アタシのフリーク。今いくわね」
そして彼女は、原子移動装置を起動した。
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