第60話 花畑での日々
少女は動くことが出来ないマックを、精一杯華奢な体を使って川から引き上げた。そしてかすみ草の花畑の真ん中にある小さな家へと運びこむ。
マックの怪我の治療をするために、アンジーは自分のベッドに彼を寝かせた。
「今にも死んでしまいそう……。でも確か妖精さん達からもらった回復薬がまだあったはず」
彼女は戸棚から色ガラスの瓶を取りだした。それをマックの口元まで持っていく。
「お願い。飲み込んで……」
透明な雫がマックの口の中に落ちていった。
瓶の中身がすべて無くなると、アンジーは彼の服を脱がす。そして丁寧に身体中の傷の手当を始めた。
翌日、マックが一命をとりとめ目を覚ますと、ベッドの傍らには見知らぬ少女がいた。
アンジーは怪我でうなされるマックの側で、夜通し看病をしていたのだった。
「良かった。気がついたんだね」
「うっ オレはどうなったんだ…」
川の中で死んだはずの自分が暖かいベッドで横になっている理屈が飲み込めないでいたが、やがて彼女によって命が救われた事を察した。
あの状態からどうやって助かったのかは不明だ。だがそれは彼の本意では無かった。
マックはまだほとんど動かない体に鞭を打ち、無理やりベッドから起き上がる。
「助けてくれてありがとう。それじゃあ……」
ふらふらと立ち去ろうとするマック。するとアンジーは彼に強い口調でこう言った。
「許さないわ」
「は、何が」
「あなた、死ぬ気でしょ」
アンジーはマックの生気の無い瞳を見て、一瞬で彼の胸中を見抜いたのだ。すると今度は、まるで罪悪感を与えるようにぶっきらぼうに言葉を投げかけた。
「ひどい人。あーあ、せっかく私が苦労して助けたのに、それも無駄にするんだね」
「……すまない。だが、あなたには関係のない事だよ」
「…そう、ならしかたないかー」
「分かってもらえて助かる」
マックは再び歩きだすが、即座にアンジーはこう言った。
「でも、出ていくっていうならその前に、一晩分の宿代と食事代、それと君に飲ませた超高級な薬代をきっちり払ってもらおうかな」
「何だって??」
「ハハ、もし払えないんだったら、その分身体で払ってもらうからねっ」
「ちょ、こんなの詐欺だろ……」
「あー良かった。ちょうど人手が欲しかったんだ」
そう言うと彼女は優しく微笑んだ。
それから二人だけの奇妙な生活が始まった。
マックはアンジーが育てている作物や家畜の世話を手伝わされた。だが彼女はマックの怪我が酷いうちは、決して無理な労働をさせる事はしなかったので、マックはゆっくりと体力を回復する事ができた。
アンジーの他にこの場所には人間がいない。他にはラッキーという名のレトリバーと、時々花畑で姿を見る事のできる小さな花の小人達だけだ。
何故他の人間がいないのかと聞くと、彼女はこう答えた。
「実はわたし、少し前まで病気だったのよ。この白い髪もそのせい。それで病気を治す為に旧文明の機械の中でずっと眠っていたのだけど、病気が治って久しぶりに外に出てきたら、〈サマエル〉の人達は誰も居なくなっていたってわけ」
再び現世で活動する事を見越してのコールドスリープだったので、機械の中にいる間のアンジーの身体は微弱な電気刺激によって筋肉が衰えないようにされていた。それでも多少は弱化する。体力が戻り切った頃、彼女はコロニーのあちこちを隈なく調べたが、モンスターなどに荒らされたような形跡は見つからなかった。
「それってつまり、彼らは自分の意思でコロニーから出ていったって事か」
「たぶんね」
「ひどいな。〈サマエル〉の人間は君を見捨てたって事じゃないかい」
しかしアンジーはかぶりを振った。
「ううん、きっと戻ってくるって信じてる。それまで待つつもりよ」
「……そうかい」
一度コロニーを廃棄した人間が元の場所に戻って来るなんてありえない。アンジーの話を聞きながら、彼女の望は叶うことがないだろうとマックは思っていた。
かすみ草の花畑でアンジーと過ごす日々は、それまでのマックの人生とは比べものにならないくらいに穏やかな時間だった。
まず朝は、ラッキーの顔面ペロペロ攻撃によって目が覚める。あまり気持ちのいい目覚めとは言えないが仕方ない。
急ごしらえの草の寝床から起き上がると、ラッキーと一緒に自分が死にかけた川へ水を汲みに行く。それが終わるといよいよ朝ごはんだ。
アンジーは器用でなんでもこなし、もちろん料理の腕も上手かった。ちなみに自分より年下の少女だと思っていた彼女が四つも年上だと後で分かり驚いた。
朝食の時は、まれに彼女が妖精と呼ぶ小人達も同席する。彼女はこの小さなミュートリアン達にとても好かれているようだった。
周りが一面の花畑なので、蜂蜜には困る事がない。妖精はみんな蜂蜜が大好きなのだ。
それと、よく食卓に上がるのが芋だ。何か特別な方法で成長速度を早めているらしい。彼女の料理の腕は、そんな素材の素朴さをも意に介さず食卓に彩りを与える。
「美味い。オレがいた所じゃこんな美味いもの、食べた事なかった」
「あら? それ、ただの芋よ」
「うん、知ってるさ。でも美味いんだ」
「ふふ、だったら死にかけたかいがあったじゃない」
それを聞くと、マックは思わずふき出した。
「ハハハ、たしかにそうかもしれない」
「あー、あなたが笑ってるところ初めて見たっ」
「えっ、そうかい」
「うん。そっちの方が素敵だと思うわよ」
「ふっ、そりゃどうも」
マックはだんだんとアンジーの前で、素の自分をさらけ出すようになっていった。
花畑の近くには小さな森があり、そこには狩りの得物になりうる野生動物が生息していた。そこで、マックは手作りの弓を持ち出し、颯爽と森へ出かけていった。
「気をつけてね、マック」
「任せてよ オレはこう見えても、狙撃の類が得意なんだよ」
アンジーが不安そうに見守る中、弓に矢をつがえ、木陰から目の前のシカのようなモンスターに狙いを定めた。
―ピュン……ズバッ
放たれた矢はシカの脳天を貫いた。死を実感する間もなくシカはよろよろと数歩歩いたあと、その場でパタリと倒れた。
「ほら、言っただろう」
「うん……そうだね」
彼女の返事に元気がない。どうやらアンジーは初めての狩りを見て少し怖がっているようだった。
「アンジー。狩りっていうのはある意味残酷かもしれないが、決して残虐じゃないんだよ」
「それってどういう事?」
「オレ達が有効活用すれば、あのシカの命も無駄じゃないって事さ」
「うん分かった。じゃあシカさんに感謝して、全部食べ切らなきゃだね」
「ハハハ、そうだね」
その晩、二人の食卓には立派なシカ肉が登場した。アンジーは数年ぶりに食べる肉の味をとても喜んでいた。それを見ると、マックは彼女の為に魚なんかも採るようになった。自分が狩った物をアンジーが美味しそうに食べるのを見ると、マックの心も暖かくなるのだった。
だがそこで新たな問題が発生した。これまで彼らは芋や野菜などの菜食的な生活だったのだが、急に肉や魚などの料理をする事が増えたため、それらに使う香味などが不足してきたのだ。
「たぶんコロニーに行けば、まだ残ってると思うの」
「〈サマエル〉の残骸だろ。危険じゃないのかい」
「そう思うならマックもついて来て」
「それはもちろん」
「コロニーに行く途中には、こことは違う色の花が咲いている場所があるの。一緒に見に行かない?」
「いいね、そういう事なら喜んでお供するよ」
二人はラッキーと一緒に家を離れ、少し遠出をする事にした。コロニー〈サマエル〉に行くにはかすみ草の花畑の向こうにある小さな森を一つ抜ける必要があったが、本当に小さな森なので1時間もあるけば通り抜ける事が出来た。
そして、そこにはアンジーの家と同じように見晴らしのいい平原に、かすみ草の花畑がどこまでも広がっていた。しかしその花の色はマックの知っているような白ではなく、青や緑などの幻想的な色色に移り染まっていた。
「ねっ 綺麗でしょ」
「うん……!」
二人は並んでカラフルな花畑の中を歩いた。かすみ草をいくつか積んで、花冠を作り互いに送り合ったりもした。
その後、一人で散策していたマックは、花畑の中で突如異質な物体を発見した。慌ててアンジーを呼びに行く。
「マックどうしたの」
「アン、あれは一体なんなんだい?!」
マックが指し示した先にあったのは、びっしりと植物に覆われていた旧文明の黒いモノリスだった。大きさは5メートルほど。ところどころ欠けており、機械として完全に壊れてしまっているのが分かる。
「花畑の中にいきなりあんなの物があるんだ。驚いたよ」
「あれは昔の通信機器のような物らしいわよ。今は動いてないから気にしなくて大丈夫」
「そうなのか」
「ええ、それよりもっと遊んでから帰りましょう」
それを聞くとマックは頷いた。
マックとアンジーはラッキーと一緒にへとへとになるまで花畑を駆け回った。その後は持ってきたお弁当をみんなで食べて、また花畑で何も考えず無我夢中に遊んだ。マックはこの時間が何よりも愛しいと感じていた。
時間が経つのは早く、気が付くともうすぐ日の暮れる時間になっていた。
一緒に花畑で寝っ転がりながら、徐々に赤く染まっていく空を眺めていると、彼女はふいにこう言った。
「ふふ、今日はとても楽しかったね」
「うん。そうだね」
「…………わたし、本当はずっと寂しかったの。ラッキーや妖精さん達は側にいてくれるけど、こうやって楽しくおしゃべり出来る相手は今まで居なかったから。だけど今はちがう。マックが居てくれてとっても嬉しいよっ」
アンジーは無邪気に微笑んだ。彼女の頬が夕日に照らされ赤く染まる。
「オレも同じだ。君と会うまでこんなに楽しい事は一度もなかった。世界がこんなに美しい事も知らなかったんだ。全部、あの日君がオレを救ってくれたおかげだよ」
「もう死ぬなんて言わない?」
「ああ。君がいれば、こんな世界でも幸せでいられるんだ」
二人は長い間見つめ合った。同じ時を過ごすうちに、マックとアンジーは互いに惹かれ合っていたのだ。
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