第120話 希望の願いと揺ぎ無き決断
銀色の壁で出来た四角形の部屋。外周には使い道の分からない、複雑かつ精緻な機械がびっしりと取り付けられていた。
望やバーンズ兄弟は、この秘密の部屋がツンの遺跡の地下にあったものと非常に酷似している事にすぐに気が付いた。
そして中央にある透明なガラスケースを見て、望はそこに神の雫を置くのだと悟った。
―カチリ―
神の雫は、元からそこにあったように、台座に完璧にはまった。
台座のライトが青く光り、何らかの情報をキューブから読み取りだす。
それがきっかけとなり、大聖堂に隠された最後のシステムが起動された。
「……ありがとう望。本当に、よくやってくれたね」
その声が聞こえると急いで振り返る。そこには望の祖父、月見里コトブキが立っていた。
「またホログラムか?」
しかしマックは言った。
「ノー! あれには影が存在するようだ」
「何だって?」
「実体があるという事だよ。映像じゃない、いったいどういう事だ??」
とっくの昔に死んだはずのコトブキが、自分たちの背後に立っていたのだ。
その事実にダイバー達が困惑していると、コトブキは真実を明かした。
「タイムマシンだよ! 私は神の雫の無限エネルギーを用いて、一時的にこの世に蘇ったのだ」
「……は?」
サイバーエイジ
その頃から月見里コトブキは、ブレインズたちとは別に独自の研究を行っていた。
科学者ゲバル・ウェーバーと友人であったコトブキは、彼からBKAやその隠し場所についても詳しく聞いていた。
魔合の直前に仮想空間を脱出すると、自らの部下と共にコロニー〈ジャパン〉を作り、研究していた時間遡行を実行するための計画を始動したのだ。
それはすべての始まりだった。
「時間遡行には理論上不可能だと断定出来るほどの天文学的エネルギーが必要だった。しかし永久機関さえあればそれも解決する」
「じゃあ、あのホログラム映像で言ってたことも本当なのか? たしか、生き返らせる事ができるって」
かすかな希望を感じ、ネベルはそう尋ねた。
だがコトブキの返答は予想外のものだった。
「もちろん! 全部やり直そう! 魔合が起こるよりずっと過去に戻って、何も無かった事にするんだ!」
「何も……無かったことに?」
「ああ、魔合が起きなけば200億人も死ぬことは無かった。それに仮想空間で超発達した科学力があれば、地球の深刻な環境問題も事前に食い止めることが出来るはずなんだ」
まさに完璧な計画だった。数え切れない人々の命を救うこともでき、文明のさらなる発展も見込める。
残虐な行為や、他種族への犠牲を伴う必要も存在しない。
「さあ、スイッチを押してくれ。神の雫の置いてある台座の横だ。それを押せば私の肉体の模擬運転が停止し、本格的な時間遡行運転が始まる!こんな絶望の世界じゃない、君にも希望の未来を見せてあげられるんだ!」
ダイバー達それぞれの心情は極めて複雑だった。
それゆえに、望もすぐにスイッチを押すのをためらっていた。
フリークは何度も過去に戻ってやり直したいと思った事がある。自分の侵した人殺しの罪、裏切りの罪。それらを無かった事にしたいと思ったのは一度や二度ではない。
ディップは、魔合さえなければ両親を失うことがなかった。デルンに危険なダイバー稼業を手伝わせる事も無かったのだ。
孤児であるロンドは、本当の家族を知らない。周りには自分を大切にしてくれる騒々しい仲間たちがいるが、家族に囲まれている穏やかなif世界線を想像した事もある。
コトブキの話を聞いてすぐに、マックはアンジーの事が頭に思い浮かんだ。彼女には生き返って欲しかった。だがそもそも魔合がなければ、二人が巡り合うこともないんじゃないかと疑問を抱いた。
ずっと孤独の中にいたネベルにとって、この旅で得たモノは生き方を変えるほどのかけがえのない物だった。ピクシーを生き返らせたかった。だけど自ら過去を否定するわけにはいかなかったのだ。
なかなかスイッチを押さない望を見て、しびれを切らしたコトブキはこう言った。
「どうしたんだい? 何故押さないんだい。 東の辺境からここまでやってくる間、望もたくさん辛い思いをしただろう。そんな記憶も全部忘れられるんだ。もっと平和な世界で、すべてをやり直せるんだよ!?」
「記憶をわすれて、全部やり直す?」
「正確にいうと、事実ごと無かった事になるわけだ。時間遡行運転が起こると現在の大聖堂から過去の大聖堂にあらゆるデータが送られる。それで歴史改変がなされるはずだ」
これから行われるのは、個人が趣味嗜好などで恐竜を見たりしに過去に飛ぶようなモノではない。
そこに、個人の自意識などはもはや存在しないし意味はない。世界を大きく変える禁忌なのだから。
だがその結果、人類はよりよい方向に進むことだろう。
しかし望は、それを聞いて意思を固めた。
「……ごめんなさい、おじいちゃん。私には出来ないよ」
「な、何を言ってるんだ望! それがどういう意味か分かっているのかッ?!!」
「うん。この二つの世界が混ざった世界で起こったすべてを、無かった事にするなんてとても出来ない。だってみんな一生懸命に、生きて、戦って、愛し合っているんだよ? この世界はこれからもっと良くなっていくんだ。それなのに、それを全部消すなんて残酷な事できないよ」
最高の仲間との最高の冒険をしてきたダイバー達。
彼らも望の言葉に共感し、そして気持ちも一つになった。
それを聞いた月見里コトブキは、しばらく口を閉ざしたまま険しい顔つきで望の事をじっと見ていた。
だが何を思ったか、急に彼の頬が緩むと、コトブキは優しい口調で望にこう語りかけた。
「そうか…… よかったね望。いい仲間たちに恵まれたんだね」
「おじいちゃんっ」
「ああ、もう心配はいらないようだ。私は既に死んだ身。世界の未来は、今を生きる者達に託そうじゃないか」
「ありがとうっ! おじいちゃん!!!」
「装置から神の雫を抜き取ればいい。そうすれば時間遡行運転は中断する。ただし、緊急措置が作動すると思うから、充分気を付けるんだよ」
「うん。分かった」
望は言われたとおりに、台座から神の雫を抜き取る。
「それじゃあ望。どうか元気で…」
そう言うと、元の時間に戻った月見里コトブキは再び死の状態になり、望たちの前から消えてなくなった。
同時に緊急事態ゆえの、自爆装置が作動した事を知らせる警報が施設中に鳴り響く。
「ヘイ、急いで脱出しよう! …望?」
その時、望は自分の手で祖父を消してしまった事に気づき、深い絶望を感じていた。
膝から崩れおち、悲しみにくれる望。そんな彼女の手を優しくつかむと、ネベルは前を指さし希望を示した。
「行こうぜ。こんなところでまだ死ねないだろ」
「……うん!」
ネベルの助けを借りながらも望は立ち上がる。
失ったモノは多く、過去の全てを取り戻す事は難しい。
だがしかし、少しずつゆっくりと、自分の世界をより良くしていくことなら誰にでも出来るのだ。
「焦らず行こうぜ! まだまだ先は長いんだ!」
「はいっ」
仲間に励まされ、望は少し元気を取り戻した。
「けど、今だけは多少焦った方がいいんじゃないか?」
「オイこら。俺の言う事に文句があんのかネベル」
「フ、正論って言葉をしってるか?」
―ブーブー~!!!
爆破を知らせる警報は、時間とともにけたたましさを増す。
「うーん……まあ、いいだろう。今回だけは特別に俺の非を認めようじゃないか」
「兄さーん、負け惜しみですかぁ、ソレ?」
「うるさーいっ よし、こうなったら出口まで競争だ! そうだな。負けた奴は、なんか罰ゲームだ! …ハイ、スタート!」
そう言うと、姑息にもディップは一足先に駆けだしていってしまった。
「あ、フライングなんてズルいですよ! それにまだ僕はやるなんて一言も…」
しかしデルンがそう言い切る前に、続いてネベルが全速力でディップを追いかける。
「ム……この勝負、負けてたまるか!」
「ネベルさん?! うそでしょっ」
さらには、マックとロンドも後を追って駆けだした。
「みんな楽しそうだなぁ! 俺もやろっと」
「ヘイ、デルン。このままじゃ君が最下位だけど、それでもいいのかい?」
「ふぅー…… 仕方ないですねっっ!」
彼らが走り去った後、フリークは呆れた様子でため息をついていた。
「プクク、果たして彼らはこの場所の出口を知ってるんでしょうか。ここにはテレポートしてやって来たというのに」
「あ、その通りです。じゃあアタシたちはどうやって出るんです?」
「私が魔法で探しますよ。まったく、やんちゃ坊主どもは最後まで手を焼かせて困りますね」
「あれ? じゃあフリークさんも男性ですけど、やんちゃ坊主ではないんですか?」
「ええ、私は紳士ですから」
「それは……変態紳士という意味です?」
「…………」
「…………」
「……え?」
長い沈黙の後、フリークはとつぜんキャンディを浮遊魔法で宙に浮かした。
「さぁっ 私たちも後を追いかけないといけませんねっ! では、いそぎましょうか。ルンタター」
「ちょっとぉー! 下ろしてくださいですぅ~! もう変態紳士なんていわないですからー」
「ふむふむ、なるほどぉ。もう少し、このままでいましょうかっ!」
フリークの満面の笑みを見ると、キャンディはそれ以上の説得を諦めた。
そして宙ぶらりんのまま、背後の望に向かってこう言った。
「望さーん! もう少しここに居たいかもしれませんが、なるべく早く追いかけてきてくださいです。アタシたち、待ってますから!」
「心配しないでください。ヤバそうだったら、私が迎えに来ます」
宙に浮かぶキャンディは、まるで子供の持つ風船のような状態だった。何もできずに手足をバタバタしていて、それが余計に滑稽だった。
さらにフリーク自身も飛行魔法を唱える。二人はふわふわと風に漂いながら、先に行ったネベルたちのことを追いかけていった。
望は、そんな楽しくてどこか可笑しな仲間たちの事が大好きだった!
だけど、もうすぐ爆発するというのに、あまりにも呑気なので、望は思わずこう言った。
「ふふ、やれやれっ」
~The End.
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