第100話 最後の夜
ケイブロングヴェルツに各国からの兵士が勢ぞろいした。
総勢15万人の兵力。すべて選りすぐりの精鋭たちだ。
しかも、同盟国が兵士を出してくれたおかげで、ケイブロングヴェルツは当初想定していた一般人を導入しての総力戦をする必要もなくなった。
坑道の下層の凹面にある大広場にて、彼らは綺麗な隊列を作り並んだ。
両壁の市街地からは沢山の住人が顔を出し、兵士たちに声援を送ったり手を振ったりしていた。
「頑張れー!!!」
「クローンを倒してくれっ!!!」
それによって士気も高まり、兵士たちも住人たちに笑顔で手を振り返すなどした。
だがやがてジ・ガルゴン王が連絡路に姿を現すと、再び軍隊のように整った姿勢へと戻し、一斉に敬礼を行った。
ガルゴン王は街にかかる連絡路の上から、機械化された拡声器を使い、集まった兵士たちにこう呼びかけた。
「勇士たちよ、開戦は間近に迫っている! 白麗族の斥候部隊によれば、敵軍は昨晩から白馬の丘を越えた地点に布陣しているそうだ。作戦班の予測では、明日の牛刻までに奴らは侵略行動を開始するだろう」
ケイブロングヴェルツの目の前のボロン平原まで、すでに敵のクローン軍は侵攻していた。
「集まってくれた諸君らが、勇敢で選りすぐりの猛者である事をとても頼もしく思う。だがそれでも、戦局は極めて厳しいと言わざる得ない。敵兵力は少なくとも50万。それに、我が国の技術力をも凌ぐ科学兵器を使用してくるに違いないのだ」
それを聞くと、多くの兵士たちは動揺を隠せずにいた。
周りに見える大勢の味方の存在に安心感を抱いていたところ、敵の数はこの3倍以上だという。
しかも相手はクローンとかいう異世界から来た未知の生物なのだ。無理もない。
兵士たちの中には絶望し膝から崩れる者や、パニックに陥る者も現れていた。
同じくその場にいたダイバー達も、兵士の不安から生じた雰囲気のこわばりをヒシヒシと感じていた。
「あんなに強そうな兵士たちなのに、死ぬのが怖いのはみんな同じなんですね」
望は不安げにそう言うと、フリークがこう答えた。
「そりゃそうですよ。それに、こんな大きな戦争なんて誰も経験した事が無いでしょうから」
恐怖は伝播する。こんな事では連合軍が一つにまとまり戦うことなど到底できない。
だが、そんな様子を見たガルゴン王は、兵士たちに力強い声を持って勇気を与えた。
「しずまれっ、勇士たちよ! なにも恐れることは無いのだ!」
ガルゴン王の声は遠くまで響いた。
それまで下を向いていた多くの兵士たちが、彼の顔を見上げる。
「確かに我々は数では劣っている。だがしかし、我々には、奴らにはない力があるではないか!」
自分たちにあってクローン人間には無いもの。
それぞれ兵士たちは頭をひねってみたが、残念ながら単体性能が自分たちより高いクローンに勝てる理由は思い浮かばなかった。
すると、ある一人の兵士がこう言った。
「王よ。そんなものはあるのだろうか? 俺たちは、一人じゃ下級のクローン兵士にも歯が立たないんだ」
「ウム。それでいいのだ。 奴らは心なき無慈悲な生物兵器。戦うために作られたのだから強いに決まっている。だからだ。決して一人で勝たなくてもよいのだ」
さらに王はこう付け加える。
「そして、そこがクローンの弱点でもある! 無慈悲で命の価値を知らないクローンには、互いを思いやることは出来ない。だが、我々は違う。互いに支え合い、補い合う強さがある!」
王の言葉は兵士たち一人一人の心に届き、彼らに勇気を与えていた。
「重ねた3本の枝が容易に断ち切れぬように、集団の力は個の優位に勝る! 我々はずっと互いを避けて生きてきたが、今日、長い刻を経てようやく一つになった。ならば、負ける道理など何処にあろうか! 正義は我らにある! 振り返らずに前を向け!共に新しい世界を掴もうではないか!!!」
「「うぉおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」
兵士たちの凄まじい歓声は、文字通り大気を震わせ、ケイブロングヴェルツの坑道全体を包んだ。
その瞬間、本当に15万人の人々が一つになった気がした。
演説が終わると、各国の兵士たちはボロン平原に向かって行軍を開始した。そこで〈ガブリエル〉から来るクローン軍を迎え撃つ布陣を展開するのだ。
住人たちは連絡路や家の窓際から、下層にいる兵士の群れへ無数の花や紙吹雪を投げ入れた。
一方で、ダイバー達に限ってはそのような陣形を組む必要がない。
なので戦場への出立は明日の朝一番の予定である。その後、それぞれが戦いに合流するのだ。
なので、今日が彼らにとって最後の夜であった。
──ネベルは一人、月を見ていた。
ロックキャッスルの頂上は、ケイブロングヴェルツ洞窟の天井にとても近い。ネベルはそこに、月を見るために具合のいい覗き穴を空けると、横になり茶をすすりながらゆったり空を眺めていたのだ。
とても美しく、満月は黄金に輝いている。
またガリバー・ゼムスは言った。明日は皆既月食なのだと。
……これは偶然なのだろうか。
15万人の兵士がいなくなって、街はたいへん静かだった。
静寂の中で眺める月と茶は、戦いの前の荒ぶる心を落ち着かせてくれた。
「ギャハハハ! デルンさぁん。それって本当なの?」
「マジマジ。兄さんたらっ、ここ数日ずっと犬人族や猫人族の女の子ばかり追いかけまわしてるんだ。ひっく、兄さんの洗濯物からは毎日のように動物の毛が紛れこんでいるから、まるでペットでも飼った気分ですよ。ハハハ」
「オ、オイこら……。な、なに言ってやがる。あれほど秘密にしろと言ったじゃないか! お前、いいかげん酔いすぎだぞ!」
「ギャハハハ!!! 最高だよディップさぁん」
「プククッ なるほど言いことを聞きました。プクク…」
「デ、デルーン!!!」
……だが、例外はあった。
この下のロックキャッスルで宴会を開いているダイバー達だけは、夜の静けさとは程遠い存在なのだ。
「チッ……」
ネベルは寝返りをうつと、地面で片耳をふさいだ。
だがそれでも、ダイバー達の騒がしく楽しげな宴の喚声は、地面をすり抜け耳元までしっかり聞こえてきた。
ネベルは、せっかくのベストプレイスを手放す羽目になった。
下にいるダイバー達も、明日は命がけの戦いに身を投じるのだ。
「うるせぇ!静かにしろ!」と言って、最後の夜の楽しみを邪魔しに行くほどネベルは無粋ではなかった。
美味しいお茶の入ったティーポットと、エクリプスを担いだネベル。
新しい月見穴を空けるにふさわしい天井を探して、彼は石の城の屋上をさまよい歩く。
するとその途中で、城のバルコニーにたった一人で空を見上げる少女の姿をみつけた。
月見里望である。
どうやら彼女も、屋上のネベルに気づいたようだ。
だがなぜか目を丸くして驚いている。
望は夜中に砦の屋根の上を歩いていたネベルのことを、不審者か何かだと勘違いしたらしい。
「キャ、助けてッ」
椅子から慌てて立ち上がり、急いで城の中へ戻ろうとしていた。
誰か人でも呼ばれて、騒ぎにでもなったらとても面倒くさい。そう思ったネベルは、颯爽と屋上から望の背後に飛び降りた。
「オイ!」
ネベルは、望の肩をポンと叩いて後ろから声をかけた。
「うわあッ! た、食べても美味しくないよー!」
「……俺だよッ」
「え? あー、なんだネベル君か」
恐る恐る後ろを振り向いた望は、ネベルの姿を見るとそっと胸を撫で下ろした。
「もう、急に驚かさないでよ!」
「あ? 別におどかしてなんか……」
「いやいや、あんな所に人がいたら普通はビックリするから」
「わ、悪い」
望はすっかり呆れた顔をしている。
「ネベル君はいったい何してたのよ。 あと、その手にもっているのはなに?」
望の視線の先には、ネベルのティーポットがあった。
するとネベルは嬉々として、自分で淹れたお茶の解説を始めた。
「これか? これはな、この国の市場で狐人族の商人から手に入れた豆を使ったお茶なんだ。なんでも北大陸の僻地にしかないコネウコジャコンウっていう希少な植物を、特殊な製法で加工した物らしいんだぜ。ちょっと、いや、かなり癖の強い風味がするけどさ。慣れるとほんのり甘いんだ…!」
「へぇー。そ、そうなんだ」
マニアックな熱い語りに、望はやや引き気味になって相槌をうつ。
ネベルはポットの蓋を開けると、望にお茶の香りを嗅がせてあげた。
「狐人族の商人がいうにはさ、昔は貴族たちの間で高級品だったらしいぜ」
「ふ、ふ~ん。 (ゲホゲホッ!」
たしかに。そこらの安いお茶と全く違う濃ーい匂いが、ポットからは漂っていた。
しかし望には、そのお茶の匂いがどちらと言えば、茶色くてもっと汚いものに似ているのではないかと思われた。
ネベルは自前のカップを取り出すと、コネウコジャコンウのお茶を注いだ。
「あー……望も飲みたいか?」
「う、うん。私はいいかな」
「……そうか。 (じゅるじゅる」
望に断られるとネベルは少し残念そうな表情をみせ、旨そうに茶をすすった。
余談だが、ネベルがこのお茶の秘密を知り、飲んだことをとても後悔する事になるのはまた別の話。
お茶を飲み終えた後、ネベルは望にこう言った。
「お前こそ、ここで何してたんだよ。 みんなと宴会に行ったって聞いてたぜ」
「うん。少し、風に当たってただけだよ。……飲み過ぎちゃってさ」
「そうか」
望は酒など飲んだことは無い。
だからネベルは、彼女の言う事がすぐに嘘だと分かったが、それ以上問い詰めることはしなかった。
そしてネベルは、望に別の話題についての言及をした。
「明日は、戦いの場には出てくるな。ほんの少しレーザーブレードが使えるらしいけど、本当の戦いってのはとても危険なんだ」
「……ネベル君。フフ、もしかして、私のこと心配してくれてるの?」
「からかうなよ。真面目に言ってるんだ」
「ご、ごめん。でも…明日は私も戦うよ。私もコードブレイン社のやり方は許せないし、この戦いを乗り越えなきゃ、きっと先には進めないから」
「ああ、それは分かってる。だけど……」
「それにさっ、私もバルゴンさん達から頼まれた役割があるんだよね」
「何だって?バルゴンがお前に?」
あの心優しく強い戦士であるバルゴンが、戦いに不向きな望をわざわざ戦場に突き出すような事をするなど考えられなかった。
しかし望は、懐からレーザーブレードを取り出すとこう言った。
「これは洗脳電波を斬り破る事が出来る特別なレーザーブレードなんだ。私たちみたいな人間は電波の影響に入らないから、もし味方が洗脳された時は、私とロンド君でみんなを解放してあげるの」
それを聞いて、ネベルは「なるほどな」と思った。
ケイブロングヴェルツの入り口付近には、万が一に備え二つの大型催眠電波妨害装置が設置されている。
それに加え、ハリス・シャムの話では、そもそも催眠マシンというのはとても繊細な仕組みで動いており、敵がケイブロングヴェルツまで運んでこれる代物ではないそうなのだ。
つまりバルゴンは、任務と称して体よく安全な場所に二人を避難させたわけだ。
「明日はこの剣で、すごく活躍するつもりだよ!」
「ああ、分かった分かった。 ……でも、もし危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」
「うん。分かったよ」
「……よし」
ふと、望は尋ねた。
「ねえ、ネベル君て意外と優しいよね。どうして?」
望はイタズラっ気のある笑みを浮かべながら、ネベルに向かってこう言った。
「もしかして…… 私の事とか好きぃ?」
「…ッ!!! はぁ???……!?!」
次の瞬間、ネベルは望の頭を反射的に叩いていた。
その行動には彼自身も驚きを隠せない。
「痛たぁいっ! ちょっとからかっただけじゃん!」
「あ。 …う、うっせぇ! 人がせっかく心配してやったっていうのにっ…」
ネベルは、へそを曲げてそっぽを向いた。
「あ~。やっぱり、心配はしてくれてたんだねー」
「…………ム」
図星をつかれたネベルは、しおしおと望に向き直る。
そして、彼女にこう言った。
「俺は…仲間たちを大事に思っている。前までは無かった気持ちだけど、今は俺の力の限り、仲間たちを守りたいと思っているんだ」
それは紛れもなくネベルの本心だった。
「ネベル君……。なんだか、カッコよくなったね」
「あ゛?」
「あはは…、ごめんごめん」
その後しばらくの間、二人はバルコニーで風に当たっていた。
だがふと望が何かを思い出すと、ネベルにこう言った。
「そういえばさ、前に言ってたこの旅の間の報酬って思いついた? たしか慈善事業は行わないぜとか言ってたじゃない?」
ネベルは他のダイバー達とは違い、神の雫の恩恵が目的で旅についてきたわけじゃない。
きっかけはピクシーにどうしてもと頼まれたからと、望から支払われるダイバーとしての仕事の報酬のためだ。
「……ああ。そうだったな。 いいよ、もう」
「えっ? それってどういう意味?」
「メンドイ。イラネー」
「ええーッ?!」
ネベルはここまで来るのに余りに色々な事がありすぎて、報酬の事などすっかり忘れてしまっていたのだ。
それに報酬などなくても、ネベルにはこの旅を最後まで見届けなければいけない理由が出来ていた。
彼は既に、因果の歯車に巻き込まれてしまっているのだから。
「何かないの? ネベル君がいなかったら私たちここまで来れなかったんだから、報酬はちゃんと支払うよ!? ネベル君の欲しいものはないの?」
「伝説級のドラゴン素材100個」
「それは~、無理だけどさ…」
「じゃあ要らねー」
「ううーん。ううーん。 ねえ、私に出来ることなら何でもするからっ!だからお願いだってば!」
「ム、何でも?」
「ああー、今エロいこと考えたでしょぉ」
望はわざとらしく胸を隠した。
それを見たネベルは、顔をそむけて舌打ちをする。
「そんなんじゃないけど。 何でもいいんなら、一つして欲しい事があるんだ」
「なにっ? 教えてよ!」
「俺じゃよく分からないんだ。でも望なら知ってるかもしれない。それは……」