#08
読んで下さりありがとうございます!
自室に一人、鏡に向かってあれやこれやと試行錯誤を重ねる。
「んー、これでよしっと……」
髪型に服装に違和感がないかを確かめて、デスクに置いていた荷物を肩にかけてから部屋を出た。
隣室から人が出てこないのを確認して廊下を進む。寮を出て、入学以来だなぁなんて感慨深く考えながら学校の敷地を出る。
約束をしていた通り、校門前にその人はいた。
「久しぶりね、白栖川くん」
見慣れない私服に身を包む彼女を前にして、声が上ずったのは緊張からだろうか。
「お久しぶりです、明先生」
*
「なんでも好きなものを頼んでいいからね」
「ありがとうございます」
差し出されたメニュー表と睨めっこして注文を考える。空腹というわけでもないが明先生が何か食べるとしたら、ドリンクだけ頼むのもなんとなく申し訳ない。明先生の様子を窺っても、何故か店内の風景を眺めており何を頼むのか推測するのは難しい。
「……どうかしたの?」
「いえ。明先生はどうされるのかなぁと」
この人に隠し事は通じないと十数年一緒に過ごしてきた勘が訴えるので正直に迷いを伝える。
「そうねぇ……なににしようかしらねぇ」
にこにこと迷っている様子は見慣れた研究室での姿とだいぶ違っていて、正直、同じ人なのか疑ってしまう。
「……」
「あら、このケーキとてもおいしそう。お昼にちょうどいいしこれにしようかしら」
そう言って先生はメニュー表に大きく取り上げられているチョコレートケーキを頼んでしまった。
「そしたらオレは、これとこれにします」
彼女に合わせてデザートを選ぶ。セットのドリンクはカフェオレにした。
「やっぱり甘いものは格別よねぇ」
「そうですね」
頷いてはいるが、正直昼食にケーキを食べるのはどうなんだと思う。本人が楽しそうにしているから何でもいいと言われればそうなんだが……
「VDAでの生活には慣れてきた?」
「はい、授業も寮生活も少しずつではありますが」
「そう、それは何よりね」
明先生は穏やかに笑う。つられてオレも、顔のこわばりが解かれていく気がした。
「悠からあなたの話を少しだけ聞いてるわ」
「そうですか」
「あの子は、上手くやれてるかしら……」
頬に手を添え、物憂げに宙を見つめる彼女に、大丈夫ですよと返す。それでもまだ心配そうにしている彼女を眺めていると、注文していた料理とドリンクが届いた。
「まぁ、おいしそう」
「そうですね」
ふたりでいただきますの挨拶をしてスプーンを手に取る。頼んだパフェはとても美味しかった。
「うん、やっぱりおいしい」
普段と違い下ろしている長髪を耳にかけ、嬉しそうにケーキをほおばる姿はまるで年齢を感じさせない。そんな失礼なことを思いながらオレは淡々とパフェを口に運んだ。
「それで、VDAのイメージの授業はどうだった?」
ケーキを食べる手を一瞬だけ止め、明先生は本題を投げかけてくる。
「そうですね……」
同じように食事の手を止め、受け取ったボールをじっくりと眺めた。
「オレ以外の生徒がVirtualDiveに慣れていないのもあるので、授業ではまだ初歩的なことしか取り扱っていない印象ですね……ですが、みんな飲み込みが速いのでペースはかなり速いほうかなと思います」
明先生はオレの話を黙って聞いている。なんとなく気まずく感じてカフェオレを一口流し込んだ。
「そう、冬華……黒瀬に聞いてる話と大体同じね。あなたたち、歴代でも中々優秀みたいよ」
「そうですか……」
「一応データであなたたちの測定値をもらってるんだけど、私も同意見だわ。中でもあなたは格別にすごいわよ」
満面の笑みで褒められるが、正直そこまで喜べない。
「オレがすごいのは単純に経験量の差ですよ。あいつらと一緒に始めてたら、きっと置いていかれてます」
特に、あなたの息子には。とは口が裂けても言えないが。
「そんなことないわ。あなたの実力は確かだもの、きっとイメージに触れるのが遅くても上手く扱えていたと思うわ」
何を根拠と捉えているのか、確信している様子で彼女は話す。
イメージに触れるのが遅くても、か。その言葉にオレはありもしない未来を考えてしまう。
あのとき、明先生に出会っていなければ。
オレはきっとVDAには入学していないし、VirtualDiveなんて知らなかっただろうし、そもそもこの年まで生きていたのかも怪しい。
あのとき、オレを引き取ってくれたのが明先生だったから、オレは生かされている。
他に選択はなかった、それだけの話。
わかってはいるけど、今以上の人生はきっとオレにはない。
わかってはいるんだけど。
「……オレはそんな大した器じゃないですよ」
「うふふ、謙遜する癖は変わらないわね」
もっと自信をもっていいのよと笑われてしまった。
「施設のちびっ子たちは元気にしていますか?」
そういえば、と前置きして話を変える。
「えぇ、みんな元気そうにしているわ。また時間ができたら会いに行ってあげて、難しいとは思うけど……」
「はい、必ず」
はっきりと答えると、明先生は嬉しそうに微笑んだ。
「本当は私がもっと構ってあげられたらいいんだけどねぇ」
「大丈夫ですよ。先生が忙しいのは、あいつらもわかってるんで」
そんな話をしているうちに、ケーキもパフェもなくなっていた。
「あら、もうこんな時間」
つられて時間を確認する、どうやら二時間も話し込んでいたみたいだ。
「オレもそろそろ帰らないと」
「もっと話したかったけど、解散にしましょうか」
「そうですね……」
もっと話したかった。お世辞であろうその言葉にすら胸が躍ってしまう。
「あ、最後に一つだけ」
席を立とうとしたとき、明先生に呼び止められる。
「どうかしましたか?」
椅子に座り直し彼女に向き合うと、珍しく真剣な顔をした明先生がオレを見ていた。
「VDAで、もしくはVirtualDiveでリディアと名乗る人に出会わなかった?」
「……いえ」
リディア、心当たりは全くない。正直に答えると、彼女は「そう」とだけ呟き考える様子を見せた。
「明先生……?」
「ううん、会ってないなら問題ないわ。さぁ、帰りましょう」
しばらく黙ってから急に立ち上がった彼女に連れられ店を出る。大丈夫ですと繰り返したが彼女はVDAまでオレを送ってくれた。
「それじゃあ、ありがとうございました」
「えぇ、こちらこそありがとうね」
ぺこりと頭を下げてから、彼女は一歩、オレに近づく。
「え……」
それから、じゃあまたね。と言葉を残して行ってしまった。
「……」
残されたオレは正門前に一人立ち尽くす。彼女が耳打ちした言葉の意味を理解しきれないでいた。
「お願い、悠を守って。私じゃ守り切れないの」
*
「夕食の時間になりました。各自食堂へお越しください」
アナウンスの音声で我に返る。自室に帰っていたことにすら今気付いた。
「我ながらぼーっとしすぎだな……」
着替えることも忘れていた服はそのままに食堂へ向かう。廊下に出るとすっかり見慣れた姿を見つけた。
「よぉ悠!これからごはん?」
「うん」
「一緒に行こうぜ」
有無を聞かずに隣を歩く。悠は眠そうにあくびを繰り返していた。恐らく勉強していたのだろう、本当に熱心なやつだ。
「いただきます」
手を合わせてから食事に箸をつける。なんとなく今日はハンバーグ定食にした。
「……」
悠は生姜焼き定食を黙々と食べている。こうやって見ると食べる姿は明先生によく似ているな。なんてぼんやりと考えながらハンバーグを切り分ける。
「服……」
珍しく自分から口を開いた悠に服装を指摘される。そりゃまぁ、いつもみたいなスウェットじゃないから気になるもの仕方ないか。
「あぁ、いい天気だったから散歩しててさ」
「……ふーん」
そう言って悠はオレに懐疑の目を向ける。
「なんだよ」
その視線を避けたくてオレはお茶を一口含んだ。
「……別に」
「あ、もしかして一緒に行きたかったとか?来週晴れてたら散歩行こうぜ!」
敢えて見当違いなことを言う。悠は呆れた様子でうんとだけ答えて再び生姜焼きに向き直った。つられてオレもハンバーグを口に運んだ。
「ごちそうさまでした」
食堂を後にして自室に戻る。途中、悠に勉強を教えてほしいと頼まれたので部屋に招き入れた。
「なんか飲むか?」
「まだいいよ、おかまいなく」
そう言われたので自分の分だけ飲み物を注ぐ。二人分の教材が広げられたローテーブルに無理やり隙間を作ってカフェオレを置いた。
「お待たせ。んで、どこがわかんねぇの?」
「ここなんだけど……」
悠に訊かれた部分に答えながらカフェオレをすする。基本的に要領がいい悠はオレが少し教えたらすぐに理解したみたいで、ほとんど一人で課題を進めていた。
静かな部屋に、悠がペンを動かす音とオレがカフェオレを飲む音だけが響く。カツカツと鳴る音をBGMに、オレは明先生の言葉の意味を考えていた。
悠を守って、と彼女は言っていた。
しかしながら、オレが見る限り悠は強い。認めたくはないがいつの間にか身長は追い越されていたし、それに比例して体格も悠の方がしっかりしている。少なくともオレに守られる必要性はないように見えた。
VirtualDiveでの話だろうか。それだったら少しは納得がいく。イメージの力を習得するのが早いとはいえ所詮は一か月にも満たない期間での話だ。十年近くイメージに向き合ってきたオレの方が悠より強いのは事実だろう。それにVirtualDiveでは実際の体格差など無いに等しい。黒瀬さんみたいな実力者がいるのが何よりの証拠だろう。
だが、それも何か違う気がした。
いまの悠を何かから守る必要性が、オレには感じられない。リアルでもヴァーチャルでもそれは同じだ。
だが意味のないことを明先生が頼むとも思えない。彼女は自分にはできないと言っていた。その意味もオレにはわからないままだ。
考えるヒントとして今のオレに残っているのはリディアという名前だけだった。とはいえ、会ったこともない人の名前だけで何かを悟れるほどオレは超人でもない。
「……わっかんねぇ」
「なにが?」
思考が言動にあふれていたのか、悠がきょとんとした顔でオレを見ていた。
「いや……なんでもねぇよ」
もしかしたらこいつ本人が何か知っているかもしれないが、それを問うのは危うい気がした。
「……」
誤魔化すオレに向けて悠は不機嫌を隠さないで視線だけを向ける。
「……今日の開、なんか変だね」
「そうか?」
鋭いことを言ってくる悠に、肯定とも否定ともとれない返事をよこす。
「うん」
悠はそのまま数秒ほどオレを見ていたが、すぐに目の前の教材に向き直った。
集中している悠を眺めつつ、考え事を再開する。
明先生の言葉の意味は、今のオレには全くわからない。必要性も感じない。
それでも、必ず成し遂げなければ。そう心に誓うのはとても簡単なことだった。
意味なんてどうでもいい、明先生のお願いなんだから。
オレに生きる道を与えてくれた、大切な人の。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
次回も読んで下さると幸いです。