神様はどこにも居ないからこそ、どこにでも存在する 〔ひふみ考〕 S03
私がひふみ神示から受ける神様のイメージはトップ(頂上、頂点)ではなく、センター(中央、中心)です。
人々の上に立って”君臨する者”ではなく、自然とその者の周りに人が集まる中心人物(人ではありませんが (ᐢ ᵕ ᐢ))なのです。
「宇宙の総ては☉となってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ」
※☉(神、あるべき姿、完全体、身魂(身[○]+魂[・])など)
「統一と云ふことは赤とか白とか一色にすることではないぞ。赤もあれば黄もあり青もあるぞ。それぞれのものは皆それぞれであって一点の・でくくる所に統一あるぞ。くくると申してしばるのでないぞ。磁石が北に向くよう、総て一点に向かうことであるぞ」
※・(魂、霊、中心など)、○(身、物質、周辺など)
上記の各文をよく読んで頂ければ判る様に、ひふみ神示は頭ごなしに上から押し付けるものではありません。
後者の一文の様に「みんな違って、みんないい」なのです。ただ、それでは皆がバラバラになってしまいます。
そこで・(中心)の出番です(中心はそれ単体では中心とは言えません (ᐢ ᵕ ᐢ)。周辺があるからこそ、中心が存在します)。
磁石の北や大航海時代の夜空の北極星、周回軌道を回る月や地球に対しての中心が地球や太陽です。
GPSがない時代においての自身の座標を知るための指標(道標)が磁石や北極星であり、地球や太陽の重力なくしては永遠のさまよい星になってしまいます (ᐢ ᵕ ᐢ)。
そう、前述の各文における”中心”とは指標や指針、人が向かう先を知るための道標です。
そして、残念ながらその中心を失った結果が今のこの世の中に現れているのです。現世です (ᐢ ᵕ ᐢ)。
ここで私がよく行っている”ひふみ神示の紹介”から、その目的に触れた箇所を抜粋します
「その目的は(ここからは私見)ひふみ神示を読む事により、真理を知り、神に通じる心(霊)を取り戻すことです」
中心とは、上記の「神に通じる心(霊)」に当たります。
今の私達は、○(身、物質、周辺など)であり、・(魂、霊、中心など)を取り戻すことにより、☉(あるべき姿、身魂(○+・)になります。
そして、私達が本来あるべき姿に戻るために読むべき書が「ひふみ神示」です。
「この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ」
「何もかも神示読めば判る様になってゐる事 忘れるでないぞ」
「この神示読むとミタマ磨けるぞ、ミガケルぞ」
※最後の一文は『身魂みがき』といって本来あるべき姿を取り戻すための行いを指しているのですが、思わず「くすっ」となります。
これは神様一流のユーモアで、読んでいる者が笑顔になる事が神示の神々様にとっての喜びなのです。
よく「万物に神が宿る」と云われますが、それは万物において、その中心、奥の奥には神の魂が宿るからなのだそうです。
この『全てのものに神様が宿る』という考え方は、日本古来の神道に共通するものでひふみ神示においても同様です。
また、より大きな、根本の存在として大神様が存在し、ひふみ神示では『天の大神・元津神・スの神様』と呼ばれています。
この大神様は、全ての世界・全てのものをお生みになられたのだそうです。
「生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性をもって弥栄える」
「全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である」
「人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じ性をもっているぞ、そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、先づ国土をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならし八尋殿を見立てられたのであるぞ、これがこの世の元」
、
上記の各文を意訳すると、「生んだもの」は大神様、「生み出したもの」は生んだものと同じ性をもつとの事ですので、万物が☉(神)になります。
それは、下記の一文でも示唆されている様です。
「神はそなたの中にあるが外にもあると申してあらうがな。(ウム)よく見て下されよ」
おそらく、これが「万物に神が宿る」事を示唆しているのだと思います。
また、宇宙も人も同様のようです。
人体が「小宇宙」と称されるのも、大神様と同じ性を宇宙や人がもつ事に関連があるのやも知れませんね (ᐢ ᵕ ᐢ)。
そして、驚きが二番目の一文です。何と大神様の中に宇宙があり、故に神そのものの現われの一部であると言われています。
え、そうなると私たち人も神の現われなのでしょうか?
ひふみ神示 紹介
ひふみ神示とは、今までの宗教や哲学をまとめた集大成にあたるもので、その目的は(ここからは私見)ひふみ神示を読む事により、真理を知り、神に通じる心(霊)を取り戻すことです。
そして、より多くの人がそれを取り戻す事により、混沌としている今の世の中を乗り切る、とても大きな鍵になると私は見ています。
※私の願いは、多くの人がひふみ神示を『読んで、理解し、実践して』その結果、世の中がよくなりその恩恵にあやかる事です。もちろん、皆様と共にです。