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腐敗した血族

 嵐のためか、貴族屋敷が建ち並ぶ地区に人の気配はない。

 クレアはうろ覚えの住所を頼りに、激しい雷雨の中を走っていた。

 不安よりも興奮が上回っているおかげで、クレアの足に迷いはない。

 やがて小さなお城のような屋敷の前で立ち止まると、鍵のかかっていない門扉を開いて、奥の扉を何度も叩いた。

 しばらくして扉が開いて、見知らぬ男性が姿を現した。


「どちらさまですか」


 どうやら使用人らしく、彼は怪訝そうな顔をしてクレアを無遠慮に上から下まで眺めている。


「クレア! クレア・レッドルビーよ!」

「クレア、お嬢様ですか?」

「お願い、家に入れてください!」


 クレアの勢いに圧されて、使用人はクレアを客間へと案内した。


「それではあの、旦那様を呼んできます」


 使用人は動揺を隠すことなく、慌てて階段をのぼっていった。

 クレアは暖炉の前のソファーに座ると、受け取ったタオルを体に巻きつけながら周囲を見回した。


「こんな立派な屋敷に住んでいるなんて」


 クレアが住んでいたのは平民地区だ。

 石を積み重ねたようなどこにでもある家で、とても使用人を雇えるような家ではなかった。

 娘が聖女となるとその家族も恩恵を得られるとは本当だったようだ。

 しばらく客間で待っていると、八年ぶりとなる両親との再会を果たした。

 記憶にあるよりずっと皺が増えたふたりに、時を越えたような違和感を覚えながらも、その面影を見つけたクレアはほっと胸を撫で下ろした。


「クレア、どうしてここに?」

「お父さん、助けてください。私はもう聖女なんてできません!」


 泣きながら絨毯の上に崩れ落ちたクレアに、父と母は慌てて駆け寄ってきた。

 

「まあクレア、とにかく落ち着いて。紅茶でも飲みなさい」


 母に支えられて、クレアは再び柔らかいソファーに沈んだ。

 使用人が淹れてくれた紅茶を一口飲むと、その温かさが雨で冷え切った体にじわりと染み渡った。


「ルベン様との結婚を控えているのに、何があったの?」


 母が不安そうな面持ちで口火を切った。

 ルベンの名前だけでひどく憂鬱な気分になって、クレアは何もことばが出ない。

 それにしても、とクレアは母の服装を観察した。

 母は裾の長いドレス姿だ。袖なんて流行りのフリルがたっぷりとあしらわれていて、すっかり貴族に染まった格好をしていた。

 麻の服に、種を入れたエプロン姿の母はそこにはない。

 農業に勤しんでいた父と母とは別人のようだった。


「聖女はとても立派な仕事だろう? どうしてそのお役目を放棄するような真似をするんだ」


 質の良い服に身を包んだ父が諭すように言った。

 父は教団の真実を知らない。クレアは頭を振った。


「教団は腐っています。私をあの塔に監禁して、朝から晩まで働かせます。私に自由なんてなかった。それにルベン様は私を愛してなんかいなかった」

「お、落ち着きなさいクレア。それは何かの間違いだろう? 女神フォルトゥナ様に奉仕するのは当然のことだし、ルベン様のことはもう一度よく話し合ってみなさい」

「もう無理です。彼には別の女性がいる。しかも私はその女性に殺されかけたわ!」


 ライザの名前は言えなかった。婚約者をライザに奪われたと告げるのは、あまりにも惨めで悔しい。

 あのライザならば仕方ない。お前なんて最初から太刀打ちできない、と思われるのがつらくて耐えられなかった。

 なんて弱い心だろう。クレアの目に絶え間なく涙が浮かぶ。

 するとクレアの頭上から、呆れたようなため息が聞こえた。


「クレア……たったそれだけのことで」

「そ、それだけって」


 クレアは開いた口が塞がらない。

 父はむしろ「それの何が駄目なのだ」と言いたげに腕を組んで見下ろしてくる。

 それだけ? 貴族には当たり前の話? だから私は何も知らないふりをして、愛されることもなく虚しく搾取され続ければよかったとでも言うのだろうか。

 両親は娘を心配する様子もなく、ただ不安そうに何度も顔を見合わせている。

 すると遠くで扉の開く音がして、クレアはほとんど直感で音のした方角へ走った。


「待ちなさい!」


 父の焦った声を背後に聞きながら、クレアは厨房の裏口から外へ出る使用人の背中を突き飛ばし、地面に転がった使用人の手ににぎられた手紙を奪った。

 乱暴に封を切って、その内容に素早く目を走らせる。

 そこには聖女クレアを保護している、という内容がモリブデン宛に記されている。

 クレアが裏口の前に立っている両親に視線を向ければ、彼らは困ったように顔を見合わせた。


「嘘でしょ……私を売ろうとしたの? し、信じられない!」

「お願いよクレア。おとなしく塔に戻りなさい。私たち家族は聖女の恩恵で暮らしているのよ」

「何を勝手なことを……」

「お姉様?」


 いつからいたのか、父と母の間には見覚えのない五、六歳くらいの茶髪の少女が立っている。

 貴族の子供が着るような大きくふくらんだワンピースに身を包んだ少女を、父が屈んでそっと抱き寄せた。

 両親以外の小さな存在に、クレアは瞠目した。


「え、誰?」

「お前の妹だよ」

「ねぇお父様、そこにいらっしゃるのは私のお姉様でしょう? 赤い髪に聖女の礼服姿だもの! ねぇ、クレアお姉様。聖女の奇跡を私にも見せてよ! 今度お友達に自慢するわ!」


 少女は甘えた顔でクレアにねだった。

 なんでも手を伸ばせば手に入れられると疑わない、子供特有の無邪気さで。

 妹がいるなんて知らなかった。

 それにどう見ても自分の幼少期と比べて溺愛されている。

 クレアは両親に抱きしめてもらった記憶がない。生活に余裕がないという理由でとても厳しく育てられた。

 認めてほしくて学校の成績はいつだって上位をとった。

 積極的にふたりの仕事を手伝った。

 優秀になっていい子になれば愛してもらえると信じていた。

 そして聖女になったことで、ようやく両親はクレアを褒めてくれた。

 やっと愛してくれたと思ったのに、それは勘違いだったようだ。

 母は昔から「誰に似たのか、まったく可愛くない」とぼやいていた。

 父はクレアを視界におさめると不機嫌になった。学校で優秀な成績をとるほど苛立っていた。嫉妬だったのかもしれない。


「結局、あなたたちも同じなんだ……」


 クレアは雨に打たれながら、ゆらりと立ち上がる。

 こいつらもモリブデンたちと同じく、甘い蜜をすすることしか頭にない。

 クレアは心の中で別れを告げて逃げ出した。

 未練など欠片もなかった。


「待て、逃がすな!」


 父が使用人に怒鳴っている。

 自分たちの生活がかかっているのだから当然だろう。

 呆れ果てて涙すら出なかった。


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