決別と守護天使2
「お引き取りください。婚約解消の話はまた後日にしましょう」
「クレア! お願いだ、話を聞いてくれ」
腕をつかまれるが、クレアは意地でもルベンの顔を見ようとはしなかった。
泣いてたまるか、と必死に涙をこらえる。
「私よりもあなたに相応しい聖女が部屋で待っていますよ。あなたを癒す泉なのでしょう? 私と一緒にいたって、気持ち悪いって思うだけですものね」
「違う! そんなことを言わないでくれ……なあクレア、きみは俺を愛していたかい?」
もう我慢できなかった。
平静を装って追い返したかったのに、この神経を逆撫でするような聞き方がいけない。
クレアは振り返って、噛みつくようにルベンをにらんだ。
「えぇ、愛していました! 愛されていると信じていましたよ! あなたが愛していたのは聖女の力だったようですが!」
「よかった」
よかった? クレアは耳を疑った。
ルベンは安堵したように微笑んで、クレアを抱きしめた。
「きみも俺をしっかりと愛してくれていたんだな。やっと実感できた」
「私があなたを愛していないと思ったからライザと寝た、とでも言うつもり? ふざけないでよ。三年前私に一目惚れをしたと言ったその時から、ずっと愛していたのはライザなんでしょう。あなたの欲望の言い訳にされたくない!」
ルベンは表面上謝罪をしているが、結局は自分を守るためにクレアを悪者に仕立て上げただけだ。
なんとかルベンの拘束から抜け出して、クレアは距離をとった。
涙が勝手にこぼれて、怒りで笑いがこみ上げた。
「顔だけ褒めてくれたことを喜べばいい? それともあの子みたいに胸を押しつけて行かないでって泣けばよかった? 私の努力が足りなかった? 全部私のせいにしておけばあなたの自尊心は傷つかないものね!」
「違う、そんなつもりじゃなかったんだ。心にもないことを言ってきみを傷つけたね」
「思っていたから口を滑らせたのでしょう。お願いだからもう帰ってください!」
これ以上ルベンの言い訳も、醜く彼を罵る自分の声も聞きたくなかった。
しかしルベンの手が再びクレアをつかんだ。
「落ち着いて。冷静になろう」
「動揺しているのはあなたでしょう! 放してください! ニケ助けて!」
クレアの声に応えて扉が開け放たれた。
ようやく解放されると安堵したクレアだが、ニケは扉の向こうで倒れていた。
部屋に入ってきたのはライザだった。
ライザは温度のない冷たい表情でルベンを見て、そしてクレアを鋭くにらんだ。
「私のものなのに」
ライザは震える声でつぶやくと、呆然とするクレアからルベンを引き剥がし、クレアを窓のそばまで突き飛ばした。
クレアが混乱したように顔を上げると、クレアを取り囲むようにして絨毯が燃えていた。
火の向こうからこちらを眺めるライザの前には、透けた金色の壁が展開している。
ライザが得意とする防壁の鉱石術だ。
クレアは部屋に火をつけられて、金の壁で閉じこめられていた。
「やめてライザ! どうして!?」
「昔からそうよ。クレアはいつもいつも私の欲しいものすべてを奪っていく! ルベンは渡さないわよ……私のものなんだから! 彼だって私を選んでくれたわ!」
クレアは熱に肌をあぶられながら、唖然としてライザを見上げた。
ライザの可憐な顔は憎悪に彩られ、その口から飛び出した積怨がクレアを叩きのめす。
驚きすぎて指先ひとつ動かせない。
奪われてきたのはいつだってクレアのほうだ。ライザはいつだって自由であり、いつだって愛された。
そしてルベンまで奪ってみせたというのに。
「何を言っているのよ……いつだってあなたが羨ましかったのに!」
クレアは腸が煮えくり返る思いだったが、それ以上に悲しくて涙がとまらなかった。
防壁の外でルベンとライザの言い争う声が遠くに聞こえる。
「クレアが死んでしまう!」
叫ぶルベンに、ライザは「死ねば私がルベンのお嫁さんになれる」と狂ったように笑った。
火がクレアを飲みこもうとしていたが、クレアは石にでもなった気分でその場から動けなかった。
水の鉱石術を使えばよかったのだろうが、祈りに力を捧げすぎて火を消せるほどの魔力が回復していない。
もう死んでもいい。生きていたっていいことはないのだから。
あきらめようとすると、心の端で燻っていた怒りが反抗する。
惨めな人生に対する怒りが、クレアに死にたくないと思わせる。
こんな最期は認めたくないと。
「助けて……誰か……」
クレアはペンダントを強くにぎって祈った。
フォルトゥナ様。これは私に与えられた試練とでもおっしゃるのでしょうか? だとしたらなんという仕打ちでございましょう。
初めてフォルトゥナを非難するように祈ると、クレアの手の中でペンダントが青白く輝き始めた。
青い魔鉱石から魔力があふれている。
その光はクレアの背後にあるガラス窓を吹き飛ばし、雨風を呼びこんだ。
「いまのは、鉱石術!?」
魔鉱石の輝きは少し弱まっていたが、まるでクレアの感情に反応するように明滅を繰り返している。
考えている暇はない。
クレアは魔鉱石をにぎったまま、無我夢中で割れたガラス窓の向こうへ跳んだ。
背後でルベンの叫び声が聞こえる。
ここは塔の最上階だ。
当然ながらクレアの体は地面に向けて加速する。
「きゃああああっ」
このまま魔獣のすむインフェルノまで落とされるのだろうか。
今度こそ死を覚悟して気を失いかけたが、再びペンダントが強く輝いて、ふわりと体が浮いた。
恐る恐る目蓋を開くと、クレアの体は青く輝いている人物に横抱きにされていた。
背中には美しい二枚の羽が生えていて、その顔は少女にも少年にも見えた。
「天使、様?」
天使はゆっくりと降下して、クレアの体をそっと敷石の上に降ろしてくれた。
「あ、あの! 助けてくださってありがとうございます!」
クレアが反射的に両手を組んで天使を見上げると、天使はかすかに微笑んで、光の粒子となって空へとのぼっていった。
青い魔鉱石は役目を終えたように光を失っていた。
「あの子の鉱石術だったのかしら……」
思えばあの天使は銀髪の子供と少し似ていた気がする。
しばらく雨に打たれていたクレアだが、はっと我に返って塔の反対側へと駆け出した。
身体的疲労と心労で限界が近いが、頭だけは妙に興奮していて、これからのことをぐるぐると思考している。
どこへ向かえばいいのだろう。
八年間の監禁生活の中で、クレアが唯一記憶している場所がある。
久しぶりの全力疾走で、喉に血の味が広がった。
クレアは貴族屋敷の近くに引っ越したという両親のもとへ急いだ。