天国の塔2
「うそ、聖女クレア!?」
礼拝堂には、ほかの聖女たちやその守護役が身を寄せ合って祈りを捧げていた。
彼女たちはクレアと羽を生やしたレイを見て、激しく怯えた様子だった。
「何をしにもどって来たのですか!」
「外の騒ぎは何? さっきから塔が揺れているし、どうせあなたのせいなのでしょう! 聖女の面汚し!」
平民出身ということもあって最初から好感度はないにも等しいが、ライザに何かを吹きこまれたのか、クレアに向けられる感情は軽蔑しか見当たらない。
いまとなってはどうでもよかった。
「私は憤怒の魔女。かつての聖女のなれの果て。怒りで力の制御ができなくて、あなたたちなんて灰にしちゃうかもよ」
聖女たちは怯えたように後退りした。
「焼かれたくなければ消え失せろ!」
足元から噴出した炎が、クレアの赤い髪を巻き上げる。
聖女たちは悲鳴を上げて、塔の外へと転がるようにして逃げて行った。
「クレア様! こちらへ」
ニケの声が礼拝堂内に響いた。
彼女は転移魔法陣のある部屋の前に立っていた。
「おそらくモリブデンは地下にいると思われます」
「この塔に地下があるの?」
「どうやらそのようです。モリブデンが特殊な魔法陣を使用して移動したのをこっそり見ていましたから」
「さすがね、ニケ」
クレアは何度も利用してきた転移魔法陣の上に、レイと一緒に乗った。
「あなたは来ちゃだめよ、ニケ」
クレアは一緒に魔法陣に乗ろうとするニケを制止した。
「どうしてですか、クレア様!」
「ここからは私とレイだけでいい。あなたはここから脱出して、安全な場所に隠れていなさい。この塔だっていつ崩れるかわからないもの」
その間にも塔は魔獣の襲撃を受けて横に揺れた。
「私はあなたの守護役です! 私だけ逃げるなんて一年前と何も変わらない!」
「そんなことないわ。これは私が選んだことよ。それに聖女クレアはもういない。あなたにも自由に生きてほしいの」
いままで本当にありがとう。
感謝とともに抱きしめると、ニケは目を潤ませながらクレアに抱きついた。
名残惜しそうにクレアと体を離したニケは、レイに視線を向けた。
「レイ様。クレア様をどうかよろしくお願いします」
「はい。必ず幸せにします」
ニケはきょとんと目を丸くしてから笑った。
クレアが魔法陣を起動させると、魔法陣が強く輝いて思わず目蓋を閉じた。
再び目蓋を開くと、目の前には地下へと続く階段があった。
「本当に地下が存在していたなんて」
「う……」
「レイ!?」
レイは小さく呻くと、その場に膝をついて自分自身を抱きしめるように背を丸めた。
背中の羽が明滅を繰り返し、顔を侵食している魔鉱石に厚みが増した。
クレアは動揺を抑えながら、少しでもレイが安らぐようにと右腕をさすった。
「もう大丈夫です。ありがとう」
「本当に?」
「えぇ。一時的な発作です」
レイは先ほどの苦しみが嘘のように、穏やかな笑みを浮かべている。
「ひとりの時はとても怖かったけれど、クレアがそばにいたから何も怖くなかったです」
「レイ……」
苦しんでいたのはレイだというのに、それでもレイはクレアに感謝を告げた。
本心なのかもしれないが、その健気さが切なくて、とても愛しくて、涙があふれそうになる。
「見てください、クレア。立派な壁画がここにも」
レイは階段の両側にある壁画を見て、あえて明るい声を上げた。
「こんな時に暢気ね」
「だってエンピレオに来たのは初めてですから! いままで離れ離れになっていたのも結婚式の試練みたいじゃないですか?」
場違いにはしゃぐレイのことばに、クレアの視界がちかちかと天啓を受けたように輝いた。
「ふたりの前に試練が立ちはだかって、乗り越えていく」
マリアのことばがよみがえる。「私たちができる範囲のことが救済につながるかもしれない」と。
クレアは衝動的にレイの両手をとって、レイと正面から向かい合った。
「え、クレア?」
「エンピレオの結婚式だわ。試練を乗り越えたふたりは最後に女神の前で祈りを捧げるの。それこそが女神に魔力を還元する儀式になる。目に見える愛の形だからと、ずっと受け継がれてきたものよ」
「じゃあ、僕たちがやることはひとつですよね」
レイは照れくさそうに頬を染めた。レイの熱が伝播したように、クレアの顔も熱くなる。
「ねぇ、クレア。本当はずっと楽しみにしていたって言ったら、気が早いって怒りますか?」
クレアはふるふると頭を振って、レイの両手を強くにぎった。
「私だってずっと考えてたって言ったら、怒る?」
「ううん、大好き」
「うぅっ! 私も……大好き」
「ふふ! では、行きましょうか!」
レイの飾らない愛情表現に、クレアは沸騰しそうになるのをどうにか抑えて、レイと一緒に階段を下りた。
「恐らく、ここにはあなたが生まれた魔鉱石を利用して、膨大な祈りの力が溜めこまれているはずよ。それを私たちで解放すれば、あなたを蝕む症状だってきっと」
クレアは自分に言い聞かせるように説明した。
まちがっていないと信じている。
けれど、心のどこかに必ず不安は芽生えた。本当にこれでレイを助けられるのか、と。
階段を下りる足が止まった。
「信じますよ」
クレアの不安を取り除くのは、いつだってレイだった。
「だって僕は、あなたに救われてきたから」
レイは何も心配などしていない様子で、クレアに微笑みかけてくれた。
だからこそ、クレアも自分を信じて、もう一度足を踏み出すことができた。
次で最終回になるかと思います。




