裏切り2
クレアはクロークをまとって、頭をフードでしっかりと隠すと、先導するニケに続いて光り輝く転移魔法陣の中へ入った。
すると目の前の景色が変化して、一階の礼拝堂へと続く扉が出現する。
「礼拝堂にはまだ人がいますから、こことは反対方向にある裏口から出ましょう」
クレアは初めての隠密行動に緊張したが、ルベンに会えると思えば不思議と勇気が出た。
裏口で待っているというニケと別れて、クレアは息苦しい塔の中から飛び出した。
塔を囲むように木々が並んでいるため、クレアはこそこそと木の陰に隠れながら周囲を見回した。
「ルベン様……もう遠くへ行ってしまったかしら」
月の明るい夜だ。
こんな時間にひとりで外へ抜け出すなんて経験は初めてで、ほんの少し楽しくなってきた。
ルベンがまだ近くにいると信じて、クレアは城の方角へと歩いた。
幸い人気がない。しばらく歩いていると、左手側にクレア以外の聖女たちが暮らす屋敷が見えてきた。
すると屋敷の門をくぐる見覚えのある茶髪が見えた。
「ルベン様!」
クレアは胸をはずませてその背中を追ったが、街灯の鉱石ランプで照らされたルベンの隣に人影が見えて、思わず立ち止まった。
その人物は質素な白のワンピースにルベンの騎士服のジャケットを羽織っている。
華奢な白い腕が慣れたようにルベンの右腕に絡みついたのを見て、クレアは激しく動揺した。
寄り添うふたりの姿は、まるで恋人のように親密に見えた。
「どうして……」
クレアは息を殺し、ふたりのあとを追った。
ふたりが向かったのはライザの部屋の前だ。
部屋の前でルベンを熱っぽく見上げているのは、まちがいなくライザだった。
クレアは慌てて近くの柱に隠れて、ふたりの様子を覗き見た。
ふたりはクレアの視線の先でキスをしていた。
思わず息を止めていた。
私だってまだ、ルベン様としたことがなったのに……。
「ねぇルベン。私じゃだめなの? クレアのほうが聖女として力が強いのかもしれないけれど、私だって聖女としてたくさん努力をしてきたわ。私があなたのそばにいてはいけないの?」
金色の瞳に涙を浮かべて胸にすがりつく可憐なライザに、心を動かされない男はいないだろう。
ルベンは愛おしくてたまらないとばかりに、力強くライザを掻き抱いた。
ライザの細い顎をつかんで、見たこともない濃厚なキスを交わしている。
信じられなくて、信じたくなくて、クレアは何度も頭を振った。
「愛しているよ、ライザ。けれど聖女クレアの強力な力を手に入れることは父上の命令なんだ。わかってくれ」
「嫌よ! あなたをクレアに渡したくない! 私のほうがあなたを愛しているのに……どこにも行かないで」
「三年前からずっと、本当に愛しているのはきみのほうだよ」
感激した様子のルベンに、クレアは虚脱感に襲われた。
柱に触れる指の感覚がない。
「三年前に私に一目惚れしたって言ったのは……嘘だったの?」
すべてはジェード家の目的のために、この聖女の力が必要だったのだ。
血の気が引いて眩暈がした。
忘れていた全身の痛みがよみがえってきて、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
「望まない結婚をさせられるなんてひどいわ。あなたは誰よりも誠実で雄志を抱いた立派な騎士なのに、こんな仕打ち……そうよ、結婚はまだ公に発表されていないのでしょう? だったらモリブデンがクレアを虐待していることを暴露して、クレアをジェード家で保護する形にすれば、クレアの聖女の力だけを手に入れられるでしょう」
クレアは愕然として、ライザを凝視した。
なぜライザがモリブデンの虐待のことを知っているのだろう。
知っていて体調を心配するふりをしていたのか。悲しそうな顔の裏で、ずっとそんなことを考えていたのか。
「そうもいかない。あのモリブデンの所業を認めさせるというのは俺でも難しいんだ。それに保護なんて名目で連れ出したら、今度はジェード家が力を独占すると攻撃を受ける。結婚という強引な形でないとクレアを外に連れ出せないんだよ」
ルベンは気落ちするライザを慰めるように頭を撫でた。
「クレアは顔だけは美しいと思うし健気ではあるが、それだけだ。触れさせてもくれない。俺を癒す泉はいつだってきみだけだよ、ライザ。愛しているよ」
「いけないわ、そんな言い方……クレアはあれでも私を守る王子様だったのよ」
「あれが王子を気取っていたのか? はは、気持ち悪い、変なやつだ! これからは俺が本物の王子様だよ」
ルベンがライザの腰を抱くと、ライザが甘えるように体を密着させる。
そうしてふたりはライザの部屋に入って行った。
クレアは頬に流れる涙をそのままに、塔へと引き返した。
一秒でもこんなところにいたくなかった。
裏口を叩くとすぐにニケが顔を出した。
「おかえりなさい、クレア様……な、何があったのですか!?」
「ごめんなさい、もう休むわね。ありがとう」
ニケの顔を直視することができず、クレアは急いで転移魔法陣に乗ると、自ら牢獄のような部屋へと駆けこんだ。
ベッドに行く前にトイレに入って何度も嘔吐する。
もう吐くものもなくなって、クレアは吐き気をこらえながら寝室へともどった。クロークを床に投げ捨てて、ベッドに飛びこむ。
「う、うぅっ!」
枕に顔を埋めて泣き叫ぶ。
愛した人と一緒になって、自由を手に入れられると思った。
こんな地獄から抜け出して、あの新郎新婦のような何気ない幸せが手に入ると夢を見ていた。
婚約者と親友に裏切られているとも知らずに。
あまりにも惨めで悔しかった。
「ルベン様が欲しいのは聖女の力だけだったんだ! 誰も私のことなんて必要としてなかった! ひとりで浮かれて、本当に馬鹿みたい……」
クレアは絶望を胸に抱きながら、ペンダントをにぎりしめた。
あの子供の綺麗な笑顔だけが、クレアのずたずたに引き裂かれた心に寄り添ってくれた。