命の期限2
レイがこうやってわがままを言うのは珍しい。
体調が悪くて精神的にも不安になっているのだろう。離れたくないと訴えるまなざしが愛おしかった。
クレアは椅子を引き寄せて座ると、レイの右手を両手で包みこんで、そこに額を押しつけて祈りを捧げた。
つながった手を中心にして淡い光が部屋を照らす。
どうかこの祈りが、レイの苦痛を取り除いてくれますように。それが叶わないなら、私にもその痛みを分けてほしい。
困った時の神頼みに、クレアは内心自嘲する。けれどそれが聖女の祈りの力となるのだ。
祈りの光がおさまると、レイは安心したように深く息を吐いた。
「ほら、やっぱり。クレアの祈りのおかげで呼吸が楽になりました!」
「よかったわ。でもきょうはもう動いちゃだめよ」
「うーん、眠ってばかりも退屈ですよ」
そうやって不満を口にするレイに、クレアはくすくす笑いながら、頬に貼りついている銀糸を指ですくった。
「ねぇ、クレア」
「何?」
レイは天井を見つめていたが、どこか遠くを見すえているようだった。
「もし僕が世界の敵で、必ず死ななければならないとしたら、どうしますか」
レイの視線がクレアに向けられた。青い瞳は出会った時と同じように澄みきっている。けれどそこには、出会った時にはなかった複雑な色が浮かんでいた。
「冗談だとしても不愉快極まりない話ね。死ななければならない? ふざけないでよ。絶対そんなことはさせないわよ」
クレアは厳しく眉根を寄せた。
「レイ、私は世界のために祈る聖女じゃないの。あなたがいまさら何者であろうと、私はあなたの味方でいるって決めたの。あなたが私の味方であったようにね」
レイは目を見開いて、じわりと潤ませた。
「嬉しい……やっぱり僕は、何度だってあなたを好きになる」
「私も好き。あなたがいなくなるなんて考えられない」
クレアはタオルを退けて、しっとりとした額に口づけた。
レイはくすぐったそうに身をよじった。
しばらくクレアはレイの看病を続けていたが、水差しの水が尽きたことに気がついた。
寝息を立てているレイを起こさないようにして、クレアはもう一度厨房へと向かった。
「あんな変なことを言うなんて」
何か隠しているのだろうか。体調の悪いレイにそれを問いただすべきなのか、クレアは迷っていた。
とにかく、早くどこかで落ち着かなければ、いつまでもレイの体調が改善されないままだ。教団や騎士団の目の届かない場所を探さなければ。
思案していたクレアだが、床板を軋ませる足音に気がついて、振り向きざまに剣で斬りつけた。
クレアの一撃を剣で防いだのは、星羅騎士団の騎士だった。
「クレア様、ご同行願います」
クレアは後ろに飛び退いてから、素直に剣をその場に落とした。
騎士は拍子抜けしたように、少し迷いを見せながら剣を鞘におさめた。
その瞬間、クレアは炎の鉱石術を発動させた。
炎は蛇のようにうねって騎士の体を厨房の外まで弾き飛ばした。頭を強く打った騎士は、白目をむいて廊下に倒れた。
クレアは素早く剣を拾って、階段を駆けのぼる。
嫌な予感がした。
二階の一番奥の部屋の扉が開いたままになっていて、クレアは急いで部屋の中へ飛びこんだ。
絨毯は踏み荒らされ、土に汚れた足跡が寝室まで続いている。
「レイ!」
クレアは焦慮に駆られて、寝室に飛びこんだ。
ベッドにレイの姿はなく、掛布団が床の上で踏み荒らされていた。
すると窓の外が騒がしくなって、クレアは荒々しく窓を開いた。
宿屋の前には星羅騎士団の星と剣の紋章が入った馬車が停まっている。
その馬車のそばには、騎士に指示を飛ばすルベンと、ルベンに引きずられるようにしてその場に座りこむレイの姿があった。
「レイ!」
クレアは窓の桟に足をかけて、迷いなく飛び降りた。
ルベンは予想していたように剣を盾にして、落下しながら振り下ろされたクレアの重い一撃を受け流した。
落下の衝撃の反動で両腕が痺れたが、クレアはなんとか剣を取り落すこともなく、地面に着地して、もう一度構えて見せた。
「俺の部下はしくじったようだな」
ルベンはため息をつくと、クレアに見せつけるようにレイの襟を強く引っ張って引き寄せた。
レイは小さく呻いて、悲しそうにクレアを見上げる。
抵抗したのか、その額からは血が流れていた。
それを見た瞬間、クレアの怒りがマグマのように高ぶった。
「ルベン!」
クレアは姿勢を低くして、ルベンに突進した。
ルベンはレイを背後に突き飛ばして、クレアの怒りの剣を受け止めた。
クレアは剣に炎をまとわせて、狂ったようにルベンに叩きつける。
「よくも! よくもレイを傷つけたな!」
全身から炎が噴き上がり、剣と炎でルベンを執拗に追いつめる。
しかし騎士団長の名は伊達ではなく、息を切らせるクレアとは違って、ルベンはまだ余裕がありそうだった。
クレアが弾き飛ばされ、滑るように大きく距離をとると、それを見計らったように騎士たちが周囲を取り囲んだ。
野次馬たちも集まって、かなりの大騒ぎになっている。




