裏切り1
祈りの間へとやって来たモリブデンは、台の上にどさりと大量の金属の輪を置いた。
どう見ても罪人の拘束具にしか見えないそれには、相手の鉱石術を封じるまじないが彫られていた。
聖女が保有する魔力は膨大なため、魔具の強化のために祈りの力を使用することがある。
クレアは嫌な予感がして、モリブデンに視線をもどした。
「あの、これを何に使用するおつもりですか。本当に罪人の拘束具に使用されるものなのですか」
「余計なことは聞くな。お前はいつものように祈りの力をこめればよい」
「ですが」
珍しく反論しようとするクレアに、モリブデンは満面朱を注ぎ、クレアの顔を殴った。
一瞬意識が飛んだ。
何が起きたのかわからず、クレアはじんじんと熱を持つ頬に触れる。
冷たい床の上を転がったまま動かないクレアに、ニケが慌てて駆け寄った。
モリブデンは鼻息を荒くしながら、
「平民出身のお前になんとか聖女らしい価値を与えてやったというのに、お前はいつも文句しか言わんな! それが育ての親である私に対する態度か! この出来損ないのゴミが!」
「も、申し訳ありません!」
「謝罪の声が聞こえんぞ! ゴミですみません、だろうが!」
モリブデンが上から背中を蹴りつけるので、肺が押し潰されたように息苦しくなった。
強烈な痛みと恐怖に涙があふれる。
ニケが必死にモリブデンの足にしがみついて止めようとしたが、モリブデンは気が済むまでクレアを蹴り続けた。
クレアは体中を襲う痛みと衝撃に耐えながら、両腕で必死に頭を守り続けていた。
「いいか! あすまでに仕上げろ! できなかったらもっとひどい目に遭わせてやるからな!」
モリブデンはうずくまって動かないクレアを嘲笑し、満足げに去って行った。
「う、うぅ……」
「クレア様! いま手当てしますからね!」
クレアは薬箱をとりに部屋を出て行くニケの背中を、涙で歪んだ視界でぼんやりと見ていた。
聖女がこんなにも怖くて、つらくて、痛いものだなんて、希望を抱いていた幼いクレアは知らなかった。
鼻血が出ているのか、床に丸い血だまりができている。
床に転がってそれを見つめていたクレアは、そっとペンダントの魔鉱石をにぎって嗚咽をこぼした。
「もうやだよぉ……助けてください……フォルトゥナ様っ」
何度泣こうが助けを求めようが、何も変わらないことくらいわかっている。
それでもクレアは祈り続けた。
純粋に感謝をくれたあの子供を思い浮かべれば、荒れた心が少しずつ落ち着きをとりもどす。
「そうよ……一生続くわけじゃない。ルベン様のもとへ行けば自由になれる」
クレアは鼻をすすり、涙を拭った。
口内も切れているらしく、鉄の味が広がった。
ゆっくりと立ち上がり、台に並べられた拘束具に触れて祈りを捧げる。
金属に刻まれたまじないの文字が淡く輝いた。
これが本当に聖女の仕事なのだろうか。
罪悪感に押しつぶされそうになって涙が浮かぶが、クレアは必死に祈りに集中した。
いまだけは、これが何に使用されるのか見ないふりをした。
「あれ……」
ふと目が覚める。いままでのことはすべて夢かと思ったが、体中を苛む痛みが現実と教えてくれた。
両手には包帯が巻かれてある。顔を横に向けると、こちらに気づいたらしいニケが沈痛な表情で近づいて来た。
「ごめんなさい、私……きっと途中で気絶しちゃったのね。ここまで運ぶのは大変だったでしょう。ありがとう」
「そんなのクレア様が受けた痛みに比べればなんてことありません。私こそごめんなさい。守護役として恥ずかしいです」
「謝らないで……私は最近、ニケに悲しそうな顔ばかりさせているわね」
クレアが上体を起こそうとするのを、ニケが肩をつかんで押しもどした。
「だめですよクレア様。もう少し休んでください」
「でも、仕事を終わらせないと」
「あの魔具の仕事はちゃんと終わっていましたよ。だからほら、ルベン様も悲しみますから横になって」
「その名を出されると弱いわ」
クレアは素直に降参して枕に頭を沈めた。
仕事も意地で終わらせていたようなので、ひとまずは安堵する。
そうやってしばらく横になっていると、外に出ていたらしいニケがもどって来た。
「おかえり、ニケ」
「ただいまもどりました! あの、クレア様」
「どうしたの?」
横になったままのクレアに、ニケは少し興奮した様子で言った。
「実はさっきルベン様をお見かけしたのです」
「え、塔に来ているの!?」
クレアは痛みも疲労も忘れて飛び起きた。
ずきりと全身が痛んで眩暈もしたが、それどころではない。
ルベンは騎士団の仕事が忙しいらしく、一週間ほど姿を見ていない。
それでもクレアを慰めるように花束を届けてくれるので、会うことはできなくてもじゅうぶん嬉しかった。
「はい。本当にさっき転移魔法陣を使用して外へ出て行くのが見えましたから。モリブデン様に用事があったのかも。いまから追いかければ間に合いますよ」
それはとても心躍る提案であったが、脳裏にモリブデンの冷笑が浮かんで、クレアは顔を青ざめた。
「いけないわ。私がここから抜け出したとばれたら、また折檻されてしまう!」
あの痛みを想像して、胸の前で組んだ両手が震えた。
それでも一目でいいから会いたい、という願いがふくらんでいく。
「クレア様は婚約者なのですから、ルベン様と会って何が悪いのです! きっとルベン様だってお喜びになられますよ。大丈夫、私が時間を稼ぎますから!」
ニケに勇気づけられて、クレアは小さくうなずいた。
恐怖よりも、ルベンへの気持ちが上回ったのだ。
次話はがっつり裏切りシーンが入ります。




