対決1
クレアは新しくなった深い赤色の手袋を身に着けて、魔獣討伐に向かっていた。
これを見るたびに自分の勘違いで空回った恥ずかしさと、レイとの幸福の時間を思い出す。
手をつないだり、抱きしめあったり、眠る前のキスを交わしたり。
あまりにも初心であると自覚はしているが、嬉しそうなレイを見るたびにそれでいいとさえ思う。自分たちの速度で触れ合えるのが嬉しかった。
クレアの心に余裕が生まれたのか、レイを家に置いて村から離れることへの不安がなくなっていた。
恋人になる以前ならばレイを連れ回していただろう。目を離した隙に誰かに連れ去られる。裏切られるのではないかと。
それが修道女の言っていた無自覚の独占欲というやつなのだろう。
冷静に思い返すと羞恥でどうにかなりそうだ。
クレアは気持ちを切り替えるように頬を叩いて、グロリアに近い小さな町に足を踏み入れた。
「報酬の受け取りはこっちでやっておくから、あなたは先に帰ったほうがいいわ」
クレアは隣に並んで歩いている自警団の隊長の男にそう言った。
顔に大きな傷痕のある隊長は、慌てて頭を振った。
「いや、お前をひとりで行かせるわけにはいかねぇ。ノアに叱られる」
「ノアはそこまで心配性じゃないわ。きょうにも産まれそうなんでしょう? 早く奥さんのもとへ帰るべきだわ」
隊長は目を見開いて、嬉しそうに笑った。
「そ、そうか! じゃあ頼めるか」
「えぇ、任せて」
こうして金銭のやりとりを任せてくれるまでに信頼してくれたことは、クレアにとっても嬉しいことだ。
クレアは気のいい自警団の男たちと別れて酒場に向かった。
酒場で黒い魔鉱石を従業員に渡して、地図を広げながら依頼書にある魔獣とない魔獣にわけて換金する。
作業を終えたクレアは、金貨と札で重たくなった袋を持って酒場をあとにした。
きょうの夕飯はなんだろう。そう暢気に青空を見上げていると、後ろから左腕をつかまれた。
「なに?」
盗賊か! とクレアはとっさに剣の柄をにぎったが、その手の上から大きな手が重ねられて、剣を抜くことができない。
クレアはフードの陰から、その人物を見上げた。
クレアも長身だが、それよりもずっと背の高い男だ。
男はクロークで全身を隠していたが、日の当たる口元は不気味に弧を描いていた。
「やっぱりきみだった。クレア」
聞き覚えのあるその声に鳥肌が立つ。
フードの奥から深い緑の瞳が輝いていた。
「もう逃がさない」
クレアはほとんど反射的に炎の鉱石術を発動させて、体に触れる男の手を焼こうとした。
予想していたのか、男はあっさりとクレアを解放して距離をとる。
クレアはこの隙にと駆け出した。
ぴたりと後ろを追って来る気配がする。
「どうしてルベンがここに」
あの声と特徴的な緑の瞳はまちがいない。
一年ぶりの再会で感じたことが嫌悪だったことに、場違いにも安堵する。
クレアは素早く周囲に視線を走らせたが、ルベンはいまのところ単独のようだ。
クレアは何度か路地を経由してルベンを撒くと、馬に乗って村へともどった。
おかえり、と出迎えてくれた自警団のひとりにお金の入った袋を放って、馬に乗ったまま家のある丘まで駆けのぼる。
無理をさせた馬に感謝を伝えると、クレアは急いで扉を開けた。
ふわりと優しい甘い香りがクレアを包みこむ。
「おかえりなさい、クレア」
クッキーを焼いていたのだろう。レイが青いエプロンを外して駆け寄ってきたが、クレアの剣呑な様子に何かを察したようだ。
「レイ、ごめんなさい。ルベンに見つかった。いますぐここから逃げる」
「わかりました。すぐ用意します」
何かあった時のために必要なものはひとつにまとめていたらしく、レイは服を整えてふたつの鞄を手にもどってきた。
「こっちはクレアの分です」
「ありがとう」
本当はレイだけでもよかったが、せっかく用意してくれているのだから無下にもできない。
荷物を受け取って扉を開くと、そこには悪夢が人の形をして立っていた。
「やあ」
いかにも好青年らしい笑顔を浮かべて、ルベンが右手を振っていた。どうやら、しっかりと尾行されていたらしい。
ルベンは先ほどと違って顔をさらしていた。
「ここまで案内してくれてありがとう」
ルベンは隣に並ぶ村娘三人に、左胸に手を当てて騎士の礼をして見せた。
彼女たちは顔立ちの整った男に特別扱いをされて、見るからに浮かれた様子だった。
ひそかにクロークの下の剣に手を伸ばしたクレアに、村娘は悪気なく言った。
「なんだか事情があって、ここまで追われてきたそうよ。聞けばローズの知り合いだと言うじゃない!」
この村は傷を負った者に対してとても寛容だった。
その寛容さでクレアとレイを受け入れてくれたのは感謝している。
だが今回はその親切心が仇となった。
世話になった手前、クレアは強く出ることができずに歯噛みする。
「久しぶりだねローズ。会いたかったよ。話を聞いてくれないだろうか」
何が会いたかった、だ。クレアは怒りを飲みこんで、この状況をどうやって切り抜けるかを考えた。
すると、クレアの背中にレイの手が触れた。
「クレア。村の人は巻きこめません。一度話を聞きましょう」
「そうするしかないようね」
クレアとレイは一度家にもどり、不承不承ながらルベンを招き入れた。




