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悪夢とホットミルク

「ルベン様と婚約するの」


 クレアがそう報告した時、ライザは驚愕して、それから自分のことのように喜んでいた。ように見えた。


「おめでとうクレア! 結婚式の祝福の言霊は私が唱えたいわ!」

「聖女ライザに祝福されるなんて、俺たちは幸福だね」


 クレアの隣に並ぶルベンが、クレアに同意を求めるように微笑んでいる。

 クレアはたまらなく嬉しくて、この人と一緒になれると思うと胸が弾んだ。

 そこでクレアは、ルベンが何気なくライザに視線を走らせたのを見た。

 ライザは、その笑顔に切なさをにじませているように見えた。


「幸せになってね、クレア」


 当時のクレアは親友が結婚することへの寂しさだと勘違いしていたが、いまならわかる。

 ルベンはライザを気遣い、ライザは愛したルベンとクレアの婚約を祝福しなければならないという悔しさと悲しみを抱いていたのだ。

 胸に痛みが走った。

 ふたりが通じ合っているなかで、私だけが馬鹿みたいに浮かれていた。私だけが邪魔者だった。 

 ルベンの腕に触れた指が震えた。

 この腕はライザを知っているのだろう。

 恐ろしいほどの疎外感と孤独感を覚えて、クレアはルベンから手を離した。

 いまはもうルベンへの想いはない。これは過去の想いの残り火だ。

 クレアは何かを探すように周囲を見回した。

 あのペンダントが見当たらない。


「どこへ行ったの? お願い、あなたがいないと、私は!」


 息もできない。

 過呼吸になりながら、クレアは必死に真っ白にぬりつぶされた世界を両手で掻きわける。

 すると、誰かに両手をにぎり返されて、ふわりと体が浮いた。


「クレア」


 青く輝く二枚の羽を持つ美しい少年が、この世の幸福をそっと口にするように名を呼んでくれた。

 あぁ、もう大丈夫。

 自然と涙があふれて、クレアもまた歓喜を伝えるようにその名を呼んだ。


 とんとん、と控えめなノックの音でクレアは目が覚めた。

 ゆっくりと上体を起こして周囲を見回す。自分の部屋だ。

 カーテン越しに見た窓の向こうは闇に沈んでいる。ベットサイドに置いた時計を見ると、どうやら日付を越えたばかりのようだ。

 頬は涙で濡れていたが、胸に広がるのは幸福感だった。


「クレア? あの、ひどくうなされているようでしたが……眠っていますか?」

「レイ」


 レイの声というだけでクレアは安心できた。

 クレアはほとんど衝動的に寝間着姿のまま扉を開く。

 そこには、寝間着にカーディガンを羽織ったレイが心配そうにクレアを見上げていた。


「泣いていたのですか? 怖い夢を見ていたのですね」


 そっと目元を拭ってくれる指に身を任せる。白い指は温かくて気持ちが良い。


「そう、みたい。ありがとう……あなたに助けられたわ」

「夢の中でもクレアを助けることができて嬉しい」


 レイは誇らしげに顔を綻ばせた。

 どこまでも健気に寄り添ってくれるレイが、たまらなく愛しい。

 抱きつきたい衝動に駆られて両手を伸ばすが、理性を総動員させて両手を下ろす。

 すると、力を失った両手をレイがつないでくれた。

 あの夢の続きを見ているようで、クレアはほんのりと目元を染めた。


「レイ?」

「すみません、なんだか心細くなって。そうだ、ホットミルクを飲みませんか? 僕、一度やってみたかったんです。だめですか?」


 こういう時、レイはわざと子供っぽく振る舞った。

 クレアが怯えてことばにも行動にも移せないことを、レイはしっかりと汲み取ってくれているのだ。

 クレアはなんだか情けなくなって、でも嬉しくて、今度は自分からレイの手を引いた。


「そうね。私が作るから、待ってて」


 クレアはレイを居間の椅子に座らせてから、ホットミルクを作り始めた。鍋で牛乳を熱して、適当にシロップを入れる。

 台所と居間がひとつになった部屋はそこまで広くはないが、ふたりで暮らすにはじゅうぶんな空間だった。

 年季は入っているが、しっかりと手入れされているため、どこにも不自由さがない。

 こぢんまりとした、けれど必要なものがそろったクレアとレイの城だ。


「美味しい……夜にこうやって飲むのがいい感じですね」


 マグカップを両手で包んで、火傷しないようにちびちびと飲んでいたレイが頬を緩ませた。

 クレアもまたミルクの優しい甘さを堪能して、ほっと息をつく。


「初めて作ったけれど、我ながらなかなかのものね」

「え、クレアも初めて?」

「えぇ。両親はこんなもの作ってくれなかったし、聖女として監禁された頃は自分で何かを作る機会はなかったから」


 昔のことを話すのは苦手だ。不快な記憶とともに、惨めな気持ちになるからだ。


「クレアも僕と一緒だなんて嬉しい。素敵な思い出になりましたね」

「ふふ、大袈裟ね」

「そうでしょうか。僕はホットミルクを飲むたびにきょうの夜のことを思い出しますよ」

「そうね。私もきっと思い出すわ」


 それはなんて素敵なことだろう。クレアは胸が躍った。

 これから過去を思い出すたびに浮かぶのは、レイの笑顔ばかりだろう。

 優しく甘い気分に浸っていたクレアは、ふと聖女としての感覚が冴えていくのを感じた。

 窓の向こうを見つめるクレアに、レイは首を傾げる。


「どうかしましたか」

「魔獣が村の近くまで来ているみたい」

「え、またですか? 聖女の多いエテルナでも魔獣は迷いこむものなのですね」

「それほど魔獣が増えている証拠ね。数は一体くらいだし、行って来るわ」

「待って、僕も行きます」

「だったら風邪をひかないようにコートを着るのよ。夜は冷えるんだから」

「クレアだってちゃんと着てくださいよ。そうやってまた子供扱いするんですから」


 むすっとふくらんだ白い頬を突いてやると、レイは驚きながらも笑ってくれた。

 悪戯と称して触れることには少し慣れてきた。

 防寒具に身を包んだふたりは、クレアが発動した火の鉱石術を頼りに村の外に続く丘をのぼった。

 すると丘の上で、夜の闇とは異なる何かが揺らめいて見えた。魔獣だ。

 クレアとレイは姿勢を低くして様子を見た。


「小型の魔獣だわ。こっちに気づいてないようね」

「僕が足止めしましょう」


 レイが右手を魔獣に向けて伸ばすと、ゆらゆらと頼りなく揺れている魔獣の足元が氷で拘束された。


「さすがね!」


 クレアは土を蹴って飛び出すと、剣を引き抜いて振りかぶった。

 小型の魔獣は珍しく二足歩行で、人間を模しているように見えて不気味だ。

 その気持ち悪さを断ち切るように、クレアは胴体に剣を突き立てた。

 魔獣は痛覚を持たないと言われているため、目の前の魔獣も悲鳴を上げなかった。

 しかし曖昧だった輪郭が蠢いて、形を変えていく。


「クレア、離れて! 様子が変です!」


 レイの警告と同時にクレアは魔獣と距離をとっていた。

 魔獣は瞬く間に女性のような胸のふくらみと体つきに変化していた。

 長い髪が蛇のようにうねって、風もないのになびいている。

 人の顔のようなものが形成されて、ふたつの赤い目はクレアを見つめた。

 女神フォルトゥナ像を思わせる顔だった。


「助けて」

「え?」


 女性のような男性のような、判別できない声がした。

 目の前の唇から発せられたのは間違いない。


「限界が……聖女、天使……」


 魔獣は遺言のようにつぶやくと、あっという間に消滅して黒い魔鉱石となって草の上に落ちた。

 クレアは驚愕して、そしてレイを見た。

 レイもまた信じられないと頭を振っている。


「魔獣ってしゃべるの?」

「い、いえ……吠えたりはするみたいですけど、人間のようにことばを話す個体は確認されていないはずです。なのに、あんなにはっきりと」

「いままで何体も狩ってきたけど、こんなこと一度もなかったわ。マリアに報告しましょう」


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