聖女ライザ
「こんばんは、クレア」
ルベンと入れ替わるようにして、クレアの部屋にライザが現れた。
塔には転移魔法陣があるため、最上階の百階へのぼるのは苦ではないが、好き好んでここまで来る人間は婚約者のルベンかこの幼馴染くらいだった。
「いつ見ても美しい眺めね。羨ましいわ」
「そうかしら」
「えぇ、私の部屋と大違いだわ」
ライザはガラス窓の近くでくるくると踊った。
黄金色の糸がふわりと舞って、花の妖精のように可憐だった。くせのある自分の髪が少し嫌になる。
「だってクレアの部屋は塔の最上階よ。王様よりも上にいるってことじゃない」
「ライザ、そんなこと言っちゃいけないわ」
「うふふ、ごめんなさい」
クレアは曖昧に笑った。
王様を見下ろしている、というよりも天に捧げられた生贄の気分だった。
ガラスの向こうには、色とりどりの鉱石で飾られた屋根がいくつも見える。塔の近くにある屋敷はすべて貴族たちのものだ。
色の海を美しいと思えたのは最初だけだった。
「どうしてクレアだけ最上階なのかしら。いいなぁ……同じ聖女なのにずるい」
ライザはガラス窓に両手をついて、むうっと頬をふくらませている。
クレアの胸の奥がずきっと痛んだ。
ライザは無邪気だ。だからこそ悪意のないことばはクレアの心に刺さった。
そんなにいいものではないわ、と言いたかったが、クレアは何も言えない。
「ねぇ、きょうの結婚式見てくれた? 新郎新婦のご指名で私が祝福したのよ」
「うん、素敵だった」
「ふふ! 平民の出身の聖女がようやく認められてきた証拠だわ」
七人いる聖女のなかで、平民出身はクレアとライザだけだ。
昔から聖女というのは血に依存すると考えられていて、代々聖女の血を受け継いできたのは貴族である。もちろん例外はあって、クレアとライザは突然変異だった。
一度聖女と認められると家柄や身分は関係ない、という教えは建前であり、だからこそクレアはモリブデンの道具としてこき使われている。
しかし同じ平民出身のライザとの扱いは、天と地ほど差があった。
ライザは生まれながらの愛嬌と美貌で人々を魅了した。
彼女こそが七人のなかでもっとも高潔なる聖女である、と国民は信じてやまない。
貴族出身の聖女たちは面白くないだろうが、熱狂的とも言える国民の支持に何も言えないのだろう。
モリブデンも国民人気の高いライザをこき使うような真似はできなかったようだ。
「本当にライザはすごいね」
「どうしたの急に」
「気づいたら、みんなライザのことが大好きになっているもの」
「それは初代聖女様と同じ金髪に、同じ金色の瞳だったからよ。でも初代様との共通点があることは誇りに思うわ。私はね、聖女になれて嬉しいの。ずっと誰かの役に立てる仕事がしたかったから」
ライザは自分の胸に手を当てて、祈るように目蓋を閉じた。
クレアは彼女の謙虚で誠実なところが好きだった。
「ねぇ、クレア。あなた最近とっても顔色が悪いわよ。何か悩みでもあるのかしら。どこか悪いの?」
祈りを終えたライザが、今度は心配そうにクレアの顔を覗きこんでくる。
「大丈夫よ、ありがとう。寒暖差で体調を崩しただけだから、休めば治るわ」
「だったらいいけれど……無理はだめよ」
ライザは体温を分け与えるように、クレアの右手を両手で包みこんだ。
本当は真実を打ち明けて、その胸に飛びこみたかった。
しかし事情を知っているルベンとはともかく、聖女として真摯に義務を果たすライザにモリブデンの悪行を聞かせたくなかった。
それにモリブデンには幼い頃から口止めをされていた。
触れ回ればお前の家族やライザがどうなるかわからんぞ、と脅され続けてきたのだ。
ジェード家と対立するモリブデンは、行政をとりしきる評議会にもしっかりと根を回している。
国民に支えられているとは言え、ライザを危険にさらすことはできない。
「ずっと塔にこもっているから体調を崩すのよ。私モリブデン様にクレアとお出かけできるようにお願いしてみるわ」
「う、うん。ありがとう」
おそらく承諾はされないだろうが、ライザの心遣いは素直に嬉しい。
昔から長身だったクレアは、そのことを同級生の子供たちにからかわれ続けていたが、唯一クレアと仲良くしてくれたのはライザだった。
王子様と呼んで懐いてくれるのが嬉しくて、そう振る舞っていた過去が懐かしい。
「そんな暗い顔をしてはだめよ。あきらめてはそこで勝利の道は断たれる! でしょう? そう言っていたじゃない」
「え? そんなこと言ったかしら?」
「あ、違う。これはあの人に教えてもらったんだった……」
「あの人?」
「ううん、なんでもないの」
ライザの目元がほんのりと染まっているのを見て、クレアはぴんと来た。
じわじわと笑みがこみ上げてくるのは仕方がないだろう。
「わかった。好きな人がいるのね」
「ち、違うわよ、もう!」
「ねぇ、相手は誰なの」
ライザが拗ねたように顔を背ける。
なんだか楽しくなってきたが、ライザはそれ以上語ろうとしない。
「そういえば、クレアはそのペンダント、ずっと身に着けているのね」
「あからさまに話題を変えたわね」
「いいの! それをくれた子、すごく綺麗な女の子だったわね」
「女の子なのかな。あれ、ライザも見たの?」
「えぇ。クレアが魔獣を消滅させた光が見えたから、急いでクレアのもとまで走っていたの。その時に修道女と一緒にいるあの子を見たのよ」
クレアが守った子供は、あのあとすぐに修道女が連れて帰ったので名前を聞くことができなかった。
クレアの胸元で輝く澄んだ青色は、あれから何年経っても輝きを失っていない。
「魔鉱石なのよね」
「うん。力を感じるわ」
装飾にも使用されるこの美しい魔鉱石が、世界の主な資源である。
魔鉱石は機械の動力にも使用されていて、これがなければ生活が成り立たないほど依存している。魔鉱石の主な成分は魔力であり、魔力は人間の体内にも存在する。そのため人間は魔鉱石や体内にある魔力を消費して「魔法」を使用することが可能だった。
魔鉱石にちなんで、魔法は鉱石術と呼ばれている。
「これは私の宝物なの」
「ふうん……その青い魔鉱石ってとっても珍しいのよ」
「そうなの?」
「モリブデン様が教えてくれたわ。青い魔鉱石に他の魔鉱石の魔力を移すこともできるし、聖女の祈りの力をたくさん宿すことができるんだって」
「初めて知ったわ」
だからこんなにも力を感じるのだろうか。
クレアが嬉しそうに青い魔鉱石に触れていると、それをじっと見つめていたライザが口元を綻ばせて、ペンダントを指差した。
「ねぇ、それ欲しい」
クレアは目を丸くした。宝物だと言ったはずなのに、彼女は聞いていなかったのだろうか。
ライザは子供がねだるような顔をして、戸惑うクレアにしなだれかかる。
「お願いクレア」
「えっと、ごめんね。これだけは渡せないの」
「えー? 綺麗なのになぁ」
ライザは唇をとがらせた。
与えられて当然だったライザは、こうやって我儘に振る舞うことがある。
クレアはこれだけは渡せない、とペンダントをにぎって困ったように笑った。
「もういいわよ! じゃあ私帰るから」
「え、待ってよ、ライザ!」
ライザは途端に不機嫌になって、さっさと帰ってしまった。
「どうしちゃったの、ライザ……」
クレアは途方に暮れて、すがるようにペンダントをにぎった。