魔女は天使を拾う1
目的の魔獣は、ハーピーの森を抜けた先にいるという。
翼の生えた少女の姿をした化け物が、ここで行き倒れた者を食らうという伝説があるため、人通りそのものがない。
魔獣や盗賊がひそむにはうってつけである。
「逃亡者の私にとっても居心地が良い場所かもね」
クレアは鬱蒼と茂る森の中を歩きながら、皮肉げに笑った。
足元の悪い森を進んでいると、開けた場所で鹿を襲っている魔獣を見つけた。
闇から這い出たような真っ黒な姿は、太古に存在したと言われる恐竜に似ている。
高さは二階建ての家と同じくらいだろうか。この大きさで中級である。
クレアが牽制の意味で炎の玉をぶつけてやると、魔獣の赤い目がクレアを捉えた。
「逃げなさい」
クレアが鹿に声をかけると、鹿は弾むように逃げて行った。
攻撃を受けたことで、魔獣は苛立ったように吼えた。
「食べもしないくせに。殺すことだけに快楽を見出す化け物が」
クレアは鞘から剣を引き抜いて構えた。
聖女の祈りの力で消滅させるほうが手っ取り早いが、あえてこの手で斬り刻みたかった。
魔獣は大口を開けてクレアに飛びかかる。
クレアは転がって避けると、魔獣の後ろ足を斬って、体勢を崩した巨体を斬りつける。
魔獣からは血が出ない。それに痛覚がないのか、斬られたことによる反応が薄い。斬られて動けなくなっても、その赤い目は貪欲にクレアだけを映している。
だからこそ、罪悪感など微塵もなかった。
「すごいわクレア! さすが私の王子様!」
幼い頃のライザの幻影がクレアの腕にまとわりつく。
「黙れ!」
まるで寄生虫のようにクレアを蝕むライザの幻影を、魔獣ごと叩き斬った。
やがて魔獣は消滅し、草の上には手の平ほどの黒い魔鉱石が残った。
この魔鉱石も剣で叩き割れば粉々になって最後は消える。
しかし証拠がなければ報酬がもらえないので、クレアは黒い魔鉱石を道具袋に入れた。
「簡単な仕事ね」
ことばとは裏腹に、自分の行為に不快感を覚えながら、クレアは剣を鞘にもどした。
ふと獣とは異なる気配を感じて、クレアは反射的に身を低くした。
地面に両手をつけて、耳を澄ませる。
手の平に振動が伝わって、耳には言い争う声が届いた。
馬車が近づいて来る。
クレアは素早く音のするほうへ走り、茂みの中で馬車が来るのを待った。
薄れた轍の上をなぞるようにして馬車が姿を現した。
御者はどう見ても不慣れな様子で、どちらかと言えば腰に下げた剣を振り回すほうが似合いの柄の悪い男だ。
「盗賊にまちがいなさそうね」
荷台の幌には、女神フォルトゥナが描かれていた。
「フォルトゥナ教団を相手にした根性は買ってあげましょうか」
クレアは茂みから立ち上がった。
このまま見逃してやってもいいと思えたが、あんなろくでもない教団でも、貧困にあえぐ村に物資を届ける役割を担っているのだ。
報酬分の働きはするつもりだ。
「魔獣に襲われているのね」
馬車は鳥の形をした小型の魔獣に襲われていた。
荷台の中には鉱石術士が乗っているらしく、鋭くとがった氷の矢がいくつも放たれたが、すべて外している。
クレアはため息をついて、馬車の行く手に立ちはだかった。
御者の男はクレアに驚いて、とっさに手綱を引いて馬を止めてしまった。
「と、飛び出してくんじゃねぇよ! 轢くぞ!」
「轢けばよかったのよ」
クレアは御者台に飛び乗って、御者の男の顔を殴り、馬車から蹴り落とした。
「おい、なんで止めたんだ! せっかく天使を奪ってきたのに」
「うるさい」
荷台から顔を出した男の顔面に剣の柄を叩きこみ、意識を失った男の襟をつかんで馬車から引きずり落とした。
すると術士を追って鳥型の魔獣が回りこんできた。魔獣はクレアに向かって金属音のような声で威嚇してきた。
「黙れ」
クレアは苛立ったようにつぶやいて、右手からあふれた炎を巧みに操り、魔獣を容赦なく燃やした。
とどめに剣を投げて刺し貫くと、魔獣は呆気なく小さな鉱石となって地面に転がった。
「追加報酬としていただくわ」
クレアは鉱石を拾ってから、気を失っている男たちを縄で拘束して道の端に転がした。
いずれ教団の者が発見するだろう。
「さて、本当に物資を運んでいたかどうかも確認しておかないとね」
クレアは御者台から荷台に侵入して、積み上げられた木箱の中を覗いた。
そこに見覚えのある薬の瓶を発見して、クレアは眉をひそめた。聖女の祈りの力で作られた秘薬である。
ひたすら祈りを捧げ続けた日常がよみがえってきて吐き気がした。
「まだこんなものを作っているの」
しかしクレアが作っていた時よりも本数がかなり少ない。恐らくモリブデンは秘薬を作るために貴族出身の聖女たちに協力してもらっているはずだが、クレアのように働かせることはできないのだろう。
叩き割って雑草の養分にでもしてやろう。
クレアが決意したその時、木箱の反対側に誰かが寄りかかっているのが見えた。
「まだ仲間がいたのね。隠れていないで出てきなさい」
反応がない。
クレアは剣の柄に手を伸ばしながら近づくと、そこには手足を縄で拘束された少年が座っていた。
クレアは息を呑んだ。
完璧な美しさがそこにある。
驚くほどなめらかな白い肌に、すっと通った鼻筋。
人生で一度しか見たことのない白銀の髪は、薄暗闇の中でもきらきらと星のように輝いている。
頬に影を落とすほど長い睫毛が震えて、その奥から深い海の青を宿した瞳が現れた。
クレアは無意識にペンダントをにぎっていた。こんな特徴的な人間がふたりも存在するとは思えない。
クレアを見上げた青い瞳が、こぼれ落ちそうなほど見開かれた。
「クレア!」
名前を呼ばれて、クレアはびくりと体を震わせた。
声変わりを終えて記憶よりも低くなっているが、透明感のある声だった。
少年と少女の境目にいた子供は、美少年として成長していた。
年齢は十五歳くらいだろうか。
「その綺麗な赤い髪にそのペンダント……まちがいありません! あの、僕のことを覚えていらっしゃいますか?」
「私が、助けた」
「はい! あなたに命を救われたレイ・ラズライトと申します」
レイの笑顔から、クレアは目をそらした。
あまりにも無邪気でまぶしすぎた。




