憤怒の魔女
魔獣を狩る腕の良いハンターが現れた、と噂が流れた。
腰まである長さの燃えるような赤い髪に、射抜くような瞳の女である。
常にクロークで素顔を隠しているため、容姿の噂は話す人間によって様々だ。
しかし共通しているのは、あまりに苛烈な炎の鉱石術を扱う、ということだ。
同業者は彼女のことを「憤怒の魔女」と呼んでいた。
酒場のカウンターには、ふたりの男がグラス片手に憤怒の魔女の話題で盛り上がっていた。
クレアはその様子を壁にもたれながら聞き耳を立てていた。
すると女性従業員が掲示板に依頼書を貼り始めたので、クレアも他のハンターたちの輪に加わって依頼を確認した。
早朝だというのに酒場に人が多いのは、こういった依頼をこなして生計を立てる魔獣ハンターが多いためだ。
魔獣は聖女の力でしか消滅させることはできないが、聖女の祈りの加護を受けた武器を持っていればそれも可能となる。
「小型の魔獣退治で五万アウルムか。まあまあじゃないか」
依頼内容を確認した男たちが、我先にと依頼書に手を伸ばす。従業員からの形式的な審査はあるが、基本的に早い者勝ちだ。
腕に覚えがあると言わんばかりの屈強な男が依頼書を引き剥がし、クレアよりも若そうな少年ハンターは険しい顔つきで依頼を眺めている。
実力さえあれば稼げる世界だが、クレアのような女性のハンターの姿はまだまだ珍しい。
「ローズ」
クレアが振り返ると、従業員の女性が手招きをしていた。
ローズはクレアの偽名である。
「あなたの腕を見込んでのご指名よ」
そう言って、カウンターを挟んで一枚の依頼書を差し出した。
クレアは依頼書を受け取り、その内容に素早く視線を走らせる。
「どうかしら」
「ここから少し距離はあるけれど問題ないわ。中型魔獣で二十万アウルムだなんて、ずいぶんと期待された額ね」
女性従業員は意味ありげに微笑んだ。
「近頃は大地が荒れて農作物も育たない。漁獲量も減って漁師も失業。そのせいか近隣の村を襲う盗賊団が増加したでしょう」
「つまり道中で『襲ってくるかもしれない連中』の排除料金も入っているわけね」
「そういうこと」
「受けるわ」
「さっすがローズ」
女性従業員はぱちんとウインクを寄越した。
「そういえば、聖女たちが国中をめぐって祈りを捧げる旅を始めたって聞いたけど」
彼女は、依頼書に記された項目にチェックを入れながら話を続けた。
「まったく改善されないわよねぇ。王都では聖女が逃げたからフォルトゥナ様がお怒りだ、とか言ってるけれど」
クレアは鼻で笑った。
「武器に祈りの加護さえつけてくれれば、あとは興味ない」
「そうね。聖女様ってほとんど貴族なんでしょう? 向こうだって平民の生活なんかどうだっていいと思っているでしょうね」
「よくわかってるじゃない」
クレアは依頼書の控えを受け取って、早々に出入り口へと向かった。
「ねぇローズ」
視線だけで振り返ると、女性従業員がカウンターに頬杖をついて微笑んでいる。
「あなたと仕事をして一年経つけれど、どんどん逞しくなっていくわよね。今回も期待しているわよ!」
クレアは軽く手を振って酒場をあとにした。
目的地に向かって歩き始めると、かさりと何かを踏んだ音がした。それは、ぼろぼろに朽ちた張り紙で、逃亡した聖女クレアらしき顔がぼやけて印刷されていた。あまり表に顔を出さなかったために、写真がそれほど存在しないのだろう。そのおかげか、いまのところ通報されたことはない。
「こんなところで戦っているなんて、誰も考えないでしょうね」
冷笑し、再び歩き出す。
ハンター業はとても気が楽だった。
もともと鉱石術は得意だったし、幼少期はライザの王子様であろうと魔獣を想定して剣を習っていたのだ。
怪我をしても聖女の祈りの力を使えば治癒もできる。
多少無茶な戦い方をしても平気だった。
「おい、お前! 憤怒の魔女」
背後から男に呼び止められて、クレアは面倒そうに視線だけで振り返る。
そこには大剣を担いだ人相の悪い大柄な男がいて、後ろには仲間と思われる四人の男たちがにやにやと笑っていた。
「さっきの見てたぜ。仕事を独占すんのはよくねぇな」
「残念ながらご指名なの」
クレアは男に向き直って言った。
「実績もまた私の実力よ。あなたにはそれが足りないだけ」
わざと煽るように言えば、男は憤慨したように激しく地を踏み鳴らした。
「てめぇ! 誰にものを言って……いや、憤怒の魔女を叩きのめした実績がつけば、俺らがその仕事をぶんどっても文句はねぇよな」
男は苛立ったように大剣の剣先をクレアに向けた。
それが合図となって、仲間の男たちも全員武器を手にとった。
どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。
クレアの口の端が吊り上がる。
「武器を手にとったということは、死ぬ覚悟ができたってことだな」
怒りがこみ上げて、口調も荒々しいものになる。
そこに聖女だった頃の面影は見出せない。
笑いがこらえきれずに肩が揺れる。馬鹿を焼くのは大好きだ。
フードの下から、まさに「魔女」と称されるに相応しいおぞましい笑みが垣間見えて、男たちは狼狽えた。
「どうして憤怒の魔女と呼ばれているか知っているか」
ごおっと音を立てて、クレアを中心として炎が渦巻いた。
人々は巻きこまれないように道の両端に避難するが、誰も騎士団に通報しようとする人間はいない。
治安の悪いこの町では日常茶飯事であったし、むしろ魔女の大技が見られる、と大盛り上がりだ。
「怒りで手加減ができなくて相手が炭になるまで燃やしつくすからだ」
炎は意思をもったように男たちを包んで、激しく燃え始めた。
「うわぁぁ!? 嫌だ、熱い! 助けてくれ!」
「やめてくれ! 助けて!」
炎から逃げ惑う男たちの命乞いを、クレアは涼しい顔で眺めている。
朝から酒の入った観客たちは手を叩いて笑っていた。
クレアは退屈そうに指を鳴らすと、炎は一瞬で勢いを失って消えた。
残されたのは、衣服と頭髪を焼きつくされて泣いている男たちの姿だった。
情けない姿にどっと笑いが起きて、男たちは慌てて股間を隠しながら路地裏に転がりこんだ。
クレアはすっかり興味を失って、目的地に向かって歩き始める。
元聖女は、人を殺したことはなかった。




