牢獄の塔
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王都の象徴である天貫く塔・エンピレオの周囲を、純白の新郎衣装をまとった青年が時計回りに走り、純白の花嫁衣装をまとった女性がドレスの裾を持って反時計回りに走っている。
先に塔の入り口にたどり着いていた新郎のもとへ、あとからやって来た花嫁が飛びついた。
世界で一番の幸福を享受していると疑わないふたりの姿を、塔の最上階から見下ろす少女の姿がある。
腰まで伸びた傷んだ赤髪に、乾燥して不健康な印象を与えている白い肌。
哀愁を帯びた髪と同じ色の瞳。
白を基調とした聖女の礼服は、所々に彼女を象徴する赤の刺繍がふんだんに散りばめられているが、立派な服に対して少女はあまりにも生気がなかった。
「素敵……」
聖女クレア・レッドルビーは、特殊強化を施されたガラス窓に触れて、深いため息をついた。
塔の前には、新郎新婦を出迎える一団が見える。
その一段の中に、黄金色の長い髪をなびかせる可憐な少女、ライザ・オーピメントの姿がある。
クレアの幼馴染であり同じく聖女であるライザも純白の聖女の礼服姿だったが、彼女のために仕立てられた衣装は金の刺繍と大粒の宝石が施されている。
クレアの礼服とは違って、明らかに金と手間がかけられた礼服だった。
ライザが莞爾として両手を組んだ。
それを見て、クレアも同じように両手を組んだ。
「愛を喜びなさい。愛を学びなさい。変化を恐れず、善悪もなく、愛を降らせなさい」
大地の女神フォルトゥナの祈りを、聖女が新郎新婦に告げる。
祈りとは聖女の仕事だ。
その祈りとは愛によって力を得ると教えられるが、愛とは曖昧であり、漠然としている。
だからこそ結婚式は聖女にとって最もわかりやすい愛の形であった。
新郎新婦も復唱し、そして手をつないで塔の中へと入って行く。塔の一階は礼拝堂となっているのだ。
「お幸せに」
クレアが力なくつぶやくと同時に、部屋の扉が荒々しく開け放たれた。
扉の向こうには厳かな枢機卿の礼服に身を包んだ初老の男性が立っていて、険しい顔をしてクレアをにらみつけている。
クレアは顔を青ざめて、なるべく足音を立てないように男に近づいて跪いた。
長身のクレアが立っていると見下ろす形になってしまうため、あらかじめ跪いていないと機嫌を損ねてしまうのだ。
「クレア。誰が休んでいいと言った」
「も、申し訳ありません、モリブデン枢機卿。この塔で結婚式があったものですから、祈りの力を高めようと」
クレアは恐怖に震えながら、両手を組んで許しを請う。
モリブデンは深い皺が刻まれた皮膚を震わせ、苛立ったようにクレアの肩を蹴飛ばした。
「きゃあっ」
「口答えするな! 早く仕事にもどれ!」
「は、はい!」
クレアはモリブデンの視線から逃れるようにして、隣の部屋に転がりこんだ。じんじんと痛む左肩を撫でてから、涙のにじんだ目元を袖で拭う。
ばくばくと破裂しそうな心臓を落ち着かせるために、何度も深呼吸を繰り返したが、あまり効果は望めなかった。
「落ち着いて……いつものように、仕事をしなきゃ……」
クレアはほとんど過呼吸になりながら、部屋の中央へと移動した。
そこには両手を広げて慈愛に満ちた微笑みを浮かべる女神フォルトゥナの像が建てられている。
その像を中心として部屋には巨大な魔法陣が描かれていて、その魔法陣を囲むようにして作られた溝に水が流れている。
クレアは像の前に跪いて、祈りを捧げた。
すると背後の扉が開く音がして、クレアは反射的に振り返った。そこから見覚えのある小柄な少女が顔を出したので、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった、ニケだったのね」
「クレア様、何かありましたか?」
ニケと呼ばれた少女は顔色の悪いクレアに駆け寄って、心配そうに顔を覗きこんだ。
顎のあたりで切りそろえた黒髪に褐色の肌をした、利発的な少女である。
クレアの守護役であり、世話係をしている。
クレアが聖女としてこの塔に連れて来られてから、もう八年の付き合いだ。
十七になるクレアのふたつ年下である。
「ずっとお祈りばかりしていては体に悪いですよ。少しお休みになられては」
「いえ、枢機卿の命令だから……あと少しできょうの仕事は終わるから頑張らないとね」
無理矢理に笑顔を浮かべると、ニケは悲しげに瞳を揺らして、小さくうなずいた。
「私もお手伝いしますね」
ニケは近くの台に並べられた空の瓶を手にとって、溝に流れている水を汲み始めた。
聖女の祈りを受けた水は秘薬と名付けられて、不老不死や美貌に効果があるとして貴族たちを相手に高値で取り引きされている。
もちろん聖女の力の私的利用は違法であるが、クレアやニケが内部告発をしたところでモリブデンを相手に勝てるはずもなかった。
「聖女は歴代最多の七人もいらっしゃるのに、クレア様だけどうしてこのような扱いを受けるのか」
「仕方ないわ。私は平民の娘だもの」
クレアは憤慨するニケを宥めるように弱弱しく微笑んだ。
「だからってクレア様を虐げていい理由にはなりません。それに聖女の力をこのような金儲けに利用するなんて許されることではありません!」
「だめよ、ニケ」
「あ、申し訳ありません」
ニケは警戒するように扉に視線を向けた。
クレアが逃げないように、モリブデンの部下が見張っている可能性があるのだ。
「大丈夫、希望はあるのよ」
クレアの笑顔につられて、ニケも笑顔でうなずいた。
すべての瓶に水を入れ終わると、見ていたかのようにモリブデンの私兵が姿を現し、追加の仕事だと大量の瓶を台に置いた。
永遠に補充される大量の瓶に、クレアは怯えたように全身を震わせた。
すでに体力の限界だった。
「きょうはもう無理です! クレア様が死んでしまう!」
「黙れ守護役風情が。聖女クレア、これを拒めばお前の両親がどのような目に遭うかわかっているのか」
両親の名を出されて、クレアは考える間もなく何度もうなずいていた。
「やります! やりますから!」
クレアはよろよろと覚束ない足取りで像の前に移動し、祈りを捧げる。背後でニケが声を抑えて泣いているような気がした。
いまのクレアには、聖女の仕事に対する疑問を抱く余裕すら存在しなかった。
誰かに迷惑をかけたくない。その一心で祈り続けた。
やがて時間の感覚もなくなって、頭の内側からずきずきと痛みが走った。吐き気がして、寒いのに汗をかいていた。
「うぅ……」
「クレア様!」
「どうしよう、まだ終わってないのに」
「少しだけお休みになってください。そうすれば気分もよくなりますよ」
クレアはニケに支えられながら、なんとか隣にある寝室のベッドにたどり着き、仰向けになって転がった。ぐるぐると視界が回っているような気がする。
「せめて夢の中では心安らかに」
優しい祈りに答えることもできずに、クレアの意識はあっという間に暗闇へと引きずりこまれた。