デートin夜景の見えるレストラン
「明日の夜、市内のホテルでディナーの予約してあるから、そのつもりでいてね~」
突然、彼女にそう言われて、わたしはカレンダーを見た。何かの記念日だっただろうか?
「……まさか、自分の誕生日、忘れてる?」
驚愕の表情を浮かべる彼方。カレンダーを眺めたまま、わたしはギクリと固まった。
完っ全に、忘れていた。
少し大人っぽい服装に身を包み、車椅子を押してエレベーターに乗る。
一面がガラス張りで、街の景色が良く見えた。扉が閉じ、箱が動き出す。頭上にあった街灯がみるみる眼下に移動し、更にぐんぐん遠ざかる。このビルには何度か来た事があったが、それもデパートの入っている三階まで。こんなに高い場所へ上ったのは初めてだ。
緊張するわたしの横腹を、彼方がこちょこちょとくすぐってきた。
「顔が硬いぞー、本日の主役。大丈夫だって、ただ高い所にあるだけで、そんなに高級店じゃないし~」
笑ってそう言うが、彼方とわたしの金銭感覚には多少のズレがある。多分、恐らく、わたしの人生の中では一番の高級店だ。
とはいえ、少し緊張は和らいだ。チン、という音と共に、エレベーターの扉が開く。雰囲気のある薄暗い廊下の先、聞いていた店名の入り口をくぐる。
彼方が受付をしているちょっとの間、店内を見渡してみた。ロウソクの様な温かい色調の間接照明で照らされた座席には、裕福そうな妙齢の夫婦連れや、上品な仕草の男女が座っている。ファミレスでよく見る走り回る子供の影はどこにも無い。
ウェイターさんが出てきて、わたし達を座席へと案内する。窓際の丸テーブル、予約席と書かれた札を回収し、メニューを置いて「ごゆっくり」と一礼した。
本当に、めちゃくちゃ高級店じゃん。
「好きなの頼んでー、デザート分だけ空けといてね」
恐る恐るメニューをめくる。千円以下の品が見当たらないどころか、一皿三千円越えの料理もある。めちゃくちゃ高級店じゃん。
完全にビビり、千円台のローストチキンのみを伝えると、彼方は慣れた手つきで店員を呼び、更にサラダとスープとドリンクも注文した。
「水だけでいいじゃん、ドリンクまで要らないじゃん……」
「まぁまぁ、うちのおすすめだから、是非とも飲んでいただいて」
「上流階級め……」
「ところでお嬢さん、右手をご覧くださいな。当店ご自慢の夜景となっておりまーす」
彼女の右手、わたしの左手を、示されるままに振り向く。
上空から見下ろす星空があった。色とりどりのLEDが、暗闇の中に小さく煌めいている。車のライトさえも流れ星の様だ。
「君の為に用意した宝石箱だよ」
多分ドヤ顔で、彼方がよく分からない事を言っているが、頭に入ってこなかった。
この街って、こんなに綺麗だったんだ。道端に落ちているゴミも、有象無象の人混みも、嫌なものは全部闇に包まれて。今は、わたしが見たい物しか見えない、見せてくれない。
ガラスに反射したわたしと彼方の姿が、まるでたくさんの宝石を身にまとった様で。
見た事の無い世界に、しばし呆然としていると、料理が運ばれてきた。
大きな皿に余白を大きくとって、ちょん、と盛られたおしゃれな品々だったが、不思議と物足りない感覚はなかった。胸がいっぱいだったのだ。
料理を食べ終えると、店内の照明が少し暗くなった。ハッピーバースデートゥユーの聞きなれたメロディがピアノで流れ、ロウソクに火が灯ったケーキがこちらへ運ばれてくる。
「お誕生日、おめでとうごさいます」とウェイターさんが言うと、周囲からまばらな拍手の音。わたしが火を吹き消すと、店内の照明が元に戻る。
小さなホールケーキが切り分けられ、わたしと彼方の前にショートサイズで並ぶ。表面は純白だったが、断面にはベリー系と思われる朱いソースが見える。
「ケーキと一緒にドリンクも、どぞどぞ」
言われて、今まで口を付けていなかった事に気付き。ソースと似た色をした液体を一口煽った。
「えっ、ワイン?」
「ふっふーん、サングリアと言いましてぇ、アルコールを飛ばしたワインなのです! 雰囲気にピッタリでしょ~」
悪戯が成功した子供の様に笑う。うーん、今日は徹底している。完全にエスコートされている。
「それでね、はいこれ、うちからの誕生日プレゼントです」
そっと、目の前に可愛らしいレース模様の洋封筒が差し出された。黄色いリボンのシールで封がされている。
彼方は、開けてほしい様な、開けてほしくない様な、何とも微妙な表情でそわそわしている。
「ありがとう、帰ったら開けるね」
「えぇ!?」
「……冗談。今開けていい?」
「うぅ、よくないかも……」
やっぱりどっちか分からない。いいや、開けちゃおう。
封筒とお揃いの、周囲にレース柄が施された便箋が出てきた。
『小とりへ、18歳の誕生日おめでとう。
小とりと出会って6年になったね。一緒にすごした日々は、毎日がハッピーで、ハッピーバースデーでした。
前に、どうしてわたしのこと好きになったの? と聞かれたことがありましたね。恥ずかしいけど、今日はその答えを教えたいと思います。
中一の時、クラスは別々だったけど、体育の時間で小とりを見つけました。いつもすみっこに1人でいて、近寄りがたいふんいきを放っているのに、どこかさみしそうに皆を見ている、そんな姿が印象的でした。先生に2人1組になるように言われた時、あなたに声をかけよう、と決めました。あなたはおどろいて、ぎこちなくて、とても壁を感じました。でも、毎回声をかけるうちに、ちょっとずつ笑うようになってきましたね。それが楽しみで、体育の授業以外でも話しかけるようになりました。
話をしてみて、小とりはとっても優しい子なのだとわかりました。相手を傷つけるのが怖くて話しかけられない、うそを吐くのも下手で、いつも正直に、ひねくれていました。それは、うちには無い考えで、小とりとのお話はいつも、とても楽しいものでした。
二年になって、同じクラスになって、家に遊びに行ったり、一緒に登校下校するようになりましたね。最初にあった壁はすっかり無くなって、あなたの言葉にはとってもえんりょがなくなりました。そして、雑でぐうたらなところも見えてきました。
一緒にお菓子作りをした日、ハンドミキサーの使い方を失敗して、キッチンを生クリームまみれにしたあなたを見て、こう思いました。
この子は、うちが一生面倒みてあげなきゃって。
今、うちとあなたの役割は、逆になってしまいましたね。下手なのに頑張って介護してくれる姿に、毎日キュンキュンしています。
うちと出会ってくれてありがとう。恋人になってくれてありがとう。
世界中で一番、小とりを愛しています。彼方より』
やっぱり、家で読むべきだった。
彼女には見せられないと、顔を逸らす。街の灯りはぼやけて、乱反射して、あまりにも眩しかった。
ハンカチで無理やり拭って、鼻をすすって、笑顔で正面に戻る。オロオロしていた彼方に、「嬉し泣きだから」と言い訳して。
ケーキは多分、三割増しで美味しかった。
来年も、またこうして、誕生日を迎えられたら。その前に、彼方の誕生日を、お祝い出来たら。
「うちの誕生日はチョコレートケーキがいいなぁ、今から予約ね」
「はいはい、気が早いなぁ」
また一つ、未来への約束を結んで。
ちょっと大人な夜は、静かに更けて行った。