デートin水族館
車椅子が届き。買い物等で乗りこなす練習をして。
ついに、念願のデートの日である。
「じゃーん、何のチケットでしょう」
「水族館って、思いっきり書いてあるけど」
「そうです、ペアチケットで~す!」
何時の間に入手したのか、彼女はバッグから取り出された二枚の青いチケットをひらひら見せびらかす。そこは、二年前にリニューアルオープンして、わたしが「行ってみたいね」と零した事があった場所で。
覚えててくれたんだ、とうっかり涙が滲み出る。駄目だ。今日は絶対に泣かない、泣いちゃいけない。
暑くなってきた日差しを避けながら、バス停まで坂を下り。ノンステップバスに乗り、ガタゴトと揺られる事二時間。街外れの海辺に佇む、大きな建物の前へと降り立つ。
「おおぉ、大分近代的な建物になってるねぇ」
入り口のスロープの横に、大きな魚のオブジェが佇んでいる。建物の壁はカーブを描き、屋根は流線型で、海流を表している様だ。
「コトって、こういうのじっくり見るタイプ?」
「あぁ、うん、かなり遅いタイプ」
特に水族館は。
水族館が好き、と言うより、水中が好きなのだ。ゴーグルを付けて、プールに潜って、下から水面のきらめきをただ眺めているだけで、何時間も過ごせる。水族館は息継ぎが要らないし、プールよりも広いし。青が深くて、薄暗くて、静かで、でもたくさんの魚がいて、退屈しない。
わたしだけの世界、だったのだろう。近くに人がいても、その声は水を通すと遠く聞こえる。誰にも邪魔されない、特別な場所。
けれど今は、その場所を、大切な人と共有したいと思っている。
小さな水槽が並ぶ淡水魚の世界を抜け、熱帯の水辺を再現した森を抜け、暗くて冷たい深海を歩き。
「あのお魚綺麗だねぇ、ファッションセンスが良い」
「保護色なんだって。水槽の中だと目立つけど、実際のサンゴ礁の海だと目立ちにくくなるらしいよ」
「へぇ、不思議だねぇ」
彼方は動くものにばかり目が行く様で、海底に張り付くサメや隅で固まるタコには興味が薄そうにしていたが、小魚がたくさん泳ぎ回る展示では頭をせわしなく動かし魚影を追っている。大水槽のイワシの群れなんて、首を痛めそうな熱中っぷりだ。
屋外展示に移動すると、彼方が「おっ、ペンギン!」と声を上げた。
「ペンギン好きなんだ~、幾らでも見てられるよ」
これまたベタで可愛い趣味。女の子が「これ好き~」って言って引かれない奴。わたしの一推し「オコゼ」とは比べ物にならない女子力。
さて、それではペンギンを目の前で見ようか、と車椅子を押していると。
「あの、竹丘彼方さんですよね!」
見ず知らずの人に、声を掛けられた。
「私、斉央中学にいたんです、『混沌』に襲われた時に! あの時は、助けていただいて本当にありがとうございました!」
「あぁ、あの時の! 良かったぁ、元気そうで」
「あ、握手してもらっても良いですか?」
「うん、お安い御用だよ~」
少女は彼方が差し出した手を握ると、アイドルとでも握手したかの様に「一生洗いません!」と言い残し、連れの友達と一緒にキャーキャー言いながら去って行った。
それを見た周囲の人々が、彼方の存在に気付く。ちらほらと人が寄ってきて、握手や写真撮影を求められる。
わたしがあまり知らない、『天仕』としての彼女の姿が、そこにあった。たくさんの人に慕われて、たくさんの人に笑いかけて。誰にでも優しい、皆の彼方。
思い出した。心の一部がざらつく様な感触。どうして、わたしのものなのに。わたしだけのものに、ならないの、って。ものじゃないよ、彼女も一人の人間で。人権も自由もあって。力があって、使命があった。
仕方ない、仕方ないんだよ。そう言い聞かせて、ざらざらを、閉じ込めていた。
「うち、もう『ギフト』無くなっちゃったし、只の一般人なんで。今日もプライベートなんで……」
「どうも、どうも」と一人ずつにペコペコお辞儀しながら、人混みから離れたわたしの元に、彼方が車椅子を漕いでやって来た。
「いやー、ごめんね、大事になっちゃって。さ、デート再開しよ?」
「……うん」
あからさまに拗ねた言い方だったと思う。それでも彼方は嫌な顔一つせず、笑顔で行き先を指差した。
「いやぁ、ペンギンってさぁ、足短くて歩き辛そうで。転んでるところなんか見ると、本当生き辛そうだなぁって思うの。
なんか、そういうところがコトに似てる気がするんだよね」
「……それって、ペンギンとわたし、どっちが先?」
「ペンギンが先だけど、コトに出会う為にペンギンを好きになったんだよ」
ドヤァ、とこちらを見る彼方。我ながら意地悪な質問をしたが、完璧に返された。これ以上は鶏が先か卵が先か論争になるので、若干意味が分からなくても深堀りはしまい。
心が通じていれば、十分だ。
フィッシュバーガーを食べて、イルカショーを見て、もう一度大水槽とペンギンのところに戻って。通りすがりの人に写真撮影を頼み、何枚か二人で映った。
お土産コーナーで、ペンギンのストラップをお揃いで買った。デートだから、二人のものしか買わない。ちょっと両親や友人の顔がちらつくが、頭をフルフルして振り払う。
一人の世界に篭るのは簡単だ。二人だけの世界を作るのは難しい。けれど、君が二人になろうと努力してくれるから、わたしは幸せを感じていられる。
完璧じゃなくていい。仮初めの平穏でいい。嫌な事を思い出しても、君が直ぐに忘れさせてくれるなら、それでいい。
「また、一緒に来ようね」
叶わないかもしれない約束を結んで、わたし達は満ち足りた表情で帰路についた。